2020年4月30日木曜日

難航

思いつきで始めた豆雛作り。どうやら考えが甘かったようです。なかなか思うように進みません。なんとか屏風を立てることはできましたが、お内裏様とお雛様の座る台が収まらなくなってしまいました。屏風が厚すぎて手前にせり出したためです。しかし、薄くしすぎると華奢になって簡単に壊れそうです。なんせ素焼き止まりですから。仕方なく、台の後ろを斜めに切ってやっとなんとか収まりました。しかし、段に対してあまりにもギリギリすぎて、窮屈になってしまいました。

段を大きくすれば簡単なのですが、できるだけコンパクトに作りたくて悩んでいます。現代の暮らしはミニマムな、無駄を省いた生活を送る人が多いだろうと、なるべく小さいお雛様を作ることを思い立ったのですが。とりあえず、屏風と五人囃子も。それにひな壇も三種類。一段、二段、三段と作ってみました。あとは型取りですが、それぞれ別々に型を取らなければなりませんから、お雛様だけでも、十種類、それと、屏風と、段が三種類。合わせますと十四種類の型が必要になります。思っただけでも気が遠くなりそうです。あまり先のことは考えず、とりあえず、お雛様の型枠を作りました。

明日はいよいよ、石膏どりができるのでしょうか。

2020年4月29日水曜日

屏風

昨日作ったまめ雛の原型の型取りをしようと思ったのですが、やはりどうしても五人囃子も欲しくなって作り始めました。なんとか形が出来上がって、並べてみるとどうも大きすぎることがわかりました。そこで、思い切って半分の大きさに作り直しました。そうなると並べるためのひな段も欲しくなりました。木で作ろうかとも思いましたが、焼き物屋さんですからこの際土で作ることにしました。夫婦雛用と、五人雛用、それと十人雛用の三種類です。だんだん止まらなくなって、屏風も欲しくなりました。これもなんとか土でやろうと作り始めました。

全て型で作るための原形作りです。あとは、ぼんぼりですが、そちらはろくろで作ろうかと思っています。果たしてそんな小さいものができるかどうか、わかりませんが。なんだかミニチュアワールドができそうです。昔は女の子は、こういうものでおままごとをして遊んだのでしょうか。果たして、今の子供たちはままごと遊びなんてするのでしょうか。おそらく、ゲームで疑似体験遊びを楽しむのかなと想像してしまします。

2020年4月28日火曜日

まめ雛原形

まめ雛の原形がなんとか出来上がりました。

お雛様は初めてなのでだいぶ手こずりました。お内裏様とお雛様は3センチぐらい、三人官女は2センチほどでしょうか。これが素焼きすると一回り小さくなります。果たして、その小さな人形に絵付けができるのでしょうか。特に難しそうなのが目と口です。何と言っても、人形の命は目にあると思います。原形を作るときにも、近いもの用のメガネの上からハズキルーペをかけて、やっと作りました。明日はいよいよ型取りです。実は五人囃子も作ろうと思ったのですが、とりあえず今回は見送ることにしました。まずは一個どりの型を作って、その後、数をまとめて抜ける型を作ろうと思います。今回、原形作りの仕事をして思ったのですが、意外と陶芸用の粘土は土が荒いように思います、次は油粘土を使ったほうが良いのかもしれません。まあ、こんなに時間がいくらでもあることなんて滅多にないと思いますから、これから、いろいろなバリエーションを作ってみたいと思います。そのうち、もう少し腕も上がってくれると思います。

2020年4月27日月曜日

希望

朝、近くの店で工房の上で牛を飼っている友人と出会いました。いきなり、彼が良い粘土が出たと教えてくれました。どこにと尋ねると、工房のすぐ上の方の畑の脇からだとのことでした。早速行ってみると、そこは牛の飼料用のタネを蒔いたばかりの広い畑の脇でした。

すぐ後ろには水を流すための水路ができていて、その場所が山からの湧き水が出てくるところのようです。早速、土を掘ってみました。それは白っぽい鼠色のかなり粘りのある粘土でした。

我が工房のすぐ脇を流れる川を上流に辿った同じスジでした。昔、すぐ上の家に住んでいたおじいさんから、家のすぐ前の川沿いから、鼠色の粘土が採れて、昔は髪を洗うのに使ったという話を思い出しました。早速見せてもらいに行ったのですが、その時には言ってた粘土は見つけることができませんでした。まさにあの話の粘土の層がその上の畑の脇にあったのです。昔は、畑から縄文土器のかけらがよく見つかったと聞きます。それが、重機で開墾するようになってからは、おそらく土の中に埋まってしまったのだと思います。今日、見つけたような粘土の層も、昔はきっと、どこにでもあったように思います。だから、土器もいろいろなところから見つかったのだと思います。時代が変わって、森林伐採と蜜柑畑を作るための開墾で水の流れや、土地の構造が変って、粘土層が少なくなってしまったのだろうと想像されます。それにしてもこんなに近くから粘土が出てくるとは。混ざって出てくる石は頁岩が多いようです。もう少し標高が上がると花崗岩が多いのですが、これまで採取してきたのは、ほとんど、国有林と民有地との間近辺から出てくる、花崗岩の風化粘土でした。しかし、今日見つけたのは、頁岩の層でしたから、耐火度が下がるだろうと思います。1300度近い温度では溶けてしまうかもしれません。逆に花崗岩質の粘土ではその温度でもなかなか焼きしまってくれません。まあ、実際に窯で焼いてみないことには、わかりませんが、今の粘土に混ぜて焼くことができれば、まさに足元の粘土で焼いた、ヴァナキュラーな焼き物と言えるものになりそうです。なんだか、急にワクワクしてきました。まさに。地産地焼の焼き物が生まれるのですから。土をもらった地主の人にもその話をしたところ、目をキラキラしていました。きっと今の辛いコロナ騒動の中で耐えているのだと思います。そんな地元の希望になればと思います。これから色々、研究してみようと思っています。

