2020年3月28日土曜日

角パンケーキ皿

昨日、作った型を使って、角皿を制作しました。

前に注文を書き留めたノートを見ると、パンケーキ用の皿となっていました。確かに切り分けてから載せるのにはちょうど良さそうです。ただ、丸いままでは無理ですが。スラブローラーで伸ばしたタタラを使いました。ラジオを流しながら。聞いていると、今日が最後と言う人もいて、長い間耳慣れた人の声が聞かれなくなるのは、寂しい気もします。今日は、お客さんからメールをもらって、朝ドラのスカーレットの最終回を見たら、どうしてもメールしたくなりました、と言うことでした。旅の途中で訪れた、我が工房を思い出してくれたようです。こんな時勢ですから、のんびりとして空気の綺麗な屋久島を思い出していただき、ありがたいと思います。これ以上感染が広がらないことを祈っています。

2020年3月27日金曜日

角小皿の型

今日は角小皿の型を作りました。前に、お客さんから、今作っているお皿より一回り大きいのを作って欲しいとの注文があって、その時は型を使わないで制作しました。最近また、同じような皿を探している人が来ましたので、今度は型で作ろうと作り始めました。ところが、石膏が古くて、どうも湿気ているようです。水で解いたところ、あっという間に固くなります。大慌てで流し込んでなんとか型ができましたが。

もう少し、湿ってしまうと、固まることもしなくなります。なんとかギリギリでした。最近は色面と言って、色をかけ分ける技法ばかりやってましたが、今回は色を散らす技法で焼こうと思っています。そちらも、前はかなりハマっていたのですが、なんとなく興味がうつってあまりやらなくなりました。最近、昔はまっていた技法を復古させることが多くなりました。原点回帰というと格好良く聞こえますが、どうも、ネタ切れという感じもしています。何か次のチャレンジを考えようと思っています。

2020年3月26日木曜日

麹町

昨日麹町のことを少し書きましたが、実はあの街とはもう一つ大きな縁があります。1972年の夏でした。友人と二人、市ヶ谷という駅のホームでのことです。何か面白いことないかなあと、ゴミ箱からスポーツ新聞を拾って見ていますと、求人案内に「南の島、屋久島で別荘の管理やパイナップル畑の草取り」というのを見つけました。そして、事務所が麹町となっていました。市ヶ谷の駅からですと歩いてすぐのところです。子供の頃あの辺がテリトリーでしたので土地勘がありました。早速尋ねてみることにしました。一緒にいたのは絵画の研究所時代の友人で、その頃は撮影所で大道具のアルバイトをしていた男でした。ところが、行ってみると、もう締め切ったということでがっかりしていると、偶然、その会社の社長さんが声をかけてくれました。ちょうど、新しく、陶芸の窯を始めるのだが、手伝う気はあるかとのこと。もう、嬉しくなって飛びつきました。その頃在籍していた、美大に馴染めず、ほとんど学校には行かず、街をぶらぶらしていた時でしたから。そんな縁で屋久島に来ることになったのです。島までのお金がなくて、二人で船の荷揚げの仕事を徹夜でやって大枚8000円を持って、夜行バスと鈍行を乗り継いで屋久島にたどり着いたのでした。ところが一年も経たずに島を離れることになってしまいました。酒を飲んだ上で喧嘩になって、飛び出したのです。何しろ、癖だらけの男達が4人、朝から晩まで一緒にいるのですから。とりあえず、実家に帰って、陶芸の研究所へ通って勉強することにしました。するとある日、屋久島焼の社長と街でばったり出会ったのです。新宿の街で、声をかけられました。そして、今、屋久島の工房には沖縄からのおじいさん以外には誰もいなくなったこと。もし、できることなら帰ってくれないかと言われました。

当時、どこかで窯を始めたいと、いろいろ探しているところでしたから、再び島へと戻ることにしました。あれからも、いろいろありながら気がついたら50年近い歳月が経ってしまいました。思い起こしますと、二度の縁が陶芸と屋久島いう世界に引っ張ってくれたのでした。時間が過ぎて、どうしてあの時、麹町の近くにいたのか、新宿の街を歩いていたのか、全く思い出せません。人はそれを縁と言ったり運命と呼んだりするのでしょう。単なる偶然に過ぎないのかもしれません。それでも時々、不思議だなと思うのです。

