2025年7月31日木曜日

いつもの

 暮らしが戻ってきました。日常の。目の方は順調な気がします。昨日は、保険会社の方が来てくれました。支払の相談に。帰ってきて気になっていたのが注文の器です。一応、制作は終わっていたのですが無事に焼き上がるよう、これからが勝負です。息子に言わせると一か月は仕事はダメとか。もうすぐ、一週間目の検診に鹿児島に行かねばなりません。当分は行ったり来たりの生活が続きそうです。

2025年7月30日水曜日

帰還

 鹿児島での白内障手術から昨日無事戻ってきました。詳しい話はおいおいと。わずか五泊六日でしたが慣れない病院生活、今はほっとしております。白内障なんか簡単よと、人から聞いていましたが、実際終わってみると、それなりにハラハラドキドキでそれほど簡単ではありませんでした。日帰りでさっさとやってしまうところもあるようですが、より慎重にやってもらえそうな眼科に行ってきました。なんせ、目に傷をつけて小さなレンズを挿入するわけですから。予後も簡単ではありません。目に埃が入らないよう保護メガネを付ける必要があります。仕事柄、微細な粉塵が飛ぶ環境です。出来るだけしっかりと保護しつつ、傷口が戻るまで何とか無事に過ごしてゆきたいものです。これより約一か月、仕事は控えて、完全に元に戻るまで、リハビリに励んでゆこうと思っています。

2025年7月23日水曜日

若草

 突然若草劇場を思い出しました。東京の東村山に昔あった映画館です。高校生のころ、そちらにあった全寮制の男子校に通っていました。創設二年目という学校でした。寮から学校への途中にあったのがあの映画館。青春映画をよくやっていました。日活の。吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子等々。その和泉雅子さんが最近お亡くなりになったと知りました。わたくしの姉とほぼ同年だい。和泉さんの代表作が浦山桐雄監督の非行少女。まだあどけなさが残る彼女の体当たりの演技。確か大学生のころ、京橋のフィルムセンターで見た記憶があります。その映画。偶然昨日、動画で見ることが出来ました。まさか、こんな時代がやってくるとは。今や大昔の映画がスマホで見ることが出来る時代になりました。昨日は山内賢とのデュエット、二人の銀座も流れておりました。先日は大好きな「兵隊やくざ」も見ました。勝新と田村高広のコンビがたまりませんでした。浦山桐雄監督の「キューポラのある町」も忘れられない作品です。あの可愛らしい吉永小百合さんも今では八十歳になるようです。和泉雅子さんの相手役を演じた舟木一夫さんとは子供のころ四谷の三角原という公園でキャッチボールをやった記憶があります。大昔の思い出となりました。

2025年7月22日火曜日

抽象表現主義

 マーク・ロスコー、ジャクソン・ポロック、ロバート・ラウシェンバーグといった抽象表現主義の作家に、いまだに惹かれています。ていうかそれ以降ではあまり好きな作家に出会いません。後期印象派ではモヂリアーニとスーチンが好きです。スーチンの赤、モヂリアー二のマチエール。ロスコーの静謐、絵画には自分の世界が表現されているのです。おそらくキャンバスとの距離感が内面と語り合っているように感じられるのでしょう。明後日、眼科で入院します。あそこには何点か、柏木健太の作品が飾られています。初めて行ったときビックリしました。前に大きな病院で沢山の吉井じゅんじの若かりしころの作品に出会いました。鹿児島のお医者さんは絵がお好きなようです。手術は嫌ですが、またあの絵が見れることは楽しみです。

2025年7月21日月曜日

エアコン

 早速ですが今朝、電気屋さんが来てくれました。説明して試しにスイッチを入れてみたら普通に作動します。「「あれ!おかしいな」といったところ、設定温度を下げたというのです。という事はセンサーが誤作動しているという事のようです。室外機のモーターが壊れたのではなく、何とか冷房は効いているという事が出来そうです。ただ。購入してからすでに十七年が経過しているとか。十年を過ぎると部品の提供がなくなるとのこと。今のところは何とか作動してはおりますがそれがダメになったら買い換えないといけないという事。それなら、早めに対処した方が良いのではという考えがおもいつきます。それと、工房の灯り。この前つかなくなった電気が普通につきます。「えっ、どうして」というと、よくある事ですという返事。電気屋さんが扱うと直ってしまう事がよくあるとのことです。まあ、色々ありますが、結果オーライ。これからどう対処したらよいのか、頭が痛い問題です。

