2022年6月30日木曜日

 どうやら復活したようです。膝の痛み。サポーターをつけるようになって、ほとんど気にならなくなったのです。ところが、この暑さ。もう大丈夫かなと外してしまったのがよくなかったのでしょうか。息子は、そろそろ蹴ろくろは卒業したらと言います。電動の方が膝関節への負担が軽いだろうということで。でも痛むのは右。ろくろを蹴るのは左です。それに古傷があったのも左。訳がわかりません。今朝の散歩は足を引きずるような歩き方。早速サポーターを引っ張り出しました。今回は右足だけ。夏でも暑くないようなサポーターを探そうかと思っています。

2022年6月29日水曜日

タイカレー

 昨日はカミさんが出かけていたので、昼は勝手に食べることにしました。食卓を見ると息子が缶詰を開けていました。めずらしいなあというと、この前、自分で買ってきたカレーの缶詰とのこと。グリーンカレーとあります。まだあるよというので早速食べてみました。冷たいまま炊飯器からよそったご飯の上にかけます。真っ赤な唐辛子が見えました。葉っぱのようなものも。口に入れるとまず、甘い、次にスパイシー。それから強い香り。食べてゆくと汗が出てきます。とこどき喉に刺激がきて、なかなか異国感あって、病みつきになりそう。いくらしたのか聞くと、1缶180円とか。よそでは100円ぐらいで売ってるところもあるようですが。レッドやイエローなどいろいろなバリエーションがあるとか。中に入っていた葉っぱは最近工房の庭に植えているのと同じものだそうです。そういえば。近頃見かけない苗があっちこっちに植えられています。我が家はトロピカルスパイシーガーデンに生まれ変わりそうです。

2022年6月28日火曜日

ホトトギス

キョキョキョキョキョ。工房の外で鳴き声がします。夏ですねえ。てっぺんかけたかあとか、とうきょうとっきょきょかきょくとか独特の鳴き声です。生態も変わっているようです。下村良之助さんという日本画家。多彩な方で焼物も作ります。画家ですから窯を持ってません。そこで、友人の陶芸家の窯で焼いてもらいます。ご自分の焼き物をホトトギス焼と名付けました。ホトトギスは卵を他の鳥の巣に産み付けて、孵化させるという習性からつけたようです。ホトトギスは鳥の名前でもありますが草花にも同じ名のものがあります。なぜか我が家では庭中にひろがっています。工房の休憩室の前にも群落が。昨日、草を取りながら、ホトトギス、夏だなあと思いました。

2022年6月27日月曜日

荒刈り

 昨日、次男の伸びた髪を切りました。いつもはカミさんがハサミで切るのですが、最近は動いてなかなかこちらの思うように切らせてくれません。そこで思い切ってバリカンでガーっと刈ってしまいました。あっちこっち、ピンピン刈り残してましたが、まあ暑苦しさだけは間逃れたようでした。今日は朝から庭の草刈り。家の入り口からハウスと畑の横。最後は工房の周りです、半年あまり、放置してましたから、足を踏み入れるのも大変。だいぶすっきりはしましたが、如何せん荒刈り。あっちこっち刈り残しが目立ちます。木の枝も伸び放題でまだまだ荒れた感じは否めません。それでも少しはすっきりして、だいぶ暑苦しさはなくなってきました。こっちの体は、脱水気味でぐったりですが。梅雨も明けてまさに夏到来。これからは暑さとの戦いです。

