お釈迦様の生まれた日です。昔はお花まつりと言ってお祝いしたのですが、近ごろはクリスマスはお祝いしても花まつりはあまり聞くことがありません。我が家では次男坊の誕生日です。彼も気が付けば三十九歳。最初に言われたのは生きて数か月。それが何とか色々乗り越えて、ここまできました。彼の病気は昔は四十まで生きたら記録ですと言ってたのですが。気が付くとその記録まであと一年。すっかり髪の毛も白くなった次男を見ていると。我が身とどっちが長く生きれるのだろうかと思ったりしております。
2025年4月8日火曜日
2025年4月7日月曜日
年度替わり
また一つ、長く続けてきた仕事の区切りがつきました。ほっとしたような寂しいような。永遠に続く仕事なんてないのです。始まりがあれば終わりがある。わかっている事ですが。うまくゆかず苦しんだり納期ギリギリだったり。思い出すのは苦しい事ばかり。でも今となってはどれも良い思い出です。ありがとうございました。
2025年4月6日日曜日
三色弁当
昨日の三色弁当。思いの外おいしかったです。ただ、炒り卵はもっと味を濃くしても良かったみたい。お弁当に使うおかずはすこし濃い目が正解のようです。今日は一日、釉薬掛け。体験の人達のを中心に。形も色もいろいろなので、手間もかかり、煩雑さもひとしお。無事に焼けることを祈っております。
2025年4月5日土曜日
鶏そぼろ
朝からお勝手に立って鶏そぼろを作りました。歳をとると妙に昔食べたものが恋しくなります。あの頃は、小学校では給食。しかし中学校になると昼にはお弁当を持ってゆくことが多くなりました。お弁当が間に合わないときには、パン屋さんが持ってきてくれるパンを食べました。パンは、朝、注文用紙に希望するパンを書いておくと昼に届けてくれました。普段は、母親が作ってくれるお弁当。この歳になると妙にあのころ食べたお弁当が懐かしくなります。中でも好きだったのがひき肉と炒り卵、それと緑の野菜がのっかった三食弁当でした。甘辛いひき肉が大好きでした。カミさんに頼むのも申し訳ないので自分で作ってみました。ネットの動画を見るとレシピがいくらでも出てきます。その中の一つ。うろ覚えで作ってみました。味身をしたところバカに甘くて。本当にこれで良いのかと思ってしまいましたが。まあ夕食の時に食べてみれば答えがわかりそう。最初は昼のつもりでしたが昼は昨日の残り物。結局夜食べることになりました。先日はやはりネットで見ておいしそうだと思ったシーザーサラダを作ったのですが今一つ。ただ翌日に残り物を食べたところすごくおいしく感じました。どうやら期待が大きすぎたのでしょうか。これから、色々作ってみたいものがあります。カミさんは迷惑でしょうが。出来るだけお勝手を汚さないように、こそこそと欲求を満たしてゆきたいものです。
2025年4月3日木曜日
満身創痍
腰が痛いだけではなく、あっちこっち痛いところだらけ。先日水道に上がってひざを痛め、今日は両手の親指の付け根が腱鞘炎のようになり、手に力が入りません。背中がぞくぞくするし、まさにどこもかしこも悪いところだらけ。いったいどうしたのでしょうか。春なのに、涙がこぼれそう。それでも今日も頑張ってソーサーを挽きました。立って。余り立った状態で轆轤を挽く人を見たことがありません。そうそう、今朝、薪窯の窯づめをしている夢を見ました。まだまだ仕事に未練が尽きないようです。
2025年4月2日水曜日
春の知らせ
家の前でナニワノイバラが咲きだしました。白い清楚な花。思わず手を伸ばすと鋭い棘がダメだぞと言わんばかりに邪魔してきます。工房ではヒメヒオウギが咲きはじめました。可憐な花がこれからしばらく咲き続けてくれます。今朝庭の伸びすぎた枝をハサミで切ったり、枯れて茶色くなったところを整理しました。ここ二日、体験でたまったよごれたエプロンを離れにある洗濯機を回してきれいにして工房のベランダで干しました。風に吹かれてぽかぽかと気持ちよさそう。今日も体験が二組。春は心がほっこり、青いビワが枝先で揺れています。
2025年4月1日火曜日
ソーサー
今日から四月。気が付けば今年も四分の一が過ぎてしまいました。世界では大きな災害が起きたり、日本の各地で山火事になったり、何かと自然の猛威に振り回される日々が続いております。かくいう島の工房では相変わりませず、日々の仕事に追われております。今日はコーヒーカップを削りおえて次にソーサー造りに入っております。午後海外からのお客様。訊くとイスラエルからとのこと。奥で立った姿勢で電動轆轤に向かっていたところでした。図らずも腰を痛めて変な姿勢での仕事、あまり見られたくありませんでしたが。作業しているすぐ横で珍しそうに見つめていました。あまり見られたくなかったのですが致し方ありません。今できることを精一杯やるしかありませんから。ここ二日間、花冷えというのでしょうか。急に冷え込んできました。朝の散歩のときには鶯が啼いていたのですが。そろそろ庭仕事も始めたいところです。