2025年7月20日日曜日

エアコン

 体験工房のエアコンが突然壊れました。予約が入っていたので、掃除して、冷やしておこうとスイッチを入れたのですが、なぜか全然冷えてくれません。調べると、どうやら室外機が動いてないようです。昨日まで普通に作動していたのに。昨日は作業場のあかりがつかなくなりました。新しい器具に変えたのに。どうやら、機械が壊れるモードに入って来たようです。こういう流れって連鎖するものです。まずいなと思いつつ、流れがよくなるのを待つしかありません。息子に言わせると何もかも古いからなあとか。願わくばこれ以上とり返しの付かないようなことが起きませんように。

2025年7月19日土曜日

夏の日差し

 戻ってきました。入道雲に暑い日差しが。吹く風が強く、雨が続いたので水道が止まって川に上がりました。大雨の降った後で、水道の管が押し流されて、下流まで探しに行きました。水口を押さえていた大きな石が水の流れでどこかへ行方不明。川でうろうろしてたら突然の大雨。まさに自然から弄ばれてしまいました。それでも夏は夏らしいのがうれしくもあり、びしょぬれになりながら、これぞ屋久島の夏と、妙な納得。これからが台風シーズン。さていかなる日が待っているのでしょう。

2025年7月18日金曜日

みたままつり

 子供のころの話です。東京の四谷というところで生まれました。家の前を都電が走っていました。12番に乗ると四谷見附の次の停留所が本塩町その次が市ヶ谷見附、次が確か九段下だったと思います。本塩町の停留所のすぐ前に生まれ育った家がありました。九段下には靖国神社がありました。子供のころ毎年、夏になると,みたままつりというものが開かれました。それは夜に行くときれいな提灯のようなものに政治家や作家、スポーツ選手が絵や文字を書いて並べられます。有名人が書いたものを見るのが楽しかった思い出があります。何のためにそんなことが行われるのか父も母も教えてくれませんでした。今なら、この国の為に命をささげた人の霊を敬うためだと分かるのですが、あの頃はその意味さえも考えが及びませんでした。靖国神社が何のために建てられたのかも。今朝偶然に、現在もあのお祭りが受け継がれていて、多くの人が訪れていることを知りました。学生時代リベラル思想に洗礼され、この国を命を懸けて守ってくれた人たちへの思いとはかけ離れていた身、最近歳をとって、人間としてどのように対処してゆくべきか、色々考えさせられることが多くなってきました。国を守るという事の意味。豊かな社会を維持するためにどのように行動するべきか。参議院選挙を前にして余計に先の事が心配になっています。

2025年7月17日木曜日

田渕純

 偶然、ユーチューブで純さんの歌を聞きました。確かお笑いの高座にも上がる人でマヒナスターズの最後のメンバーとか。昭和歌謡が大好きとのこと。まず声質が透明、そして言葉が明瞭、古い人間にはストレートに響いてきます。「寒い朝」。この曲は吉永小百合さんが歌っていた曲で大好き。ザ・タイガースのジュリーが歌っていた「花の首飾り」も別の魅力があります。それに「上海帰りのリル」。昔よくきいてたような。これで何とか、村下孝蔵さんから、卒業できそうです。

2025年7月16日水曜日

貧すれば

 今朝の食事の時息子が突然こんなことを言いました。今年のテーマは「貧すれば鈍す」「鈍すれば窮す」「窮すれば通ず」と。それを聞いてそれってどういう事と問い直しました。たとえば衣食足って礼節を忘れずみたいな?。それとも。たしかに貧しくなると、生活に追われてゆとりがなくなることは間違いありません。そうなると、生きることに前向きになる事は難しくなります。そして最後は天に向かって祈るしかなくなります。天に通じれば再び希望が湧いてきますが、そうならないときは絶望の淵で身を沈めてゆくしかなくなります。よくわかりませんが、前を向いて自分を信じて進んでゆくしかない、と思うのですが。

