昨日の年輪変皿、なかなか乾いてくれません。湿度が高いようです。秋だというのに重たい雲がどんより。これじゃあ、作業が進みません。乾燥を速めるためにヒートガンで熱い風を送ってみましたが自然に勝るものはありません。ただ、乾きが遅いという事はいろいろと作業の余地があるという事で、変形を強めてみました。夕方何とか削り終えたのですが、どんな色に焼き上げるか、なかなかイメージがまとまりません。当分、悩める日が続きそうです。
2024年10月30日水曜日
2024年10月29日火曜日
年輪変
昨日作った年輪皿。削りましたが、天候が悪くてほとんど乾いてません。いくつか削りそこなって、形が崩れてしまいました。そこでちょっと形を変えてアレンジしてみました。一昨日造った輪花の粉引との折衷で。年輪のお皿に何か所かアクセントをつけて花ビラのようなデザインで。あとは焼き方を思案中。案外遊びで作ったものが人気が出てしまったり。定番って案外そんな時に生まれるのかもしれません。瓢箪から駒とか、災い転じて福となすとか。
2024年10月28日月曜日
年輪皿
五寸の皿に年輪模様を付けたお皿を造りました。数年前の事でしょうか。大阪で呑み屋をやっているという人から頼まれたのが最初でした。焼いて送ったのですがそのあと何の連絡も来ませんでした。請求書を何度送ってもなしのつぶて。やられたのかと思って半分あきらめていました。それが奥様と思われる方からずいぶん経ってから連絡が入りました。主人が頼んだもののお支払いはまだではありませんかとのこと。それからしばらくして、その奥様からお支払いしていただきました。何があったのか想像するしかありませんが、いったんは諦めかけていた代金を支払ってもらい大いに助かりました。その時造った器の残り。島のとあるお土産屋さんがおいてくれたところ思いがけない人気商品になってしまいました。まさに瓢箪から駒というわけです。その器を今日作りました。その仕事をするためには特別の道具が必要です。その道具いくら探しても、見つかりません。致し方なくもう一度作り直しているとお客さんが来てくれて、いくつか買い物をしてくれました。もしかするとその仕事、運を連れてきてくれるのかも。これぞまさしく「災い転じて福となす」ではないかと思ったりしています。
2024年10月27日日曜日
リベンジ
昨日の午後から造った輪花の小皿。どうしても納得できず、再チャレンジしました。昨日は十五枚。今日の午前中に削ったのですが首をかしげる出来。今日も十五枚。夕方に一枚だけ、何とかこのぐらいかなと言えるものが出来た気がします。モデルは若い頃、とある骨董店で見つけたお皿です。ひとめぼれ。ちょっと分不相応な値段でしたが、清水の舞台から飛び降りる様な気持ちで買ってしまいました。おそらく中国のどこかで焼かれた古いものだと思います。それをわが工房の粉引で再現。ごく時折我が家の食卓に上るぐらいでほぼ棚の肥やしです。今日の器、上手く焼けたら自宅で楽しみたいと思っています。お刺身か冷ややっこが美味しそうに見えると嬉しいな。
2024年10月26日土曜日
フェリー
オクトーバー。十月も末ですが、午後になって急に蒸し暑くなってきました。台風も近づいている様子。空を見上げると分厚い雲の向こうに入道雲が見えます。朝はかなり涼しく感じたのに。今頃台風ですかと福岡から来たお客さんに尋ねられました。北海道や青森当たりではちらほら雪の便りとのこと。日本列島は縦長ですからととりあえず答えておきました。最近屋久島はフェリーの調子が悪いようで欠航が続いています。昨日の青森からのお客さん。フェリー料金の高さに驚いていました。おまけに青森から北海道まで欠航なんて話聞いたことがないとのこと。ところ変われば 事情も変わるという事でしょうか。
2024年10月25日金曜日
山
