先日買ってきた米粉のパンが思った以上に美味しかったのです。こんなのが焼けるのかというのが第一印象。それで昨夜、ホームベーカリーを注文してしまいました。米粉で美味しく焼けると評判の。実は廃番品で中古です。大昔、家には別のメーカーのホームベーカリーがありましたがほとんど使わないので人にあげてしまいました。まさか、またあの機械を買う事になるとは。しかし、もうだれにも止められません。いったん勢いがつくと。カミさんもあきらめた様子。粉も、あっちこっちの店で買い集めていましたから。そこで今朝も米粉のクレープで朝食。最初に買った近くのスーパーで買った、鹿児島県産のコメを粉にしたもの。全く期待はしてなかったのですが、意外にも美味しい。何事もやってみないとわからないもの。いつもの結論に達しました。
2025年11月30日日曜日
2025年11月29日土曜日
スプーン
この前から陶製のスプーンを造り始めました。時々、気が向くと造るのですがいつの間にかなくなってしまいます。そこで五十本ぐらいと思い作ったところ、仕上げの途中で一本壊してしまいました。数を数えて造りだしたので、半端な数だとどうも落ち着きません。そこで今日も続きを作っています。先日のは土が多すぎたので五グラムほど減らして作りました。余裕をもって合わせて百本。何とか原形は造り終えましたが仕上げでまたいくつかダメにするでしょう。さていろいろな焼き方が考えられます。明日迄一晩、ゆっくりとアイデアを練ろうと思っています。
2025年11月28日金曜日
棚卸し
今年もあと二回です。棚卸に行くのも。十一月。本来は25日なのですが次男が熱を出したり、発作を起こしたりで28日になってしまいました。急に肌寒くなって、人もまばら。おそらく海外からのお客様も紅葉見物によそへ移動したのでしょう。これから当分は静かになります。昨日こしらえた雨ニモマケズ、文字が薄れているところが気になります。そこで修正したり、スプーンを仕上げたり。そのうちにかみさんが下りてきたので町へと出かけました。お店で、あれこれ買い物をして、なんせ冷蔵庫がすっからかんなので、米粉で作るパンやクレープの材料を仕入れたり。すっかり米粉にはまってしまいました、あっちこっちのお店を回って、品ぞろえをチェックして、必要な材料を整え最後はパン屋さんで米粉で作ったパンを仕入れて戻ってきました。明日、プロが焼いたパンを試食してみようと思っております。なんか、久しぶりに真剣に物を造ることに、向かっております。それがパンだとは。ワクワクしながらネットで動画を見て夜を過ごしております。
2025年11月27日木曜日
雨ニモマケズ
ようやく作りました。雨ニモマケズを。宮沢賢治が手帳に書き残した一文。心象風景と自ら呼んだ。「そういうものに私はなりたい」と、言う気持ちをつづった言葉。たたらを作って、彫った文字を移して、立体にしました。多分、オブジェというよりも花でも活けて、飾れたらという気持ちです。三島技法を使おうと思っています。宮沢賢治の雨ニモマケズを初めて読んだのは中学生の頃でしたか。そのあと「永訣の歌」を詠んでショックを受けたのを覚えています。自分では土を使って表現をしたいと、これまでいろいろやってきましたが、おそらく、一つの答えが、今日出たように思います。何とか無事に焼き上がることを祈っております。
2025年11月26日水曜日
満天
今朝の星空。まさに満天の星。くっきり澄んだ空に輝く無数の星。散歩を終えて最後の坂の途中でカミさんが足を止めて空を見上げている。「どうしたの?」と尋ねると、今「人工衛星がゆっくり飛んでいった」とのこと。急いで見上げたが何も見えず。俺の目じゃ無理かもという。眼科ではよく見えてますよと言われるが、かみさんにはとてもかなわない。動体視力は驚異的だから。車で通りかかった人を一瞬で見分けるし、どんな様子だったかも言い当てる。ものすごい能力。ただ目が良いというだけではないらしい。観察眼が驚異的。人にはいろいろな才能があるものです。
2025年11月25日火曜日
訪問者