2022年6月26日日曜日

青春。青には未熟とか哀しみというような意味合いが込められるようです。誰でもが通り過ぎる悩みの時代。絵画の世界ではピカソの青の時代を代表するように。フェルメールの「真珠の首飾りの少女」「ミルクを注ぐ女」の絵にも青い布が画面の大切な役割を務めています。決して裕福ではない働く女たちの身に纏われて。日本の画家では海老原ブルーと呼ばれた喜之助の青。偶然、息子さんと知り合いになってお付き合いいただきました。母親がフランスの方で、目が青かったのが印象的でした。不思議ですが絵の中に青が入ると、心のひだのようなものが加わる気がしてなりません。藤島武二の扇を持った女性の絵には顔の影の部分に青が使われています。この女性の表情に深みを与えている印象を受けました。昔、芸大の藤島教室で学んだ斑目秀夫さんという画家がおりました。桜島の絵ばかり描いた画家でした。ある個展で最終日の閉廊間際に飛び込んだことがありました。ほとんどの作品が売約済みになっていたのですが、残された絵の中で一枚、惹きつけられた絵がありました。それは「島津雨」を描いたものでした。島津雨とは、無念の涙雨のことでしょうか。幕末の西南戦争が思い出されます。青くけぶった桜島。今も我が家の壁にひっそりとかかっています。

追伸

ネットで調べましたら、島津雨の意味が真逆でした。初代の殿様が雨の中で生まれたということから、「吉兆」を表す言葉のようです。完全に思い違いをしていました。だって「雨は降る降ーる人馬は濡れーる 越ーすに越ーされぬ田原坂」という歌がありますから。

追追伸

田原坂の戦いを調べてみましたら、どうも、歌は官軍側からの歌のようです。薩摩人として勝手に反対に考えていました。守る薩摩軍、攻める官軍。しかし、雨で旧式銃の薩軍は弾が発射できず形勢逆転。あとはご存知のような結末が待っているようです。まるで昨日の巨人対ヤクルトの戦いみたいです。このまま、坂を転がり落ちないことを願っています。

2022年6月25日土曜日

徒然

六月もやがて終わり。昨日は月に一度の棚卸しでした。お土産やさんとホテルへ。さすが、閑散期。張り切って、準備したのに、器を置く空間がありませんでした。買い物でスーパーへ。さくらんぼは農協系にだけ置いていました。例年はアメリカンチェリーと並んでいたのですが、円安の影響でしょうか。わかりました。昨日届いた版画、チェリーがモチーフではありませんでした。さくらんぼ。昨日のネットニュースではハワイに賑わいが戻ってきたとか。屋久島にもそのうち以前のような日が訪れるのでしょうか。 

2022年6月24日金曜日

さくらんぼ

 今が旬。昔はよく、おすそ分けにいただきましたが、近ごろ、とんとお目にかかりません。ところが、昨日、届いたのです。生ではありませんが。版画です。この絵には、実はちょっとした縁があります。大昔、絵を描いていた頃、ある週刊誌で見たのです。美術評論家の瀬川慎一さんが、毎週一枚の絵を紹介するというシリーズでした。あの時、ものすごく印象に残った絵でした。まさか、手元にやってくるとは。だいぶ痛みが激しくシミだらけではありますが。おそらく、コレクションしていた人が亡くなって、物置に中にでも放り込んでいたものが処分されたのでしょう。裏書きを読むと、制作の途中で職人が辞めてしまったり、作家がなくなってしまったりと、紆余曲折の末になんとか完成したとあります。つまり、遺作といっても良いものでしょうか。孔版画。5/60とあります。作者は、福井良之助さんです。

2022年6月23日木曜日

夏至

 どうやら夏至も過ぎたようです。昨日は奄美地方が梅雨明け。ここも恐らくこれから夏本番。北方の国では、夏至にはお祝いをするようです。日照が少ないから余計ありがたく感じるのでしょうか。今朝の散歩では、汗がダラダラ流れてきました。急に空気が変わった気がします。夏の屋久島。いろいろ思い出します。あまり良い思い出は残っていませんが。なんとか、頑張って乗り切ってゆきましょう。

2022年6月22日水曜日

版画

 版画が好きです。もちろん絵も大好きですが。ただ、絵には制作者の思いがあまりにも強くこもって、こちらの心に重すぎると感じることがあります。版画には刷りという工程が必要です。作者自身が行う場合もありますが、職人さんや版画の工房で行われる場合もあります。その工程が入ることによって、作品が客体化されるように思います。焼き物の窯の工程と似ているように思うのです。生な感じが薄れるというか。手跡を残しすぎない。案外、表現の大切な要素の一つかもしれません。