2025年3月31日月曜日
面取り
去年作り始めた面取りカップ。思いがけず人気が出てしまい、最近はそればかり造っています。今やっているのもその仕事。毎回少しずつ雰囲気を変えているのですが、今回は電動ろくろで造ったので、いつもの蹴ろくろよりもシャープな感じになっています。そこで、それをより強調するために針金で一部をカットしてエッジを強調してみました。焼き上がりがどんな感じになるのか。終わってみないと分かりませんが。ちょっと楽しみです。
2025年3月30日日曜日
電動
午後から制作をしました。コーヒーカップです。電動轆轤です。先日、山で腰を痛めてしまい蹴ろくろは無理そうなのでモーターで回すろくろに向かいました。それも立ってです。座ると腰に来そうなので。最初は要領がつかめず苦戦しましたが、だんだん慣れて、終わってみたら六十個以上出来ました。蹴ろくろだと一日かかっても五十個が一杯なのですが。それも一つずつ重さを計ってです。やはり、モーターなので早いのでしょうか。あとは削って、把手を付けて、化粧を掛けて。どんな雰囲気になるのやら。息子に「デザイン変えたの?」と聞かれてしまいました。そんな気はなかったのですが。やはり、雰囲気が変わるものでしょうか。なんにせよ、多少腰が痛くても器づくりが出来ることがわかりました。まだまだ頑張れそうです。
2025年3月29日土曜日
大雨
一昨日の大雨。記録的に降ったようで、昨日、水源地に行ってみたら、パイプはあっちこっちで折れ曲がり、増水で木の枝やゴミで大変な状態になっていました。今朝、集落の放送でひどい被害で道や温泉が大変なことになってしまい、明日緊急で復旧に協力の要請が流れました。ミャンマーでは地震で大勢の犠牲者が出たとか、日本でも山火事が各地で起きて消火活動に追われているとニュースで流れています。自然災害だからとばかりは言えないようなことの連続。昔から備えあれば患いなしということわざがありますが、いつどんなことが起こっても慌てないよう、日ごろの準備が大切だと痛感しております。
2025年3月28日金曜日
腰
昨日、粘土を持ち上げたときまたやってしまいました。ギクッと。今日は痛い腰をかばいながら山に水道の修理に登りました。先日の大雨で大変なことになっていました。息子についてきてもらったのですが簡単に修理できないほどの荒れようでした。それから、陶芸体験までやって、今日は大変な一日になってしまいました。神様の悪戯でしょうか。楽にさせてはくれません。
2025年3月27日木曜日
春の嵐
朝方の天気。凄まじかったあ。雷もすごかったけれども雨脚の強さも尋常ではありませんでした。他の集落ではヒョウまで降って来たそうです。我が家の道路も雨に砂利を流されて道はデコボコ。テレビの全国放送でも流れたようです。あっちこっちで起きる山火事、春は異変が多いようです。嵐も含めて。穏やかな暮らしとは縁遠くなってしまいました。
2025年3月26日水曜日
料理
昨日、久々にお勝手に立ちました。料理は割と得意だったはずですが全然思ったようにゆきませんでした。味も落第でした。作ったのはシーザーサラダ。とあるユーチューブで見ておいしそうだなと思ったものでした。サラダだから簡単に出来るだろうと思ったのが大間違い。先ず道具の場所探しで迷ってしまいました。材料は昨日スーパーで仕入れましたが、無いものばかり。大体ゆで卵の作り方すらわかりません。次にクルトン。オーブンに入れてそろそろこんがり焼けていると思ったら、なぜか全くのなま。多分スイッチを入れ間違えたみたい。次にベーコンをこんがり焼こうとしましたがこちらも色がつきません。ゆで卵を剥こうとしても殻が上手く取れません。悪戦苦闘の末、何とか形にはなったのですが、一体それが美味しいのかまずいのかも判断がつきません。ただ量だけは多かったようでおなか一杯にはなりましたが。まず、どこかのお店で本当のシーザーサラダを食べてみてそれから始まるようです。目標がなければ目指すところもないわけですから。それから何度も繰り返し作ってみること。でもおそらく、家族が嫌がると思います。ですから余計な手出しはやめて、陶芸でだけ、力を発揮できるよう、努めた方がよさそうです。
2025年3月25日火曜日
世間
世間に出てきました。いつも山籠もりのような暮らしにとって、新鮮です。人の姿が半そでだったり、年度替わりで何となく華やいでいる感じがしたり、海外からのカップルが美味しそうにアイスをなめていたり、こっちも少しうれしくなります。車の中はいつにない暖かさで目がくっつきそう、居眠り運転にだけは気を付けてハンドルを握りました。病院の前のスーパーのレジが新しいのに切り替わっていたり、そんな細かい事に季節の移ろいを感じています。世の中のほんの片隅の離島暮らし。そんな日々の繰り返しですが新年度を迎えることが出来ることに感謝しないといけませんよね。