山の話です。いわゆる登山。入った美術系の大学が八王子の山の中にありました。出来てからわずか三年目。バスで延々と山を分け入るようなところ。一本乗り遅れると、とんでもない距離を歩いて上るかタクシーを乗り合わせるしかありませんでした。そこに登山靴を履いて通ったものです。ある時山岳部から入部の誘いがかかりました。別に山好きというわけでもなく、そのころ新田次郎という作家が書いた「孤高の人」という小説に影響を受けただけでした。その小説は加藤文太郎という単独行で山を歩いた一人の男の生きざまを描いた物語でした。大学に入学したものの今一つ学校に馴染めず、校舎の裏山から高尾山や陣馬高原方面へと歩き回るのがいつもの事でした。山岳部には入部したものの、団体で動くのが苦手な性格でだんだん遠ざかるようになりました。そんなころに神奈川の鎌倉にあった国立近代美術館の別館でエドワルド ムンクの展示に出会い、大学からも段々と足が遠のいて、日雇い仕事をしては酒を呑んで、表現主義的な絵にのめりこんでゆきました。そのあとカメラを持って街を歩き回ったり、京橋にあったフィルムセンターに通って昔の映画ばかり見るようになりました。何か自分らしい表現を模索していたのでしょう。そんなころ、偶然屋久島で仕事の話が湧いてきて、登山靴をザックに詰め込んで屋久島にやってきました。あれから、色々なことがあって、土を求めて山を歩き回りました。手にはスコップと土嚢袋。川に入ったり地図を片手に山を歩いたり。昔は川の護岸工事もあまりなく、山も持ち主がはっきりしてなくて、割と土の採取もしやすかったと思います。今は勝手に誰かの持ち山を掘ったりすると問題を生じますが。ヤマのほとんどは集落が持っていたり、集団で管理していたところが多かったのでしょう。今は世界遺産に登録されて管理がすっかり厳しくなってしまいました。懐かしいような、大昔の話です。
2024年10月24日木曜日
ヤマ
ちょっと昔の話。浪人時代です。お金がなくて働くためにヤマに行きました。ヤマというのは日雇い労働者の符牒です。手配師がいて朝行くと仕事をくれるところ。東京では高田馬場や新大久保、もちろん山谷が最も有名でした。ヤマで顔見知りになった手配師さんからその日の現場を教えられ、仕事が終わって夕方、また山に戻るとその日の稼ぎをもらって帰ることになります。現場へはマイクロに載せられるときもあれば、電車でゆくときもありました。最初のころは一日働いて2200円ほど。それから数年経って少し上がって2500円ぐらい、最後のころは山谷からで3000円ぐらいになりました。お昼がつくとちゃぶ付と言います。そんなわけで手配師さんがちゃぶ付三枚というのに手を挙げて現場に行くというわけです。一度ちゃぶ付の現場でホテルニュー大谷に行ったことがありました。何かの仕事の都合で昼に少し遅れたら大きな鍋の底に魚の骨と空っぽの鍋に張り付いたご飯粒だけの時がありました。あそこは昔通った中学校のそばだったので惨めな気持ちで泣きそうになりました。絵描きになるための勉強をしていたころ。稼いだお金はほとんど酒代に変わってしまいました。あの頃はランボー、ヴェルレーヌにあこがれ天才は若死にするものだ等と酒を呑んではくだをまいていました。
2024年10月23日水曜日
ヤスデ
ヤスデが出てきました。毎年娘の誕生日が目安です。明日がその十月二十四日。ろくろで挽いて削りまでの乾燥待ちの時、器の裏に張り付きます。注意深く確認するようにしていても、何かの拍子に指先に触れると、あの匂いがついてしまいます。ヤスデに臭いがなかったらと何度思ったことでしょう。やんばる手長ヤスデ。南の方からやってきて、どんどん日本列島を北上しているようです。暖かくなるにつれ生息域も北へと上がっている様子。今年は十月の末になった今でもなかなか暑さが続いています。昨日も夜中にエアコンのスイッチを入れました。寝ていて汗をかくと折角よくありつつある風邪がぶり返しそうですから。
