2021年12月31日金曜日

トピックス

今年のパーソナルトピックスです。第3位。軽トラ陥落事故。畑の脇の谷に落ちました。潅木に引っかかってなんとか横転は間逃れましたが、新車が半年でボコボコ になってしまいました。怪我がなくて幸いでしたが。骨折事故。工房の裏で指先を粉砕骨折してしまいました。二週間の入院。今もまだ治りきらず、定期的に病院通いです。突然に沸いた仕事。ホテルの器と、大阪のデパートでの物産展がほぼ同時に決まりました。どちらも来春が期限です。大晦日の今日も午後まで二人とも轆轤に向かっていました。息子はホテルの器。こっちは物産展用です。二人ともかなりテンパってますが、試練と思って頑張っています。そんなわけで今年は突然の出来事になんとか対応する年になりました。さて来年はどんな年になることやら。皆さん良いお年をお迎え下さい。

2021年12月30日木曜日

陶芸

今年を振り返る、第二弾。仕事の話です。陶芸屋久島日記というくらいですから今年の陶芸についてです。今年もいくつかまとまった仕事をやらせていただきました。その中で大きかったのは。お寿司屋さんの寿司下駄です。寿司下駄という言葉も知らなかったのですが。高級寿司店の付け台で目の前で握ったお寿司を乗せるためのお皿です。それを屋久島のブルーで作って欲しいという注文でした。この仕事は大きな平たいプレートを反り返らないようにどのように焼き上げるかに苦労しました。制作の途中で土にいかにして平均に力をくわえるか。 これまでの経験の全てをつぎ込みました。土の調整からスラブローラーの使い方まで、なんとかあまり変形させずに焼き上げることができました。それと、ホテルから頼まれた大皿。こちらは全て息子に任せました。世代交代を自覚した年でもありました。もう一つ。タイルをたくさん焼きました。そのタイルを使って、屋久島の地杉と組み合わせてトレー作りに挑戦しました。こちらはまだ制作途中ですが、お客さんの評判は悪くないようです。屋久島の木と組み合わせた物作りは長い間の課題だったのですがようやくなんとか形が見えてきました。ただ、地杉を提供してくれた材木屋が早々と閉店してしまいました。まあ、製材所から直接買い入れればなんとかなるとは思いますが。なかなか新しいビジネスを軌道に乗せるのは難しいと教えられました。来年の春には大きな課題が二つ待っています。今はそれに向かって必死に取り組んでいるところです。

2021年12月29日水曜日

別れ

 今年も残すところ三日となってしまいました。そろそろ振り返っても良い頃かなと思います。個人的に、いくつかの別れがありました。まずは。高校時代からの友人、彼とは在学中はあまり交流がありませんでしたが、この歳になって、お互いネットに日々のことを綴るようになって、繋がるようになりました。シンガポールでの仕事の仲介で、できるようになりました。そんな彼は、ネット上で別れの言葉も発して旅立ちました。「一足先に行ってるよと」。指物師。この人には色々教えてもらいました。三軒の家の建具全て彼が作ってくれました。それ以上に職人としての生き方が素晴らしく尊敬する先輩でした。現在の我が家の玄関には彼が作ってくれた下駄箱があります。丁寧な仕事で40年近く、家族の出入りを見守ってくれています。もう一人は近所に住んでいる移住者の方です。彼とは犬の散歩の時ぐらいしか話す機会はありませんでしたが、歳もほぼ一緒。畑作りも熱心で刺激をくれました。急なことに、突然目の前から消えてしまいました。そのほかにもこの歳になると別れも増えてきます。明日は我が身と心して生きてゆこうと思っています。

2021年12月28日火曜日

削り台

削りの台のことをシッタと呼びます。昨日今日と、このシッタを使って削りをしました。蹴り轆轤での削り作業は一日中同じ姿勢になるので腰が痛くなります。特に高さが合わないで、前かがみですと。そこで台を工夫します。最近よく使っているのだ、本焼きを終えた水差しです。それを伏せて轆轤に固定して、シッタを載せます。そうするとちょうど高さが合って、背中を伸ばして作業ができます。二日続けてやったのにもかかわらず、あまり腰が痛くなりませんでした。最近、腰が痛くて悩んでいたのですが、少しずつ良くなっているようです。膝も違和感がなくなってきました。指も少しずつ痛みが少なくなっているようです。お腹の憩室もあまり気にならなくなっています。一時は身体中、痛いところだらけでしたが、ここにきてなんとか快方に向かっているようです。来年に向けて希望が持てるようになってきました。「終わりよければすべてよし」とまでは言えませんが、無理をしないよう、テゲテゲでやってゆこうと思います。 