2025年3月24日月曜日
光陰
光陰矢の如し、とは言いますが、歳をとるとそれが本当に早く感じます。今日もお孫さんの卒業祝いを買いに来てくれた方。確か去年も別のお孫さんにと買ってくれたような。あれからもう一年経ったのかと思うと。本当の時間の経過が度どんどん早く感じてしまいます。昨日も同じようなことがあって、それを感じたばかり。切なくなります。
2025年3月23日日曜日
削り
昨日挽いたお皿を削りました。一日仕事になるかなあと思っていましたが、昼前に終わってしまいました。昨日はちょっと頑張りすぎて今朝から疲労感で元気が出ませんでした。午後は化粧掛けをしたり、三島の印を造ったりとゆっくり過ごそうと思ったのですが、天のいたずらでしょうか。移動の記念品のお客さんが次々おとずれてくれました。思いがけない忙しい午後。まだまだ休ませてもらえそうもありません。世間から忘れられていないことに感謝。せっせと体を動かしてゆこうと思っております。
2025年3月22日土曜日
轆轤目
島の、とあるホテルからお皿のサンプルの依頼が来ました。和食の方からという事で。ろくろ目を付けてほしいとのこと。やっと来ました。蹴ろくろならではの仕事の依頼が。サンプルですからいくつか作ればよいのでしょうが。つい調子に乗って一日中やってしまいました。調子に乗って。蹴ろくろでしか出来ないような。ゆったりとしてひとつひとつ顔が変わるような。体はグッタリですが。充実感は十分。明日は削りが待っています。どんな表情のお皿が出来るか。ちょっぴり楽しみです。
2025年3月21日金曜日
春霞
鉛色のどんよりとした空からパステル調の軽やかな青空に変わってきました。そうです。春です。我が家の野バラも若草色の葉をいっぱい茂らせています。焼き物屋の仕事として青い器を中心に色を使った釉薬で表現している工房の本領が発揮できる、そんな季節になりました。毎年、ちょっとずつですが改良を重ねている釉薬がいよいよ生命観の表現を待っているようです。毎日せっせと造っている器たち。出番を首を長くして待っている、そんな顔を見せてくれています。
2025年3月20日木曜日
お彼岸
今日は春分の日。昔はお彼岸と言ってました。確か子供のころは3月23日が春分の日だったような。色々法律が変わると旗日も変わるようです。なんにせよだんだん春になってゆくのでしょう。移動の季節。とくに公務員や企業にお勤めの方たちは大忙しのようです。島から送り出す側も、お別れの記念品とか見送りの準備で大変なようです。わが工房も今日はいろいろと忙しい1日でした。慌ただしさに追われて作業になかなか集中できません。まあ、そういう日もたまにはあっても良いとは思いますが。
2025年3月19日水曜日
暑さ寒さも
明日は春分の日です。春のお彼岸。ぼたもちでも食べてのんびりしたいところです。それにしても三寒四温と言ったらよいか。まだまだ寒い日がやってきます。そんなことを言っていてももうすぐに暑い暑いというときがやってくるのでしょう。
2025年3月18日火曜日
釉掛け
ここのところ、釉薬掛けが続いています。今回焼成予定の器はほとんどが注文品。それも青い器がほとんどです。普通の釉薬に比べて何倍も手間と時間がかかります。以前は途中で嫌になってしまったものですがその作業にもすっかり慣れてしまいました。今回は細かいものが多く、それも時間がかかる一因です。まあ、手間はかかりますが上手く焼き上がった時の喜びも大きいので、負けずに頑張りたいと思っています。
2025年3月17日月曜日
強風
風が今日も吹き荒れていました。だから船は欠航です。息子が出かけたので店に寄ったのですが棚には食料品はガラガラだったとのこと。ここのところずっと欠航が続いてますから、さもありなん。我が家の冷蔵庫もガラガラで無いものばかりとか。この島が如何に島外からの生産物に依存しているか、よくわかります。同じようにわが国。海外からの物資が途絶えてしまったら大変なことになりそうです。江戸時代、鎖国政策で人々が暮らしていたことが信じられません。この国の食糧自給率は現在三十数パーセントとか。もし交易が滞ったらどうなってしまうのか、心配になります。
2025年3月16日日曜日
春寒
