2020年7月20日月曜日

歩く巨人

佐野眞一の「歩く巨人」を読み終えた。宮本常一という人を、昭和の時代、僻地をくまなく歩いて、知られることのない人の営みを記録した人、というぐらいの認識しかなかった。ところが、我が人生にも少なからぬ影響をもたらした人だとこの本で教えられた。まず戦後の離島振興法を推し進めたということ。これは師匠でもあった渋沢敬三と二人で、国を動かし、この法律を推し進めたということ。自らも島で生まれて、現在も息子さんがそこで農業を営んでいることから、離島を歩いて、日本の人口の10%が離島に住んでおり、そこの暮らしを押し上げないとこの国の発展は望めないという信念で動いたという話。屋久島に住んで、国からの経済的な出資がいかに島の暮らしにとって欠かせないかということを思い知らされます。もう一つは晩年、武蔵野美術大学で教鞭をとったこと。わが若き日、ちょうど大学受験の時代に縁の深い大学にいたわけで、当然美大志望者として受験し、失敗したとはいえ、その学校を受けたことが思い出されるのです。幸い別の大学に合格して、そちらの生徒になったわけですが、多くの友人が武蔵美に入って、あの学生運動の盛んな時代を過ごしました。今思い出すと受験の不思議さというもので、石膏デッサンの試験で、場所を与えられた瞬間。落ちるなと自覚しました。何故ならば与えられた席はブルータスの真正面の、一番遠い場所で、どう見ても美しさを感じることができませんでした。描き上げたデッサンも散々の出来で、当然一次試験で不合格になりました。ただ、仮に合格していたとしても宮本常一先生の授業を受けていたかというと、おそらくはそういうことにはならなかったと思います。ただ、あの混乱の時代を、友人たちの通う美大で悪戦苦闘していたということに接点を感じたわけです。それに彼は亡くなるまで、農業とは縁を持ち続けました。あとを継いだ息子へ残した言葉があります。「作物は、決して自分の意思通りには成長してくれない。細かな観察と成長を手伝ってやることが農業なのだ」。そしてこの本の締めくくりの言葉。「長い道だ、果てしない道。ずっと昔から歩き、何代も何代も歩き、今も歩き、これからさきもあるいていく。それが人の生きる道だ。前へだけあるいていく道だ。歩く事に後悔したり、歩く事を拒否したり、仲間からはずれても、時は、人生を待ってくれない。時にしたがい、時にはそれをこえていく。そして倒れるまであるく。後からきたものが私たちのあるいた先を力づよくあるいて行けるような道をつくっておこう。」

今朝はヘチマの棚を作りました。その話はまた後日。