2020年4月26日日曜日

マスクIII

昨年の夏の終わり、島で民宿を営む人が陶芸体験に来てくれました。その時、在来のトケイソウを二ついただきました。たまたまみかん畑で拾って来たそうでした。どこかへ置いたまま、そのことをすっかり忘れていたのですが、何かの拍子にカラカラになって見つかりました。そのうち一つの実を割って、タネを取り出して、試しに土に蒔いてみました。もうだいぶ秋も深まっていましたが、運よく三つだけ芽が出て来ました。それをハウスに植えて、今はだいぶ大きく育って来ました。

昔はどこにでもあった在来のトケイソウですが、最近は実が大きな種類ばかりでほとんど見かけることがありません。売り物としての価値も実が大きい方にはありますが、在来はおそらく自家用のみだと思います。実は十数年前にビニールハウスを立てたときも実の大きなトケイソウ、いわゆるパッションフルーツの栽培が目的でした。それがいろいろな理由から、トケイソウ栽培を諦めて今はパパイヤとかドラゴンフルーツを育てています。それが、偶然ですが、またトケイソウを育てることになりました。大きい実のトケイソウは、人工授粉をしないと実になりませんが、在来は放っておいても実がつきます。今年の夏は、パッションフルーツの入ったスムージーが楽しめるかもしれません。朝から、頑張って型作りを終えて、夕方まで、マスク作りをしました。前に作ったものはだいぶ娘のいる福岡へゆきましたから、もう少し作り足そうと思ったからです。前回までのは、ゴムがきつく長くマスクをしていると、耳が痛くなりそうでした。そこで、今日はマスクの横の長さを少し長めにしてあまり耳に負担がかからないように工夫しました。作り方も少し簡略にしました。前回はちょっと頑丈にしすぎたと思いましたので。午後から初めて、24枚できました。これでトータル76枚作ったことになります。もう少し貯まったら、また娘のところへ送ってあげようかと思っています。

2020年4月25日土曜日

ミニ雛人形

昨日、やっと石膏が届きました。早速朝から型作りです。今度は配合を間違えることなく、しっかりと固まってくれました。ただ水を減らしたぶん、泡が出やすく、結構ブツブツが出てしまいました、物事はなかなかうまくゆきません。ところで、空いた時間にミニのお雛様の原形作りを始めました。息子からの提案です。今のような新型コロナ騒ぎがいつ収束するのか見当がつきません。このまま、お客さんが来ない状態が続くようでは、何か対策を練らないと、工房存続ができなくなります。世間の同業者はどうやらネット販売を始めたり、産地ではネット陶器市など、通信販売にシフトし始めているようです。しかし、この屋久島にはハンディがあります。離島ですから配送料が割高になりますし、送る時の破損のリスクも高くなります。なんとかできないかと考えたところで、ミニのオブジェを思いつきました。これまで、招き猫や狛犬、それにミニの仏像などは作ってきましたが、より一般の人たちに喜んでもらえるような身近なものを作りたいと、まず選んだのがお雛様です。ちょうど、手元にあった、コレクションを参考に試作することにしました。絵付けの土人形になります。

土人形は、毎年年末に作っているので、技術の蓄積はあります。それに何よりも、小さいので、送料も抑えることができます。なんとか、この先いつまで続くのかわからない新型コロナとの戦い、生き延びるための努力をしたいと思っています。

2020年4月24日金曜日

改装終了

今日でなんとか工房の改装が終わりました。全て収まるところに収まってしまうと、もう何十年もこんな感じだったようになりました。使った材料は全て古材ばかりですし、中にはここを建てたときに屋根裏にストックしておいた板もあります。今から40年近くも前ですし、そのときすでに何十年も前の板ですからおそらく7、80年は経っていると思います。これでなんとか作業場と展示場との間に仕切りができました。この先、もし緊急事態宣言が解除になって、またお客さんが来てくれるようになっても、密接は避けれると思います。ウィールスを完全に根絶することは難しいようですから、できるだけ感染しにくいように努めようと思います。さて、最近窯出ししたパンケーキ皿です。以前、お客さんから注文をもらって、そのときに作った型で作りました。

今回はベージュの生地に色を散らしました。どちらかというとおとなし目に仕上げました。次はもう少し、激しい色使いにしてみようかと思っています。

2020年4月23日木曜日

ラスト体験荷造り?