2024年10月22日火曜日
秋雨
夜中の雨。裏山が崩れるんじゃないかと心配になるほどの強い雨。都会だったら洪水が起きそうな。我が家も雨漏り。来年は屋根を直さねばと息子が言ってました。陽が差したと思うとザザッと降ってきます。秋の雨はしつこい事。蒸し暑いし。まだ夕方になるとツクツクボウシが鳴いています。今年は季節感が変わっています。世界もきな臭いし。平和ボケの日本。どうなることやら。
2024年10月21日月曜日
エンドレス
ようやくずっと取り組んでいた器が旅立ってゆきました。数か月前に注文いただい物です。これでひと安心と言いたかったのですが、次の注文が入ってしまいました。島のホテルからです。もうその仕事はなくなったのかなと思っていたのですが。それともう一つ。何度か来てくれた大阪からのお客さん。有難い事ですが別の注文。こちらは年末までとのこと。このかた。あと九年間は屋久島に来ることが出来ないとのこと。どうやら、方角が悪いらしいのです。九年先に生きている確信が持てません。たとえ生きていたとしても体が動いているとは思えませんし。そこで方違えしたらどうですかと言ってみました。方違えって何ですかと聞かれたので、古文で昔読んだことがあります。よくない方角に行くとき一度別の方角へ行き、それから改めて目的地へ向かうという昔の人の知恵だと思います。と言ってみたのですがそんな恐ろしいことできませんとのこと。おそらくその方角に行くと死にますよと脅かされたのでしょうか。おそらく十二月でそのお方とは今生の別れになりそうです。
2024年10月20日日曜日
誕生日
昨日が上皇妃殿下の誕生日だそうです。卒寿とか。大昔の話ですがまだ皇太子のころ、ご結婚のお祝いの行列に加わったことがありました。四谷に住んでいた時の話です。小学校が千代田区の新居の近くでおなりの馬車を日の丸を振ってお迎えした思い出があります。それからずいぶん経ってご実家の前の建物の工事にかかわったこともあります。ここがあの方の幼少期のお宅だったかと思いました。そしてその家が取り壊しになるという話も聞きました。人の運命とは不思議なものです。あの頃あんなに若く溌剌とされていた方が卒寿を迎えるとは。人は誰もが老いてゆくもの。振り返れば我が身もよい年になってしまいました。
2024年10月19日土曜日
偶々
何かのはずみで、お客さんがたくさん来てくれました。何の脈絡もないのですが。ごくごく偶然です。「人生に意義なんてない」夕べ見たイーロンマスクの動画のサブタイトル。運命なんて信じないし、どこかに大いなる何かがいるなどとかとも思いませんが、確かに偶々何かのはずみという事はあるようです。
2024年10月18日金曜日
荷造り
十月締め切りの器の荷造りをしました。昔は大の苦手でしたが、今ではすっかり慣れてしまい、それなりに楽しんでおります。箱詰めして包装紙を掛ける。それの繰り返しですが、形や大きさが少しずつ違う器に合った箱を見つけて梱包材を切りそろえて包装します。最近は箱も値上がりして、赤字ギリギリですが、何十年ものお付き合い。何とか頑張っております。どうも箱の産地は韓国が多いようです。その箱も今ではコンピューターでデザインしてレーザーでカットしているようです。昔のような包丁で切って金具で留めるという仕事は消えてしまったようです。先日とある作家の人が箱代が高騰したから、もうやめると言っておりました。本末転倒ですが、現代、諸事情で制作続行が出来なくなることもあるようです。なかなか頭が痛い問題が次々と起こってきます。
2024年10月17日木曜日
母校