2020年3月25日水曜日

番町皿屋敷

岡本綺堂の短編集の中の、番町皿屋敷を読みました。綺堂は、子供の頃から、関東大震災で家が焼けるまでずっと麹町に住んでいました。番町は当時は麹町の中に含まれていたようです。そして、大きく見ると四谷のエリアに入ります。なぜ、そのようなことを書くかと言いますと、実は生まれた時から中学校を卒業するまで、四谷で育ったからです。四谷というところは、江戸城の外堀で南と北に隔てられ、南側が麹町、北側が新宿四谷となります。そして、ちょうど外堀土手沿いに線路が作られて、中央線と総武線が通っています。家は外堀沿いのすぐ北側にありましたから、学校は線路の向こうの番町や麹町に通いました。いわばあの辺りが子供時代を過ごした、懐かしい所になります。なぜか、あの辺りが舞台の怪談話が多く残っています。四谷怪談に番町皿屋敷と。綺堂先生は歌舞伎の劇作家でもありましたから、あの辺りを作品の設定に使いやすかったのでしょうか。ところで、番町皿屋敷という話は、なんとなく知っていたつもりでしたが、綺堂先生が描いた話は、だいぶ違って、切ない純愛物語になっていました。

簡単に筋を書きますと大身旗本と女中お菊が恋仲になり、身分違いのために男に縁談が持ち上がった時、お菊が男の心変わりを疑って、家宝の皿を割ってしまいます。最初は、男はお菊の粗相を気にもとめませんでしたが、のちに自分の純粋な心を疑われたことに逆上してお菊を殺めて、井戸へと投げ捨ててしまいます。家宝の皿の残り9枚も粉々にして、井戸へと捨ててしまいました。家宝の皿、10枚全てが割れた時、家は滅びるという言い伝えの通り、家はどんどん荒れすさんで、最後に腹を切る決心をします。その時井戸から、美しい女性の姿が浮かび上がってくる、というような話になっていました。決して、恨めしやー、一枚二枚・・・と皿を数えるような話にはなっていませんでした。綺堂さんの心の優しさが伝わってくる哀しくも美しい話でした。あの近くには、迎賓館もあり、その前の道を下ってゆくと国立競技場がある千駄ヶ谷に続きます。前のオリンピックの開会式で、航空自衛隊の描き出した五輪の輪も家のベランダから見ることができました。今度のオリンピックでも、同じような演出が予定されていると聞きます。さてさて、どのようなオリンピックになるのでしょうか。ところで、家のすぐ近所には、当時のポスターを描いたことで有名な亀倉雄策さんが住んでいました。広いお屋敷の前でよくボール遊びをして、飛び込んだ球を取りにゆくと、恐ろしい犬に追いかけられた思い出があります。悪ガキ時代のことでした。

2020年3月24日火曜日

ヴァナキュラーII

昨日、ヴァナキュラーについて書いたのを、カミさんが興味を持ってくれたので、もう少し書いてみようと思います。昔、近所に小さな製材所がありました。おじいさんが一人、掘っ建て小屋を建てて住んでいました。小屋の前に大きな丸鋸が一つ据えてありました。動力はディーゼルエッンジンで丸のことはベルトでつながっていました。エンジンをかけるときは、手で力一杯エンジンのピストンを回してかけます。そのノコで近所の人が持ち込んだ材を挽いて、その手間賃が糧というわけです。いつもいつも製材の仕事があるわけではありませんから、そんなときは屋久杉の瘤を磨いていました、屋久杉は油脂が多いので、腐りにくく磨くと美しい光沢が出て、オブジェのような魅力があって、なかなか高値で売れたようでした。なぜこんなことを書くのかと言いますと、我が工房のロクロもそこで挽いてもらったからです。椨(たぶ)という硬くて重い木です。そのろくろは今も現役で毎日使っています。タブノキは昔は家の床材として珍重されました。使い込むと黒く光ってきます。柱は椎、梁は松といった具合に適材適所で使われました。もちろん、家の周りから切り出して、近所の製材所でわいてもらいました。わくとは島で製材するという意味です。屋根は平木といって島の杉を薄くそいで作りました。木目に平行に割るので、丈夫で雨が漏りにくいのです。島の杉は油が多く腐りにくく耐久性に優れていました。

島に来た頃には流石に平木の家はほとんど見かけなくなって、セメント瓦になっていましたが。風の強い地域では、平木時代と同じように屋根に大きな丸い石をのせて、風に飛ばされないように備えていました。初めてその光景を見たときは、感動しました。まるで、自然と一体化して見えましたから。家を立てるのも、大工さんを中心に、近所の人がみんなで手伝います。昔は重機もありませんでしたから、全てが人海戦術でした。我が工房も、元は中学校の木造校舎を移築しました。大勢の人の助けで出来上がったものです。屋根裏に上がると、松の大きな梁が見えます。大昔ですから、製材したものではなく、手斧で一本ずつ削り出したものです。聞くところでは、全て、地域の人たちが力を合わせて、建てたとのことです。その頃から、どれぐらいの年月が過ぎたのでしょう。今も健在で、雨風から守ってくれています。昔から、力を合わせて支え合ってきた、まさにヴァナキュラーな生活だったと思います。