2021年12月27日月曜日

南天

 今朝工房に南天を飾りました。庭に咲いていたのを花瓶に生けました、お正月の花です。例年、三十日に飾るのですが、なぜかそれまで咲いていたのが消えてしまいます。鳥が食べてしまうのでしょうか。そんなわけですから、今のうちならば、たくさん咲いていますので、ちょっと早いですが、お正月を迎える準備です。今年の我が家は、あまりおせちも作らず、ごく質素に迎えようと思っています。できるだけギリギリまで仕事をするためです。来年の春はすぐですから。忙しいということは幸せなことだと思います。

2021年12月26日日曜日

寒気団

日本に寒気団が南下してきたようです。屋久島も冷え込んでいます。朝から轆轤に向かっていますが手がかじかんで思うように動きません。いくつも失敗してしまいました。特別難しいものを作っているわけではないのですが。普通の焼酎カップです。すごく下手になった気分です。例年ならストーブを使うのですが今年はまだ出していません。夕方からますます寒くなってきました。鼻水が10センチも垂れていました。一日中、動かしているのは足だけです。体はすっかり冷たくなっています。明日もこんな天気が続くのでしょうか。

2021年12月25日土曜日

目標

毎朝工房に降りるとその日の目標を立てます。今日はお皿50枚です。午前中は順調で24枚。ところが、午後になって、黒化粧がなくなりそうだと言うので、急遽作り足すことにしました。そのあと、焼酎カップの在庫が減ってしまったと言うので、25個挽きました。滅多に目標をクリアーできませんが、まあ、こんなものでしょうか。明日はどうなることやら、天気も下り坂のようですし。

2021年12月24日金曜日

棚卸し

 今年最後の棚卸しでした。天気は下り坂。走るに従って、雨が強くなります。お土産やさんでまず、最初の棚卸し。良いお年をと言った後、ホテルでも、来年も宜しくと挨拶。ホテルでは年明け早々修学旅行が来るとのこと。忙しくなると良いですねえと挨拶。年の瀬ですから。それに今日はクリスマスイヴ。スーパーもケーキやチキンを買い求める人たちで賑わってました。来年が本当に良い年になると良いのですが。

2021年12月23日木曜日

日記

 年の初めに、買った日記帳が間違えて去年のものでした。慌てて買い直したのですが、書き直すのが面倒で、とうとう一年書き続けてしまいました。すでに10年以上同じメーカーのを使っていたのですが、来年はついにそれをやめて、銀行からもらった小さな手帳を使うことにしました。その方がいつでもカバンに入れておけますし、同じものに固執する必要も無くなりましたから。ここにきて、なんとなく慌ただしくなってきました。年末の挨拶の人が来たりして、あれこれ押し詰まった来た感が人を動かしているようです。今年は年末年始のことはやらないぞと思っていたのですが、どうやらまわりが放っておいてくれないようです。それに、焦って仕事をやっても、良い結果にはならないと気がつきました。ムキになるのはやめにして、テゲテゲで行こうと思うようになりました。明日は明日の風が吹くです。手を抜かずにやっていれば、おてんとうさんはちゃんと見ていてくれると思うのです。

2021年12月22日水曜日

必殺

 夕方、仕事を終えてパソコンに向かうと、テレビで毎日流れているのが必殺シリーズです。BSで毎日毎日同じシリーズが延々と流れます。今日のは1983年に放送されたものとか。40年近い前のドラマです。当然すでにこの世から消えた人たちが登場します。生きておられても、いったい幾つになっているのか見当もつきません。まあ。時代劇ですからそれほど違和感はありませんが。むしろ、今放送されている、大河ドラマの方がしっくりきません。なんだかバカに若いのが年配の役をやっていて、見てられません。あんなのが次のお札になるのかと思うと、違和感ばかりです。確かに偉業を残したのでしょうが、無理やりヒーローに仕立て上げているようで。だから、どんどんテレビを見なくなってしまいます。マンネリでも時代劇は昭和のものに限るようです。