昔卒業した中学校の名前を動画で見つけました。なんでもヒップホップダンスを禁止して、生徒と親が困っているというニュースです。その学校は全国でも有名な進学校で公立の学校です。現在がどのようになっているのか分かりませんが東京の中心地の近くにある、いわゆる出世コースと呼ばれる名門校でした。かの上級国家公務員への出世道が昔からできていました。公立の中学校と言っても遠くから通っている子が多く、いわゆる越境入学というものになっていました。あの頃同級生の中には有名政治家の子供や大手企業の経営者の一族など、周りにはエリートの大金持ちがあふれていました。今から六十年近くも前の話ですが、そんな時代から現在に至るまで続いているのかと唖然と致します。そんな母校が何故、今頃そのような話題のネタになっているのか、よくはわかりませんが、急にタイムスリップしたかのような子供のころのことがよみがえっております。
2024年10月16日水曜日
ブランクーシ
19世紀の末から二十世紀の初頭に活躍した人でコンスタンチン・ブランクーシっという彫刻家がおりました。大好きで今の仕事にも影響していると思います。彼の才能を発見したロダンが俺の工房へ来ないかと誘ったのに「巨木の下に大樹無し」と言って断ったそうです。生まれはポーランドでパリで活躍しました。彼の残した言葉に「王のように命令し 神のように創造し 奴隷のように働く」というのがあります。時々その言葉が浮かんできます。ただし「奴隷のように働く」という言葉だけですが。体がしんどく気力が湧かないとき、愚直に体を動かそうと自ら鞭打って気力を振り絞っております。
2024年10月15日火曜日
陰性
体調が戻りません。昨日も一日仕事場で動いたのですが夕方にはがっくり。日記も書く気力がありませんでした。数日前から家族全員がおかしくなりました。最書は次男から。四十度近い高熱と鼻水。診療所に連れてゆきましたがpcrは陰姓。点滴をしてもらって戻ってきましたがそれから全員が次々とダウン。高熱と鼻水。調べると、pcrは確度が七十パーセントから六十パーセントとか。てことは三人に一人以上は間違えるという事。数年前に同じようにコロナ感染した時と症状がよく似てます。という事は、どういう事か。しかしながら確かめようはありません。何しろ今は五類。風邪と同じ扱いです。でも風邪と言っても患者は車に乗って検査を受けたりと、隔離に近いような扱いです。なんか、無理やり感があるような。なんにしてもまともな治療法があるわけでは無し、対症療法しかありません。熱が出れば熱覚まし、肺炎になりそうなら抗生剤。あとは栄養を取ってゆっくり良くなるのを待つだけ。そんなわけで今日もだるい体、鼻水をすすりながらなんとか仕事場を動き回っております。そのうちよくなると期待しつつ。
2024年10月13日日曜日
印度
今から二十年以上前です。バラナシのガンガーで人々と朝の沐浴をしました。それからサルナートという町に行きました。お釈迦様が初めて悟りを開いたというところ。ただの観光地でした。帰ってきてから何も変わることはありませんでした。六道という言葉があります。日々、泣いたり悲しんだり絶望したり、心の不安定さを表しているようです。せめて穏やかに、世間に惑わされず、静かに生きたいと思っていますが、実際のところは怒ったり嘆いたりちょっとだけ喜んでみたり。まさに世間の波にとらわれて生きております。
2024年10月12日土曜日
連休
今日が三連休の初日のようです。天気も良くて最高の行楽日和、楽しそうに旅をしている方々が工房にも来てくださいました。一方、我が家はというと、昨日は次男を連れて診療所に行きました。そして昨夜からは長男とかみさんが風邪菌の被害者に。こっちも本調子ではありません。突然の出来事。災害は忘れたころにやってくる。まさにそんな感じです。結構悪質な菌。幸いにコロナは陰性とか。それが救いです。明日から少しずつでも快方に向かう事を願っております。
2024年10月11日金曜日
元気
