「 故きを温ねて新しきを知る」。朝からこの言葉が浮かんで気になって仕方がありません。ググってみたらどうやら孔子が残した言葉。論語にあるようです。モノ造りに関わっていると。まさに身に染みる言葉です。当然、誰もやったことがない新しい世界を求めてきたのですが、気が付けば誰かの二番煎じばかり。当たり前と言えば当たり前です。この地球上で誰も通ったことがないところなんてあろうはずがありません。我々のDNAには先人たちが生きてきた経験の積み重ねがぎっしり詰まっております。やったあ!と思っても、しばらく時が経つとなんだそういう事かと思い知らされることばかり。まるで蜘蛛の糸にからめとられてもがいている虫のようです。それでもひるんだらお仕舞。あえて、未知と思われる世界に足を踏みだしたいと思っております。
2025年4月29日火曜日
2025年4月28日月曜日
雨あがる
午前中の大雨も昼から上がり、急に気温が高くなりました。それにつられて、蚊が盛んに飛び、襲ってきます。先日、街に出たとき蚊取り線香を買ってきたので、明日からは焚かないといけません。連休が始まり、何かと忙しい今日でした。雨になると特に。明日からは天気がよくなる予報です。おそらく静かな日になる事でしょう。
2025年4月27日日曜日
連休
穏やかな連休の始まりです。今年はお客さんが多いのかなと思ったのですがそれほどでもない様子。以前、殺気立って泊るところがなくバス停にまで人が寝ていたなんてことは全くありません。世の中、まだまだ景気があまり良くないようです。しかし、静かなのが屋久島らしいのかも。余り煽ることなく、日常を淡々と過ごしてゆきたいものです。
2025年4月25日金曜日
棚卸し
街に出てきました。一か月ぶり。連休前の様子も垣間見てきました。空港の駐車場は幾分混雑してきました。お店は相変わらず。スーパーのお米の値段も変わりありません。これまで在庫があった農協系のスーパーにはお米がほとんど見かけません。この先どうなるのやら。ただ物価が上がっていることはひしひしと感じます。野菜の苗もすべて三百円で売られています。ちょっと前のおよそ倍。工房で販売している器はほぼ横ばいです。先々どうなってしまうのか不安ばかりです。
2025年4月24日木曜日
水源地
山水が止まったというので川まで上がってきました。水口を押えていた大きな石がどこかになくなっていました。一人なので大きな石を捜して、ゴロゴロと転がして何とか水口にかぶせました。作業をしていたら、ご近所の方が同じく水道の世話に上がってきたのですが彼も膝が悪いと聞いていたので、助っ人を頼むこともできません。歳をとるとあっちこっち悪いところが出来てしまうのは致し方ない事です。お互いいたわりあいながら、少しでも長生きできるよう頑張りたいものです。朝から山に行くと何となく元気になるものです。野性が戻るのでしょうか。そのかわり昼休みには爆睡してしまいました。
2025年4月23日水曜日
停滞
「 いろんなことが思ったよりすすまない」その通りです。あらゆることが思い通りに行けば苦労はありません。計画してもなかなか。今日は停滞気味です。何より轆轤があまり挽けませんでした。昨日は思いのほか進んだのですが。削りをするつもりでしたが、天候不順で乾いてくれません。お客さんの相手をしたり、電話がかかって来たり。こんな時にうってつけの言葉があります。慌てず焦らず諦めず。「あああ」です。
2025年4月22日火曜日
春の雨
「 雨だ。これじゃあ散歩に行けない。」息子の言葉です。犬の夕方の散歩。出ることが出来ません。本降り。昼にきてくれたガイドさんも同じ言葉を発していました。ガイドさんこそつらいと思います。勝ち誇ったように「昨日山にいったよ」とのこと。外国から島に来た人。フランス語が堪能です。どういう流れで島で暮らすようになったのか。きけばながいはなしがあるのでしょう。
2025年4月21日月曜日
春爛漫