2022年6月21日火曜日

画像

 昨日、昼食後工房に戻るとお客さんが待っていて、携帯で誰かとお話中。電話を終えると、注文したい器があるとのことです。大阪で焼肉店を営んでいて、ユッケを盛るお皿が欲しいと。青とエメラルドグリーンで。色々希望を聞いて、急ぐというので、見送りましたが。あとから、どうしてここにきたのかが不思議になりました。おそらく、ネットで何かの画像を見たのでしょうか。もう一つ、昨日メールが届きました。先日買ってもらって、送った器の画像です。貫入が気になってしまったようでした。早速、説明のメールを送りましたが。今の時代、スマホで簡単に画像を送ることができます。中には、頼まれたと言って、作品の動画を写しながら遠くの人と話をしている人もいます。車でつくと、早速あっちこっちを撮影している人も多く見かけます。まさにスマホ時代。この先一体どうなってしまうのでしょうか。

2022年6月20日月曜日

青が好き

七月十三日から、大阪の阪急梅田店でミニ展示を行います。小さなコーナーですが、普段は屋久島でしかお手に取っていただくことのできない器をお見せできます。テーマは「青が好き」。当工房の新作が並びます。前回の「九州物産の会 」のような大きなイベントではありません。店舗の片隅でひっそり器を並べさせていただくことになると思います。小さな箸置きも用意いたします。屋久島で育った地杉に自作のタイルをはめ込んだ可愛いプレートも何点か出せると思います。木工は専門外で拙い出来ですが、慣れない仕事に悪戦苦闘しました。カミさんに頼んでアンティークのビーズをつけた革ひもで壁にブラ下げることもできます。部屋のインテリアになると思います。島の小さな工房で毎日制作しているごく普通の器たちですが、お近くの方は足を運んでいただければ幸いです。期間は七月十三日から二十六日までの二週間。場所は阪急梅田店の食器売り場になります。期日が近づきましたら、また詳しいことをお知らせいたします。

2022年6月19日日曜日

奉公

 今日は集落の農道草払いです。昔は奉公と言いました。誰でも彼でも体が動く人、全員参加は追ったて奉公。今日は基本一家に一人です。朝から雨の悪コンディション。案の定9時過ぎから雨が強くなって、早めの終了となりました。昨日の晩に飲み過ぎてお腹の調子が良くなかったので、助かりましたが。なんで昨日はあんなに呑んでしまったのでしょう。天候不順もあって、体調がよろしくなかったのですが。今、読んでいるアイスランドの警察小説、ちょうど読み終わって、犯人が自殺で一件落着。ちょっと釈然としませんでした。だって愛する人を密告から亡くし、そのお腹には赤ちゃんが。そんな、男が偶然密告者を殺害してしまい、長い良心の呵責に耐えて、半世紀もすぎて自殺だなんて。だって、1975年ごろ、まだドイツが東西に分かれていた頃の話を引きずっていたのですから。冷戦が終わって、数十年経ても、いまだに独裁的な政治から、戦争が起きています。恐らくは50年近く前からの種火が今もくすぶっているということでしょうか。いろいろ考えさせられました。それでも、若い頃のように調子にのると、体がすぐに反応してしまいます。今日は父の日とか。せいぜい体をいたわらねばと思っています。

2022年6月18日土曜日

烏瓜

昨日、オークションで見つけた木版画が届きました。もしかしたら印刷かもしれませんが。烏瓜と百舌の絵です。すごく細密な描写で、髪の毛よりも細いのではと思われる線で百舌の羽が描かれています。早速作者の名前をネットで調べてみますと、明治から大正にかけて活躍した、渡邊省亭という画家であることがわかりました。欧米では特に人気があったようです。百舌が得意で多くの絵の中に登場します。竹内栖鳳とかと同時代の絵描きさんで、栖鳳の絵を見て手厳しい批評をしたりしたようです。ある意味職人気質というか、名人というか、筆に自信があったのだと思います。こんなすごい表現力を持った人がいたことを初めて知りました。まだまだ勉強不足。もっと視野を広げる必要があると感じました。 