ネットの動画で戦っている人を見ました。落ち込んで元気がないひとを見ていると、こちらもしょぼんとしますが、戦っている人を見ていると負けないぞという気分になります。不屈の闘志に出会うとこちらにも力がみなぎるから不思議です。今日は夕方メキシコからの若者が来ました。陶芸をやっているとか。色々なことを聞かれましたが、こっちも元気が有り余っていたので何でも教えてあげました。先日は中国の景徳鎮から、やはり陶芸をやっているという人が来ました。こちらには、正直何も感じることはありませんでした。出会いとは不思議なものだと思います。
2024年10月10日木曜日
スプーン置き
以前ホテルに納めたスプーン置き。カトラリーレストというそうですが、売店で販売してもらっています。それが結構な人気で、まとめて造ってもに三か月で造り足さないといけません。昨日からまた造っていますが、この作業がなかなか難しいのです。ただ長方形の棒のような形ですがシンプルゆえの困難さがあります。制作の途中で変なストレスを与えると、必ず変形してしまいまし。まずスラブローラーで伸ばした後、切ってゆくだけなのですが。金属で切り込みを入れると、切断面に刃が触れます。それを持ち上げる時に曲がってしまう事があります。それを後から直しても必ず焼いた後に変形してしまうのです。そこで曲がらないように木の板で押さえながら作業をして行きます。そのピースを一晩乾燥させてばらばらに切り離すのですが、その作業の最中でも曲がったり反ったりしないよう注意が必要です。ゆっくり乾かさないと間違いなく変形しますから時間をかけてじっくりと。これだけ神経をすり減らしても焼き上がるとただのまっすぐな、長方形。結局複雑そうに見えるものよりも簡単そうなものの方が案外難しいのかもしれません。
2024年10月9日水曜日
土練機
前々回。土練機を回した時に具合が悪くなりました。おそらく暑すぎて熱中症気味だったのでしょう。今日もその作業をしましたが、だいぶ楽になって、あまり苦痛ではなくなりました。我が家の愛犬も散歩でハアハアと言わなくなりました。そのかわり、歳のせいでしょうか。家から下る砂利道で足を取られて歩けなくなりました。そこで抱きかかえて道まで運びます。帰りも同様。家に着いてまず足をぞうきんで葺くのですが、最近は噛みついてきます。嫌なことがあると歯をたてます。子供の時に戻ってしまいました。鹿児島のブリーダーさんから手に入れたのですが、その時の写真が丸い柱にかみついていました。まさにあの頃に戻ってしまいました。昨日まではこっちもついつい頭にきておこっていたのですが、あきらめて足ふきはパス。屋久島の道ですからそれほど汚れていません。道で思い出しました。今朝、県道で何かの大きな動物が車に轢かれたらしく、死体が転がっていました。色からして狸ではないかと思います。その場所で何度か狸の死体を見ました。通り道があるのでしょうか。
2024年10月8日火曜日
絵付け
お皿に絵付けをしました。筆で色を置いてゆきます。昔は朝から晩まで筆を握ることが日常だった時代があったのですが、最近はすぐに疲れてしまいます。あれほど絵を描くことが好きだったのに。今では細かい作業をするときでも彫刻的というか彫ったり削ったりには飽きないのですが。人って変わるものです。どんどん造形的な方へと興味がシフトしてゆきます。カメラでは光にばかり気持ちが寄せられますが。その時その時でうつろってゆくのが面白いですねえ。
2024年10月6日日曜日
墓掃除
朝から集落の作業でした。この近くの偉人がはじめて屋久島にポンカンの木を植えてから100年。記念碑があるところを綺麗にするのが今日のミッションです。今回がお祭りの最後とのこと。今でも原木が三本残っているそうです。みかんの木が百年も生き残っているのは奇跡と言っても良いにでしょう。世話を続けた来た方たちのご苦労を思うと頭が下がります。今年も台風によってポンカンが大被害を被ったそうです。自然災害と戦いながら島の暮らしが成り立っていることを改めて学ぶことが出来ました。汗を流しながら側溝に溜まったゴミをスコップで掘り上げ道路を綺麗にしながら先人が残してくれた風土を受け継ぐことの大切さを改めて教えられた気がします。