「 今年は花が多い」と言ったのは集落の会計さん。色々な家を回った感想です。そういえば、我が家の庭のなんじゃもんじゃがはじめて花を着けました。植えてから二十年余りたって。現在、ツルバラが花を着け家の前の野ばらも濃いピンクの花を着け始めました。オオデマリにコデマリが並んで白い花を、コバノズイナもきれいに咲き始めています。まさに春が来たという感じ。「花が咲く花が咲くどこで咲く 山で咲く里で咲く 野でも咲く」
2025年4月20日日曜日
あざみ
あざみの歌。一日中この歌が工房に流れていました。ネットの音楽放送で検索したら。色々な歌手がきかせてくれました。何故あざみか。工房の前にひときわ目につく姿で咲いていたからです。家の入口にも二株。野の花の中でも目につきます。「山には山の愁いあり 海には海の哀しみが まして心の花園に 咲きしあざみの花なれば」「高嶺の百合のそれよりも 秘めたる夢を一筋に 紅燃ゆるその姿 あざみに深し わが想い」「愛しき花よ汝はあざみ 心の花よ汝はあざみ 定めの道は果てなくも 香れよせめてわが胸に」。すっかり覚えてしまいました。
2025年4月19日土曜日
風薫る
まだ、四月というのにさわやかに晴れ上がり、清々しい空気が漂います。ニュースでは夏日のところが多かったようです。週末。なんとなく花の季節に浮かれそうです。エゴの花が満開、もうすぐ地面を覆いつくしそうです。らんまんの春。命に感謝。
2025年4月18日金曜日
昼
今日の昼ごはん。カミさんが出かけたので自分で作りました。大好きなインスタントラーメンです。冷蔵庫から有り合わせの野菜を捜して、フライパンで炒め麵に載せるだけ。でも鉄の中華鍋を捜して、強火でラードを溶かしてキャベツと玉ねぎ、それとシイタケをにんにくを加えて炒めるだけ。肉も使いません。それでも大昔から作っていたので、野菜しゃきしゃきでした。普段あまり銘柄までは書かないのですが今日は書いてしまいます。札幌一番味噌ラーメンです。
2025年4月17日木曜日
オークション
昨日インターネットオークションをしました。今年二度目になります。前のは縄文土器。今回はある陶芸家の作品です。今振り返ると共通点があります。それは模様。縄文土器は縄目の模様。昨日のは印判の模様です。最近自分でもせっせと印を彫っております。ちょっと時間が空くとハンコ彫り。昔篆刻に凝ったことがありましたが。それを粘土に刻み最後は焼いて仕上げる。この仕事がライフワークになる予感があります。ワクワクする作業です。もしかすると、DNAにきざまれた遠い記憶なのかもしれません。
2025年4月16日水曜日
水道
先日、応急でつないだ水道の修理に今日上がりました。息子と一緒に。この時期ヒルが多いのでヤマビルを寄せ付けないスプレーで態勢を整えました。水道は前の大雨でぐしゃぐしゃなままです。川に下りる途中には大きな水タンクがあります。海中温泉の前で民宿を営む人が建てたものです。今朝その方がお亡くなりになったという集落の放送が入りました。最近同世代の人が次々と亡くなっております。季節の変わり目は異変が起きやすいのでしょうか。腰が痛いのを何とか胡麻化しながら水道の修理を終えました。なんとなく心淋しい時間となってしまいました。
2025年4月15日火曜日
縄文
昔の陶歴に「縄文の心を求めて」という文言を入れておりました。屋久島でいろいろなところから発掘された縄文土器の存在、それと山で生き続ける縄文杉へのリスペクトも含めて。ところが実は、縄文土器よりもむしろ弥生式土器の方に当時は惹かれていました。むしろあのデコラティブな縄文土器にはあまり興味がありませんでした。ところが最近になって、妙に縄文に引っ掛かってとらわれています。視覚的には美しい弥生に魅力を感じるのですが、皮膚感覚と言いましょうか細胞が反応してしまうようです。自分の体を流れている血が勝手に動き出すような。日本人のルーツ。おそらく様々な混血で成り立っているのだと思います。川の流れのように幾つもの支流が合流して最後海に注いでいるような。面白いものだなと思います。
2025年4月14日月曜日
東京焼