今日現れたお客さん。なんか初めて会った気がしませんでした。色々と話をしてゆくと、その方の御父上と縁がありました。それも五十年以上前の。先日は同じようにあの頃お世話になった方の奥さんでしたが、今度は、昔お世話になった方の息子さん。はじめて屋久島にやってきたころにさかのぼります。余りにも古い事なのでうろ覚え。それがどうして同じようなタイミングで出現するのか。これは単なる偶然なのか。それともお迎えが近いのか。なんにしても、若い頃に思いをはせることになりました。その方は昨年八十八歳でお亡くなりになったとのこと。それも佐渡島で。若い頃佐渡の焼き物を見に行ったことを突然思い出しました。
2025年11月24日月曜日
急須
窯出しした急須を仕上げていたところに海外からのお客様が来て、ティーポットが欲しいと言いました。ちょうど仕上げたばかりのを気に入ってくれて、買ってゆきました。不思議なのですが、なぜか手を入れている器を買ってくれることがあります。今日のも同じ流れ。器に心が伝わるのでしょうか。その器が何かを発信するのか。日本では古くから以心伝心という言葉があります。人と人が心でつながる。しかしモノを通してつながるというのは。たとえば多くの人がとある木や石に対して心を注いだとき、魂の様なものが籠って人の心を打つような信号を出す。原始宗教とはそのような物なのでしょうか。
2025年11月23日日曜日
連休
勤労感謝の日。と言っても大忙し。ただ生活に追われています。あたふたと。本来ならば、ゆっくりと骨休めがしたいところですが。人がゆっくりするときが我ら自営業者の稼ぎ時ですから。今日、クリスマスツリーを出しました。例年よりも早めですが。息子が言うにはツリーを出すとお客さんが来なくなるとのこと。だって、年の瀬が間近ですから。しばらくは閑散期に入ります。そんな時、造りたかったのが、「雨ニモマケズ」です。今年、せっせと造った三島の印。中に「雨ニモマケズ」の詩を彫ったものがあります。年内に何とか形にしたかったのですが。こんな時こそ、うってつけ。さてさて、どんなデザインにしたものか。色々アイデアが浮かんできます。
2025年11月22日土曜日
近況
一昨日は日帰りで鹿児島に行きました。まず朝の風景。種子島から見た屋久島の姿。初めて見た全貌。あんな物凄いところに暮らしていたのかというのが第一印象でした。そして馬毛島の工事現場もばっちり。何回も通るたびにキョロキョロしていたのですが、どうしてもどこが馬毛島なのかわかりませんでした。今回初めてこの目で確認することが出来ました。こんな風になっているのかと。現場のすぐ近くに見えたのは口永良部島の様な、その横には硫黄島と竹島でしょうか。硫黄島らしい姿が印象的でした。かつて俊寛が流されたという鬼海が島はあそこではないかと思ってしまいました。そしてしばらくして見えた開聞岳。規模は小さいですがまさに薩摩富士と呼ぶにふさわしい姿でした。昨日は一日窯に関わる仕事。釉薬を掛けたり作ったり。仕上げをしたりと。大昔出会った師匠の奥さんが前日の夕方お見えになったとのこと。一緒に過ごした半年に満たない時間を思い出してしまいました。若き日の思い出。絵の勉強をしていた頃、陶芸と出会ったあの時代を。確か、あの年、沖縄が日本に返還されたのです。我が師匠は沖縄に行くときはパスポートが必要で帰ってくる時には国内旅行だったという話を聞きました。まだまだ貧しく激動の時代でした。アメリカはベトナム戦争真っ盛りでした。屋久島への旅費を稼ぐために立川まで行ったことを思い出します。立川の米軍基地では死体洗い、一体一万円という雑誌の記事を読んで。しかし、実際そんな仕事は見つけられず、すごすご戻って来たのですが。東京の伊勢丹というデパートでは米軍放出品の販売会があって、そこで買った、血の付いた寝袋を抱えて屋久島に来たことなど、今は懐かしい思い出です。そして今日は土曜日で朝から米粉のパンケーキを焼いてみました、例のごとく失敗。いつになったら米粉で作ったものを美味しく食べることが出来るのでしょうか。
2025年11月19日水曜日
思えば