2022年6月17日金曜日

サマルカンド ブルー

 「空よりも青い サマルカンブルー〜♪」。吉田拓郎が歌っていました。大昔。母が定期購読していた「暮しの手帖」に青いモスクが載っていました。真っ青な空に光を反射して輝く青い屋根が心を打ちました。まさか、現在、陶器で青い釉薬と戦うようになるとはその頃には想像もつきませんでした。高校生の頃、美術同好会で絵を描き始めて、17世紀のオランダ絵画に出会いました。レンブラントが特に惹かれましたが、そのうちにフェルメールに夢中になってしまいました。タイトルは覚えてませんが女の人がミルクを注いでいる絵でした。まるで永遠に静止しているような室内、光が側面の窓から差し込んで、色が輝くように美しい絵でした。あの頃は。まだ今のように日本では有名ではなかったと思います。フェルメールという画家は、作品も多く残ってなくて、地味な印象の絵が多い気がします。前にフェルメールの自伝的な映画を見たことがあります。絵の具へのこだわりがものすごくて、高価な絵の具を借金してまで購入していました。特に青い絵の具は当時、金と肩を並べるほど高価なラピスラズリを砕いて絵の具に使ったと知りました。当時は時代を超えて残せる表現は絵画でした。だから、変色したり退色したりしにくい材料が求められました。実際、日本画でも同様で、たとえ高価でも良い顔料を世界中から集めて使われたようです。そんな絵画が、時代を超えて現代でも輝きを失わずに生き残っているのです。現在、青い釉薬を追い求めているのも、いつまでも輝き続け、長く人の手に愛でてもらえるものを作りたいという思いもあります。難しい仕事ですが。

2022年6月16日木曜日

草刈り

 次の日曜日に、年に一度の集落の農道切り払いが予定されています。その前に農道に隣接した土地の持ち主は、各自で綺麗にしておかないといけません。雨が続いてなかなか作業ができませんでしたが、ようやく昨日上がってくれました。家族三人で取り掛かりました。今年は庭仕事もほとんどやってませんでしたからすっかり体がなまってしまっています。雨上がりで日が差してきて、蒸し暑さに参ってしまいます。汗と雫でからだがぐしょぐしょ。肩で息をしながらの作業です。カミさんも足がフラフラ。なんとか刈り終えて、草を集めてようやく解放されました。年々体に応えるようになってきました。同時になんとか終わってくれて一安心です。まだ本番が、待っていますが。これからも、天気予報でははっきりしない日が続きそうです。

2022年6月15日水曜日

変遷

 今朝、工房の前に白萩の花が咲いているのを見つけました。本来なら九月ごろ咲くのですが、どうやら狂い咲きでしょうか。あ、狂い咲きは使ってはいけない言葉でしょうか。誤認咲きとか季節外れとかいうのが正しい使い方かもしれません。近頃、言葉遣いが難しくなってきました。昔は痴呆症と言ってたのが認知症に変わりました。看護婦さんは今は看護師さんです。ハラスメントとか言って、いろいろな言葉が改められています。ちょっと古いドラマとか見ると面白くなります。現在では使ってはいけない言葉のオンパレードです。今、放送中の朝ドラでも、新聞社で働く場面がありましたが誰もタバコを吸ってないと突っ込む人がいたようです。あの時代は喫煙はどこでも行われていました。今読んでいる、アイスランドの警察小説では喫煙に関する軋轢がしばしば登場します。原作の著者の習慣が伺えておかしくなります。あの小説では麻薬やアルコール依存症の話も多く登場してきます。あ、昔はアル中と言ってましたか。