2024年10月5日土曜日
零細
夕方、体験で焼き上がった作品を取りに来たお客さん。「ここって休みはないんですか」一瞬考えて「ほぼ休まないですねえ。うちみたいな零細な焼き物屋、休んでいたらやってられないですから」。気がついたら五十年余りの間に何日休んだろうか。さすがに歳なので、のべつ働いてるわけではありませんが、今も休み休み工房に居ます。来年の元旦から予約が来ています
2024年10月4日金曜日
ツバメ軍団
今シーズンも残り一試合。昨日は山崎選手の最後の試合でした。三十一歳という若さでの引退。これからの人生をどのように過ごしてゆくのか気になります。この時期は別れだったり引退だったり。切ない思いに胸が迫ります。それともう一つ。記録も、個人の。スワローズではサンタナの首位打者、村上のホームラン王、それと長岡の最多安打。特に最多安打の行方が気になります。今競っているのは秋山選手。何とか長岡に取ってもらいたいところですが。相手もベテランです。どうなることやら。まだ二十二歳の若さです。実は今から五十二年前、二十二歳の時に屋久島にやってきました。人生これから。だからこそ、素晴らしいきっかけをつかんでほしいと思うのです。
2024年10月3日木曜日
ときめき トワイライト
動画のサイトを見ていて偶然見つけました。ずっと探していた人と歌を。豊島たずみという人が歌った「ときめきトワイライト」という曲を。確か午後のアンニュイという紹介がされていたと思います。もう四十年以上も前のうた。昨日、初めて知ったのですが、 作詞が阿木ようこで作曲が宇崎竜童、ご夫婦です。声が何とも言えない、ハスキーでもなく、柔らかく時に透明感がある、不思議な感覚です。動画サイトは時にレアでまさかというような出会いがあります。昨日はスワローズの青木選手の引退試合もあってヒッピーな夜を過ごすことが出来ました。
2024年10月2日水曜日
旅愁
「更ーけ行く あーきの夜 たーびのそーらーの こーいしき おもーいーに ひーとり 悩む」 朝からこの歌が頭の中をぐるぐると駆け回っています。「こーいしや ふーるさと 懐かしちーちはは」今は亡き父母が無性に懐かしくなります。高校で 全寮制に入ったのですが 家が恋しくて母の事をずっと思っていました。ところが夏休みとかで家に帰ると、そんな思いは吹き飛んで母親の嫌なところばかり目について早く寮に戻りたいと思ったのもです。今となっては懐かしくも儚い思い出です。最近、工房で流しっぱなしのネット配信の音楽で、「悲しき雨音」が流れてきました。確かカスケーズといったか。昨日はなぜか「五百マイル」という曲を繰り返し聞いていました。「次の汽車が 駅に着いたら この街を離れて 五百マイル」そんな歌です。
2024年10月1日火曜日
ぐい呑み
ぐい呑みはお酒。日本酒を呑むための器です。昔から小さくても湯呑よりも趣味性が高いという事で割高なようです。造る方も神経を使います。ろくろも一つずつ微妙に変えて、削りも一気に削るようにしています。一日ぐい呑みづくりをやっていると、調子が出てきたなと思ったり、思うようにゆかなかったり、リズムの変化が如実に表れます。本来は、あまり注文仕事でやりたくないところですが、今回はホテルからの依頼です。ですから大きさもある程度揃えて、かと言って手作り感を残しつつと、神経を使います。まあ、やりがいはあるのですが。一日取り組んで、最後の一時間、ようやく気持ちが乗ってきたところで今日もタイムアップとなりました。