「 思えば遠くへ来たもんだー」というう歌がありました。「故郷はなれてー」と続くのですが、昨日、大昔の知人から突然電話が入りました。その方は師匠と言える方の奥さん。師匠と言っても一緒にいたのは半年にも足りません。陶芸の道に入るきっかけを作ってくれた方でした。その師匠もだいぶ前に他界されています。その方が屋久島に来るとのこと。もう五十年以上も前にお目にかかった方なのでうろ覚えなのですが。あの頃はまだ二十歳を過ぎて間がない頃でした。まだ陶芸という世界がどんなものなのか。画学生で絵のことしか頭にない頃でした。それが東京からはるばる屋久島までえっちらおっちらやってきて、いきなり合宿生活が始まりました。旅費がなくて、山谷で船の荷卸の仕事を徹夜でして、大枚八千円を手に、夜行バスと普通列車を乗り継いでたどり着いたのが屋久島でした。あの頃はまさかここに住み着いて陶芸で身を立てるようになろうとは。そんな時代に出会った方でした。もう、ほぼ忘れかけていた人がいきなり現れようとは、思いもつかない事でした。島には明日お見えになるとのこと。実は明日は白内障の手術後の定期検査で鹿児島に行く予定です。これから先いったいどんなことになるのやら、楽しみでもあり、不安でもあります。まあ、予測のつかないことが起きるから面白いのだと思うのですが。
2025年11月18日火曜日
クリスマスツリー
何とか焼き上がりました。ツリーが。古いのよりも、かなり大きく造ったと思いましたが、焼き上がってみるとほぼ同じ。おまけに苦労した割にはあまり進歩してませんでした。前回のは、台と本体とで二分割。今回は四分割しました。手間をかけたはずなのに、出来はというと甲乙つけがたし。ただ今回は二つまとめて出来上がりました。実は作業はこれから。分割して作ったものを一体にしないといけません。そこで、今朝、接着剤を注文しました。外国人が作る陶芸のオブジェ。分轄して焼き、あトカラ、組み立てるようです。果たしてうまく組み上がるのか。終わるまで苦労は尽きません。
2025年11月17日月曜日
三日月
今朝の散歩。星がちりばめられて、東の空には輝く三日月。「月がとっても青いからトーマワリシテ帰ろ」なんて歌が出てきました。明日は流星が見られそうとカミさんが言いました。しかしながら願いも空しく空模様は下り坂。明日の海は大荒れで船も欠航が決まりました。ままならないものです。秋の天気は。
2025年11月16日日曜日
三時起き
朝の三時から仕事場で作業をしました。総理大臣と一緒。どうしても、早く焼きたかったので。自家用のクリスマスツリーを。思った以上に手間取ってしまい。夕方まで掛かってしまいました。若い頃には何とも無かったのですが、この歳になると眠い事。あの人は、国を背負っているとはいえ、無理してるんだろうなと思います。おまけに、どこかの領事からひどい言葉を浴びせられたり。挙句の果てに後ろから鉄砲で撃たれたりしたら、本当、目も当てられません。
2025年11月15日土曜日
窯仕事
本焼き、素焼きと続けて焼いたので、続けて窯出しの日。出した作品を仕上げたり、次の釉薬掛けの準備に入りました。本当に雑用に連続です。ていうか雑用こそ陶芸の仕事。だからとにかく、やることが多種多様。しかしどの作業も簡単に出来ることはありません。だから経験が大切という事でしょうか
2025年11月14日金曜日
定番
工房定番の焼酎カップを作り始めました。電動ろくろで立って挽きます。だいぶ慣れてきたようで思った通りに形が出来るようになりました。しかし、昨日から、ほぼ良くなったと思った背中が再び痛み出しました。今回は腰ではなく、背中脇の筋肉に違いありません。どうやら、持病になりそうです。ろくろの立ち挽きが良くないのではと思ったりしています。一難去ってまた一難とはこのことでしょうか。生きている限り、次から次へと問題の種は尽きません。午後になってインフルエンザのワクチン接種に行きました。家族全員で。去年は打たなかったのですが。色々と思うところあって。
2025年11月13日木曜日
米粉