急に寒さが戻ってきました。寒の戻りというのでしょうか。風も吹き荒れています。日曜日。今日は体験も入っていません。自分の仕事をやっています。と言っても注文いただいたスリップの茶碗に化粧を掛ける仕事です。何気なくやっていた仕事も注文となると気を使います。化粧土の濃度調整を何度もやり直してふるいを通して。どうにかイメージの流れ具合に調整しました。いつもですと、楽しく遊び気分でやっていることも失敗しないようにと思うと苦痛を感じてしまいます。それを乗り越えて一人前だとはわかっているのですが。プロですから。なかなかつらいものです。
2025年3月15日土曜日
春の雨
朝から雨。時折強く降って憂鬱な気分になります。おまけに作りかけの器の乾燥が進んでくれませんおまけに台を付けた大きな鉢も柔らかいまま。化粧を流すと崩れそうなので、刷毛で掛ける事に。刷毛だと三回は塗らないと色が出ないので手間にはなりますが。午後から雨も上がって明日からは回復しそう。春の天気は変わりやすいものです。秋も安定しませんが。
2025年3月14日金曜日
大鉢
昨日、再挑戦した鉢、てこずりながら何とか完成しました。前回は削り高台でしたが、今日は付け高台です。最近気になっている須恵器。技法的には別に造った器を、接着して合体させる方法です。接着で思い出しましたが、ネットオークションで久しぶりに落札したものが昨日届きました。縄文土器の土偶。ところが箱を開けると中で真っ二つに割れていました。残念ですがあとから接着剤で張り付けようと思っています。話がそれてしまいましたが屋久島での陶芸の原点が縄文土器。近くの畑から見つけたものです。五十年あまり、この島で陶芸をやってきて気が付けば縄文時代の土器迄さかのぼってしまいました。これからは土器からインスパイヤーされた器をやってみようと思っております。
2025年3月13日木曜日
リベンジ
壊れてしまった鉢。泣き寝入りもしゃくなので、再挑戦。どうせやるならより大きく足もしっかりしたものにしようと、デッサン迄して造りました。それと、昨日挽いた茶碗。何とか削りました。天気が悪く、まったく乾燥してくれませんでしたが、何とか経験の力を借りて。隣の息子からよく削れるねとあきれられてしまいましたが。
2025年3月12日水曜日
停滞
ここにきていろいろなことが進まなくなってきました。仕事では制作中の器が乾きすぎて濡れ雑巾で戻したら皆割れてしまいました。先日窯出ししたスプーン置きも失敗でしたし、どうも悪い方へと向かっています。体調の方はダイエットがリバウンド。体重を計ったところ今度は三キロ重くなっていました。今日はは立ち眩みはするし、どうも調子が良くありません。ここは少し落ち着いて、いつもの調子に戻さないと。自然体が大切という事でしょうか。
2025年3月11日火曜日
屋久島プレート
島に住む方から頼まれた屋久島の形を彫りこんだプレートを造りました。島の周りはわが工房の青い釉薬で屋久島の形のところには土を入れて苔を育てるようですそれと同時進行で苔を育てるための盆栽鉢も、頼まれて造りました。最近なぜか苔ブームのようです。以前大阪のデパートの物産展でも苔玉が飛ぶように売れていました。それに添えるプレートも使ったのですがなかなかの人気でした。あの頃外出もままならず、部屋の中に自然を取り込みたいとの欲求から苔玉やミニ盆栽がブームになったようでした。それが今になっても続いていて島のお土産屋さんでも苔玉が良く売れているようです。雨の多い屋久島、苔は日陰の場所にはどこでも生えています。それがお土産として人気になって、何がきっかけとなって流行りだすか、世の中わからないものです。
2025年3月10日月曜日
失敗
本焼きで大失敗をしてしまいました。釉薬を掛けた後、定着が良くないなとは思ったのですが、まさかのよれ。ほぼ全部の釉薬が一部寄ってしまいました。カトラリーレストだけ。きれいな青にするために釉薬を何度もぬり重ねるのですが、一番下の釉薬が薄すぎたようです。幸いですが今回の窯に半分ぐらいしか入らなかったので何とかやり直しがききますが。そこで残った器の釉薬をすべて水で洗い流して日に干しました。ところが午後から雨が降りだしてしまい慌てて取り込むことに。陶芸という仕事は沢山の作業を積み重ねて焼き上がります。そのどこかの作業が一つ上手くゆかなくても結果はダメ。最後の焼成作業が終わって窯から出して初めて結果が出ます。なんとも、まどろっこしい仕事がいつも最後に来ます。だから火の神様に手を合わせることになるのです。
2025年3月9日日曜日
休日
日曜日で休日です。しかし、工房はいつも通り。まず島のホテルが注文の器をとりに来てくれました。気に入ってくれたようで一安心。つぎに陶芸体験の器の削りと仕上げ。今日は把手を付ける作品が多くバランスよく仕上げるのに一工夫。午後は苔盆栽用に鉢の化粧掛け。それから雨ニモマケズの印鑑の下地仕上げ。気が付くとそこで時間終了。もう少しいろいろやりたかったのですがあっという間に一日が終わってしまいました。