昨日の話の続き。九十歳でもまだまだ元気な作家。オブジェを焼いた方。昔オブジェ焼と言えば京都の走泥社が有名でしたがそれに対抗する形で彼が生み出したのが東京焼。活字の「る」というのを配置した作品は私の印象としては文学的だなあと思いました。彼が起こしたのが多摩美術大学の陶芸科とのこと。若い作家を育てることに人生の終章を掛けたのでしょうか。先日見た動画。彼が育てようとしている若い作家たち。彼自身も若さを享受しているようにも見えました。
2025年4月13日日曜日
陶芸家
昨日、工房に来られた方達。お一人は島の病院の歯医者さん。もう一人は陶芸家とのこと。まだお若い方。訊くと東京の美大卒業とか。東京という事で最近の美術界の情報に詳しい。話を聞いた中で、昔通っていた大学の彫刻家の先生がお亡くなりになった話。確か同じぐらいだと思ってたのですが調べてみるとほぼ一緒。最近、身の回りでもいろいろな方の訃報が入ってくるので落ち着きませんがまた知りたくないことが。ただ、別の作家でもうとっくに鬼籍に入られたと思った方がお元気との事。早速、夜、教えてもらったユーチューブの動画を見て、まだまだこれからだぞと勇気をもらいました。
2025年4月12日土曜日
春の味覚
昨日、ご近所の農家さんから。タケノコを頂きました。まだ掘ったばかりの様で、土が付いたまま。それを息子がきれいに洗って、下茹でしてくれました。今朝は早速若竹汁に。まさに春の味覚。日本人でよかったと思う瞬間でした。タケノコの水煮と言ってスーパーでも手に入りますが、やはり香りが違います。まさに旬の味覚。この国には季節ごとに四季を感じさせる味わいがあります。そんなのに出会った時心から幸せを感じます。
2025年4月11日金曜日
万一
昨日で終わると思っていた釉掛け。終わらず今日の午前中で何とか。それもかなわず、一日がかりになりました。余りにもいろいろやり過ぎて、何をやったのか覚えておりません。おそらく全滅かもしれませんが。万が一、何点かとれたとしてもいったいどのようにして出来上がったのか、再び同じものが出来るかという問題が残ります。まあ、その前にまともに使えるものが出来るのか。それでも楽しんだことは間違いありませんが。
2025年4月10日木曜日
春雨
午後から下り坂。雨が降りだしました。昼前は暖かく一枚脱いで、それでも息苦しく感じました。昨日から始めた自分の作品を焼く準備。いつもと勝手が違い迷う事ばかりです。これでははかが行くはずがありません。まあ、楽しみながらゆっくりやってゆきましょう。
2025年4月9日水曜日
戯れ
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ。という言葉。昔の偉い方が残したものだと思うのですが、残念ながら誰の言葉か失念してしまいました。ただ、物を造る仕事をしていると、ついつい自分の遊びが過ぎてとても売れそうもないものが出来てしまうものです。そんなものたち。工房の片隅で埃をかぶっている。このままにして置いたら、やがては誰かに廃棄されてしまう事でしょう。今日はそんな子たちを助けるべく引っ張り出して一部ではありますが焼くべく準備をはじめました。造った時は焼き上げまでの具体的なイメージがあったのでしょうが今となってはそれも忘れ去ってしまいました。何とか記憶の片隅をほじくり返して埃を払おうと努力をしても、時すでに遅し。まあ、ある意味新鮮な気持ちで挑むことが出来そうです。行き当たりばったりではありますが、やるだけの事はやってみようと思っております。
2025年4月8日火曜日
花まつり
お釈迦様の生まれた日です。昔はお花まつりと言ってお祝いしたのですが、近ごろはクリスマスはお祝いしても花まつりはあまり聞くことがありません。我が家では次男坊の誕生日です。彼も気が付けば三十九歳。最初に言われたのは生きて数か月。それが何とか色々乗り越えて、ここまできました。彼の病気は昔は四十まで生きたら記録ですと言ってたのですが。気が付くとその記録まであと一年。すっかり髪の毛も白くなった次男を見ていると。我が身とどっちが長く生きれるのだろうかと思ったりしております。
2025年4月7日月曜日
年度替わり
また一つ、長く続けてきた仕事の区切りがつきました。ほっとしたような寂しいような。永遠に続く仕事なんてないのです。始まりがあれば終わりがある。わかっている事ですが。うまくゆかず苦しんだり納期ギリギリだったり。思い出すのは苦しい事ばかり。でも今となってはどれも良い思い出です。ありがとうございました。