2020年3月23日月曜日

ヴァナキュラー

今日は、納品と買い物に出かけました。空は晴れて暖かく、うららかな日和でした。若い、旅行者の姿もちらほら見かけて、少し落ち着いてきたように思えます。買い物は、新築移転したホームセンターが主な目的です。売り出し三日目ですから、それほど混雑してないのではと思ったのですが、いやあ、ものすごい人でした。店員さんたちも疲れ切った様子でした。新しい店舗は、島の杉を使って建てられた、まさに木造建築で、前の店舗と比べると、かなり大きくなりました。建築の世界では地域の材料を使うことをヴァナキュラーというようです。新しく建てられた庁舎も島の杉が使われています。近頃は、そういう方向になっているのかなと思います。そこで思い出したのが、初めて建てた工房のことです。古い写真を見つけました。

山の中に、杉の丸太で建てました。柱を地面に埋め込んだいわゆる堀立て小屋です。あの頃はチェンソーもありませんでしたから、手ノコで一本ずつ切っては、担いで運びました。鉈で枝を落として皮も剥きました。屋根と壁は茅を切ってきて葺きました。電気もガスも水道もありませんでした。近所の人たちが手伝ってくれました。今思えばまさにヴァナキュラーな建物でした。窯も、島の土を掘ってきて造りました。

レンガは、島の電力会社から廃材をもらってきました。まさに、現在に至る原点がそこにありました。今日は、ホームセンターの売り出しで、丸ノコを買いました。あの頃、道具は全て手工具でした。思えば、遠い昔になりました。

2020年3月22日日曜日

打って変わって

昨日とは打って変わって朝から大雨。畑仕事はお休みしました。ハウスにもゆきませんでした。ちょっと疲れ気味でしたから。昨日、下仕事を終えた箸置きを仕上げました。たくさん作ったので三分の一ほどでしたが。昼過ぎから体験一組。手びねりでした。窓を開け放っても、今はちょうどよい季節です。雨が上がって、時折お日様も顔を出します。手のついたカップと蓋物を作っていました。

二人とも土がだいぶ余っていましたが、すっかり満足したようで、一つずつ作ってゆきました。

2020年3月21日土曜日

今日も快晴

朝から青空が広がっています。外はほんんとうに気持ちが良くて、ウグイスがあっちこっちで鳴いています。今朝は、ハウスの後ろの玉ねぎ畑の草を取りました。なんという名前かわかりませんが、ものすごい茂り方で、玉ねぎが見えなくなっていました。極早生と晩成と植えているのですが、極早生はだいぶ大きくなっていました。ただ、晩成の方は草に負けて、半分ぐらい枯れていました。残っているのも辛うじて生きているといった具合で、果たして玉ねぎになるのか、早く草を取ってやればよかったと反省しています。去年大根をタネになるまで放っておいたのですが、得体の知れない奇妙な形の大根があっちこっち育っています。丸っこいの、赤いの、足が三本のとおかしな混血種たちです。いくつか、まだ花になっていないのがありましたから、引っこ抜いて家に持ち帰りました。一体どんな味なのか、恐ろしいような気持ちです。工房では箸置きを作りました。

先日まとめて買ってくれた人がいて、気がついたら在庫がなくなっていました。まだたくさん残っていると思ったのですが。プレーンな長方形です。こういうシンプルな形が案外難しいのです。複雑な形だと、あらが見えにくくなりますから。明日は、のんびり箸置きを仕上げようと思っています。

2020年3月20日金曜日

快晴の春分の日

夜明け前の空には無数の星が瞬いていました。畑で見上げると、恐ろしいほどの星たち。今日は快晴の1日になりました。朝は畑で、せっせと草取りと野菜の片付けです。ほとんどの冬野菜は、花になっています。今年はタネを蒔き過ぎて、とても食べるのが追いつきませんでした。ひどいのは、大根で、ひと畝作ってわずか2,3本食べただけで、あとは花が咲いてしまって、廃棄することになってしまいました。去年は、花が咲いた後も、そのまま畑においてたのですが、そこにカタツムリが大量発生してしまい、往生しました。そこで、今年は、花がが咲いたら全て撤去することにしました。これからは、種は撒き過ぎないこと。ついつい畑が空くのが勿体無いと思ってしまったのが間違いのようでした。とても食べきれない野菜に追われてしまいました。冷凍庫も満杯です。うまく育たなかった頃にはちょうど良かったのですが。今は反省しています。