窯出しして、荷造りをしました。陶芸体験の作品です。しばらくは、体験工房も閉鎖。それだけでなく、お店も閉じてますから、後のことはわかりません。何よりも、この後、体験が再開できるかどうか、もしかするとこれがラスト体験荷造りになるかもしれません。

思い起こせば、45年前、当時は屋久島での陶芸では収入にならず、東京の自宅に小さな工房を作り、陶芸教室をやりながら、半分屋久島、後の半分を東京という生活をしていました。あの頃から、陶芸を教えてきたわけで、我がことながら、人に教えることが好きなのかもしれません。大学受験するとき、美術の先生を目指したこともあるくらいですから。それが、まさか突然にこのような形で、とりあえずは教えることから、手を引くことになりました。いつか再び始めることができるのか、歳も歳ですし、まずはなんとか生き延びることを目指そうと思っています。

2020年4月22日水曜日

改装作業

まずはクローズドの看板を作りました。

そのあとは、工房の改装作業です。いちばんの目的は、お客さんとの接近を少なくすること。そのために、展示場と作業場の間に、支払いや包装をするカウンターがわりのテーブルを置くことです。そして、空いたスペースにはこれまで、入り口にあった、休憩用のベンチとテーブルを移動しました。上には棚受けがわりの孟宗竹が通ってましたが、思い切って取り外すことにしました。すると展示場がずいぶん明るくなりました。入り口回りも広々として窮屈な感じがだいぶ改善しました。

あとは、棚にあった器たちをどこへ持ってゆくか。まあ、物置代わりの離れに運ぼうかと思っています。

2020年4月21日火曜日

工房模様替え

釉薬掛けを終えて、窯づめをして、看板を書こうと考えているところへ、宅配便の配達員さんがが来て、教えてくれました。もう、観光客は全くいませんと。それから、土産物屋さんも全部閉めていますと。二三日前は、それでも、たまに迷子のようにお客さんが来てくれることもあったのですが。我が工房も看板を下ろしていますが、今日からは、ついにクローズドを出そうと、看板に色を塗り始めました。なにせ、年中無休で、大晦日も元旦も店を開けてましたから、本当に緊急事態です。そこで、この際、思い切って模様替えをしようということになりました。これまで、作品を包んだり、袋づめをしていたスペースを移動して、お客さんとの距離が離れるようにすることにしました。

長い間棚ざらしだった作品は、思い切って壊したり、洗って別の場所に移動したり、この際ですから、整理しようと思っています。もう何十年も前に作って、素焼きのままで埃をかぶっているものも壊すことにしました。なんだか断捨離を始めた気分です。こんなことを始めると、終活みたいでちょっと縁起が良くない気もしますが。もうかなりの高齢者ですから、このコロナ騒動、なんとか生き延びることができると良いのですが。

2020年4月20日月曜日

当面休止

裁縫工房から、陶芸工房に戻ってきました。ていうか、本当は先週に予定してました体験作品の釉薬掛けがずれ込んだのですが。

石膏型作りが難渋したためです。この作品たちを焼き上げた後は、しばらく体験とはお別れになります。ところがです。ここにきて、体験の問い合わせの電話が来るようになりました。おそらく、島への転勤族やお子さんの休校疲れとかの人たちでしょうか。その都度、コロナの緊急事態宣言で、しばらく様子を見ることにしましたと説明させていただきます。陶芸体験が三密になるかどうかは微妙なところではあるのですが、ここが島で最初の陽性発生所にはしたくありませんし、家には疾患を抱えた子もいるわけですから。それでも、皆さん、ちょっと戸惑っているのが感じられます。屋久島は離島ではありますが、福岡、大阪とは直行便もありますし、二時間波に揺られれば鹿児島です。鹿児島県も現在は8人の陽性者ではありますが、特別地域の福岡とは新幹線でわずか二時間ほどです。我が家の娘たちにも、当分顔を合わせられそうにありません。せめて、せっせとマスクでも作って送ろうと思っています。

2020年4月19日日曜日

サンデーマスク

昨日型抜きした、原形のバリ取りを始めましたが、少しまだ柔らかすぎるようで、綺麗にできません。それではと、また、マスク作りをする事にしました。先日、突然どこかに布を買って、しまっていたことを思い出して、押入れを探しました。すると奥の方から出てきました。ほとんど一反近い、手つかずの布です。陶芸のたたら仕事に使うつもりで買っておいたものです。色は黒、素材は化学繊維です。つるつるして目が詰まっています。試しにすこしだけ、裂いて見ました、幅も広く、二枚からちょうどマスク12個ぶん取れます。作り方は前回と同じホットボンドで接着するという方法です。ホットスティックもちょうど届きましたし。型紙もできてますから。ゴムも輪ゴムです。乾燥具合を見つつ陶芸の作業と並行して進めました。そこへ、カミさんがやってきて、娘からの電話で、マスクの在庫が心配になってきたとのこと。我が手作りマスクも役立つ場が見つかりそうです。それでは、もう少し気合を入れて作ろうと、夕方までになんとか仕上げました。

これで、前回作ったのと合わせて50個になりました。これから、空き時間ををみはからってせっせと作り足してゆこうと思っています。この先どうなるか、わかりませんから。

2020年4月18日土曜日

第一回洗濯

夕方、思い出して洗濯しました。昨日街に出るとき使った、手作りマスクです。帰ってすぐに、台所用の洗剤につけておいたものです。政府の情報では20回は洗って使えるようですから。