2025年4月6日日曜日
三色弁当
昨日の三色弁当。思いの外おいしかったです。ただ、炒り卵はもっと味を濃くしても良かったみたい。お弁当に使うおかずはすこし濃い目が正解のようです。今日は一日、釉薬掛け。体験の人達のを中心に。形も色もいろいろなので、手間もかかり、煩雑さもひとしお。無事に焼けることを祈っております。
2025年4月5日土曜日
鶏そぼろ
朝からお勝手に立って鶏そぼろを作りました。歳をとると妙に昔食べたものが恋しくなります。あの頃は、小学校では給食。しかし中学校になると昼にはお弁当を持ってゆくことが多くなりました。お弁当が間に合わないときには、パン屋さんが持ってきてくれるパンを食べました。パンは、朝、注文用紙に希望するパンを書いておくと昼に届けてくれました。普段は、母親が作ってくれるお弁当。この歳になると妙にあのころ食べたお弁当が懐かしくなります。中でも好きだったのがひき肉と炒り卵、それと緑の野菜がのっかった三食弁当でした。甘辛いひき肉が大好きでした。カミさんに頼むのも申し訳ないので自分で作ってみました。ネットの動画を見るとレシピがいくらでも出てきます。その中の一つ。うろ覚えで作ってみました。味身をしたところバカに甘くて。本当にこれで良いのかと思ってしまいましたが。まあ夕食の時に食べてみれば答えがわかりそう。最初は昼のつもりでしたが昼は昨日の残り物。結局夜食べることになりました。先日はやはりネットで見ておいしそうだと思ったシーザーサラダを作ったのですが今一つ。ただ翌日に残り物を食べたところすごくおいしく感じました。どうやら期待が大きすぎたのでしょうか。これから、色々作ってみたいものがあります。カミさんは迷惑でしょうが。出来るだけお勝手を汚さないように、こそこそと欲求を満たしてゆきたいものです。
2025年4月3日木曜日
満身創痍
腰が痛いだけではなく、あっちこっち痛いところだらけ。先日水道に上がってひざを痛め、今日は両手の親指の付け根が腱鞘炎のようになり、手に力が入りません。背中がぞくぞくするし、まさにどこもかしこも悪いところだらけ。いったいどうしたのでしょうか。春なのに、涙がこぼれそう。それでも今日も頑張ってソーサーを挽きました。立って。余り立った状態で轆轤を挽く人を見たことがありません。そうそう、今朝、薪窯の窯づめをしている夢を見ました。まだまだ仕事に未練が尽きないようです。
2025年4月2日水曜日
春の知らせ
家の前でナニワノイバラが咲きだしました。白い清楚な花。思わず手を伸ばすと鋭い棘がダメだぞと言わんばかりに邪魔してきます。工房ではヒメヒオウギが咲きはじめました。可憐な花がこれからしばらく咲き続けてくれます。今朝庭の伸びすぎた枝をハサミで切ったり、枯れて茶色くなったところを整理しました。ここ二日、体験でたまったよごれたエプロンを離れにある洗濯機を回してきれいにして工房のベランダで干しました。風に吹かれてぽかぽかと気持ちよさそう。今日も体験が二組。春は心がほっこり、青いビワが枝先で揺れています。
2025年4月1日火曜日
ソーサー
今日から四月。気が付けば今年も四分の一が過ぎてしまいました。世界では大きな災害が起きたり、日本の各地で山火事になったり、何かと自然の猛威に振り回される日々が続いております。かくいう島の工房では相変わりませず、日々の仕事に追われております。今日はコーヒーカップを削りおえて次にソーサー造りに入っております。午後海外からのお客様。訊くとイスラエルからとのこと。奥で立った姿勢で電動轆轤に向かっていたところでした。図らずも腰を痛めて変な姿勢での仕事、あまり見られたくありませんでしたが。作業しているすぐ横で珍しそうに見つめていました。あまり見られたくなかったのですが致し方ありません。今できることを精一杯やるしかありませんから。ここ二日間、花冷えというのでしょうか。急に冷え込んできました。朝の散歩のときには鶯が啼いていたのですが。そろそろ庭仕事も始めたいところです。