2021年12月21日火曜日

土練機

 朝から土作りです。息子がものすごい勢いで皿を挽いてますから削り土がたまります。それを再生しました。大量の粘土ができました。おそらく今年最後の土作りになるでしょう。今年最後という言葉を使う時期になってしまいました。ペンキ屋さんは歳をまたぐことになりそうです。昨日はやっと年賀状を作りました。かなり出来が悪かったのですが、時間がないので贅沢は言えません。昨日はお隣からおもちをもらいました。ご近所からはポンカンをたくさんいただきました。ポンカンは歳を越すと値段が一気に下がってしまうため、今が大忙しのようです。クリスマスの頃、大寒波がやってくる予報とか。厳しい年の瀬になりそうです。

2021年12月20日月曜日

 今度は腰です。腱鞘炎は特別悪くはならず、なんとか騙しながら土練りもしています。病院で痛めた腰がまた痛み出しました。嫌になります。あっちが痛いこっちが痛いばかりで。歳だから仕方ないのでしょうが。形成外科の待合所にいると、じいさんばあさんが次々とやってきます。中には車いすだったり、杖をついてたり。患者さんが怒られている声が聞こえることも。歩くこともできず、痛くてご飯を食べられない人もいるのだから、ちょっと痛くなったぐらいで、我慢しなさい。なんて声まで。本人は辛くてきているのでしょうがねえ。歳をとると手術もできないし、もう手の施しようがない人も出てくるのでしょうか。テレビでも、膝だ腰だのの薬のコマーシャルがしょっちゅう流れています。いかに多いのか。苦しんでいる人が。切ないものです。

2021年12月19日日曜日

腱鞘炎

 やっちまいました。どうやら腱鞘炎のようです。昨日、固い土と格闘したのですが、無理をしたようです。硬い土に轆轤目をつけてから、型に押し付けたのですが。思った感じが出ず、何度もやり直しました。繰り返している間に粘土はどんどん硬くなってしまい。人差し指でグイグイやっていたら、嫌な予感がしたのですよねえ。夜になって、痛みがひどくなってきました。そうかと言って、今日も休むわけにはゆきません。ズキズキするのをごまかしながら、なんとか手を動かし続けました。骨折の後は腱鞘炎ですか。ここへきて仕事は忙しくなって、ありがたいのですが、この手が持ってくれるか、心配です。

2021年12月18日土曜日

苦戦

 昨日に引き続いて、三つ足のお皿を作ったのですが、全くうまくゆきませんでした。ひとまわり大きかったのと、轆轤目をつけて型造りをしたのが間違いでした。イメージとしてはうまくゆくと思ったのですが。作り方をいろいろ変えたり、なん度もやり直したり、手を替え品を替えて試しても、一旦つまづくと最後まで駄目ですねえ。久々に落ち込みました。以前は轆轤で作ってうまくできたのですが。ちょっと綺麗にでき過ぎてしまいました。もう少し手作り感を出そうとして、見事失敗しました。やり始めてこれはやばい全部壊して始めからやり直そうかとも思ったのですが。いやーこんなになるのは、本当、どれほどぶりか。まだまだ未熟者です。

2021年12月17日金曜日

季節風

冬の風。北西の風が吹き荒れています。まるで台風のよう。そんな中で、三つ足のお皿を作っています。来年の物産展に苔玉を出品する人から頼まれました。実は自分の作品すらもまだ進んでいないのに。流れで断れなくて、引き受けてしまいました。だいたい、今度の物産展も引き受けるつもりではなかったのですが。どうも、断ることができない性分で、ついついそうなってしまいました。昔から、そんなことの繰り返しです。流れに乗ってしまう生き方。まあ、なるようになれ、ケセラセラでゆきましょう。 

2021年12月16日木曜日

通院

病院へ行ってきました。骨折した指の、予後を見てもらいました。レントゲンを撮った後に診察です。変わりなしということでした。前回は骨が再生しつつあると言ってたのですが、今日はどうやらこのまま固まりそうとのこと。と、いうことは指先の骨が二つに割れたまま、くっつくことはないだろうという結論のようです。今更手術も出来ないしとか。ああ〜もう死ぬまでこのままのようです。いっそのこと完全に折れていたら再生もしたのでしょうが、なまじ根元がくっついていたためでしょうか。先生も、くっつくと思ったのだけど、という言葉でした。それでも経過観察だけはしてゆこうということらしく、次は一ヶ月後に来てくださいとのことでした。これからだんだん期間が長くなりますとか。早い話、あとは様子を見るしかないということでしょう。もう少し若かったら、骨も元に戻ったのでしょうかねえ。一病息災という言葉がありますが、一傷息災を目指してせいぜいこの指とお友達になって、騙しながら付き合ってゆこうと思っています。