2022年6月14日火曜日

サスティナブル

 昨日からの雨、予想雨量では200ミリとか。こんな雨が都会で降れば災害が起きそうな気がします。この雨、何かに利用できないものかと考えてしまいます。昔、石油備蓄基地を屋久島に作ろうという話が生まれました。中東からタンカーで運び、屋久島からは帰りの船で水を運んだらどうかというアイデアでした。水は巨大なな自然エネルギーです。今読んでいるアイスランドが舞台の小説。あちらの国ではほとんどが地熱発電や自然エネルギーで電力を賄っているようです。雨の多い屋久島です。ここで使う電力だけでなく、他所に送ることはできないものでしょうか。山が多いので大きなダムではなく小規模の発電機で電気を作り、蓄電して移送する。これからは自然負荷の大きな大工事ではなく庭先での小規模な事業。農業にしても、昔ながらの自給農業。集落には鍛冶屋がいたり豆腐屋がいたり製材所があったり。ちょうど、屋久島に移住してきた50年前はそんな感じでした。あの頃はまだ馬で材を引き出したり、牛が田んぼを耕したりする人が残っていました。ノスタルジックな感傷と言われそうですが、実はサスティナブルな社会へのヒントはそんなところに潜んでいるように思います。そんな中に村の陶器屋さんも入れてもらえたら嬉しいのですが。

2022年6月13日月曜日

エス・ディー・ジーズ

 最近、耳にタコができるほど聞かされます。サスティナブル ディブロップメント ゴールズ。持続可能な拡大目標とのことです。首を傾げたくなるようなこともありますが、社会の流れですからできることは一つ一つ取り組んでゆきたいと思っています。なるべく、無駄を省き、物を大切に使い、自分で野菜を育てることなど。畑では堆肥を作り、雑草もコンポストで肥料にして家庭ゴミも捨てないように。いまは畑はお休み中ですが。仕事場でも、最近梱包材料を全て再生紙を使ったものに変えました。プラスティック系は避けて。窯やガスから電気窯の出番が増えてきました。昔は薪で焼いているというと、お客様は感動してくれましたが、排煙をかんがえますと、CO2削減とは言えませんし。なんと言いましても、屋久島の電気はほとんどが水力発電ですからまさにクリーンエネルギーです。島では電気自動車の導入も推し進めています。次に取り組んでいるのが焼成温度を下げること。最初は1280度で焼いていたのですが今の目標は1220度。これでかなりエネルギーが節約できます。そうすると、まず気になるのが器の壊れやすさです。そこでしっかり丈夫な生地にするためには土の成分が問題です。低い温度でも硬く焼き締まる土を作ること。もう一つが釉薬の問題です。溶けが美しく鮮やかな発色をどうして出すか。しかもそれを自分で考えた配合で作り出すこと。今現在取り組んでいるのがそこです。一進一退、明かりが見えてきたかと思うと消えてしまう、その繰り返しです。昨日、悩んでいたら、息子がヒントをくれました。釉薬が溶けすぎているのではと言うのです。溶けない溶けないと思い込んでいたのですが、釉薬は溶け過ぎても発泡してガサガサになるとのことです。これまで長い陶芸ライフで釉薬が溶け過ぎたと言う経験があまりありません。ほとんどが温度が足りずに溶け不足ということが多かったのです。もしかすると目から鱗になるかもしれません。ちょっっとだけ希望が見えてきた気がします。

2022年6月12日日曜日

、ドツボ

 釉薬の研究が進みません。ちょっと希望が見え始めたかなと思うと、元の木阿弥で、また振り出しに。どうもエンドレスサークルに入り込んだようです。朝から釉薬のことを考えていて、日常生活にミス連発。そうなんですよ。気持ちがそっちに向かうと他のことがすっかりおろそかなってしまいます。これって、持って生まれた性分ですかねえ。今は泥沼で、もがいております。