2025年3月8日土曜日
釉薬
昨日掛けたカトラリーレスト。仕上げをしました。裏を綺麗にしたり、釉薬のはみ出たところを削ったり。ところが削っていると釉薬がボロボロと剝れます。数種類の釉薬を重ね掛けしたのですが、どうやら一番下の釉薬が薄すぎたようです。焼き上がった釉薬が濁るのが気になって最初の釉薬を薄めに掛けたのですがそれが良くなかったようです。かれこれ五十年近く取り寄せていた釉薬の材料屋さんが最近になって、販売してくれなくなり、別の業者さんに変えてからいくつかの問題が起こるようになりました。創業が百年以上のところが突然なくなってしまうとは思ってもなかったのです。かなり調子は戻ってきましたが、まだまだ完全とは言えません。陶芸の材料って希少物質が多いので使ってみないと分からないところもあります。ですから最近のニュース。レアメタルをどの国が掘るという話。決して遠い国の話だとは思えないのです。たとえばリチウムだとかチタンだとか。陶芸で使う事が多い物質です。
2025年3月7日金曜日
週末
もう週末の金曜日。今週はあまりにもいろいろありすぎて思い出すことが出来ません。それに、疲れが半端ない。思い返せばお酒をやめて一週間だそうです。朝の散歩のときにかみさんから言われました。突然の断酒。事の発端は新しく買った血圧計にあります。工房で計ると百十代。ところが家に帰って新しい血圧計で計ったら百五十代。まさかと思い工房に戻って何度か計ったらどんどん高くなって最後は百九十まで上がってしまいました。おそらくパニックになって平常心を失ってしまったのでしょうか。それにしてもこんなに不安定だとはと、ショック。突然酒が呑めなくなりました。こんなことではいつ血管が破れて半身不随になってもおかしくないと思ってしまったのです。まだやりたいことが残っているし、もう少し体を動かしたいという気持ちです。酒をやめたついでに夜の米食もやめることにしました。先日病院で太り過ぎと指摘されたので。気が付いたら一週間で五キロの減量。これはちょっと痩せすぎです。それに仕事も頑張り過ぎかもしれません。そんなわけで週末になるとがっくり。ちょっと頑張りすぎています。この年なんだから、もうちょっとゆったりとやればよいのですが。性分はなかなか変えることが出来ません。
2025年3月6日木曜日
釉薬掛け
スプーン置きの釉薬を掛けるための釉抜きをしました。窯に入れたとき棚板に張り付かないようにするために設置する面に釉薬がつかないようにするためです。数が多いので半日がかり。午前中は盆栽鉢に足を付ける仕事。こちらも数が多いので半日がかり。どっちも細かい仕事で肩が凝ります。ちまちました作業は嫌いではないのですが歳のせいか最近細かい作業がきつくなってきました。少しずつ衰えてくるようです。
2025年3月5日水曜日
削り
昨日ちょっと頑張ってろくろ仕事をしたので、今日は削り三昧。ところが天気があまり芳しくなく、作品が全然乾いてません。それでも何とか胡麻化しながら削ってみたのですが、あまり捗ってくれませんでした。特に植木鉢が難敵。水抜きの穴を空けるときにどうしても土が柔らかいと変形してきれいな穴があきません。注文があると何でも作る田舎の陶器屋さんとしては鉢専門ではないのでなかなかてこずりました。まあ、贅沢は言ってられませんが。足を付けるところまではたどり着けませんでした。残りの作業は明日に持ち越し。何とか期待に応えられるよう一生懸命やりたいと思っています。
2025年3月4日火曜日
春雷
朝からゴロゴロと雷様が忙しそうです。雨も降るし、電話もなるし、何かとせわしない季節になりました。そういえば人の出入りも多いみたい。工房も息子があっちうろうろ、、こっちうろうろ。ろくろに向かっていても何となく落ち着きません。冬ごもりから強制送還されたみたい。どうぞ、慌ただしさに流されませんように。
2025年3月3日月曜日
春曇り
そんな言葉があるかどうか、わかりませんが。朝からどんより。それに生暖かい空気。今にも降り出しそうな。午後になって案の定でした。昼前に、誰か展示場にと思ったら、島のホテルで植物担当している方が、来てくれました。なんでも苔を育てる鉢が欲しいとのこと。先日も別の方が苔を植えるための鉢を作ってくれないかと来たところ。なんかそういう風が吹き始めたのかなと思ったり。そんなことを感じて息子と話をしたら言い争いになったりして。だから、もう口にはしませんが。そういえば、植物を育てるための何かを探している人がたまに訪れることがあります。まあ、色々な人が見えますし。こちらとしてはお客様のご要望に応えるのが仕事。言われるままにやってゆこうと思っております。
2025年3月2日日曜日
春
