昨日の雨は物凄かった。まだ、梅雨入りしてないのですが。側溝から溢れた水が行き場を失って右往左往。どこもかしこもぐしゃぐしゃでした。今朝は雲の間から青い空が垣間見得ています。昨日はほとんど止まっていた器の乾きが、進んでゆきそうな気配です。これで仕事もはかどりそうです。化粧がけをして、注文の角皿を作って、ぐい呑を外に出して風に当てようと思っています。この天気、おそらく長く続かないと思いますが。せっかくの止み間ですから、大切にしたいと思っています。
2022年5月31日火曜日
2022年5月30日月曜日
六月
もうすぐ六月です。それが終わると、今年も折り返し。さて、雨の多い季節になりました。昨日のお客さんが、山のシャクナゲの写真を見せてくれました。今年は花が多い気がします。もうひと組は縄文杉の話。屋久島に暮らしていても、ほとんど工房から離れることがありません。周りのことはお客さんから聞くばかり。ここら辺で魚が美味しい店はありませんかと聞かれて、困ってしまいました。ただ、思ったことは島に来れば、地の魚が食べたくなるだろうなということです。よくわからないので、30分ほどの、町にあるお寿司屋さんを教えておきました。これから、夏の観光シーズンまではお客さんも滅多に訪れることはなくなります。せいぜい、ゆったりとした会話を楽しみたいものです。
2022年5月29日日曜日
ワクワク
鉢を削ったり、化粧をかけたり。しかし今日は何と言っても釉薬作りです。昨夜は考え込んであまり眠れませんでした。そこで、ネットでずっと調べていました。釉薬について。でも、結論は出ず、いつも通り、当たって砕けろです。今日も16種類作りました。作った後に器に掛けたのですが、なんとなくですが、ワクワクしてきました。うまくゆきそうな予感。チムドンドンしています。まあ、実はほとんど失敗してしまうのですが。ただ、不思議なことに失敗したことは案外すぐに忘れてしまいます。成功体験だけがなぜか心に残ります。いつか必ずうまくゆくに決まっています。今はそこに向けての知見の積み重ねと考えましょう。
2022年5月28日土曜日
釉薬
新しく作った釉薬がことごとく溶けてくれませんでした。16種類全て融け不足。根本的に考え直さないといけないようです。何かヒントが見つかればと思ったのですが。実はいくつかアイデアはあるのですが。素材が手に入りづらかったり、高価だったり。壁は高いまま。ただ、このまま諦めてしまうわけにも行きません。必ず方法があるはずです。現実に業者は作ってますから。まだまだ研究不足ということでしょう。目標達成には時間がかかりそうです。
2022年5月27日金曜日
ぐい呑
久しぶりのろくろ作業です。ずっと釉薬の仕事ばかりでしたから。まずはぐい呑から。昔は一輪挿しからつくり始めましたが、隣で息子が造っています。結構いい形です。しかし本人は不満のようで、ひさしぶりで思うようにできないと嘆いています。だんだん似てきた気がします。ぐい呑もだいぶ小さくなってきました。若い頃の3分の一ほどの大きさになってしまいました。あまり呑めなくなってしまいました。昨日は早々にご飯を食べて布団に入ったら、カミさんが心配して、どこか悪いのかと聞いてきました。年には勝てません。
2022年5月26日木曜日
さじ加減
昨日は16種類の釉薬を作りました。新しい釉薬ではなく、はじめて使う材料を組み合わせて、これまで使っているのと近い釉薬を作るための試験用です。実験用の天秤ばかりで金属材料を計り、最後は篩を通して仕上げます。なかなか手間と時間がかかります。焼き物の原料には限りがあって、その時その時で手に入りにくくなることがあります。まさに今がそんなとき。そこで、手に入りやすい材料でできるだけ自力で釉薬を作ろうと、始めたものです。陶芸を始めた頃にはかなりそんな作業をしていたものですが、より効率的にしたいと思って、市販の材料に移行してきました。いちいち自分で全てを一からやるよりも手間が省けますから。しかしそうも言ってられなくなってきました。