ちょっと昔の話。浪人時代です。お金がなくて働くためにヤマに行きました。ヤマというのは日雇い労働者の符牒です。手配師がいて朝行くと仕事をくれるところ。東京では高田馬場や新大久保、もちろん山谷が最も有名でした。ヤマで顔見知りになった手配師さんからその日の現場を教えられ、仕事が終わって夕方、また山に戻るとその日の稼ぎをもらって帰ることになります。現場へはマイクロに載せられるときもあれば、電車でゆくときもありました。最初のころは一日働いて2200円ほど。それから数年経って少し上がって2500円ぐらい、最後のころは山谷からで3000円ぐらいになりました。お昼がつくとちゃぶ付と言います。そんなわけで手配師さんがちゃぶ付三枚というのに手を挙げて現場に行くというわけです。一度ちゃぶ付の現場でホテルニュー大谷に行ったことがありました。何かの仕事の都合で昼に少し遅れたら大きな鍋の底に魚の骨と空っぽの鍋に張り付いたご飯粒だけの時がありました。あそこは昔通った中学校のそばだったので惨めな気持ちで泣きそうになりました。絵描きになるための勉強をしていたころ。稼いだお金はほとんど酒代に変わってしまいました。あの頃はランボー、ヴェルレーヌにあこがれ天才は若死にするものだ等と酒を呑んではくだをまいていました。