そもそも畑を始める前までは花を育てることに一生懸命でした。工房の花生けに飾るためです。それがいつの間にか野菜作りへと興味が移ってゆきました。現在のような野菜に追いかけられて、苦しむことになろうとは、思ってもみませんでした。人にあげるにしても、何度も持っていっては、迷惑するのではないかと思いますし。これからは、もう少し、花づくりにシフトしてゆこうと思っています。何事も、バランスが大切ということでしょうか。

2020年3月19日木曜日

体験三昧

どうしたことでしょう。この時期に体験が重なるとは。いえいえ、この時期は、平年だったら、観光シーズンですから、珍しくもないのですが、このご時世ですから。ただ、密閉空間に人が集まるのは危険だということで、時間をずらしてやることにしました。午後すぐと、三時からと。それで、半日は終わっってしまいました。

午前中には、ホテルへの納品でしたから、結局1日、制作はできませんでした。まあ、忙しいのは、本当にありがたいのですが。お客さんの話を聞くと、自然豊かな屋久島ならば、心配ないと、やってきてくれた人ばかりでした。逆に、途中のことを考えてキャンセルしてくる人もいますし、まさに、人生いろいろだなと思います。「捨てる神ありゃ拾う神あり」という諺もあります。ちょっと意味違うかな。「止まない雨はない」の方が希望がある表現かな。

2020年3月18日水曜日

体験接触

昼過ぎ、集落の会計さんが集金に来ました。その時、鹿児島のお孫さんが一緒でした。おそらく、学校がお休みで預かっているのだと思います。鹿児島からはまだ陽性の人は出ていませんし、まして屋久島です。絶対安全だろうということだろうと思いますが、「屋久島は関係ないですから」と言っていました。はたしてそうでしょうか。今日の体験は、アジア人の二人でした。「どちらから?」と尋ねると「フロム アメリカ」という返事。午前中に見えて、午後の体験を予約してゆきました。用心のため、イオンの除菌スプレーを顔に吹き付け、工房の戸も開け拡げて行いましたが、指導中にはどうしても手が触れてしまったり、顔が近づいたりします。あまり、あからさまに避けているようなそぶりもできませんし、なかなか難しいと思いました。いつアメリカを発ったのかと尋ねると、二週間前とのこと。まだ、あちらでは他人事だった頃のようです。二人とも、アメリカ生まれだそうですが、一人は韓国系でもう一人は中国系とのことでした。

そして、明日は関西からのお客さんの体験予約が入りました。屋久島だからと言って、決して関係ないなどとは言えないと思います。これから、先、おそらくこういうことがずっと続いてゆくのだと思います。屋久島は観光地ですし。決して、鎖国の島ではないのです。いつどういうルートでウィールスが侵入してくるか、神のみぞ知るとしか言えません。人は誰とも接触しないで生きてゆくことはできませんから。

2020年3月17日火曜日

色面窯出し

色面シリーズを窯から出しました。最初見たときは、おっ、綺麗!、と思いましたが、人生はそう甘いものではありませんでした。出し進むうちに、次々と問題が見えて来ました。釉薬が流れすぎて、棚板にくっついているのから、剥がれているの、よれているの、一番ひどいのは飛び散っているの。やはり、何度も重ねがけをすると、危険の度合いも増してくるようです。まあ、それは承知で、ある程度のギャンブルをしたわけですから、致し方ないことなのですが。

それでも、しばらくは落ち込みました。まあ、ひと窯全部ダメだったわけではありませんから、時間が経てば、気持ちの整理はつくものです。こんなことの繰り返しを何十年やって来たことでしょう。さて、話変わって、コロナの話題です。今日、加湿器を注文しました。家に一台あるのですが、大昔ので動くかどうかわかりません。次男のために、注文したところ、ちゃんと説明を見ずに注文してしまったら、どうも、到着予定が一ヶ月以上も先だとわかりました。息子が、慌てて、キャンセルをしようとすると、発送済みということが出ていました。調べると、どうやら、中国からだとわかりました。思わず、心の中で、やっちまったと叫びました。なぜ、加湿器かと申しますと、ネットの情報で、アメリカの研究機関が出したデータの中に、50パーセントの湿度で、二十二度以上の温度だと、コロナウィールスが活動しなくなるというのがありました。まあ。この手の情報はあてにはなりませんが、次男を守るためには、藁にもすがろうという気持ちです。今の所、鹿児島県には陽性の人は出ていません。けれど、この先、どうなるのかは誰にも予想ができない状況です。自分の家族は自分たちで守る、今はそれしかないと思います。

2020年3月16日月曜日

通常運転

今日も通常通り、工房の作業をしています。蕎麦猪口と魚文小皿を挽きました。どちらも在庫がなくなりましたので。この二つはどういうわけか外国のお客さんに人気があります。

