2022年7月30日土曜日

島ジイ

 沖縄からきた老職人でした。老と言っても今の私よりも一回りも若かったのですが。薪の築窯技術を指導してくれました。蹴ろくろも名人で練り上げ技法で大きなツボをみるみる作ってゆきました。たまたますぐ隣の蹴ろくろをあてがわれたので、島ジイの作業を見よう見まねで覚えました。島ジイと私が左回り、他の三人は右回りで蹴ります。一年程で工房を辞めることになって、東京で陶芸を勉強していた時、偶然社長と新宿の街でばったり出会いました。何をしているのかと尋ねられて陶芸を学んでいると話したところ、屋久島に戻ってこないかという話になりました。職人が皆辞めてしまい、島ジイしか残ってないというのです。そこで再び屋久島に戻ってきたのですが、しばらくすると、今度は島ジイからやめろという話が出てきました。大先輩でもあり、師匠のような人でしたから従わらずを得ませんでした。そこで、すぐ隣で独立することになったのでした。思い返すと、原因は色々思い付きます。工房の経営が不安定だったこと。若さゆえ心遣いの行き渡らなかったこと、等々。あの後、島ジイも島を去って、気がつけば工房は消えていました。紆余曲折、栄枯盛衰、色々ありましたが、島ジイは師匠であることに変わりはありません。今こうして陶芸を続けていられるのも、あの時受けた指導があってのことです。島袋さんは恩人です。昨日の朝ドラを見ていて、ついつい昔を思い出してしまいました。