2025年7月15日火曜日

 昨日、午後から風が吹き荒れました。それで、家の、光回線のケーブルが切断してしまいました。おそらく、防風林の枝先が接触したのだと思います。しばらく、WiFifが使えません。夜、寝ながら動画を見る習慣になっているので困りました。そこで仕事場で寝ることにしました。昔、自宅と仕事場が一緒だったころに戻ったようです。寝れるかどうか心配でしたが気がついたらぐっすり。朝もいつも通りに起きることが出来ました。ただ、眠りにつくのが遅かったようで仕事中に眠い事。しばらく工事が終わるまで、仕事場で寝る日が続きそうです。どうか、毎日良く眠むれることを祈っております。

2025年7月14日月曜日

盛り沢山

 週が新しくなって、盛りだくさんな一日になりました。まず、土練機を回して、次は昨日、造ったプレートを仕上げて、陶芸体験の作品を削り、注文の苔玉を置く皿をろくろで挽きました。あれこれ落ち着かない一日。午後からは陽が差して、来ました。何日ぶりのお日様でしょうか。やはり、有難くなりますねえ。夏はこうでなくちゃ。関東方面は大荒れの様子。これから台風シーズンに入ってきそうです。

2025年7月13日日曜日

雨降り

 七月、梅雨明け後にこんなに雨が続くなんて。ちょっと変。あっちこっちおかしなことが起きているし。もう何日、朝の散歩、一人で歩いてるんだろうか。スズがいなくなってかみさんと二人で、しかし雨の日は一人散歩。ついつい、色々なことを考えてしまいます。来し方を。歳をとるとつい後ろ向きになるようです。そんな時は、どうで死ぬ身のひと踊りと、馬鹿になって頭を空っぽにして、過ごそうと思うのですが。

2025年7月12日土曜日

この国

 最近、工房で一日中、村下孝蔵さんの歌を流しています。最初のころは、「初恋」とか「踊り子」とか「ゆう子」が好きでした。ほろ苦い青春の歌。ところがきのうあたりから「この国に生まれてよかった」という歌が好きになりました。どちらかというと愛国的な。郷土愛とか人生を肯定するような歌です。たとえば高校生の頃は雑誌でいうと「世界」とか「朝日ジャーナル」とか。毛沢東語録もカバンに入れておりました。あの頃、心情三派と呼ばれた学生運動肯定的な思想。それが歳をとってきたら、だんだん保守的な物の考え方。国土を愛して、日本人のアイデンティティーを大切にしてゆきたいといったような。歳を喰ったからというよりも、そろそろ落ち着いて暮らしてゆく方へ。家族や友達、先祖を敬って、この国をつくってくれた先人達への感謝の心。人は刺激的な生き方から少しずつ、ゆったりとした心もちへと変化してゆくのかなあと思ったりしております。

2025年7月11日金曜日

石膏

 昨日、あるホテルの和食の料理人さんがお見えになり、器を造って欲しいとのこと。早速希望を聞いて、サンプルを作ってみました。形が、型を使わないとできない仕事なので原形を作って石膏を流し込むことにしました。ところが石膏が古くてすぐに固まってしまいました。何とか流し込むことは出来たのですが、きちっと表面を整えることが出来ません。石膏が古くなって湿気ることを泣くと言います。もっとひどくなると固まらなくなってしまいます。今年の梅雨はそれほど雨が多くなかったので何とか、固まらなくなることはありませんでしたが。とにかく攪拌している間に固まってしまう事には弱りました。あとでナイフでけずって仕上げるしかありません。理想的な型には程遠いのですが。何とか固まってくれたことに感謝して前に進むしかありません。果たして、狙い通りの器になるのやら。やってみるしかありません。