といっても、今は、外国からのお客さんは全くきませんが。まあ、外国からだけではなく、日本人もほとんど来てくれません。屋久島まで来てしまえば、きれいな空気と大自然ですから、こんな時こそ最高の環境なのですが、ここまでの、空港や航空機の中がどうも、ネックのようです。それでも、五月の体験の予約が入ってくるところを見ますと、そろそろ、今の閉塞感に耐えられなくなって来たようにも思えます。地方によっては、学校の再開や、閉鎖していた公共施設が営業し始めているようです。現在のような、圧迫された生活は、とてもいつまでも続くわけがありませんから。ウィールスから命を守ることも大切ですが、それで飢え死にしてしまっては、元も子もありません。どうやったら、この強力な、目に見えない敵に負けることなく、克服できるか。これから、持久戦が始まるのだと思います。

2020年3月15日日曜日

体験作品釉垂れ

体験作品が焼き上がりました。窯出しして、気がついたのですが、全ての作品が違う色の組み合わせだったということです。どおりで、時間がかかったわけです。それと、島内在住者ばかりでした。ありがたいことだと思います。色は狙った通り、綺麗に出たのですが、いくつか、失敗作も出てしまいました。一つは釉剥げです。お皿の縁の釉薬がうまくついてないのが見つかりました。おそらく、釉抜き剤に触った手で、触れてしまったのでしょう。十分注意していたつもりでしたが、今回ほど、何度も重ね掛けしたことはありませんでしたから、ある意味濃厚接触してしまったようです。それともう一つは釉垂れるです。こちらは、窯の中で溶けて流れ落ちた釉薬が、他の人の作品に垂れてしまうことです。よんどころなく作品を並べる板からはみ出した底の部分から、その釉薬が溶けすぎて別の人のお皿に落ちてしまったのです。見事なグリーンの水玉模様がお皿の真ん中にできてしまいました。もう、今更削るわけにもゆきません。なんといって謝ったら良いのか、今から心が痛みます。おまけにこっちは、はがした後の棚板に不用意に触れてしまい、指からの出血がなかなか止まりませんでした。まさに泣きっ面に蜂です。

まあ、その二つを除けば綺麗にできたなとは思うのです。陶芸という仕事は、常にアクシデントと隣り合わせのものです。だから2割ぐらいの失敗作は覚悟しているものです。しかし体験では。それが許されません。かといって、希望に沿う様に、焼き上げるためには、冒険も必要ですし。そのはざまで足掻いているのが、今の姿だと思います。

2020年3月14日土曜日

色面釉薬掛け

昨日、釉抜きした器に、釉薬をかけました。一日かかって、なんとか終了しました。色面シリーズは、ベースに白、ベージュ、黒を使いそこに色釉を重ねてかけます。これまでは一つの器に4回重ねてかけてましたが、今回は5回に増やしました。使う色釉は、黄、ピンク、緑、青、青緑の5色です。それから、それぞれのマットの釉薬が加わりますから、合わせて13種類。それを組み合わせて重ねがけするわけですから、途中から、何が何やらわからなくなりました。もう、しっちゃかめっちゃかです。それでも、なんとか無理やり全てにかけ終えました。重ねてかけると、釉薬が飛び散ったり、はみ出したりと最後の仕上げも手間がかかります。裏まで綺麗に拭き終えましたら、もうへとへとです。

あとは窯入れを待つばかり。一体どんな仕上がりになるのやら、怖いような待ち遠しいような、そんな気持ちです。

2020年3月13日金曜日

色面釉抜

今日は、色面シリーズの釉抜きです。シリーズとは小皿、小鉢、カップ、角の鉢などで、全てを色面で焼こうと思っています。

そもそも色面シリーズは、最近大好きなマーク・ロスコの絵に刺激されて始めました。それまでにも、ホアン・ミロ、ロバート・ラウシェンバーグ、モンドリアン、山口長男、など好きな作家はたくさんいますが、いずれも抽象画家で色の組み合わせが魅力的という共通点があります。中でも、ロスコの作品は思索的で、微妙な色のひびきあい、そしてほぼスクエアーな画面と引きつける要素が無限にあります。大抵が二つの色を上下に切り分けて、お互いが微妙に刺激しあって、深い宇宙のような世界が広がります。あんな世界を見せられるとため息しか出ません。まあ、こちらは、爪の先ほどにもたりませんが、いつかは、人の心をどこか遠くへと、翔ばせるような作品を作りたいと願っています。

