青春。青には未熟とか哀しみというような意味合いが込められるようです。誰でもが通り過ぎる悩みの時代。絵画の世界ではピカソの青の時代を代表するように。フェルメールの「真珠の首飾りの少女」「ミルクを注ぐ女」の絵にも青い布が画面の大切な役割を務めています。決して裕福ではない働く女たちの身に纏われて。日本の画家では海老原ブルーと呼ばれた喜之助の青。偶然、息子さんと知り合いになってお付き合いいただきました。母親がフランスの方で、目が青かったのが印象的でした。不思議ですが絵の中に青が入ると、心のひだのようなものが加わる気がしてなりません。藤島武二の扇を持った女性の絵には顔の影の部分に青が使われています。この女性の表情に深みを与えている印象を受けました。昔、芸大の藤島教室で学んだ斑目秀夫さんという画家がおりました。桜島の絵ばかり描いた画家でした。ある個展で最終日の閉廊間際に飛び込んだことがありました。ほとんどの作品が売約済みになっていたのですが、残された絵の中で一枚、惹きつけられた絵がありました。それは「島津雨」を描いたものでした。島津雨とは、無念の涙雨のことでしょうか。幕末の西南戦争が思い出されます。青くけぶった桜島。今も我が家の壁にひっそりとかかっています。
追伸
ネットで調べましたら、島津雨の意味が真逆でした。初代の殿様が雨の中で生まれたということから、「吉兆」を表す言葉のようです。完全に思い違いをしていました。だって「雨は降る降ーる人馬は濡れーる 越ーすに越ーされぬ田原坂」という歌がありますから。
追追伸
田原坂の戦いを調べてみましたら、どうも、歌は官軍側からの歌のようです。薩摩人として勝手に反対に考えていました。守る薩摩軍、攻める官軍。しかし、雨で旧式銃の薩軍は弾が発射できず形勢逆転。あとはご存知のような結末が待っているようです。まるで昨日の巨人対ヤクルトの戦いみたいです。このまま、坂を転がり落ちないことを願っています。