まずは価格の高騰があり、業者さんの撤退もあります。焼き物業界もおそらく危機的な状況に陥っているのかもしれません。そこで、より利益の取りやすい、陶芸教室向けに、小ロットでの販売に移行しているようです。一つにはネット販売があるようです。いつでもどこからでも少しでもと言った具合です。しかし、量が必要な専門業者としては、価格がもっとも響いてきます。そこで、少し手間でも原材料から試作する道を選ぶよりなくなってきました。そんなわけでの釉薬作りです。まずちゃんと溶けてくれるか、発色してくれるか、業者並みの難しい知識が必要になります。そして最後が微量要素。ほんのわずかの加減で雰囲気が違ってきます。料理で言えば隠し味的な。案外、最後のさじ加減的なところが焼き物の印象を変えてしまうのかもしれません。
2022年5月25日水曜日
栄枯盛衰
2022年5月24日火曜日
緑
昨日のお客さん。前にもいらして、いろいろ注文してくれたそうです。全く記憶がありませんが。その話をしたら、息子は覚えていて、「あの、緑が好きなお客さん」と言いました。確かに昨日も緑のお皿を注文してくれました。そのとき出してくれた名刺、「緑が好きなの わかるでしょ」と言って指さされました。確かに大切なところは緑色のインクで印刷されていました。実はすこし前にも、スマホの写真で、このカップないですかと、見せられたのが、お隣、種子島のカフェに以前納品したコーヒーセットでした。ああ。あんなのも作っていたなあと思い出して、また作り始めたところです。どうも、緑の器に風が来ている気がします。他にもホテルから、ハーブティーのカップやアロマポットの注文も来ています。いずれも緑が希望とか。当分、緑の器を焼くための戦いが続きそうです。
2022年5月23日月曜日
森羅万象
モノには魂が宿る。昔から言われてきました。神社にゆくと足元の石ころ一つにも神が宿っていると言われます。神社に限らず、自然の中にある者すべてに命があるというのは日本人なら誰でも感じられることだと思います。そこまで、はっきりしたことでなくても。不思議に思うことがあるものです。先日ネットで中古の時計を手に入れました。それが届いた日にそれまでつけていた時計が動かなくなりました。ただ、電池が切れただけだと言えばそれまでなのですが。なんでその日に?、と首を傾げてしまいました。よく、車を買い替えると決まった途端に動かなくなった、ということがあるものです。不思議な現象。理由はわかりませんが、よくあることには違いはありません。こういうことは西洋の人たちにも起きるのでしょうか。そんな時、オー マイ ガッ と言うのでしょうか。昨日、梅原猛の本を読んでいたら、能登の真脇遺跡の話が出てきました。縄文時代の遺跡で大量のイルカの骨が発見されて近くから土で作られたお面や巨大な柱の跡もあったそうです。それらはイルカの魂を送るための儀式の後ではないかと書かれていました。身の回りにある物にまで魂があると考える日本人です。食用に殺生した生き物をお祭りしたのは当然のことのように思います。土のお面が使われていたと言う話には、土を焼く仕事をしているものとしては気にかかります。以前、傾斜地に穴窯を作ったことがありました。そこを畑に戻すことになって、重機が入る時、運転手の人が米塩焼酎でお清めしてくれました。昔から、トイレや台所などでも利用させたいただいたことへの感謝にお清めをし。今でもその風習は残っています。これは大地に神が宿っていると言う日本人の心からの習わしなのでしょう。
2022年5月22日日曜日
アイスランド