先日、動画で見た米粉で作るパンケーキというのを焼いてみました。ところが全然まずい。それがきっかけでした。色々調べると米粉にもいろいろ種類があることがわかりました。上新粉というのも米粉の一種とか。近くのスーパーで売っていた米粉では硬くて、なかなか希望するようなパンケーキにはならないようです。そこで調べた結果、パンを焼く動画の多い事。それではパンからと、皆さん推奨する熊本産の米粉を取り寄せてみました。それを使って焼いてもなかなか膨らまないみたい。それでアルファー化米粉というのを知りました。一度ご飯のように炊いたコメを細かくして乾燥した物のようです。それを使う人が多いようです。早速注文してみました。昨日届いたので箱を開けてみたら全然違うものが届いてしまいました、なんと北海道産の米粉。パン用と書かれていました。説明を読むとアルファー化米粉混合とか。何かの間違いで別の粉を頼んでしまったようです。捨てるのももったいないので、その粉を使って試作してみようと考えています。そして慌てて、別のアルファー化米粉も注文。パンを焼くための型も頼んだのですが届くのは一か月近く先とか。どうもせっかちが災いして、あらぬ方向へ勝手に進んでいるようです。ここはじっくり腰を落ち着けて、取り組まないとと自戒しています。慌てる乞食は貰いが少ないと言いますし。
2025年11月12日水曜日
マスク
マスクと言ってもお面の話です。今日のお客さん。展示場にあったアフリカン風のマスクが欲しいとの事。いつもは売らないのですが、説明するのが面倒で、息子と相談して売ってしまいました。パリからとか。先日見てきたエコールドパリと藤田嗣二の絵を思い出して、そんな気になったのでした。昔、東京の目黒というところにあった研究所の経営者でもあった絵描きさん。彼が喫茶店をやっていて、パリのモンマルトルにあったお店と同じ名前を付けていたそうです。確か、「ラパンアジル」といったような。当時芸術家のたまり場だったという話。なんだかパリから来たという話で、ついシンパシーを感じてしまいました。ここには、色々な国からのお客さんが来てくれます。
2025年11月11日火曜日
検診
朝から出かけました。病院へ。定期的な。血液検査の結果は、特に問題なし。ただ、血圧だけは非常に高く、三度も測りなおしました。家ではそれほどでもないから、先生には何とか納得してもらいました。昨日、注文していた米粉パンの材料がいろいろ届きました。これから、あれこれ試作するつもり。楽しみです。陶芸の方は今のところほぼ安定してきました。そこで、米粉のパン作り。新政権がとなえる、食糧安保の為にもお米で美味しいパンを焼きたいと思っています。
2025年11月10日月曜日
ミニ小壷
ひと段落ついたので、ミニのこつぼを造り始めました。最近外国からのお客さんが多いようです。遠くまで持って帰ってもらうために。スーツケースの片隅に。例年は紅葉を見るためにほとんどいなくなるのですが。今年は様子が違います。クマの被害も多いので。もしかしたら、思い掛けない影響が出ているのでしょうか。
2025年11月9日日曜日
米粉
昨日今日と、米粉パンの材料と道具を色々ネットで注文しました。何故米粉のパンなのか。それについては、自分でもよくわかりません。大抵の、自分の行動はただ思い付きで動き始めるようです。昔ケーキやパンにはまったことがありました。それがいつの間にか、冷めてしまい、ほぼ忘れていました。ただあれが再燃しただけなのか、それとももう少し深いところまで進んでゆくのか。そればかりは成り行きを見るしかありません。ただ陶芸だけは気が付けば50年以上。ほぼ人生をかけるようなことになってしまいました。米粉パンがこの先どうなるのか。全く見当もつかない事です。
2025年11月8日土曜日
ツリー
小さいツリーを造り始めました。クリスマスを意識して。いつも工房に作り置いていましたがここにきて無くなってきたので。やり始めたら例のごとくだんだんエスカレート。大きいの小さいのと。今日はクリスマスツリーを飾るオーナメント作り。長靴やトナカイを。それからクッキーの型でハートや星形。そんな中箸置きの注文を思い出しました。それをスラブローラーで造ることに。色々横道にそれましたがやっと本業に戻ってきました。明日はろくろで一輪挿しでも造りたいと思っております。
2025年11月7日金曜日
杵柄
