2020年7月4日土曜日

水害

昨日の雨が北上したわけではないと思いますが、熊本鹿児島が大変なことになっています。特に球磨川が氾濫した人吉辺は被害が心配されます。昔読んだ本で、野呂邦暢という人が書いた「草のつるぎ」という作品の中で、諫早で起きた川の氾濫の話があります。その時の死者行方不明者は千人を超えたと言います。彼の実家も洪水で全壊しました。当時自衛隊に入隊していた野呂は、特別の許可を得て災害の現場に帰ってゆきます。その時の模様が描かれていて、胸を打った記憶があります。今日も、水没した町の様子や救助を求める人たちをニュースで見て胸が痛みます。野呂という作家のことをあまり知らなかったのですが、昔読んだ、沢木耕太郎の「バーボンストリート」というエッセイで知りました。

その話のタイトルは「ぼくも散歩と古本がすき」というもので、若い日の野呂がよく通った古本屋との交情が綴られていました。お金のなかった野呂が平積みの安い価格の本を何冊か求める時、いつも値切って、いくばくかの値引きをしてもらっていたそうです。ある時。店主の虫の居所が悪かったようで、いつものように値切ってくる野呂にもの凄い怒り方をして、それ以後足が遠のいてしまったそうです。ところが彼が東京での暮らしにみきりをつけて、国に帰る決心をした時、前からどうしても欲しかったブールデルの彫刻作品集を買う決心をしたそうです。彼が退職金を握ってその本を差し出した時、店主が、国に帰るということを知って、千五百円のうち千円だけを受け取って後はどうしても受け取らなかったというのです。6000円の月給の時代の話です。彼はその話を何度もエッセイの中で書いているそうです。そんな彼が自衛隊時代の思い出を綴った「草のつるぎ」で芥川賞を取ったのが1973年のことでした。その頃、こちらは美術大学を中途でやめて屋久島へ来て陶芸という新たな世界に足を踏み入れました。ただそれだけの話ですが野呂も若い頃絵や彫刻が好きで、当時美術館で開かれたブールデルの展覧会に行きたかったのですが、お金がなくて諦めたそうです。もしかしたら、絵の道を諦めて小説家になったのかもしれません。人の運命の不思議さを感じます。今回の水害の被害が大きくならないことを願わずにはいられません。