2022年10月22日土曜日

我思う

「 我思うゆえに我あり。」デカルトでしたっけカントでしたっけ。畑で草取りをしていた時に、突然、頭に浮かんできました。確か、高校のころ、倫理社会で習ったよう気かがします。夜中に何度か目を覚ますと、スマホでニュースを見ています。そんな中で、カーボンフリーを説明していました。「Co2を人間もだしているが、呼吸をしても良いのでしょうか」というような質問でした。その答えは、植物はCo2を吸収してたんぱくしつを合成している。したがってバランスが取れているので問題はないというものでした。そうなのか、と思うと同時に疑問も湧いてきました。だって、現在目の敵にされている化石燃料だって、遠い昔に植物が変化したもので、それを人間が消費する。さきほどの話とそれほど変わらないような気がします。食物連鎖だけに限定すればたしかに問題はおきないようにおもいます。しかし、人間は食以外にも衣も住もあります。現在起きている問題は、そちらが多くの原因ではないかと思うのです。それと温暖化は何時からの人類の活動にさかのぼるべきか。例えば、産業革命なのか。もっとはるか昔の、エジプトやメソポタミアまでさかのぼるべきなのか。前に読んだある本には、当時のエジプトは緑豊かな土地だったとありました。ということは文明が大地を砂漠化させてしまったということでしょうか。焼き物屋としても大いに悩むところです。基本.焼成という行為が、温暖化とどのようにかかわっているのか。電気なら問題ないのか、原子力発電は、屋久島のような水力発電はどうなのか。石油やガスはだめで薪なら良いのか。次々と疑問が湧いてきます。しかし、だれもそんなことを教えてはくれません。自分が、今の立ち位置で出来ることを選択してゆくしかないのでしょう。そんなことを思っている自分という存在だけは確実に実在している、そのことは間違いないようですが。