昔取った杵柄という言葉がありますが。最近、また色々お勝手でやりたいことが出てきました。お菓子やパンにはまったことがあったのですが、ここにきてまた火が付きそうです。まず、先日店で買った粒あん。余りの甘さにびっくり。それでは自分で煮てやろうと思ったのが事の発端。次に蒸し小豆。そして今度は米粉パン。どうも、動画で見ると次々と関連動画が出てきてしまって。ついつい虫が騒いでしまいます。どこかで歯止めを掛けないと止まれなくなりそうです。
2025年11月6日木曜日
秋晴れ
爽やかな秋の空。今朝はスーパームーンのまん丸お月さん。くっきり輝いていました。カミさんに、スーパーってどんな意味?と聞くと、スーパーはスーパーよと言われてしまいました。たとえば思いつくのがスーパーマーケットとかスーパースターとかスーパーマン。なんにしても特別すごい事に間違いありません。青い空に浮かんだ大きなお月さま。星も無数に輝いています。昨日降った雨が埃を綺麗に洗い流してくれたようです。
2025年11月5日水曜日
秋雨
朝から雨です。秋の。冷え込んできて雨が降ると妙にネガティブな気分になります。昼前に郵便局まで用事が出来て車で走っていたら、隣の集落の入口に人が住んでないとある家が目に入りました。昔ずいぶんお世話になった方の家。通りすがりに目に入ったそこはずいぶん小さく見えました。あの頃はあんなににぎわったのにと。誰もいなくなったなあとふと思いました。自分ももうすぐここからいなくなるのだと。若い元気な頃の思い出がよみがえってきました。人生の黄昏なんて言葉がふと浮かびました。秋は何だかモノを思う季節です。孫が来たら美味いカニをご馳走してやろう、などと分不相応な想像をして元気を出そうと思うところです。
2025年11月4日火曜日
秋冬
一気に秋を過ぎて冬の気配。なんだか、四季というよりも夏からいきなり冬の様な。高田みづえさんが歌った曲が浮かんできます。「季節の変わり目をあなたに心で知るなんてもう恋も終わるのね」という詞でしたか。秋から冬へと移ろってゆく、そんな季節になりました。
2025年11月3日月曜日
行楽
秋の行楽シーズンでしょうか。連休ですから。いかにもというようなお客様が多い気がします。風も爽やかですし、旅に出るにはもってこいの季節です。「夕空晴れて秋風吹き…」などと口ずさみたくなります。「思えば遠き故郷の空・・・。」「ああ、わが父母いかにおわす」すでに遠い人となってしまいましたが。
2025年11月2日日曜日
文化の日
連休です。明日は祭日。文化の日。明治天皇の誕生日とか。祖父が明治元年に生まれた話は前にも書きました。軍人として鹿児島から東京へ出てきて江戸城の外堀のすぐ前に居を構えました。そこは陸軍の基地のすぐ近く。現在は防衛省があります。自宅の近くの陸上自衛隊の基地で三島由紀夫が最後を迎えました。南千住にあった呑み屋で友人たちとそのニュースを聞きました。絵を描いていた頃で大学に入って一年在学中の事でした。絵描きを目指していた友人たちと酔っぱらって、芸術論をかわしていたころでした。あの時、語り合った連中は現在何をしているのか。画家になった人が何人いたのか。今となっては遠い昔の青春の思い出となりました。我が身も、気が付けば陶芸の道に入って、五十年を越える年月が経ってしまいました。最近になって、時折絵具と筆を手にして、抽象画を描いたりしていますが。先日は鹿児島の美術館で藤田嗣治の展覧会を見て、若き日の青春時代が懐かしく思い出されました。あの頃は、エコールドパリの古き良き時代に憧れておりました。時代は変わりニューヨークから現代の迷宮の時代へと様変わりしてしまいました。この先どんな時代が訪れるのか。果たしてそれを見届けることが出来るのか。まさに老いとの戦いになりそうです。
2025年11月1日土曜日
十一月
残すところ二か月になりました。今年も。何とか年を越すことが出来そうです。世の中が目まぐるしく、あっちこっちで紛争があったり、政権交代が起きたり、激動の一年です。このまま、大きな禍がなく、過ごせることを願っています。物価上昇で諸々の材料も仕入れが厳しくなってきました。何とか政権が交代して、我々の様な弱小工房にも少しでも陽が当たるようになることを願ってやみません。