夕方のお客さん。「ここの器は全部屋久島焼ですか」と聞かれて、「ここで五十年、屋久島焼としてやってます」ですから「ここの器は屋久島焼と言っても良いと思います」。たまにこういう質問を受ける事があります。その都度、返答に窮してしまいます。実は初めから屋久島焼を称していたわけではないからです。最初は何も名前がありませんでした。窯の名前も。そのうちに誰が言ったか、新八野という字の場所だから新八野窯という事で人が呼ぶようになりました。そして、屋久島で焼いているから屋久島焼だとも。気がついたらそうなっていたのです。でもそんな細かい事をいちいち説明するのも面倒なので。そういう事になったのです。気がつけばこの島で陶器を焼くようになって五十年余り。その間に土も窯も技法も変わりました。時代に連れて、状況はいろいろ変化してきます。そんな中で何とか続けることが出来るよう必死にあがいてまいりました。この先どうなってしまうのか見当もつきませんが、おそらく何とか生き延びるために必死に取り組んでゆくことでしょう。