今日は前回と同じ仕事をやり直しました。手順がわかっているので、型を組み立て、目止めをして、原型作りまで終わりました。原型も抜きやすいように少し改造してみました。同じことを繰り返していては進歩がありませんから。時間も、半分ほどに短縮できました。ただ、肝心の石膏が届くまでにまだ一週間ほどかかりそうです。明日はまた、マスク作りでもしようかと思っています。ちょうど、このブログを読んでくれた友人から布が送られてきましたので。あちらの方が、ここよりもずっと、コロナが蔓延しているというのにです。ありがたいと思いますし、無駄にはしたくありませんから。

2020年4月17日金曜日

元の木阿弥

振り出しに戻る。覆水盆に返らず。元の木阿弥。色々な言い方がありますが、まさに今の我が身を表しています。昨日作り終わったと思った石膏の型が、全てダメなことがわかりました。今朝、バカに軟らかいと思って、もう一度、水と石膏の比率を計算し直してみましたら、配合比を逆にしていました。配合比70で計算した時、水が1500に対して、石膏は2000必要なのですが、1000しか入れてなかったのです。なんでそんな基本的な間違いをしてしまったのか、計算式の読み違いをしてしまったようです。それで、なかなか固まらず。原形がなんども石膏の中へ沈んでしまったのでした。それを石膏が新しいからだと勝手に解釈して、全ての型を作ってしまいました。この四日間の仕事が全てパーになってしまいました。おまけに石膏15キロが無駄になってしまいました。こうなったら、もう一度、やり直すしかありません。

大急ぎで石膏2袋を注文し直しましたが、届くのは一週間先とのことです。我ながら、アホさ加減に笑ってしまいます。気分転換に買い物に出かけました。昨日全県に緊急避難勧告が出ましたので、屋久島でも臨時休業の店が目立ちます。お客さんが来なければ成り立たない店が多いですし。我が工房も、これからどうするのか、じっくり考えようと思います。まあ、考えるも何も、誰も来ませんから。ただ、この先収束の見通しが立たないようですと、体験は諦めないといけません。三密を間逃れることはできませんから。せめて販売だけでもできるとありがたいのですが。まずは、ステイ ホームで行くしかないようです。

2020年4月16日木曜日

戦い終えて

四日間に渡る、石膏仕事の戦いもほぼ終わりました。工房は、まさに戦場のように散らかってしまいました。

型枠づくりの木工から始まり、型抜き。バリ取り、昨日今日と石膏型づくりでした。七つの割型を作るために14回石膏を溶いては流し込み、石膏の固まり具合を確かめながら、素早く原形を20個ほど、型に並べてゆきます。柔らかすぎると石膏の中に沈んでしまい、硬すぎると全て並べる前に、硬くなってしまいます。一瞬のタイミングを見計らって手早く作業をしないと全てがダメになってしまいます。二日がかりでなんとかやり終え、緊張の糸がぷっつり切れて、しばらくぼーっとしてしまいました。型の出来はうまくできたのもあり、欠点の目立つのもあり、それでもなんとか最後まで作り終えてホッとしています。新しく買った20キロの石膏もあとわずか残すだけになりました。ちょうど、昼休で、食事から戻った時、珍しくお客さんが来ていました。それも外国からの一人旅です。つい一瞬ですが緊張して、慌てて、マスクをしてしまいました。しばらくして、作品をいくつか買ってくれました。後で思いました。石膏どりの最中でなくてよかったと。明日、とっちらかった工房をぼちぼち片付けようと思います。

2020年4月15日水曜日

石膏型作り

今朝、かみさんがビニールハウスのミニトマトを収穫するのを手伝いました。摘果してないので、本当に小さな実ばかりです。それでも、ザルにいっぱいになりました。

塵も積もればなんとやらとはよく言ったものです。仕事場ではやっと型作りまでこぎつけました。バッチリ、石膏の取り扱いも学習し直しましたのでさぞや上手くゆくだろうと思ったのですが、全くさっぱり、予想外の失敗の連続でした。途中で、やり方を変えて、いつも通りの勘頼りに変えたところ、上手くゆくようになりました。どうも、本に頼ったのが間違いだったようです。勘と経験が知識にまさったということでしょうか。野菜づくりなどでも、どうも同じようなことがいえそうです。本で学んだことをやろうとしても大抵が上手くゆきません。もちろん、陶芸においても同じだと思います。体に染み込んだ技は侮れないということのようです。

2020年4月14日火曜日

石膏準備

昨日の続きで石膏型作りの準備です。まずは前に作った石膏から原型の型取りです。この型は、原形を作るための型で、すり減らないようにするため、保管していたものです。まあ、オリンピックで言えば最初の聖火のようなものです。もう何十年も前に作ったものです。量産用では一つの型からいっぺんにたくさん作れるように作りますが、この型は一個しか型取りできません。だから、たくさん原形を作るためにはなんども型抜きを繰り返さないといけません。結局一日がかりになってしまいました。休憩時間には石膏の取り扱いについて、学習し直しました。

