2020年5月12日火曜日

土人形

ようやく、豆雛人形作りも終わりです。軽い気持ちで始めたので、こんなに大掛かりになるとは思ってませんでした。お内裏様とお雛様の二つのつもりだったのですが、やり始めたら、三人官女も五人囃子も欲しくなって、それから、屏風に雛壇にと、どんどんエスカレートしてしまいました。ちょっと、手元にある人形作りの本を見ていたところ、昔全国的に作られていた土人形の分布が出ていました。

例えば東日本で最も盛んだった堤人形は、伊達政宗がお侍さんの生活費稼ぎのために薦めたのが始まりだそうです。西日本の伏見人形も農家の農閑期の副業が始まりとか。ということは、今ここで作っているのもあながち的外れではないような気もします。なにせ、このご時世ですから、土を飯の種に生きてゆくにはできることはなんでもしないと乗り切れるものではありません。昔読んだ、薩摩焼の歴史でも、庶民的な実用品の黒薩摩と、高級品の白薩摩との二つの流れを、時代の要求に合わせて使い分けながら、乗り越えてきたと14代の沈寿官さんは書いています。まさに、このようなピンチを切り抜けてきた知恵がそこには生きていたのでしょう。ちょっと話が大げさになってしまいました。実は、ほんとうのところは、こういう小さくて可愛いものが好きなだけかもしれません。この後、乾燥が終わると素焼きをして、いよいよ絵付けが待っています。実は絵付けの方が大変な作業なのですが、それもまた楽しみではあるのです。