西郷輝彦さんが亡くなりました。中学生の頃、よく聴いていました。我が郷土の先輩ですから。ただ、あの頃は、祖父の故郷鹿児島にそれほど深い思い入れがあったわけではありません。食事はさつま汁とかよく食べたものでしたが。四谷に住んでいましたから、どちらかというと御三家の中で舟木一夫の方が近く感じていました。あの人。同じ四谷に住んでいましたから。一度、一緒に草野球をやった思い出があります。今の迎賓館。当時は国会図書館だった建物の前に三角原というグランドがあって、そこで遊んでもらったのです。西郷輝彦は太い眉とくっきりとした目がいかにも薩摩の人という感じで、懐かしい面影が印象的でした。橋幸夫は四谷から引っ越した杉並の西荻窪、善福寺公園と言うところの池の前に豪邸がありました。あの家が橋幸夫の家よと教えられたものです。今となっては懐かしい思い出ばかり。思えば遠くへ来たものです。