急に暖かくなりました。もう嫌な蚊が飛んできました。これからまた蚊取り線香の季節が来ます。今日は日曜日。でもやりたいことが一杯。頑張ったのですが半分こなすのがやっと。まあ、満足感はありますが。先ほども書きましたが夕方蚊が飛んできて、ヤスデ迄現われて、そんな季節になったのかあというのが感慨。これからは汗をかきかきせっせと作業をこなしてゆきたいものです。
2025年3月1日土曜日
春
急に暖かくなりました。春到来。しかし、それに伴い、嫌な蚊の季節にもなります。屋久島は自然が豊か。それだけ虫も多く生存していますが。今年は少しずつですが畑仕事を再開しようと思っています。物価も高くなっていますし、何よりも自分たちが食べるものは自分で育てる。それって生きる基本ではないかと思うのです。食べるモノ、使うもの、そしていきる糧、何とか自立できるよう進めてゆきたいものです。
2025年2月28日金曜日
原点
一輪挿しを作り始めました。我が原点と言ってもよい器。道を見失ったり、迷ってしまったときにいったん後戻りするのが一輪挿しです。今回はというと別になんという事はなく。息子から少し作ってよというリクエストに応えて。本当は粉引の五寸皿を造る予定でしたが。リクエストに応えて。でも、実はちょっと問題も抱えていたのです。昨日から心配事が起きてしまいました。新しく買った血圧計を家で使ったところびっくりするような高い数値。ははあ、これを心配して病院の医師も次はいろいろ検査をすることにしたのだなとわかりました。こっちもちょっと絶望的な気分。昨日はアルコールもやめて早々と布団に潜り込んでしまいました。夜中に浮かんだ言葉。親鸞聖人が言った。「明日あると思う心の仇桜 夜半に嵐のたとえもあるぞ」でした。人の命だって同じこと。永遠の命などありません。今この瞬間を大切に生きねばと思うのです。今日わが陶芸の原点に戻れたという事は、きっと意味があるのだと思います。
2025年2月27日木曜日
豆皿
昨日は削り。今日またろくろで挽きました。青釉の豆皿を。縁を波打たせて。こういう作業をするとき蹴ろくろは便利だなあと思います。手と足が連動するって。注文いただいた数よりもたくさん挽きました。最近青ばかりでなく粉引の白も人気があります。下地を黒く染めると上の白が際立つ気がします。昔油絵を描いていた時下塗りが大切なことを学びました。今になってその頃の経験が役立つとは。まさに昔取った杵柄という事でしょうか。ちょっと違う気もしますが。
2025年2月26日水曜日
おでかけ
昨日は病院、今日は免許証の受け取りと棚卸で二日連続のお出かけ。昨日の病院はなぜか血圧が高くて、三か月後はあっちこっち検査をすることになりました。なんだか暗い気持ち。帰り道、元気をつけるために雨ニモマケズをずっと暗誦していました。大きな声を出して。まるでお経を唱えるように。今日は警察署の後にお土産屋さんとホテルの売店へ。気が付けば今年も二か月が過ぎようとしています。今日、くるまの中で思ったのですが雨ニモマケズの後に注文の多い料理店のオブジェに挑戦しようと。童話に中ではイギリスの山の中に突然現れた西洋料理店という設定でしたが、舞台を日本の山の中、山猫軒というあるじが険悪な表情のネコ。レストランんは木造の西洋建築でゆこうと考えています。以前何かの童話の本で見たような感じ。以前狼のオブジェを作ったことがありましたがその顔を山猫という設定にして。果たしてどんなものが出来るやら。そのあとは童話シリーズでいろいろなオブジェを造ろうかと。車での帰り道。ふと道沿いに西洋風の街灯が並んでいるのを発見しました。あの街灯も造れないものかと思案しております。
2025年2月25日火曜日
欲望
雨ニモマケズの中に「欲はなく決して怒らずいつも静かに笑っている」。というのがありますが。この歳になって欲張りでしょっちゅう怒り、人にかみついている我が身を振り返ると、なんとも絶望的な気持ちになります。でも、ひょっとして、そんな風に出来なくて賢治もあの文章に残したのでしょうか。人とは悲しいもの。あらゆる欲望を捨てて、仏様のように顔には出さず淡々と生きることが出来る人間なんて果たしているのでしょうか。振り返って誰かいたかなあと思い起こすと、一人頭に浮かんできました。彼は東京で警視総監をやっていた人の息子。確か、大昔小包が爆発して母親を失っていたと思います。今頃どこでどうしているものか、確か剣道が強かった気がします。
2025年2月24日月曜日
寒波
この冬一番の寒さ。作業する手が凍えます。ここを乗り越えれば春が来そうです。なんか、憂鬱な気分ですねえ。ここのところあまり良いニュースがありませんし。ただ、雨ニモマケズの方は少しずつ進んでいます。昨日は夜中にずっと朗読を聞いていました。それに春と修羅の詩も。「俺は一人の修羅なのだ」という言葉が頭をぐるぐる。そう、現世は修羅道、真っただ中。色々あるのも修業です。
