今日のお客さん。小壺を買ってくれたのですが、包装用のテーブルに置いた後、挙動が変わっていました。しばらく離れて、突然振り返ってツボを眺めて、次は腰をかがめた位置で見直したりと数回、繰り返し吟味していました。それから、カタチモヨシと呟いてようやく、こちらに向かいました。それを見て、ロクロに向かって制作している時と同じ動きだと思いました。制作中に一つの器に対して、何度か繰り返して、これでよしと納得する繰り返しなのです。器も人間と同じように個性があります。その微妙な違いが面白いのだと思います。我が工房が、蹴りロクロにこだわるのもその個性を引き出したいためです。ゆっくり足で蹴りながら形にしていると、微妙な揺れがう器に伝わります。島で育ったタブノキを自分で組み上げて作ったロクロは、かなりブレがひどく、回すと上下左右に揺れて回ります。そのロクロと50年近く付き合ってくると、リズムがいつの間にか合ってきます。まるで家族と暮らしているような感じです。そして出来上がる形も決してシンメトリーではなく、それぞれが個性的な姿に出来上がります。だけど、決してバランスが取れてないのではなく、立ち姿が生きているように感じられる気がします。そんな微妙なところにはなかなか気がついてくれる人は多くはありません。今日のお客さんはおそらく無意識に気がついたのだと思います。作者冥利というもので、なんだか、一日良い気持ちで過ごすことができました。ありがとうと心の中で叫んでしまいました。