2025年7月10日木曜日

山水

 今日、陶芸体験のお客様が手を洗おうとして水が出ないと言いました。どうやら山水が止まっていたようです。雨が少なく川の水が減っているのかなと水源地まで行ったのですが、タンクからは水があふれていました。風が強かったのでどこかで水道が抜けてしまったのかと、工房の周りを歩いたのですが、水漏れが見つかりません。それでは庭かなあとあっちこっち歩いてもどうしても原因がわかりません。それよりも庭が雑草に覆われて歩くことも困難です。ずっとひざを痛めていて庭仕事から離れています。野菜も花も全く手がついておりません。いつも横目で気にしながら通り過ぎていたのですが、実際に足を踏み入れるとその荒れ方にショックを受けました。これではいけないと一念発起。これから少しずつでも雑草を抜いて、一歩一歩、何とか元の庭や畑に戻してゆかねばと思っています。足もまだ本当ではなく、体も思うようには動きませんが何とか少しずつ、進めてゆこうと思っています。

2025年7月9日水曜日

虫の音

 七月もまだ半ば前だというのに、秋の虫が鳴きだしました。今年はいつもより季節が早くめぐっているようです。今朝の空は、雲が厚く、山の方を振り返ると茜空。時折にわか雨が降って、まるでお盆過ぎみたいです。秋がどんどん早まってくる印象です。お客様もちょっとずつですが戻ってくるような。例の、災害もとりあえずは起きてないし、トカラも何となくこのまま過ぎてゆきそうな気配。いつもの夏が戻ってきそうです。体も少しずつ暑さに慣れてきました。平穏な暮らしを心から願っております。

2025年7月8日火曜日

金継

 今朝、見えたお客様。前にも来て、買ってくれたようで、口の欠けた器を持ってきました。欠けてしまったものを修理できないかという事です。出来れば金継で。昔金継の技法の本は読んだことがありましたが、簡単な修理ならできるますが、本格的な金継まではちょっと難しいとお答えしました。おそらく誰かに聞いて来てくれたのだと思います。以前、どこか別のところで買った器の修理を頼まれたことがありましたが、なかなか難しかったというのが正直なところでした。うちで造った器については出来るだけアフターケアはしたいと思っているのですが。お客様が満足してくれるような仕上がりになるか。はっきり言って直しの方がはるかに難しいところがあります。一応預かってはおきましたが、果たしてどうなることやら。割れた器を張り付けるぐらいなら何とかなるのですが。今回のは完全に欠損してしまっています。どうやって復活させようか、頭を悩ませております。

2025年7月7日月曜日

 遠い思い出です。昨日カマボコ兵舎の事を書きましたが、確か建っていた場所はイグナチヨ教会前の広場だったと思います。少し行くと上智大学。近くには国会図書館がありました。当時は国会図書館に使われていましたが現在の迎賓館です。ヨーロッパ風のクラシックな建物。入り口には、皇宮警察感官詰めていました。中に入ると裏には広いグランドがあって、昔は千代田区の学校の連合運動会が開かれていました。永田町、錬成、麹町、番町など。かなり昔の事なのであまり記憶が確かではありませんが。同じ敷地を神宮外苑に向かって歩くと、現在の上皇様が皇太子時代に住んでいたお屋敷がありました。そのあいだ当たり、に小さな門があって門番の警察官が詰めていました。その人たちと顔見知りになって、夏には特別、中に入れてもらって、スケッチをさせてもらった記憶があります。植物や昆虫などを夢中で描いたものでした。夏にはもう少し足を延ばして、神宮の絵画館の前でプールの開放がありました。そこには暑い夏、汗をかきながら足を運んで水浴びをした記憶があります。なんと更衣室は古い肖像画の前を通って、行ったのを覚えております。戦後の混乱期だったのでそんなことも許されたのでしょう。街には傷痍軍人や進駐軍の姿を見かける時代でした。

2025年7月6日日曜日

ゆうこ

 村下孝蔵の歌にゆうこという曲があります。娘と同じ名前。福岡の大学を出て、そのままあちらで結婚して現在も向こうで暮らしています。夏には孫たちを連れて里帰り予定。今は、直行便も出ており、ちょうどよい距離です。飛行機が好きでない人は、新幹線も通っています。朝いちばんに高速船に乗るとお昼には博多につきます。はじめて屋久島に来た時と比べると雲泥の差。便利な世の中になりました。あれから五十年余り。確か屋久島に来た年、沖縄が本土復帰しました。それまでは、クルマは右側通行だったと思います。それまではパスポートが必要だったそうです。私が生まれたころには東京にも進駐軍のかまぼこ兵舎が建っていました。まさしく、思えば遠くに来たもんだといった心境です。昭和は遠くなりました。

