2020年3月25日水曜日

番町皿屋敷

岡本綺堂の短編集の中の、番町皿屋敷を読みました。綺堂は、子供の頃から、関東大震災で家が焼けるまでずっと麹町に住んでいました。番町は当時は麹町の中に含まれていたようです。そして、大きく見ると四谷のエリアに入ります。なぜ、そのようなことを書くかと言いますと、実は生まれた時から中学校を卒業するまで、四谷で育ったからです。四谷というところは、江戸城の外堀で南と北に隔てられ、南側が麹町、北側が新宿四谷となります。そして、ちょうど外堀土手沿いに線路が作られて、中央線と総武線が通っています。家は外堀沿いのすぐ北側にありましたから、学校は線路の向こうの番町や麹町に通いました。いわばあの辺りが子供時代を過ごした、懐かしい所になります。なぜか、あの辺りが舞台の怪談話が多く残っています。四谷怪談に番町皿屋敷と。綺堂先生は歌舞伎の劇作家でもありましたから、あの辺りを作品の設定に使いやすかったのでしょうか。ところで、番町皿屋敷という話は、なんとなく知っていたつもりでしたが、綺堂先生が描いた話は、だいぶ違って、切ない純愛物語になっていました。

簡単に筋を書きますと大身旗本と女中お菊が恋仲になり、身分違いのために男に縁談が持ち上がった時、お菊が男の心変わりを疑って、家宝の皿を割ってしまいます。最初は、男はお菊の粗相を気にもとめませんでしたが、のちに自分の純粋な心を疑われたことに逆上してお菊を殺めて、井戸へと投げ捨ててしまいます。家宝の皿の残り9枚も粉々にして、井戸へと捨ててしまいました。家宝の皿、10枚全てが割れた時、家は滅びるという言い伝えの通り、家はどんどん荒れすさんで、最後に腹を切る決心をします。その時井戸から、美しい女性の姿が浮かび上がってくる、というような話になっていました。決して、恨めしやー、一枚二枚・・・と皿を数えるような話にはなっていませんでした。綺堂さんの心の優しさが伝わってくる哀しくも美しい話でした。あの近くには、迎賓館もあり、その前の道を下ってゆくと国立競技場がある千駄ヶ谷に続きます。前のオリンピックの開会式で、航空自衛隊の描き出した五輪の輪も家のベランダから見ることができました。今度のオリンピックでも、同じような演出が予定されていると聞きます。さてさて、どのようなオリンピックになるのでしょうか。ところで、家のすぐ近所には、当時のポスターを描いたことで有名な亀倉雄策さんが住んでいました。広いお屋敷の前でよくボール遊びをして、飛び込んだ球を取りにゆくと、恐ろしい犬に追いかけられた思い出があります。悪ガキ時代のことでした。