2020年3月12日木曜日

釉掛けハサミ

一日中、釉薬掛けをしました。今回はお皿が多くて、お世話になったのがこちらのハサミです。

釉薬をかける時、手の代わりに、これを使うと、持ち替えて二度掛けしないといけないところを一度で済ますことができたり、手で持った跡がつかないなどと、手間が省けて、綺麗に作業ができます。あまりこういう、道具は使ったことがありませんでしたが、以前、島で焼き物作りをしていた人が、辞めることになって譲り受けました。最近使ってみたところ、便利なので、お皿の釉薬掛けに使うようになりました。彼は、一流企業を定年退職した後、屋久島で陶芸を始めました。我々のような貧乏焼き物屋ではとても手が出ないような、高価な道具を揃えていました。なんでもそうだと思いますが、その仕事で生計を立てるとなると、費用対効果がまず先に立ちます。だからなかなか、使いやすそうでも、諦めてしまうものでも、趣味となると糸目をつけずに、手に入れることができます。ただ、残念ながら軽い脳梗塞で、片手が不自由になり、陶芸を諦めたようです。今は、窯も道具も整理して、島を引き払ってしまいました。おかげと言ってはなんですが、思いがけず、色々珍しい道具がこちらに回ってきたわけです。と言っても、こっちも歳が歳ですから、いつまでやれるかわかりません。せいぜい体をいたわって、長く続けられたら良いとは思うのですが。

2020年3月11日水曜日

岡本綺堂の庭

ここのところ、朝が起きれなくて、畑仕事が滞っていました。今朝は、珍しく体が軽く、朝から草取りをしました。どの野菜も、花が咲き始めて、そろそろ冬野菜も終わりが近づいているようです。次の種まきの準備が待っています。ハウスではミニトマトが、次々と色づいてきました。

ところで、昨日、病院で岡本綺堂の随筆を読んでいましたら、庭について書いているのに出会いました。彼は、花が好きで、一時は毎年50種類ほどのタネを蒔いていたそうです。花壇ではなく、空いているところにバラバラと蒔いて、荒地のような雰囲気が好みだそうです。一番好きなのが、ヘチマ。それからススキ、次はヒャクニチソウに鶏頭とのこと。ヒャクニチソウは、我が家も毎年タネをまきます。ところが、近頃はどうもうまく育たなくなりました。鶏頭も好きで、特に野鶏頭は野生化して、いたるところに出るようになりました。綺堂先生の趣味がだいぶ似ているような気がして、早速ヘチマのタネを注文してみました。他に、鶏頭もです。今年は真っ赤な鶏頭の上にへちまがたくさんぶら下がっている光景を目指そうと思っています。

2020年3月10日火曜日

白衣高血圧

三ヶ月に一度の検診で、病院へ行きました。朝七時半に家を出ました。いつもの時間です。こんな時ですから、さぞ混雑しているかなと思いましたが、いたって静かで、待合所もむしろ少なめです。いつものようにまず、血圧を測りますと、相変わらず高めで、上が160近い数値でした。昨日家で測った時は128でしたから、だいぶ上がっています。病院に来ると必ずこうなります。看護師さんが、それを見て、手を引っ張って、もう一度血圧計のところへ連れつゆかれました。結果は前と同じでした。待合所の一番前の席を指差して、ちょっと待ってくださいと言われて、しばらくすると手で測る血圧計を持ってきました。そんなことをしている間にも、後から来た人のカルテがどんどん採血室に運ばれています。ああ、これじゃあ早く来た意味がないと心が叫びます。看護師さんが三、四回深く深呼吸してくださいと言います。周りには待っている患者さんがすわっているところでです。それから肩を上げ下げして、力を抜いて、手を心臓の前においてくださいと言って、3回目の計測をしました。

結果は126、マ、いいでしょうと言ってやっとカルテを採血に回してくれました。あの、看護師さんは何がなんでも血圧を低くしたいのでしょうかねえ。こっちは、小心者ですから、どうしても、病院へゆくと上がってしまいます。だから、家ではこうこうと説明するのですが。カミさんは帰りが遅いので随分心配してくれたようです。次に、薬をもらいにゆくのは三ヶ月後になります。その頃このコロナ騒動はどうなっているのでしょうかねえ。沈静化してくれることを祈るばかりです。

2020年3月9日月曜日

梱包作業

午前中は晴れていましたので、畑の草取りです。仕事場では櫛目扁壺に、昨日作った化粧をかけました。

午後になると雨が降り出しました。天気予報通りです。そこで、依頼されていた器の梱包作業です。こんな時に、仕事を受けていることに感謝です。とはいえ、この先どうなってしまうのか、不安です。まあ、何処も同じでしょうが。何が不安かというと、先が読めないということです。それに、この国を引っ張っている人の行動が・・・。やめましょう。口に出しとどうなるものでもありませんし。この島を引っ張っている人たちもとんでもありませんし。上から下までどうなっているのでしょうか。やめましょう、口に出してどうなるものでもありませんから。今、できることが何か、それを見極めて、しっかり対処するしかないのでしょう。どうぞ、頑張ってください。