2021年12月15日水曜日

年賀状

今日から年賀状の受付が始まったそうです。早いですねえ。来年は寅年ですか。バタバタしてますから、全く考えていませんでした。25日までに出さないと元旦には届かないようです。あと十日しかありません。最近は友人知人で年賀状卒業という知らせも増えてきました。もうそろそろという気もしますが、現役で仕事をしてますから、なかなかスパッと卒業とはゆきません。ここのところ毎年干支のオブジェを作って写真に撮ってましたが、今年は時間がありません。どうしたものか、悩むところです。あと二週間しかないのですねえ。今年も。 

2021年12月14日火曜日

イルミネーション

 工房の入り口に、毎年この時期、クリスマスツリーを飾ります。その上に豆電球がチカチカするイルミネーションを飾るのですが、それが侘しいと息子が言うのです。そう言われると確かにそんな風に感じてしまいます。決して豪華なものではなく、どちらかというとリーズナブルなものですし。去年はつけなかったそうですから。だいたい、なぜかツリーを飾るとお客さんが急に来なくなります。年末の忙しい時期ですから、ほとんどの方達はせっせと働いているのでしょう。ですから、余計に寂しい気分になります。いっそのことうんと高いのを買ってド派手に飾ってやろうかと言うと、そういうことを言ってるのではないと言うのです。確かに、こんな最果ての地ですから、どうやっても盛り上がるものではありません。でも、それなりに季節の飾りつけはしたいと思うのです。大きなポインセチアの鉢植えでも買ってこようかと思ってみたり。

2021年12月13日月曜日

ロケ隊

大阪から、デパートのロケ隊が来ました。器の撮影です。わざわざ3人で。宣伝用のパンフレットに載せるためです。それにしても、こんな遠くまで、経費もかかると思います。先日はバイヤーさんも来てくれましたし。屋久島から何店かが出品するようですが、それにしても、経費をかけるということは、プレッシャーです。それに応えるだけの仕事をして、それなりの売り上げが期待されているということですから。流れで、コロナの話が出ました。屋久島の観光事情もそうですが、デパート業界もダメージが大きいようです。世界中が振り回されていますから、どこも苦しいのは変わりありません。そろそろ、脱却しないと、生活が立ち行かなくなりそうです。 

2021年12月12日日曜日

老兵

 ペンキ屋さんの主導権がすっかり息子さんになっている様子です。20年前に家を建てたときはまだ親父さん一人だったのですが、時代の変遷を感じます。振り返って、我が工房も、メインの仕事を息子が引き受けるようになってしまいました。こちらはどちらかというとサポートに回っています。まあ、70過ぎてますから。昔から老兵は消えゆくのみと言いますが。でもまだまだ負けないぞという気概だけはあります。老兵は死なずという言い方もありますから。


2021年12月11日土曜日

憩室

 やっとお腹の違和感がなくなりました。痛みを感じなくなってから三日ほど経ちました。ただ、わき腹を抑えると違和感というか鈍痛が残っていました。それがようやくなくなりました。最初は盲腸かなと思ったのですが、突然の激痛から始まりました。貼り薬を一晩貼ったところ、お腹全体が反応しました、どうやら腸全体が悪くなっていたようでした。あの時、病院に行ってたら、もしかしたら、入院になっていたかもしれません。そうなったら、来年の大阪での展示会に参加することも難しくなったでしょう。そんなふうに息子からも通告されてしまいました。なんとか自力でここまでくることができました。まだ、いくらか運が残っていたようです。今朝も五時から、工房でシコシコ作業していました。こちらもだんだん力が抜けてきた気がします。最初は焦ってましたが。持っている力以上にはできませんから。これまでやってきたことを、淡々と展示すれば良いのだと、少しだけ達観できるようになりました。地道に作業を進めて行こうと思います。

2021年12月10日金曜日

苔玉

 今日は、島で苔玉を作っている人が来ました。来春に行われる物産展に一緒に出品することになりました。ブースもすぐ隣とのこと。その苔玉を乗せる台を作って欲しいという依頼でした。お皿のような鉢のようなものでしょうか。一緒に物産展を盛り上げたいということですから協力しないわけにはゆきません。ただ、我が工房の作品は最近はどちらかというとプレーンでシャープな、現代的な造形を目指していますから、真反対な自然で有機的な感じがのぞみのようです。昔の焼締だけをやっていた頃はそういう方向性もあったのですが、今はだいぶ変わっています。そのあたりをどうやって合わせてゆくかが課題になりそうです。一緒にやるわけですから、協調することも大切だとは思うのですが、ある程度の自己主張も、ものづくりの大切な要素だと思います。なかなか難題を突きつけられた気がします。