基本的な知識ですが、石膏が硫酸カルシウムというものでできていること。海外では、湖や海に堆積したものが使われているのですが、日本のは、温泉から湧き出した水と一緒に地表に溶け出したものが使われていること。その硫酸カルシウムを150度で焼いて作るということ。思ったよりも低い温度で焼かれていました。先日。マスクの接着に使ったホットボンドも150度くらいで溶解していました。何か因果関係がありそうですが、ただの偶然のようです。石膏というとすぐに思い出すのが、学校の美術室にあった石膏像です。美大を目指す人は、毎日石膏デッサンに明け暮れたものでした。あの石膏像は、ほとんどが大理石で掘られたギリシャ、ローマ彫刻から石膏どりしたものです。マルスやヘルメス、アマゾン、パジャントなどが有名です。おそらく直接型取りした一個の石膏像から、次々と枝分かれして、今ではどこの学校でも見られるようになったのでしょう。まあ、この現代なら3Dプリンターでいくらでも作れるとは思いますが。あの時代には、石膏という素材は、立体物のコピーにはどれほど貢献したか計り知れません。陶芸の世界でも、未だに石膏の存在感は揺るがないようです。

2020年4月13日月曜日

裁縫から木工へ

昨日までの裁縫工房が木工工房へと変わりました。石膏型を作るための枠づくりを始めました。ここ数年、今年こそは作り変えようと思いつつ、ついつい忙しさに紛れて、古い型をごまかしながら使っていました。古くなると、あちらこちら欠けたり、細かい穴が目立ってきたりで、結局時間のロスが増えてしまします。そこで、思い切って、この時期に作り直すことにしました。前に使った板を削り直して、足りない材料は作り足して、釘で組み立てます。

朝から始めましたが。とても一日では終わりませんでした。明日は、原型を作って、石膏を流すまでしたいと思います。外は大風が吹いています。この時期とは思えないほど冷え込んで、まさしく花冷えと言うのでしょうか。

2020年4月12日日曜日

今日もマスク

昨日に続いてマスク作りです。たった一個しかできなかったので、少し考えました。まず、手縫いはやめて、接着剤を使おうと考えました。瞬間接着剤で試してみましたが、全くつきません。次は木工用ボンド、これもダメでした。ホットボンドではと試してみるとなんとかくっついてくれました。接着力はそれほどではありませんが、マスクぐらいならなんとかなりそうです。布を切るのもハサミをやめて、ローリングカッターを使いました。この方が綺麗に切れます。ゴムは残りが少ないので、輪ゴムに変えました。偶然、少し大きめの輪ゴムがたくさんありましたから。実は、一ヶ月以上前に百メートル巻きを注文していたのですが、いつまでたっても届くことがなく、つい最近、キャンセルのメールが入りました。このご時世ですから、まあ致し方ありません。午前中頑張って10個。午後は、晒し木綿がなくなったので、敷布を切って、作りました。

合わせて40個。これぐらいあれば、当分は心配しないで済みそうです。工房はすっかり、裁縫室に変身したようになってしまいました。

2020年4月11日土曜日

マスク作り

朝からマスク作りを始めました。先日、防災無線で老人クラブ連合会が、会員に向けてマスクを作って、提出するよう放送が入りました。老人クラブには入ってませんが、同年代の人たちがマスクを作るのならば、ひとつ自分もやってみようと思い立ちました。まず布探しからです。工房のウエス用にストックしてある布の中から使えそうなのを押入れから探しました。晒し木綿と、シーツの生地、それからガーゼのハンカチが出てきました。長い間押入れで眠っていたものですから、まずは洗濯から始めました。

乾かしている間に、ネットで作りかたを調べて型紙を印刷します。今回はプリーツマスクを作ることにしました。ある程度乾いたところでアイロンがけしてシワを伸ばします。それを型紙に合わせて裁断します。あとは手順を見ながら、縫ってゆきます。手縫いですから、針に糸を通すのですが、あり合わせの針と糸の太さが合わず、なかなか穴に通りません。そんなところから悪戦苦闘が始まりました。布目が荒いようで糸に結び目を作ってもするりと抜けてしまいます。アイロンがうまくかからず折り目がすぐに消えてしまいます。縫い目が揃わずギザギザになり形が歪んでしまいます。二枚重ねで合わせ縫いの後、ゴム通しの部分は何度も折り返すので、分厚くなって針がなかなか通りません。せっかくきれいに洗った布が、触りまくって、薄汚れてしまいました。ゴムを通すのも、道具がなくて針金を曲げてなんとか間に合わせました。一つ形になりましたが、なんかよれっとして今一つの出来です。

最後にもう一度洗濯し直さないと衛生的にも使えそうもありません。たったひとつ作っただけで、すっかりくたびれてしまいました。
ちょっと見通しが甘かったようです。毎日、ものづくりをしているという過信から見くびっていたのかもしれません。まあ、時間はたっぷりありますから、明日も再チャレンジしてみようと思っています。

2020年4月10日金曜日

パスタ皿窯出し

パスタ皿を窯出ししました。息子が自宅用にと作ったものです。早速昼はパスタでした。それもほとんどが自宅の畑で採れた野菜を使いました。ちょっと、幸せなな気持ちになりました。