2020年3月8日日曜日

化粧レシピ

朝、タンカンを絞りました。ジュース用にとキャリーコンテナーひとつ持ってきてくれました。ここのところ、だいぶ暖かくなりましたから、傷まないうちにと。工房では、化粧土を作りました。今作っている小壺に使うつもりです。白と茶と赤です。白は前に作ったものに改良を加えました。土との相性をよりよくするためです。後の、赤と茶は、素焼き用はありますが、生掛け用がまだないので、作ってみました。レシピノートを探すと、どこへ置いたのかなかなか見つかりません。探し回って、棚の中に紛れているのをようやく見つけました。黒いノートは目立たないので、しょっちゅう探しています。そこで、表紙にビニールテープを貼り付けました。

これで、探すこともなくなると思います。しかし、この方法、他の道具にも使っています。作品に押す、窯印を彫ったハンコ。畑で使う、鎌にもビニールテープを巻いています。もう少し、代わり映えする方法はないものかとも思いますが、今の所、見つかりません。そういえば、敗れた腕カバーもビニールテープで修理しました、もう、ベタベタビニールテープだらけです。何かおしゃれで目立つものがあると良いのですが。。

2020年3月7日土曜日

小壺作り?

今日の仕事です。小壺ひとつ。
本当はたくさん作るつもりでしたが、一個で力尽きました。いきなり最初の一個でちぎれてしまい、気力が削がれてしまいました。なんとか頑張って作ったのがこれです。

こんな日があっても良いとは思うのですが。
それに午前中は頑張りましたので。突然体験をしたいと電話が来て、通常でしたら断るところですが、こんなご時世ですから、急遽受けることにしました。あと30分でくるというので、大慌てで、工房を片付けて、土を練って、なんとか準備を間に合わせました。中学生と小学生の三人兄弟。大阪からのご家族づれでした。ご両親が熱心で、あれこれ熱血指導です。ちょっと、迷惑そうなお子さんたち。逆に子供達の方が気を使っているようで、微笑ましい家族愛でした。なんとか無事おえて、こっちもぐったり。パワーを使い切った感じでした。楽しそうでしたので、、今日は良かったなと思っています。

櫛目

昨日は、扁壺を作るための櫛を作りました。櫛といっても実際はギザギザに刻んだヘラのようなものです。たくさんの種類を作ってあるのですが、どこにしまい込んだのか見つかりません。だったら、新しく作ってしまおうということで取りかかりました。最初は杉の板を使ったのですが、柔らかすぎるし脆すぎてナイフで切ってもボロボロ落ちてしまいます。硬い木があれば良いのでしょうが、残念ながら手元にはなかったので、ゴムの板を使うことにしました。それは、前に百均で買っておいた、葉書大の版画を掘るための板です。以前はまっすぐな辺に刻んでいきましたが、今回は小さいものに使うため、丸い凹面して、ギザギザを入れました。

手で綺麗な円形の削ることは難しいので、ベルトサンダーの曲面を利用しました。丸くした後、ヘリを薄くシャープにします。あとはお好みのギザギザを刻んで出来上がりです。午後から、ろくろでいくつか試作してみました。今日はもう少しバリエーションをつけてみようと思っています。

2020年3月5日木曜日

櫛目扁小壷

昼ごはんから戻ると、工房から大きな声がします。お客さんかなと、ドアを開けると、外国からの四人組。イギリス人のガイドさんが連れて来てくれたようです。ちょうど奥から顔が見えました。どうやら探していたようです。欲しいものがあるみたいだとのこと。いくつか手にしていました。中でも、一番に気に入ってくれたらしいのが小壺でした。同じ種類のがこちらです。

この仕事は、昔からよくやっていました。床の間に飾る花生けとして、主に焼締でした。近頃は、個展、から遠ざかっていますから、サイズを小さくして、一輪挿しになるように、そして手軽に持ち帰れるようにと工夫しました。色も、青のマット釉を重ね掛けして変化をつけます。コーヒーカップもだいぶできましたから、明日はそのシリーズを作ろうと思います。

2020年3月4日水曜日

診療所

朝7時間に家を出て、診療所に行ったのですが、もう待合室には患者さんが座っていました。驚いたのはみなさんマスクをしていることです。まあ、うちも虎の子のマスクをしてゆきましたが。ただ、使い捨てにはできませんから、しまっておいてまた必要な時に使うつもりですが。次男の採血の予約がしてあったのです。だいぶ前のことですから、まさかこんなことになろうとは思ってもなかったことです。どうしようか迷いましたが、この先どうなってしまうかわかりませんから、先延ばしはやめました。次男の採血は、いつものベテランの看護師さんがお休みで、慣れないためかなかなか苦労していましたが、なんとかギリギリ必要量を取ってくれました。次男の血管が、親父に似て、細いためなかなか難しいようです。最後に先生が、おかしなのが流行っていますからどうぞお大事にと、次男に向かって手を合わせてくれました。あとで、まだ生きてるのに手を合わせるとはと、ちょっと複雑な気持ちになりました。確かに、以前肺炎で死にかかったことはありましたけど。診療所を後にして、スーパーの前を通ると、開店前の入り口には人が並んでいました。おそらく、ティッシュかトイレットペーパーを買うための行列だと思います。昨日カミさんが聞いた話ですと、島外の子供達に送っているらしいとのことですから。