初めてのアイスランドの作家さんの本を読み終えました。警察小説です。人口30万と言われる小国。その歴史は、デンマークからバイキングが移り住んだのが始まりとか。国土は北海道と四国を合わせたほどの広さ。主な産業は漁業と牧畜ぐらいだったヨーロッパの最貧国。それが15パーセントという高金利政策で一躍富裕国に。先祖を辿るとほとんど血の繋がっているという火山の国です。地下を掘るとお湯が沸き、水道の水は100度のお湯を冷まして供給しているようです。一年のほとんどが雨か曇り。傘をさす習慣がないようです。滅多に陽が差さないので、お日様が顔を出すと、仕事が休みになったりだとか。そんな国でも犯罪が起きて、警察はどのようにして解決してゆくのか。読み始めると引き込まれてしまいます。翻訳者が上手で、まるで初めから日本語で書かれた話のよう。そうそう、あの国では姓ではなくて名で人を呼んでいるそうです。おそらくほとんどが親戚で人口が少ない国ならではでしょうか。電話帳には日本でいうと太郎とかアキラで乗っているそうです。目からウロコがいっぱいです。
2022年5月21日土曜日
ドキドキ
今週は、若い娘さんの入浴シーンでドキドキ。七十過ぎの爺さんになっても。長男のバカぶりにも、我が身を見ているようで切なくなります。タンスの財布から小銭を盗んだり、親のウイスキーを隠れて飲んだり、挙げ句の果ては家出。恥多き青春でした。若気の至りというか。色々あって、東京から屋久島にたどり着いて、ほんと、たくさんの人たちに助けられました。どこの馬の骨かわからない若者に、ご飯を食べさせてくれたり、泊めてくれたり。ところは変わっても、あの時代はそんなことが当たり前だったのでしょうか。東京の実家でも、学生運動で腹を減らしたやつや、芸術論をふっかけに来て何日も泊まってゆくような連中を、何も言わずに世話してくれた親。ありがたいものです。
追記
今日はゆっくり過ごしています。朝のうちのどんより空も、雲が切れて暑くなって来ました。今読んでいるアイスランドの警察小説。陰鬱で重たいのですが、離れられなくなってしまいました。だから、今日はゆっくり読書。
朝ドラの三人の姉妹。一番上のお姉ちゃんはお兄ちゃんがあんなだから、自分がしっかりしなくちゃと、真面目な頑張り屋さん。でも、好きになった男が優柔不断。良くある話です。二番目が主役。典型的なわがまま末っ子型。猪突猛進、当たって砕けろ、青春まっしぐらみたいな。一番下はおっとり、おまけのこ。大人しくて病弱、まわりの心配ばかりの引っ込み思案です。でも、歌が上手い。伴奏なしで歌う澄んだ声が身にしみます。「ヤシの実」。西條八十の作詞かなと思ったらなんと島崎藤村でした。小説家であり、詩人でもある、あの「まだ上げそめし前髪のリンゴのもとに見えしとき、前にさしたる前櫛の花ある君と思いけり」の「初恋」の作者。青い海を前に歌うと一層心に響きます。
2022年5月20日金曜日
実証
焼き物作りを続けているとどうしても人気があるものとそれほどでもないものがでてきてしまいます。だから、どうしても人気があるものを多く作るようになるのですが、そうかと言ってただそのまま作り続けているわけではあるません。毎回こうした方が良いのではと少しずつ、いろいろためすことになります。特に、工房で一番人気の青い器です。色は気に入ってるのですが、釉薬が厚くかかるので形、特に轆轤目がつぶれてしまいます。そこで、薄くかけて色がでないものか、いろいろ試しているのですが、思うようにできません。頭の中ではこうしたら良いのではと浮かぶのですが、窯から出してみると全然違っていた、そんなことの繰り返しです。今朝もカミさんに新しい焼きあがったものを見てもらいましたが、やはり前の方が良いと言われました。まあ、自分でもわかっていましたが。やるのと見るのとでは大違いです。この細かい実証の積み重ねが、作品に深みを出してくれるのだとは思うのですが。ある程度までゆくと、そこからの伸びしろはほんの僅かということになるのでしょうか。
2022年5月19日木曜日
階段