体験の作品も今日窯出しして、荷造りを終えました。あと一窯ぶんぐらい残っていますが、それはなんとか来週中には焼き上げたいと思っています。これから、当分の間は陶芸体験はお休みします。昨日、町長らしき人の声が防災無線で流れて、緊急事態宣言を出された地域からの入島を控えてほしいとのことでした。昨日、島に文具や包装材料を収めてくれる業者さんから電話が入りまして、来週来る予定なので何か欲しいものがあったら連絡くださいとのことでした。そこで、いくつか欲しいものが出てきまして、今日電話をしますと、「商売で島には来てくれるなというので、行くことができなくなった」という返事が返って来ました。その代わりに運送業者に送ってもらうということになりましたが。昨日の放送では、記憶が確かなら、緊急事態制限の出された地域からの入島を控えるということだったと思ったのですが、鹿児島本土からの入島も控えざるを得なくなったのでしょうか。町長らしき人の声が流れたことによって、もう島には人が来ることもできなくなることになりそうです。確か不要不急とも言っていたと思うのですが、この不要不急という言葉の定義があまりにも曖昧に思われます。なにを持ってそう呼ぶのか、もう少し具体的に示して欲しいと思います。島で、観光に携わる人たちは、これから最低一ヶ月は完全に仕事を失うことになります。うちも全ての体験予約はキャンセルとなりましたし、焼き物を見にきてくれる人も全く来なくなりました。日本中どこもおなじ状態とは思います。命を守るためにはいたし方ないことなのでしょう。電気、ガス、水道、区費などの徴収は容赦してくれないでしょう。先が見えないだけに、不安になります。

2020年4月9日木曜日

チェンソーで枝落し

ようやくですが、屋久島にも光回線が引かれました。引き込み工事の日程が決まりましたので、準備を始めました。工房の前に立っている電柱から引き込むために邪魔になりそうな木の枝を切ることにしました。防風林として残しておいた木の枝がすっかり屋根の上に覆いかぶさっています。屋根に上がって、チェンソーで切り落としましたが、いきなり瓦に落として何枚か粉々に砕けてしまいました。切り落とした枝を片付けた後、屋根の修理です。

予備用にストックしていた瓦を調べると、袖瓦が見つかりません。そこで、平瓦で修理することにしました、そのままでは、はまりませんので削ったり切ったりしてなんとかはめ込むことができました。横から吹き込む雨にはアルミテープを貼って対応しました。袖瓦は釘で固定するようになっていますが、平瓦ではできませんので、瓦が飛ばされないようにコンクリートブロックを上にのせることにしました。昔の屋久島で行われていた工夫を参考にしました。午後は、工房の入り口前のベンジャミンゴムの剪定をしました。茂って、屋根にもかぶさっていましたから。切り終えると明るくなりました。

今日、運び出した枝は、軽トラで4台分、急にスカスカになって、目が慣れないせいか、心許無い気分になりました。

2020年4月8日水曜日

老人と山仕事

先日手に入れました、昔の農家の写真集に出ていた、老農夫婦の写真です。どうも、今の自分とあまり変わらないようです。ただ、作業道具が手作業から機械へと変わったのが違いでしょうか。

昼から、手が空いたので、かねて懸案だった家の脇の枯れた松を切り倒すことにしました。大型のチェンソーとワンハンドチェンソー、それに高枝きりチェンソーの三台揃い踏みです。大きいのが、しばらく使ってなかったのでかかるかどうか心配でしたが、なんとかエンジンがかかって一安心でした。それにチルホールも初づかいでした。まず、松の木の周りの邪魔になる枝を切り落とします。ここで活躍するのが高枝切りチェンソーです。切り落とした枝をワンハンドチェンソーで運びやすい大きさに切って片付けた後に、いよいよ、松にワイヤーを巻きつけ、チルホールで引っ張ります。すると、チェンソーで切る前にメリメリと言って、半分ぐらいから折れてしまいました。切り口にはシロアリが食った後。根元から倒れる前にやっておいて良かったと思いました。あとは大型チェンソーで根周りを切って、短く切って片付けました。もう一本、以前半分ぐらいから切っておいたウラジロエノキが新芽を吹いていましたので、そちらもチルホールを使って切り倒しました。これが終わるともう五時の音楽。外の仕事は時間が経つのも早いようです。体も結構こたえています。若い気でいても、年には勝てないようです。あの写真の老農夫とおそらく変わらない年齢だと思いますから。

2020年4月7日火曜日

釉薬をかけました。

今日は一日釉薬をかけました。ノンビリ作業です。体験工房の棚はいつの間にかガラガラです。

作業はいくらゆっくりやっても、やがてはやり終えてしまうものです。明日はちょっと、日中に畑仕事でもしようかなと思っています。外国でも、田舎で外出禁止のところでは、家を直したり、ペンキを塗ったりで過ごす人が増えているそうです。しばらくはそんな風にするのが良さそうに思います。ところで、昨日のコロナとの付き合いについての思いつきですが、ちょっと調べると、だいぶ間違っていたことを知りました。中国での研究で、人の体内では最長5週間ぐらいは生存するということです。人間の方も抗体を作って防御をするということらしいのです。だから、何年もの間共存するというようなことはあり得ないということでしょう。結核菌は、人間の体で何十年も生き続けるようですが。だから、BCGは十年以上免疫が続くというわけでしょう。そういえば、日本人が重症化しにくい原因の一つにBCGがあるのではというような話もあるようですが。人の体を離れたコロナウィルスはまあ生きて数日ということのようです。しかし、よく考えてみると、コロナも地球の生命の歴史から数十億年の間、変異しながら命が続いてきたから、現在に繋がっているのだと思います。おそらくこれからも絶滅しない限りはどこかで生き続けて行くと思います。それではどのように命を繋いでいるのでしょうか。細胞分裂なのか、他の方法で世代交代しているのか、どんな環境で、どんな方法で、その辺のことについて、答えてくれる情報はネットで調べても見つけることができません。例えば、インフルエンザは鳥が運んで、北極で越冬しているということを知りました。新型コロナの菌もおそらく動物の体内とか、どこかの地中とか、科学では今の所、解明できないところで、生き続けているのかと思います。これからも別のの未知の菌があらわれては、人間の生命を脅かすということが起きるのだと思います。とりあえずは、目の前のウィールスをいかに克服するか、なんとか英知を集めてこのピンチを乗り切るしかないとは思うのですが。