2022年6月11日土曜日

ブランクーシ

CREATE LIKE A GOD,

COMMAND LIKE A KING,

WORK LIKE ASLAVE ,

先日、オークションで、このような言葉が書かれたパネルを見つけました。なぜか聞いたことがると目を止めました。そのうちに気がつきました。大好きな彫刻家、コンスタンチン ブランクーシ が残した言葉でした。日本語では「神のごとく創造し 王のごとく命令し 奴隷のごとく働くこと」となります。ブランクーシはルーマニア出身の彫刻家で19世紀にパリで活躍しました。あの、ロダンから才能を認められて誘われますが「大樹の下には何も育たない」といって断ったそうです。石や木を使ってプリミティブとモダンを併せ持った彫刻、空間芸術とでも言いたいような作風でした。高校時代の友人で石の彫刻家に酔っ払ってはブランクーシの話を聞かされて、気がついたら大いに影響を受けるようになっていました。作品も言うまでもありませんが、むしろ生き方の方が惹きつけられました。上の言葉は誰かがフランス語から英語に訳したものだと思います。彼の作品は抽象化が進み、最後には巨大な石が転がっているような作品に至りました。そこで、台座が作品たらしめるための重要な位置を占めるようになりました。台座を含めて作品として成立しています。我が国の仏像と同様な歩みでした。空間芸樹とは周りの環境を含めて成立すると思います。ブランクーシの生き方に問題定義をした関根伸夫と言う彫刻家がいます。彼は巨大な自然石を磨きあげたステンレスの柱の上に乗せました。台座のステンレスが鏡のように周りの風景を映し出して、まるで宙に浮いているようにも見えます。影響を否定したブランクーシに対する彼の答えかもしれません。これぞまさに台座を含めた彫刻だと言う。関根が残した言葉です。「神のように創ることなく、王のようには気高くなく、奴隷のようにただ働く」

2022年6月10日金曜日

一進一退

 なかなか前進しません。釉薬作りです。もっと簡単にできると思ったのですが。本焼き四回、それでも一進一退です。日暮れて道遠しといった気持ち。昨日はこれまで使っていた材料を注文してしまいました。だいぶ高くなったのですが、背に腹は変えられません。これで当分は今の材料でしのげます。慌てず焦らず諦めず、一歩ずつ進んでゆけたらと思っています。

2022年6月9日木曜日

オークション

 インターネットオークションに気になる絵が出ていました。高校生時代に大好きで画集を買ってよくみていました。中村彝の静物画の小品です。意外と安くついていたので、ウォッチに入れておきました。そろそろ期限かなと思って、今朝見てみると20万になっていました。やはりみる目がある人がいるのだなと思いました。ヤニ派の影響を受けてレンプラントのように重厚で、造形はルノアールのようなふっくらとしたフルムが粗めのタッチで表現されています。やはり真作間違いないようです。散歩から戻ってみると、45万円近い価格で落札されていました。小さな美術館に展示してもおかしくないような作品ですから、それでも安かったのかなと思いました。絵の価格はよくわからないところがあります。そんなわけで夜中に目がさめるとスマホでオークションを見ています。もちろん高価なものには手が出せませんから、誰も気がつかず安くて、それでいて魅力的な作品を求めて。離島の人里離れた、こんなところでまるでギャラリー巡りをしているような、楽しみを味わえるとは、思ってもみないことでした。

2022年6月8日水曜日

タメゴロー

 朝ドラの話です。「あっと驚くためゴロー」突然出てきた懐かしいギャグ。あのころだったのかーと。クレージーキャッツ全盛でしたからねえ。「お呼びでない」とか「ガチョーン」なんてありました。色々、突っ込む人もいるようですが、同世代に青春を過ごしたものとしては楽しんでいます。昔の漫画、「将太の寿司」とか「ミスター味っ子」の実写版のようなものと思って。屋久島のばあちゃんは「Gメン75」が大好きでした。流行歌では誰かがオーディションの場面で歌っていた「わたしの彼は左きき」なんて。フォーク世代としては「夕暮れ時は寂しそー」とか「最終電車で君とさよなら 東京にはもう何度ももゆきましたねー」かな。「青春時代が夢なんて 後からしみじみ思うものー」半分四畳半フォークのようなヒット曲もありました。「紅茶豆腐」。あれは「紅茶キノコ」のことでしょうか。彼はあの調子でどこまでも突っ走りそうですね。いましたよね、あんな感じの人。人は成長しているように見えますが本質は変わることはないものです。「◯◯は死ななきゃーなおらない」、と言いますが、「◯◯は死んでもなおらない」と思います。自身を省みてそう思っています。