以前白い家のオブジェを作っていました。手のひらに乗るほどの小さな家です。必ず階段をつけていました。階段ってなんだかワクワクします。自称、階段マニアです。家の中にある階段もいいのですが、町の階段も胸が躍ります。東京には階段の町があります。お茶の水とか、谷中。子供の頃暮らしていた四谷にも階段がありました。家から坂町商店街に向かって歩くとすぐに階段がありました。階段を降りて坂を下って行くと、とつぜんに小さな商店街がありました。まるで異世界へと迷い込んでしまったような感じでした。坂道に沿って豆腐屋さん、パン屋さん、床屋さん、お菓子屋さん、乾物屋さん、八百屋さん、肉屋さん、魚屋さん、文房具屋さん、お蕎麦屋さんと並んでいました。どの店とも顔見知りでした。お使いに行ってきてと親から頼まれて、揚げたてのコロッケを買った後、走って家まで帰ってきたものでした。帰りはあの階段を二段跳びでハアハアしながら急いで、まだ熱いよと言いながら渡すと、五円ほどのお駄賃をもらったものでした。中学生の頃、四谷を離れて、いつの間にか商店街も消えてしまいました。そんなノスタルジーが白い家や街のオブジェシリーズにつながったのかもしれません。だから、階段はなくてはならないものなのだと思います。
2022年5月18日水曜日
仏像
毎年、暮れに向けて作っているものに小さな神様があります。指の先ほどの大きさで、素焼の上に絵付けをして仕上げます。もう50年作り続けています。作る数はその年によって変わりますが、平均すると4000個ぐらいでしょうか。それを50年ですから20万体ぐらいは作ってきたことになります。それに加えてたまに気が向くと陶器の仏像を作っています。こちらは5センチぐらいから40センチぐらいまで大きさは様々です。最近また作りたくなって、百済観音風のを作りはじめたのですが、途中で止まってしまいました。器つくりが忙しくなりすぎて、気持ちが他所に行ってしまったようです。そろそろ、落ち着いてきたので、また仏像を作りたいと思っています。器の仕事の邪魔にならないようにですが。あと、何年、土に触れていられるかわからない年になってきました。ものづくりの最後は仏像で締めたいと、ここにきて思うようになってきました。これまで散々やりたい放題生きてきました。せめてもの罪滅ぼしに、何か残してゆきたいと思っています。
2022年5月17日火曜日
時代
家の食台に甘茶のはなが飾られています。庭で今年も見事に咲いてくれました。この花を見ると毎年同じことを思い出します。島の北で暮らしていた詩人のことです。彼が亡くなった時に枝を分けていただいて庭に刺したものが大きく育ったのです。彼は詩人としてだけではなく、学生運動の旗手としても名を馳せていました。一度その話をした時。60年安保のデモに参加した時、体が小さいので、揉まれているうちに一番前に押し出されてしまい、気がついたらデモの先導者になってしまったと話してくれました。まあ、謙遜の言葉だとは思うのですが。確かに、あの時代の精神的な主柱の一人であったことは間違いありません。そんな彼が屋久島にやってきたのです。やってきたという言葉の意味は、こっちが少しですが移住者としては先輩だったからです。そんな彼を慕ってたくさんの若者が集まって、一つの集落ができました。あの時代はドロップアウトとかヒッピーという、社会の流れからあえて離れて、自分の行き方を見直すという暮らしが一つの流れとして起きていました。その背景には激しい学生運動もありました。東大の安田講堂占拠などもその頃に起きました。あの時代、通っていた美大でもどこも激しい運動がありました。どちらかというとノンポリで、それほど興味もなかった身でも周りで多くの友人が社会の矛盾に怒りの声を発してましたから、なんとなく巻き込まれることも多くありました。1970年前後は不安定な時代と言ってよかったと思います。そんな中で、自分探しで右往左往していたのだと思います。朝ドラの長男と同じように。行き当たりばったりで、酒を呑みすぎて人に迷惑をかけたり、思い出すとぎゃーと叫びだくなるようなことの連続でした。今もそれほど変わったわけではありませんが、あの頃に比べると少しは落ち着いてきたかなと思ったりします。朝ドラを見ていると、つい昔のことが蘇ってきます。
2022年5月16日月曜日
昼ドラ