2020年4月6日月曜日

ミニカボチャ

二月にタネを蒔いたミニカボチャがだいぶ育ってきました。これまでに5個収穫しました。しかし、8本植えて3株は枯れてしまいました。うどん粉病が出てしまったのです。夏に育てたときはすべて枯れてしまって、全く収穫できませんでした。どうやら、放線菌というのが住み着いてしまったようです。これに一旦侵されると、対処することは難しいということです。そこで、季節を変えれば、なんとか育つのではと、やってみましたが、やはりダメでした。ただ、今回は早めに殺菌剤を使いましたので、全てが枯れるところまではゆきませんでした。けれど、その薬、何度も使うと、耐性が生まれて効かなくなるとのことです。そこで3種類くらいの薬を目先を変えながら使うと良いとのことです。

ここでちょっと、いま蔓延しているコロナウィールスのことを考えてみました。全くの、素人の思いつきですが。コロナウィールスも最初はコウモリかセンザンコウというような生き物の肺を住みかとして共生していたのだと思います。それが何かのきっかけで、他の動物、ここでは人間の肺に移動したとします。できればそこでうまく共存関係ができれば、あれ、ちょっとだるいかなぐらいでそのうちに慣れてしまったのかもしれません。ところが弱っている人の肺に入ってしまって、当然母体が死んでしまっては、せっかく入り込んだのに、このままではこっちも危ないぞと、慌てて、他の人間に移動したとします。すると、この種類の生き物は、どうも安定しないから、一族が絶滅しないためにより激しく移動して、いろいろな環境に仲間を分散させようと決めました。幸い、距離がちょうど移動するのに良いということも後押ししてくれたからです。しかし、本当はせっかく移り住んだのに、その住みかがすぐにダメになっては困ります。できれば健康な住みかで、長く安泰に暮らしたいのだと思います。彼らにしても、次々と移動するのは身の危険が増しますから。もし一族を滅ぼすような強い薬が来たら、自衛のためにそれに打ち勝つように変身する必要が出て来ます。まあ、ちょっと厳しいいかなという程度なら、我慢すればなんとかしのいでゆくのでしょうが。つまり、人間と、コロナとは、なんとかお互いうまく共存できる関係を作り上げることができれば落ち着くのではないでしょうか。もちろん、もともと肺に病気があったり、歳をとって弱っていたりする時は薬を使って抑える必要があるのでしょうが、それでも一つの薬ではなく色々な方向からおいおいもう少しおとなしくしてよ、と合図をおくる程度が良いのではないでしょうか。一旦人間の体を住みかと決めたからには、彼らとしても、簡単には引き下がることができないと思います。少しずつ少しずつ、お互いが共存できる関係を探しゆくのがとりあえずの目標なのではないでしょうか。ど素人の、たわごとを書いてしまいました。いつ、緊急事態宣言が出るのでしょうかねえ。

2020年4月5日日曜日

アウト

アウト、セーフのアウトではなく、アウトドアのアウトです。あまりに爽やかな風と暖かい日差しに誘われて、工房の前の草取りを始めました。お客さんもありませんしね。もともとインドア派で、昔は部屋を真っ暗にして、電灯の明かりで絵を描いていた人間ですから、今も、畑仕事は朝の暗い時間で、昼間は工房にこもって制作しています。それが今日のように外の風に吹かれての、庭仕事はなんとも言えない開放感です。

この時代に、本当!、幸せだと感じます。そして、すっきりさっぱりするのですから。そこで。ふと思いました。都市を離れて、田舎へ帰ろうと。もちろん、ウィールスが付いてないことが前提ですが。広々とした空間で、海や山に囲まれてのびのびと生きる。それじゃあ、飯が食えないよと言われるかもしれません。そこで、都市の機能を地方へ分散するように促すのです。都市は、利便性を求める中で生まれました。効率性の高さから必然的に人が集まって出来あがったものです。しかし、今度のようなことが起こると、実は負の部分も見えるようになりました。今回のような災害も人が集まりすぎた結果と思われてなりません。例えば、ちょっと前までは小さなな町工場がどこにでもあって、盛んに物が作られていました。ところが今では、ほとんどが、中国をはじめとする海外に工場が移転して今度のような緊急事態が起きてはどうにも動きが取れなくなってしまいました。ものづくり大国と言われていたのはいつのことでしょうか。あの構造改革が日本のものづくりを駄目にしてしまったのだと思います。今なら、まだなんとか間に合うと思います。首都機能も分散させて、地方に人を戻して、ものづくりの国を作り直す、良い機会ではないでしょうか。大企業を頂点とするピラミッド型の社会から、農業、漁業、工業がバランスよく並存できる社会へ。これは、国を動かし、地方行政を動かし、一人一人が動き出せば、いつかそんな世の中に生まれ変わることができると思うのです。こんなことは政治家が考えてくれると思っていたのですが。数十年後の世の中をどうデザインするかというような。草取りをしながら、そんなことを考えていました。