2025年2月23日日曜日
雨ニモ
宮沢賢治が好きです。春と修羅もいいですがなんといっても雨ニモマケズでしょうか。メンタルスケッチ モディファイド 。心象風景と名付けられた日記のような文章。そんなノートに走り書きのように書かれた短文です。自分の身の回りに置いておきたくて三島で造れないかなと考えました。逆文字で彫った印を押して浮き上がった表現。うまくできるかわかりませんが、夕方、思いついた道具を作ってみました。果たして上手くゆくかどうか。自分の楽しみのためです。少しずつ進めることが出来たらと思っております。
2025年2月22日土曜日
野暮用
朝から小忙しい日でした。次から次とちょっとした用件が生まれてきました。そんな日もありますよねえ。何があったと特にいうようなこともないのですが仕事が手につかない。別に大した仕事があったわけでもありませんが。達成感のない一日でありました。
2025年2月21日金曜日
スワローズ
つば九郎が亡くなりました。まだ51歳とか。心よりご冥福をお祈りいたします。もうあのくるりんぱが見られなくなるとは、淋しい限りです。球団社長に続き。何とか今年こそ、頑張ってほしいと思います。思い起こせば球団の歴史と同じ歩みをして、神宮球場からすぐ近くで育った身としては、感慨深いものがあります。あそこが改装するという噂も耳にしますが、わがスワローズに輝かしい歴史が刻まれることを願わずにいられますん。
2025年2月19日水曜日
釉薬仕事
ひらがなとカタカナを彫り終えました。ところが印鑑の原形はまだまだ山のように残ってます。どんな模様にしようかと考えていたら、人が動き出した気配。のんびりハンコを掘ってる場合じゃないことに気が付きました。週末まで置いておき明日からは釉薬仕事に入ることにします。心のゆとりがあるとき あれこれ新しいことにチャレンジしようと思ったりしたのですが、息子とやりあってしまい、立つ鳥後を濁さずといいますから出来るだけおとなしく、はいはいと言うがままに過ごそうかと思っております。昔好きだったある作家さんの事が気になって調べたところ、ほぼこの齢にお亡くなりだったという事を知りました。もうそんな歳なのですねえ。変に気張って、余計なことを考えることはやめることにしたいと思っています。
2025年2月18日火曜日
外出
用事で出かけました。まずは役場から。後期高齢者になって医療保険の金額が上がって役場まで直接支払いに行きました。まだ現役で働いていて収入に応じて金額が変わるようです。特に屋久島は高いらしく、なかには住民票は移転せずに島で暮らす人もいるとか。国は何とか平等な制度を作ってくれないものかと思ったりも致します。今日は風が強く寒さが身に沁みます。粘土仕事をしているとどうしても服が汚れてしまい洗濯機は作業着を洗うために別に用意して使っておりました。その二層式の洗濯機が壊れたという事で新しいのを買いに行きました。ここにきてなかなか物入り。帰りには食料品も買わねばならず、お米のコーナーは品薄なうえにまた値上がりです。なんだか買い物をする意欲も薄れ、寒風吹きすさぶ中を意気消沈しての帰宅となりました。そんな中でも春の花は確実に季節の巡りを知らせてくれます。明日からも希望を持って進んでゆきたいと思っております。
2025年2月17日月曜日
続 かな印
今日も一日印鑑の原形づくりでした。数をあたってみたらなんと700個分。百か二百ぐらいと思っていたのですが、多すぎます。だってひらがなで50、カタカナまで作っても合わせて百ほどですから。あとどんな彫りを入れたら良いのやら。皆目見当がつきません。おまけに休憩も取らずひがな手を動かし続けていました。細かい仕事には慣れているのですが。何しろ毎年小さな七福神を5000個ぐらいは造っていたのですから。ただ、行き先が見えない仕事っていうのは不安になります。どんどん乾燥してゆきますし。今週中にめどが立つことを祈っております。
2025年2月16日日曜日
かな印
ひらがなの印を造り始めました。前に造った漢字の印が少し小さかったので一回り大きく。前回はたたらで造ったのですが今回はスラブローラーで伸ばしました。二センチぐらいにと造り始めましたが小さく切りそろえるのが大変でした。ナイフのようなもので切ろうとすると、粘土が柔らかいので変形してしまいます。一日かかって切り分けるところまで。初めは五十音ぐらいなら彫り終わるかなと思ったのですが、全然でした。これから一週間で造り終えることが出来るのか。なかなか道遠しという感じです。
2025年2月15日土曜日
鉢