2025年7月5日土曜日

とりあえず

 とりあえず、今のところは大きな災害は起きておりません。なんとかこのまま無事に過ぎてくれることを祈っております、それにしてもいつ何が起きるのか先が読めません。ここから目と鼻の先のトカラでは大変なことが起きています。幸いここは体に感じる揺れは今のところありませんが。いずれにしても良い気持ちはしません。おそらく周りの人達も心のどこかに不安を抱いていることでしょう。すぐ近くには海中温泉が湧いています。温泉が湧くという事は深いところでマグマとつながっている証拠。いつ何が起こってもおかしくありません。願わくば大きな被害だけは被らないよう祈っております。

2025年7月4日金曜日

投票

 期日前投票に行ってきました。ちょっと早かったのですが。役場で受付が始まっています。結構、人が多くおりました。高齢者が多かったようですが。何とか、一票を無駄にすることにならなかったと思います。そのあと買物。今日はかみさんの誕生日。アメリカの独立記念日にあたります。時まさに、物騒なうわさが流れてたり、鹿児島では火山が噴火したり、群発地震が起きたりと、どうやら騒々しい今日この頃です。道行く人もまばらで観光で訪れている人もほとんど見かけません。どうやら今年の夏も静かに過ぎてゆきそうな気配。月末に予定している入院に備えて、買い物をしたり当面の食料品を手に入れたり。工房に戻ると窯が壊れたとの報告も。なかなか思うようには進んでくれそうもありません。こんな時は、頭を低くして風が吹きすぎるのをじっと待つことにしましょう。

2025年7月3日木曜日

初恋

 昨日から一日中、村下こうぞうさんの歌を聞いています。ネットの音楽で。勝手に選曲して流れてきます。踊り子とか少女、ゆう子など。ゆう子は偶然ですが、わが娘と同じ名前。中でも初恋という曲。ほろ苦い、人を恋しはじめる年ごろ。誰にでもある、打ち明けられない思いを歌った曲です。ユーチューブで切り絵の少女が描かれた画像が気になって、ちょっと調べてみたところ、同じ年の人。切り絵画家でもあり彫刻家でもあるひとの作品だと分かりました。もう一つ偶然がありました。大昔大学受験の時、受ける予定だった学校に通っていたようです。もしかしたら、どこかですれ違っていたかもしれません。なんか、不思議な感覚がよみがえってきました。

2025年7月2日水曜日

変な注文

 最近多いのです。おかしな注文が。まずは手洗いボウル。かなり大きな、二つまとめて。ゲストハウスに使いたいとか。素焼きで焼いたら二つ割れてしまいました。合わせて四つ造ったうち。あとがありませんギリギリです。次は屋久島の形を彫りこんだプレート。こちらは全部でニ十個。もう一つはスプーン置き。青い色の。こちらは二百個。今日百個に釉薬掛けをしたのですが。なかなか思うように進みません。珍しいものは、普通の手順ではなかなかできません。失敗するリスクが高くなります。そういう仕事に限って注文を頂きます。ですから、気を抜くことが出来ません。緊張が続きます。

2025年7月1日火曜日

ジュライ

 七月になりました。今日から折り返しです。本当に早い。月日の過ぎるのは。歳をとると余計です。一生懸命仕事をしているのですが。追っつきません。ここのところ早朝から仕事場に下りて、作業をしています。昼間は暑すぎるので。先日眼医者さんの看護師さんから今も仕事しているのですかと尋ねられました。そうか、もう隠居していてもおかしくない歳なのかと思いました。自営業者は死ぬまで体が動く間は働くものと考えていました。そんなことで、今月は白内障の手術をしてもらい、はっきりと眼が見えるようになったら、もうひと頑張りしたいものと思っております。