2021年12月9日木曜日

メカニック系

 今日、窯の道具を作りました。本来は、鉄が素材でしたが、粘土で作ることにしました。窯屋さんに問い合わせたら在庫がなくアメリカから取り寄せたら数ヶ月かかると言われました。金属加工ができれば鉄で作るのですが、溶接したり、切断したりの道具がありません。それよりも材料を手に入れるすべがありません。それなら粘土で作ってしまおうと思いつきました。轆轤で経の違う中が空洞の円柱を挽きます。それを少し乾燥させて、直角につなぎ合わせて、必要なところに丸い穴を開けました。思ったよりも簡単な作業でした。出来上がってみると、以後にもこれまで作ってきた、食器やオブジェとは違って、雰囲気が面白いのです。これは案外いけるんじゃないかなあと突然閃きました。何を作るかは考えていませんが、何か新しいものができる予感がします。例えば戦時中の金属が不足した時代には、手榴弾を作ったり、湯たんぽを焼き物でつくったりしました。そこまででなくても、庭に置いたり、ディスプレーに使ったりと、これまで木だったり、プラスチックだったりを、陶器でやってみたら、何か新しいものができそうです。焼き物は自然素材だし、腐ったり錆びたりもありません。何百年でも壊れない優れた素材です。新たな可能性を見つけられるかもしれません。

2021年12月8日水曜日

足場

今朝からペンキ屋さんが足場を組みにきてくれました。前の現場がなかなか終わらず、当分掛け持ちとの頃です。それでもうまくゆけば年内に終わるとか。綺麗になった外壁で正月を迎えられるのでしょうか。と言っても、外壁全部ではなく、自分でできそうなところは、残してもらっています。何しろ予算がありますので。手を怪我した、工房裏の差掛け小屋も来春までお預けです。その前にやらなければいけないことが山積みですから。今日は、電気屋さんが工事の下見に来てくれました。工房の改造を今日から始めたので。捨てるものは捨てて、外に出すものは運んで、だいぶ広くなりました。その代わりに、素焼きでとっておいた器をかなり壊しました。勿体無くてなかなか壊すことができなかったものたちです。こんな時でないと、それぞれに作った時の思い入れがありますので。 

2021年12月7日火曜日

予防接種

 昨日の夕方、インフルエンザのワクチンを打ってきました。家族揃ってです。駐車場がいっぱいで、大混雑でした。二ヶ月前、指の怪我で通院していた時は、ガラガラで待合所に一人、なんてこともありました。ちょうどその頃、コロナのクラスターが地域で発生して、患者さんが警戒して、診療所から足が遠のいたのだと思います。わずか二ヶ月前まえはのことです。それから、どんどん減って、気がついたら、日本中がどこもほぼ収束したのではという状況になりました。しかし、ここにきてのオミクロン株です。この先どうなるか、全く見当もつきません。だいたい、なぜコロナ株が日本でこれほど減ったのかも、誰もちゃんと説明できる人がおりません。色々な推測がありますが。よその国ではまだまだ全く収まりを見せていませんのに。去年の今頃、世の中がどんなだったのか、全く思い出すことができません。まさに、一寸先は闇です。もうすぐ2021年ともお別れです。さてさて、来年どんな年がやってくるのやら。

2021年12月5日日曜日

泣きっ面

 昨日、仕事を終えて家に戻ると、急にお腹がズキズキしてきました。それも右の下っ腹です。前にも憩室炎をやったり盲腸だったり、そんなのが出たのかなと思ったのですが、お腹にいつもの練薬を貼って、ご飯も食べずに横になったのですが、悪いところが火のように熱くなって、炎症があるのがわかりました。ところが薬が乾いたのでチェックすると、どうも右側だけではなく大腸全体というかお腹全体が悪いようでした。何日か前から調子は良くなかったのですが、一体どうしたのか。先週の金曜日までずっと一ヶ月半ほど、抗生剤のお世話になっていました。形成外科の先生が骨髄炎を疑って、徹底的な抗生剤の投与をしてくれました。それがやっと終わったタイミングです。想像ですが、抗生剤の大量投与でお腹悪い菌だけでなく良い菌も死んでしまったのではないでしょうか。こういうのを泣きっ面に蜂と言うのでしょうかねえ。仕事が忙しくなって、いざと言うタイミングで悪いことが起きます。来年は屋久島で陶芸を始めてちょうど50年目の節目になります。父が死んだのも72歳の時でした。色々な意味で節目の年です。果たしてその歳を乗り越えることができるのか、これは天が与えてくれた試練なのかもしれません。