2020年4月4日土曜日

普通の生活

何気ない日常。そんな生活が今日も送れることに感謝しないといけないようです。今は戦争状態に入ったと考えるべきなのでしょうか。ここは、それほど切羽詰まっているようには見えませんが。明日は我が身と考えて。工房で一人、朝からろくろに向かいました。ラジオに耳を傾けながら。土曜日だけは、何時もの音楽放送ではなく、東京のバラエティー番組です。午前中は漫才コンビ、午後は情報バラエティー番組です。コロナの話題と、あの森友問題で自殺した財務省官僚を追った記者へのインタビュー。いつものフリーカップを蹴轆轤を回して挽きながら。

鹿児島では当たり前のように新学期始めのニュースが流れ、国体に向けての準備の話題。夜の飲食店へのコロナの影響がゆうべのニュースの話題でした。あとは、県知事選挙の立候補者に、新年度の人事異動。ここは異次元じゃないかと思わせるようなのどかな日常風景です。東京からは初めて感染者の数が100人を超えたとニュースで伝えられています。ロックダウンが迫っている緊迫感が音声から伝わってきます。アベノマスクに給付金、漫画家の似顔絵炎上。ネット情報にラジオテレビ、今や世界の動きが真贋取り混ぜて滝のように溢れてきます。少し、心をロックダウンしないと、渦に巻き込まれて溺れてしまいそうです。

2020年4月3日金曜日

いつもの暮らし

四月に入ってから、空気がガラリと変わった気がします。それまでは、お客さんがぼちぼち寄ってくれて、体験にも来てくれていました。人混みの騒動から解放された気分がこちらにも伝わって来ました。ところが、月が変わって、ばったり人の流れが止まり、もう時間が止まってしまったかのようです。都会から、田舎へ菌をばらまくんじゃねえよ!といった風潮が一気に高まったように感じます。みんな、我慢しているのに、旅行なんてもってのほかという空気でしょうか。人から人への感染を止めるには、接触しないというのが最も有効ということでしょう。今は、平時じゃないんだからと。そうなったら、どう生きたら良いのか、戸惑ってしまいます。スウェーデンでは70歳以上は外出禁止だそうです。一切外へ出てはいけない、高齢者は、重症化のリスクが高いから、ということのようです。皆、我慢しているのだから、お前も我慢しろということでしょう。今日も、工房で一日、制作して過ごしました。

何時人が動き出すのか、全くアテのない中、どうしたら、いつもの暮らしを続けることができるのか、モチベーションを保つのも難しくなります。陶芸は、職人的な技と、デザイン的な一般性、それとアートとしての個の表現が微妙にミックスして成り立っています。ひたすら、自分の内面だけを見つめるアートとの違いはそこにあります。この際、しばらく絵を描いて過ごすのも良いかもしれません。

2020年4月2日木曜日

工房洗浄

ここのところ続いてました、体験のお客様が、ようやく一区切りつきましたので、町に買い物に出ました。カミさんが一人でゆくというのに、無理やり付いてゆきました。手分けすることで、少しでも人との接触を減らせるようにと思ったからです。先日、鹿児島では二人目の新型コロナ感染者が出ました。それも、沖永良部島という離島でです。これまで、離島だからとゆったり構えていましたが、もういつこの島からも感染者が出てもおかしくなくなりました。ここのところの、島外からのお客さんの動きも心配ですし。仕事柄、体験の予約が入れば、なかなか断ることもできません。そこで、、始める前には除菌スプレーを顔に吹きかけ、出入り口の戸を開け放ち、工房の床に水を打って、湿度を高め、接近しないように気をつけるようにしていました。終わった後には、使っていただいた、エプロンやタオルは即刻、離れの洗濯機で洗います。これまでは家に持ち帰って洗ってもらっていたのですが。

それから、昨日、待ちに待った加湿器と次亜塩素酸水も届きましたので、除湿機に入れて使おうと思っています。東京ではついに、1日の感染判明者が100人に近づいているようです。もういつ、緊急事態宣言が出てもおかしくないところまで来ています。あとは、指導者の決断一つでしょう。多くの有識者が、おっしゃっているように、遅れれば遅れるほど、感染は広がり、収拾が難しくなります。どうか、責任を回避しないで、前に向かって欲しいと思います。

2020年4月1日水曜日

スラブで角皿

スラブローラーで角皿を作りました。パスタを盛るような大きさのをです。先日のお客さんが、探していたのを思い出しました。

色釉流しと、勝手に名付けた技法です。白い釉薬の上に色の入った釉薬を散らすのですが、散らし方で雰囲気が変わります。昔、人間国宝に選ばれた益子の浜田庄司さんが釉薬を柄杓で流し掛けしていましたが、あの技法に、ジャクソンポロックの技法を加えて、応用したような方法です。筆で散らしたり、手を釉薬に突っ込んではねとばしたり、その時の気分でいろいろやります。おとなし目のときもあれば、激しい時もあります。気分が乗ればパフォーマンスみたいな動きが出たりします。刷毛目をやる時もそんな感じになる時があります。今はちょっと鬱屈気味ですから、怖いような気もします。勢いが止まらなくなりそうで。