工房では、昨日面取りしたカップに把手をつけて、次のカップをろくろで挽きました。お客さんも来ませんが、そんな時こそ、ちょっと手間のかかるものに挑戦しています。

2020年3月3日火曜日

カップの面取り

だいぶ腰の具合が落ち着いてきましたので、三日ぶりに畑におりました。と言っても、水撒きしたり収穫したりと、軽い作業でしたが。工房では昨日挽いたカップの面取りをしました。面取りとは、厚めに挽いた器をナイフや針金でカットして、エッジを際立たせる技法です。昔、焼締をしていた頃はよくやっていたのですが、釉薬の仕事を手がけるようになってからはしばらく離れていました。焼締では、形の変化で個性を出すしかありませんから、面取りもよく用いたわけです。しかし釉薬を使うと、色の変化もいろいろつけることができますから、どちらかというと、別の表現方法を選ぶことになりました。ただ、面取りでしか出せない、カチッとした表現には魅力があります。それに色を組みあわせて、新しいものができないかと、今回挑戦してみました。

やってみて感じたのですが、焼締時代よりもより繊細になっていること。それに、焼締では土を荒くしないと割れやっすいですから、砂を多く混ぜます。釉薬を使うようになって、より細かい土に調整していますから、カットした時の雰囲気が変わってくるのです。よりシャープさが強くなるように思います。どんな道具でカットするかでも変化しますし、なかなか奥が深いと思います。この仕事もやりだすと、嵌ってきそうです。

2020年3月2日月曜日

お染久松

春の柔らかい日差しに器たちが気持ちよく乾いてくれます。


なんと穏やかな日でしょう。世間の騒ぎが嘘のようです。でも、こちらの体調も決死と良いとは言えません。腰はなかなかまっすぐ伸びませんし、今朝はお腹を壊すし、工房には猿が出てくるしと。まあ、そのくらいのことですから、大したことでもないのですが。今読んでいるのは岡本綺堂の短編集です。その中にちょっと面白い話が出ていました。明治23年の冬に、日本で初めてインフルエンザが流行り始めたそうです。24年の春にはそれが広がって、かなりの死者が出たそうです。なんでも、フランスの船が横浜に入って、そこから広まったようです。そのインフルエンザが、当時はお染風邪と呼ばれたということでした。名前の由来は「お染久松」という歌舞伎の悲恋話から、恋の病がうつりやすいというようなことからだろうと語っています。そこで、世間では「久松留守」と書いた札を家の前に貼ることが流行ったそうです。久松を慕ってお染がやってくるのを防ごうという、おまじないのようなものだったようです。調べてみると、明治23年は1890年ですから、今からちょうど130年前の出来事です。あれからそれだけの年月が経ったわけですが、未だにインフルエンザは克服できていません。毎年、数千人という人が日本で命を落としているそうです。アメリカでは万単位ですから考えると恐ろしくなります。でも、インフルエンザが最初に入ってき頃のことなど、現在はほとんどの人がは知りません。ただ当たり前のように、今年も季節到来とワクチンの予防接種をするぐらいのことでしょう。今、大騒ぎのコロナウィールスもこの先どのようになってゆくか、見当もつきませんが、数十年後、昔、新型コロナというのが、初めて流行った時はそれは大騒ぎで・・・、などという昔話のネタになる時が来るのでしょうか。こういう騒動も時間とともに、いつの間にか慣れっこになるのかもしれませんねえ。

2020年3月1日日曜日

キャンセル

水曜日に入っていた陶芸体験の予約がキャンセルになりました。ツアーがなくなっちゃいましたとのこと。これも、新型コロナの影響でしょう。

工房を訪れる人もめっきり減ってしまいました。寂しい限りです。そんな中、地元の人が来てくれました。贈り物用と、自宅用のを選んでくれました。その中の一つが灯台でした。最初に見たときから、気になってしまったそうです。それと家とでずいぶん悩んでいました。お子さんも一緒でしたから、家の方は一つプレゼントしてしまいました。だって、こんな時に来てくれて、オブジェを買ってくれたのですから。たまには、喜んでもらうようなことをしてもバチは当たらと思いますし。