2021年12月4日土曜日

五角鉢

朝から型ものづくりでした。五時からです。なかなか時間がかかります。一日やっても、やっと18個。それも前にタタラを作っておいてからです。それにこれで完成ではありません。まだまだ仕上げが必要です。これも、試作なのです。この仕事、正直やりたくないのですが、ぜひ試作してほしいということなので。注文がくると、困る気がします。まあ、プロですからやれと言われたらやりますが。腰が痛くなりました。一日中、椅子に座って手を動かしていましたから。明日は昨日挽いた皿を削る予定です。 

2021年12月3日金曜日

膝サポーター

 冷え込んでくると、膝が辛くなります。毎日蹴り轆轤を回していますから余計負担がかかります。蹴り轆轤は腰や膝の負担が大きいので、40歳台ぐらいでたいていの人がどこかを痛めて使用をあきらめるようです。幸い70過ぎても回すことができるのは。親が丈夫に生んでくれたおかげでしょうか。それでもさすがにこの季節。痛いということはありませんが、膝に負担がかかると違和感を感じるようになりました。電話がなって急いで立ち上がらなくてはいけない時などなかなか力が入りらずもたついてしまいます。昨日、注文していた膝サポーターが届いて早速使ってみました。それほど劇的に効いている感じはしませんが、暖かいためか、片膝立ちでなんとか立ち上がることができるようになりました。こんなことならもっと早く使ってみればよかったと思います。あとは筋力を少しずつ強くすれば、楽に動かすことができそうです。ただし、無理は禁物ですからボチボチとやって行きたいと思っています。

2021年12月2日木曜日

予感

朝から嫌な予感がしてたんですよね。当たるものです、悪い予感は。病院に行ったのですが、トラブル続き。おまけに骨折からの回復がなかなか進みません。もう歳ですから仕方ないのですが。この調子では来年までかかりそうです。せっせとカルシウムを取らなくては。膝もよくありませんし、腰もズキズキ。困ったものです。そんなことを形成外科の先生に相談しようものなら、一生お世話にならなくてはいけなくなりそうです。帰り道で、時々寄っていた、材木を扱う店が閉店していました。地元の木を鉋をかけて売ってたのでありがたかったのですが。早かった。あまり売れなかったようです。同じ自営業者としては、人ごとではありませんが。毎日が晴れたり曇ったり。明日はきっと良い日になる、そう信じて進んでゆきたいものです。 

2021年12月1日水曜日

師走

 昨日は大阪のデパートのバイヤーさんんが工房を訪れてくれました。細かいところまで煮詰めてくると、もう後戻りできないという思いで身が引きしまります。今日から十二月ですから会期まで3ヶ月しかありません。果たして間に合うだろうかとドキドキします。今年は正月返上となりそうです。もちろん畑も当分足を踏み入れることもなくなるでしょう。来年は屋久島で焼き物を作り始めてちょうど50年になります。そういう意味でも節目の年ですから、なんとか頑張ろうと思います。

ところで、作詞家の喜多條 忠さんが亡くなられたと知りました。あのかぐや姫の名曲、「神田川」を作詞された方です。我々と近い団塊真っ只中の生まれです。昔、神田川の上流になる善福寺川の脇にある家で育ちました。あの歌が流行した頃、あの川ぞいの道を毎日のように歩いて、悩んだり、酔っ払って歩いたりして過ごしました。おそらくあの歌を口ずさみながら、それぞれの青春と重ね合わせた方達も多いことと思います。今から50年の歳月をさかのぼる時代です。当時は、屋久島で作陶を始めた頃で、窯は失敗の連続で、東京と島を行ったり来たりの生活でした。今思えば、どんな無理でも、どんな無茶でも、恐れるものは何もなかった、時代でした。気がつけばあれから50年の歳月が過ぎてしまったのですね。心より、ご冥福をお祈りいたします。