2022年6月7日火曜日

一歩

 ようやく踏み出しました。庭仕事です。去年の秋に怪我をして、遠ざかっていました。それなりに整っていた庭も畑も荒れ放題。あの頃から千里は後退した気がします。だから、千里の道も一歩からという気持ちで。今朝は一時間ほど家の入口をちょこちょこ。まるで、ネズミがかじったほどで、見た目にはほとんど変わりありません。これから一年がかりでなんとか戻せたらと思っています。

2022年6月6日月曜日

ワイン

 以前、カミさんがネット販売でワインの詰め合わせを買ってくれました。タイムセールで安くなっていたからとのことですが、ペットボトルに入ったワインを嬉しそうに呑んでいるジジイを不憫に思ったのでしょうか。最初の一本は渋くて酸っぱくて、ちょっと困ったなと思ったのですが、だんだん舌が慣れて来たのか、味がわかって来たのか、美味しく感じられるようになって来ました。コクが感じられたり、甘みが強かったりと違いも少しずつですがわかるようになって来ました。大昔、子供の頃に、一度だけワインづくりに挑戦したことがありました。確か誰かに大量にもらったブドウが熟しすぎていて、それならワインにしたら良いというので、見よう見まねでトライしたものでした。記憶が定かではありませんが、梅酒を漬ける瓶に入れて暗いところに置いて発酵を待ちました、ぶくぶくいってきて発酵が終わったら、漉して一s等瓶に移して寝かせておきました。だいぶ時間が経ってから試しに飲んでみたところ、酸っぱくて渋くて、これはダメだと捨ててしまいました。今思うとあれが普通のワインだったのではないかと思うのですが。何しろ当時はワインといえば、赤玉ポートワインしか知りませんでしたので。ちょっと前の話ですが、友人のオランダ人の彫刻家のアトリエに泊めてもらったとき、晩に呑んだワイン二本を呑み比べて、こっちの方がずっと美味しいと指差しは方が、実は安物だったという失敗経験がありました。奥が深いのがワインの世界のようです。お酒が並んだ店には、フランス、イタリア、チリ、と世界中のワインが並んでいます。すごく高いのから手頃な値段のまでピンキリですが。どれほど味に違いがあるのか試してみたい気もします。

2022年6月5日日曜日

雨の日曜日

「雨がしとしと日曜日 僕は一人で〜」なんて歌が出てきそうですが、外はザーザーぶりです。工房には一人。前日挽いた五寸皿を削りました。昨日はしっかり晴れて風も強く吹いてたので、乾きすぎかなと心配でしたが、ちょうど良い具合。船も欠航ですから、ひとりっきりの作業場。ラジオをかけながら一日、ろくろを蹴りました。昨日は素焼きをしましたから、明日からまたしばらくは釉薬仕事になりそうです。先週は島の宿から頼まれたカップを無事納品できました。次は緑の角皿です。島の小さな工房にはちょうど良い数の注文が来ています。春は仕事に追われて、心身ともに限界でした。当分このペースでやってゆけたらと思っています。