今日は病院へ行ってきました。定期検診です。そんなわけで朝7時半からのBS朝ドラは昼に家で見ました。いよいよ東京編です。あの頃の東京がどんな風に描かれるのか。確か当時はまだ1ドルが300円の時代だったと思います。そのちょっと前までは360円でしたが。現在が130円ほど。それで、輸入品が高くなって大騒ぎです。何しろ。一時は80円なんて時がありました。銀座は物価が高く、普通の人はレストランで食事なんて考えられなかった時代です。外人ばかりでした。そういえあのドラマにはほとんど外国人が出てきませんねえ。東京では、当時はボーリングブームの真っ最中。よくボーリンング場の工事現場で働いたものです。それから超高級マンションも建築してました。麹町の現場で家賃を聞くと、とんでもない値段でした。そちらも海外からの人が使うということでしたが。日本も高度成長真っ盛り。私はと言いますと、銀座を中心として有楽町から京橋まで歩き回っていました。京橋にあったフィルムセンターで古い映画を見るためです。有楽町のイエナで洋書の画集を見て、東京駅前の美術館へ行って、カレーライスの店ナイルで昼ごはんが決まりのコースでした。お金がなくてもっぱら歩いてばかりいました。そうそう、疲れたら日比谷図書館で読書というのもありました。
2022年5月15日日曜日
釉抜き剤
陶芸の技法の中に釉抜きというのがあります。くっついては困るところに釉薬がつかないように色々な技法が考えられています。オーソドックスなのがロウ抜きです。ろうそくのロウと灯油を混ぜて、温めて溶かしたものを筆で塗ります。ロウの水をはじく力を利用します。次はラテックス。液体のゴムで、塗った後にしばらく置いておくと、ゴム状になって、後で針などで引っ張るとペロリと剥がれるというのもです。そのほかに、油性の撥水剤。最近では水性のものもあります。今回どうしてもラテックスを使いたくて、新しいのを注文しました。ところが届いたものが既に半分固まっていました。ラテックスという材料は筆が一回でダメになってしまったり、一旦ふたを開けると長持ちしないなどといった欠点があります。それにしても届いた時から固まりかかっていたとは。なんとかごまかしながら使ったのですが、筆がすぐに固まってしまいました。良い筆でしたから勿体無くて。使い捨てにできるような安い筆を使えばよかったと反省しています。何かうまい方法がないものかと、頭を悩ませているところです。
2022年5月14日土曜日
カード
カード払いに対応できるようになってどのくらいたつのでしょう。最近ようやく緊張しないで取り扱いすることができるようになりました。前はしょっちゅう、息子に助けを求めていたのですが。お客様の半分以上の方がカードで支払ってゆきます。一口にカードといってもいろいろな種類があります。交通系とか時計やスマホを当てるだけで支払いできてしまうものもあります。手のひらに乗るほどの機械が全て対応してしまうからすごいことです。その機械と専用のタブレットをつないで光回線経由でやりとりできるようです。お客さんの中にはこんなところでカードが使えるとはと、感激している方もおられます。以前は、手持ちが少ないと購入を諦めてしまうことも多かったのですが、カードのおかげで。そういうことも少なくなってきた気がします。カード会社には売上に応じて支払いしなければなりませんが。それと、湿気が多いためか、何度か機械が壊れて買い直さなければいけないことがありました。今では宅配便の業者さんが連絡すれば取りに来てくれます。買いたいものを選んでカードで支払えば。壊れやすくて重い荷物を持たずに、家に届きます。便利になったものです。
2022年5月13日金曜日
戦後
