2022年5月17日火曜日

時代

 家の食台に甘茶のはなが飾られています。庭で今年も見事に咲いてくれました。この花を見ると毎年同じことを思い出します。島の北で暮らしていた詩人のことです。彼が亡くなった時に枝を分けていただいて庭に刺したものが大きく育ったのです。彼は詩人としてだけではなく、学生運動の旗手としても名を馳せていました。一度その話をした時。60年安保のデモに参加した時、体が小さいので、揉まれているうちに一番前に押し出されてしまい、気がついたらデモの先導者になってしまったと話してくれました。まあ、謙遜の言葉だとは思うのですが。確かに、あの時代の精神的な主柱の一人であったことは間違いありません。そんな彼が屋久島にやってきたのです。やってきたという言葉の意味は、こっちが少しですが移住者としては先輩だったからです。そんな彼を慕ってたくさんの若者が集まって、一つの集落ができました。あの時代はドロップアウトとかヒッピーという、社会の流れからあえて離れて、自分の行き方を見直すという暮らしが一つの流れとして起きていました。その背景には激しい学生運動もありました。東大の安田講堂占拠などもその頃に起きました。あの時代、通っていた美大でもどこも激しい運動がありました。どちらかというとノンポリで、それほど興味もなかった身でも周りで多くの友人が社会の矛盾に怒りの声を発してましたから、なんとなく巻き込まれることも多くありました。1970年前後は不安定な時代と言ってよかったと思います。そんな中で、自分探しで右往左往していたのだと思います。朝ドラの長男と同じように。行き当たりばったりで、酒を呑みすぎて人に迷惑をかけたり、思い出すとぎゃーと叫びだくなるようなことの連続でした。今もそれほど変わったわけではありませんが、あの頃に比べると少しは落ち着いてきたかなと思ったりします。朝ドラを見ていると、つい昔のことが蘇ってきます。