2022年6月4日土曜日

予感

 新しい人気商品が生まれそうな予感がします。工房では何と言っても青い器がいちばん人気です。昔もう一つ、エメラルドグリーンの器の人気がありました。白化粧を施して、透明の釉薬の上から緑の釉薬をかけたものです。ところが、生地と白化粧の相性が悪くなって、釉薬がはがれることが多くなって、いつの間にか消えてしまいました。先日、種子島からのお客さんが、昔あるカフェに収めた器の写真を見せてくれました。エメラルドグリーンの器でした。今でも魅力的で目を引きつけます。それではもう一度挑戦してみようと思ったのです。工程を変えることにしました。化粧土を使わず、白い釉薬の上に直接ミドリの釉薬をかけることにしました。これならば焼いた後うきあがる可能性は減ります。しかしこの作業にも課題があります。白い釉薬の濃さ、重ねて釉薬をかけるときのタイミングが難しいのです。白い釉薬が乾きすぎると浮いてしまいますし、早すぎると釉薬が薄くなってしまいます。色々試しながらなんとか今回いくつか焼きあがりました。お客さんの反応が気がかりでしたが、なかなか良いようで一安心です。まだ研究途上ですが、色々な器で試してみようと思っています。青に続く人気者になってくれることを願っています。


2022年6月3日金曜日

箸置

 工房の、隠れたヒット商品の一つが箸置きです。これまでにネコ、屋久島の植物、サカナ、シンプルな長方形や楕円形など、ずいぶん色々な形で作ってきました。現在、在庫があるのはサカナの形と青いシリーズです。青いほうは長方形と楕円形、それと長いスプーン置きがあります。スプーン置きは島のホテルで使ってもらっているので、その売店でかなり良く売れます。そんなわけで、定期的に在庫が切れると作ることになります。今もスプーン置き作りのまっ最中です。土を伸ばして切っただけのシンプルなものですが、案外コツがあります。成形の途中で変な力を加えますと、必ず変形して焼きあがってしまいます。粘土が記憶していて、途中で修正しても、最後に出てきてしまいます。これを形状記憶と勝手に呼んでいます。粘土には不思議な力があるようです。そこで、箸置き作りでは切り分けた後、土が固まるまで手を触れないように気をつけて取り扱うようにしています。それとどうしても生地が厚くなりますから、裏を掘って、厚みを調整します。見た目も考えて、全体に化粧をかけて釉薬を載せます。厚くかけすぎると外側に流れやすいのですが、薄すぎては色が出ません。こうして書いてゆくと、なかなかむずかしい仕事だと気がつきました、見た目がシンプルなものほど難しいということだと思います。

2022年6月2日木曜日

卒業

病院へ行ってきました。県道の脇には紫陽花が咲き誇っています。青い花赤い花、中でも濃い紫が目立ちます。挿し木で増やすのでしょうか。同じ花色が並んでいます。今日は雨が上がって、蒸し暑くなってきました。右手の薬指、骨折から8ヶ月、病院の診察で卒業を告げられました。長い日々が思い出されます。最初は絶対に骨髄炎にかかっているはずと、大量の抗生剤の点滴が続きました。場合によっては切断と脅され、ギリギリでなんとかまのがれた気がします。それがようやく卒業。嬉しくて、帰りに魚屋でうなぎをおごってしまいました。ささやかなお祝いですが。これから、心置きなくこの手で、精一杯土をこねて、色々なものを造ってゆきたいと思います。 

2022年6月1日水曜日

仏様

土の仏様を作りたいという気持ちが湧き上がっています。 しかし、先日、手をつけて作り始めた百済観音様は途中で止まってしまい、ビニールをかぶせていたのですが、カラカラに乾いてひび割れてしまいました。大慌てで濡れ雑巾をかぶせましたが、どうしても進みそうにありません。去年の秋から春まで器の注文仕事におわれていました。気持ちがもう一つ、仏様の方へ向かってゆかないようです。外堀から埋めてゆこうと、仏像の写真集を買ったり、台座に使うための木の切れっ端を探したりと色々工夫してるのですが。一つには、すごく格好良いのを作るぞという意気込みが手を止めてしまったのかもしれません。所詮持っている技術以上のものは出せません。ここは少々理想とは離れていても、まずは作ることから始めようと思っっています。ただ、粘土を手の中で丸めて目と鼻を引っ掻いただけでも雰囲気さえつかんでいれば、仏様になってしまうものです。あまり気張らずに楽しく遊べれば良いのでしょう。