佐野眞一さんの著書に「沖縄 誰にも知られたくなかった戦後史」という本があります。戦後の沖縄のあの時代を生きた証人達へのインタビューで構成されています。今生きているとしたらおそらく100歳近くなっている人たちでしょうから、ギリギリのタイミングだったと思います。戦後っ子と呼ばれて団塊世代の尻尾、1950年に生まれた身としても、実はあまりその時代のことを知りませんでした。ただ高度成長の波に乗って競争社会を揉まれて生きて来たように思います。今放送中の朝ドラでの四人兄妹の長男とほぼ同世代です。話の主役が東京へと旅立った同じ年に東京から屋久島へとやって来ました。そのとき持って来た服とかはデパートで開かれたベトナム戦争の放出品頒布会で買った頭陀袋に入れて来ました。いっしょに買ったカーキ色の寝袋には血の跡がこびりついていましたしスコップは塹壕を掘ったりに使われたものでしょうか。今思うとあのような催しが東京の一流のデパートで行われたことにも驚かされますし、当時のベトナム戦争が身近だったということでもあったのでしょう。屋久島に来る前に立川の基地まで行ったことを思い出します。死体洗い一体10000円という何かで読んだ記事を真に受けて仕事を求めて行ったのでした。実際のところは見つかりませんでしたが。終戦間近、沖縄は日本で唯一、地上戦が行われ、多くの命が失われました。今のウクライナ情勢と似たようなことが起こっていたのでしょうか。東京でも大空襲で多くの人が亡くなっています。そんな時代がわずか50年あまり前に日本にあったのです。戦後の混乱から立ち直って、近代化へと向かって歩みだす、そんな時代がどのように描かれるのか気になります。あの兄妹たちも今ではおじいちゃんおばあちゃんと呼ばれる年代になっているのでしょう。
2022年5月12日木曜日
神田川
かぐや姫が歌った「神田川」が流行ったのは確か1973年ごろだったと思います。「三畳一間の小さな下宿 窓の下には神田川」という歌詞でした。神田川を遡ると善福寺川に名前が変わります。当時その川のすぐ脇で暮らしていました。まさに窓の下を善福寺川が流れていました。家から少し歩くと池があって湧き水が源流となって流れ出していました。朝ドラで描かれている1972年、実は家を飛び出して荒川のすぐ脇で暮らしていました。四畳半、家賃が5000円の部屋でした。生まれ育った四谷の家はすぐ前に昔の江戸城の外堀がありました。なぜか、我が人生には川や池が近くにあります。今も、工房のすぐ下を小さな川が流れています。大雨が続くと流れtの音が大きくなります。奄美地方がどうやら梅雨入り、おそらくここも梅雨の季節が始まっているのでしょう。水との縁が深く「たどり着いたらいつも雨降り そんなことの繰り返し」という歌の文句が浮かんできます。
2022年5月11日水曜日
上京
朝ドラの話です。いよいよ主人公が上京するようです。話の年、72年の五月に本土復帰ですから、ギリギリパスポートが必要だったのでしょう。沖縄からだと、まず船で鹿児島まで渡って、そのあとは列車に乗ったと思います。安いのは鈍行か急行で大阪まで出て、夜行バスに乗るのが一番でした。昔、同じ年に東京から鹿児島に来た時と反対のコース。なんだか、あの頃のことを思い出してしまいます。お金がなくて徹夜で船の荷揚げの仕事をして手に入れた8000円を握りしめたことを。先日50年ぶりに大阪梅田にゆきました。JRの駅からバスステーションを見たのですが、周りの風景は高架橋が縦横に走り、高層ビルが立ち並んですっかり様変わりしていましたが、不思議とあの頃の姿が蘇って来ました。50年前を、朝のドラマで思い出すのも不思議な気がしています。
2022年5月10日火曜日
基礎釉
昨日は釉薬を作りました。まずは基礎釉から始めました。我が工房のもっとも基本的な透明の釉薬です。現在は調合済みの釉薬を使っています。昔はすべて手作りしていたのですが。ところが最近、取引していた業者の九州からの撤退、価格の高騰などで、昔のように自分で作る決心をしました。全ての釉薬の元になるものですから大変重要になります。しかしいきなり壁が立ちはだかりました。最も大切な原料が湿っているのです。これでは配合するにしても正しい比率がわかりません。おまけに篩を通りません。濡れていると金網に張り付いてしまいます。重さは水分を考慮して割り増して測ってなんとか計算しましたが、篩が通らないのが困ります。最終的には水を加えて泥粧にした時に通れば良いということでやるしかないようです。大切なのは、釉薬がちゃんと溶けてくれるか。こちらはいきなりうまくゆくということはないでしょう。なんども焼きながら少しずつ調整してゆくしかありません。当分の間は、これまでの釉薬と並行してやってゆこうと思います。遠い道のりになりそうですが。
2022年5月9日月曜日
ヤマアジサイ
連休も昨日で終わりました。これから雨の季節が待っています。朝の散歩も空を見上げながらになりそうです。いつもの散歩道。毎日のように歩いているのに足元にこれまで見たことのない花を見つけました。姿は白い水仙の先が広がったみたいで、花芯が紫、中央部が濃い青をしていました。新しい発見は毎日の暮らしの中でも見つかるのですね。公園を出たところに家の脇でアジサイの蕾が膨らんでいるのを見つけました。カミさんに言うと、家の道路脇のヤマアジサイはもう花が咲いていると教えてくれました。最近畑にも庭にもあまり行ってません。少し焼き物作りにのめり込みすぎたのかなと思っています。
2022年5月8日日曜日
アロマポット
スパから頼まれた アロマポットを作っています。よく見かけるものよりも大きく、形もどちらかというとアラジンの魔法使いの物語にでてくるようなエキゾチックな感じ。何よりも難しいのは、直接火が当たるので耐熱です。粘土に同量のペタライトという石の粉を加えることにしました。ジンバブエ原産のこの石は土鍋などにも使われています。火には強くなりますが、著しく成形が難しくなります。ボソボソして練るのも苦労します。最初は結局うまくゆかず、一晩置いてなんとか形にしました。けれど、薄く作ることができず重いものになってしまいました。ボディーの部分とアロマの液体を入れるお皿は別々に作って、後から合体して形にします。ろうそくを入れるところは窓を開けて、炎の流れを考えて煙の逃げ道を作ります。この逃げ道、前にサンプルを作った時には花と円の形でしたのですが、月と星にできないかと言われました。とがった形は傷が入りやすく嫌なのですが。作る人間と、注文を出す人間ではどうしても意見がぶつかってしまいます。全て任せてくれたらと思うのですが。今回が、二度目の試作です。試作品だけでもう10個目です。
2022年5月7日土曜日
朝のドラマ
今週の朝ドラは1971年、翌年の本土復帰を前に、ドルから円に切り替わる。それまで1ドルが360円だったのが300円になるらしい。1ドルにつき60円の損になる。それが700円で交換できるという詐欺に引っかかる兄の話が出てきました。あの時代の混乱を物語る話です。南日本新聞では50年前の復帰の当時を振り返る記事が連載されています。七十二年五月十五日、屋久島に来る2ヶ月余り前に、沖縄が本土に復帰しました。その年、沖縄から焼き物作りの職人が屋久島に来て、窯づくりを指導してくれました。娘さんがアメリカ軍人と結婚して、彼の心には憎悪が植え付けられてしまったようでした。三線を手作りして古い民謡を聞かせてくれました。気がつけばあれから50年。現在はというと、ロシアによるウクライナ侵略。台湾の帰属。竹島、尖閣。朝鮮半島との関係。沖縄の基地の問題。近いところでは種子島における馬毛島訓練基地。どれをとりましても、日々刻々、変化しています。重たい政治判断が必要なことばかり。人が平和に暮らすということがいかに難しいか、改めて考えさせられます。
2022年5月6日金曜日
藤原氏
2022年5月5日木曜日
いたちごっこ
先日 、島で宿をやっている人から、朝の食事に出す小ぶりのコーヒーカップを頼まれました。数は10っこちょっとでしたが、ついでだからと50個ほど挽いてしまいました。注文を受けた時、ソーサーのことを聞くのを忘れたことに気がつきました。必要ないのか、とも思ったのですが、念のために作っておこうと夕方余った時間に20個ほど作りました。ところがカップの方は50個できてます。それではと翌日朝から作ったら一日で70個ほどできてしまいました。昨日は合わせて90個、一日がかりで削りました。それでソーサー90枚ができてしまいました。あれ、これだと数が合いません。今日は朝からまたカップを引こうかと思っています。だけど、こんなことをしていたら、いたちごっこではないかと気がつきました。どこかで、止めないとこの仕事から離れることができません。まあ、腐るものではありませんが。
2022年5月4日水曜日
バラ屋敷
我が家の周りにはバラが咲き乱れています。ほとんどがピンクのノバラ。最初は一本でしたが、種で増えて何本あるのかわかりません。あっ、こんなところにも、という感じ。実生なので一本ずつが微妙に違っています。紅みが強いの、淡いの、密に咲くもの、まばらなのという具合。別に苗を植えた花も咲き出しました。真っ赤なバラにピンクの丸く咲くバラ。中でも王様と言えそうなのがピエール・ド・ロンサールという家の前で咲く花です。クリーム色とピンクの絵の具を混ぜ合わせ、ロウ細工でこしらえたような気品があります。形もザ・バラとでも言いたいような姿。朝のひんやりとした空気の中で健気に花をつけている姿は、生きる元気を与えてくれる気がします。
2022年5月3日火曜日
四神
馳星周の「比ぶものなき」を読み終えて、次の「四神の旗 」を読んでいます。前作は藤原氏の礎を作った男の物語。次作はその四人の息子たちの話です。物語の中で四人の性格を表すのに、土、風、火、水に例えるところがありました。これって、四つ合わせるとまさに焼き物ができるなと思いました。土を水でこねて形を作り、火で焼く。焼くときには風がないと温度が上がりません。日本の歴史には焼き物が常に関わっているようです。土器に始まり埴輪、それから様々な器まで。日本には粘土が取れて、木も豊富です。中国やエジプト、メソポタミアの古代文明は薪を取るための木を伐採し尽くしていつの間にか砂漠化したという学者もいます。日本もこれまで営々と焼き物を作り続けられてきましたが、幸い森は現代でも維持されています。雨が多かったということもあるでしょうが、徹底的に伐採しなかった、日本人の持つバランス感覚が生きているのでしょうか。日本という国も社会も困難を乗り越えて続いています。我々の世代も、絶やすことなく次の世代へと繋いでゆかないといけない。そんなことを思いながら読んでいます。
2022年5月2日月曜日
そら豆
たくさんのとれたて野菜が送られてきました。早速昨日の晩は新鮮野菜が並びました。特に美味しかったのはそら豆。さやごと炙った熱々を食べるとほっくりとして香りが良くて、しあわせになります。我が家の畑は草だらけ。去年の秋からほったらかしです。焼き物作りが忙しくて。そろそろ復活に動き出さねば 。毎朝の散歩で歩く道沿いの新しく開いた畑に色々と植えられているのを今朝見かけました。そのすぐ近くには、別のかたが毎年耕していた畑がありましたが、どうも今年は草で覆われているようです。膝が良くないと聞いてましたが心配です。散歩のコースの終わり頃に、公園の端で屋久島でUFOの記念館を作ろうとしている方がおります。どうしたわけか途中で頓挫していましたが、今朝、重機でならした後がありました。再び建設作業が進むのでしょうか。
2022年5月1日日曜日
臨機応変
昨日の午前中に前日挽いた茶わっを削ったのですが、午後になって急に日が差し風も吹き出しました。すると、削り終えた茶碗の口が白く乾いてきました。このまま化粧をかけたら割れてしまいます。そこで、大慌てでケースに入れて、上から濡れた布で覆い密閉して一晩おきました。今朝開けてみるとなんとか無事に戻ってくれたようです。前回はここで化粧を流し掛けしたのですが、今日は作戦を変更して、刷毛目掛けに。刷毛目ですと、三回は繰り返さないと厚みが出ません。裏表合わせると六回です。手間はかかりますが、全て壊してやり直すことを考えると、この方法の方がリスクが減ります。それにしても、ほんのちょっとした気象の変化が結果をガラリと変えてしまいます。色々な要素を考えながら臨機応変に工程を変える。難しい仕事だと思います。