午前中に三島印を施して、三時過ぎからろくろに向かいました。中型の鉢、縁を開いた形です 。ところが、いきなりへたって落ちてしまいました。造り始めていきなり出ばなをくじかれてしまいました。そのあと、ビビってしまい最後まで恐る恐る。こうなるとどこか器に勢いがなくなってしまいました。野球のピッチャーでいうところの置きに行くピッチング。かといってプロですから没にもできませんし。ここは、明日の削りと三島作業に掛けます。瓢箪から駒という言葉もありますし、終わってみたら、結果オーライという事だって。明日がある明日がある明日があーるーさ。
2025年2月14日金曜日
日和
穏やかな陽気。海も凪ぎて、空にはまん丸の月。荒れた天気が続いてましたが、こんな日が訪れて心も穏やかになります。仕事も粛々と。土練機を回したり化粧を掛けたり。午後にはお茶碗を造って。本当に、静かな一日。ほっとできる日です。平静な日が続きますように。
2025年2月13日木曜日
ドイツ
夕方のお客さん。自転車でドイツから。一昨日の夕方もドイツからのお客さん。今日の方は古い懐かしいフィルムカメラを手にしてました。もう二十年使っているとか。古い物を大切にする。彼らは徹底しているらしいです。器をいくつか買ってくれましたが、袋はいらないとのこと。カバンに直接入れるからと。無駄にしないという考え方は参考にしたいと思いました。
2025年2月12日水曜日
尺
昨日、お客さんから注文を頂きました。ろくろで高さ30センチまで挽かないといけません。昔だったら楽勝でしたが、この齢、おまけに腰の痛みがまだ残っている現在です。何とか蹴ろくろでチャレンジしました。出来るものですねえ。ほぼ目標を達成。ただ少しだけ高さが足りません。足りない分は後からつぎ足そうと思います。蹴ろくろだとそういう細工がやりやすいので。なんにしてもまだまだ工夫次第では何とかなることがわかりました。あとは焼き方次第。頑張って素敵な花瓶を目指します。
2025年2月11日火曜日
春が来た。
どこに来た。山に来た。里に来た。野にも来た。そんな感じの陽気になりました。蚊のような小さな虫も飛び始めました。今度は嫌な蚊のシーズンがやってきます。わが家のスズも何とか生きております。オムツを付けて、家をぐるぐる歩いております。認知症らしいです。目もほとんど見えないようです。飼い主であるこっちも先日、運転免許の認知検査をしました。何とか合格しましたが、自分ではなんで合格したのか首をひねっているところです。我がヤクルトスワローズのオーナーもお亡くなりになったとか。おそらく同級生でしょう。もう一度優勝を目指していたようです。今シーズンこそはしっかり応援したいと思っております。我が妻、実はすっかりファンになってほぼ全試合を応援してくれています。夫婦で応援です。つば九郎にも早く元気になってあのクルリンパを披露してもらいたいものです。
2025年2月9日日曜日
鉢
三島の鉢に挑戦中です。昨日のぐい呑みと片口は何とか終了。次の仕事に取り掛かっています。今回はろくろではなく型を使って。新しく作った型です。たたらで柄を入れた後に型にかぶせて、高台を付ける予定です。型物は成形する前に印を施すことが出来ます。だから丸い器でも方向性を持たせることが出来ます。丸以外でもいろいろな形にできます。これが終わったら、寿司台のようなフラットな物にも挑戦しようと思います。色々試してみたいと思っています。
2025年2月8日土曜日
さぶ
今年一番の寒さ。特に火の気のないこの部屋は深々と冷え込みます。午前中はろくろに向かって昨日挽いた器を削っていましたから、体を動かしてましたが午後からは三島印を押してたので動かしたのは手先だけ。ストーブは焚いてましたが隙間だらけ。指先までかじかんでしまいました。でも大好きな仕事。休憩も取らずにせっせと模様で埋め尽くしていました。新作の印も押し方次第。だんだん慣れてきて、器を見たとたんにどんな柄にするか。頭は介さず、目から直接手に動きが伝わるようになってきました。まあ、実際のところはまだまだ。また次に彫りたい印が浮かんできました。この仕事も何年か続ければましになるとは思いますが。果たして体がどうなることやら。とりあえず寒さに負けないように気を付けましょう。
2025年2月7日金曜日
復帰
何とかですが復帰を果たしました。先日ろくろには向かいましたが、あの時は削りだけ。今日は制作をすることが出来ました。おまけに朝から土練機も回すことが出来ました。まだ腰に違和感はありますが、これで全面復帰と呼んでも良いでしょう。一時は電動でやってゆこうかと思ったりしたのですが。なんとかかんとか。戻ってきました。よかったあ。これからは決して無理をすることなく少しでも長くやってゆきたいと思っています。
2025年2月6日木曜日
三島皿
ようやくですが新しい印でお皿を造ってみました。文字印は大皿に押すのに五時間かかってしまいました。目はかすむし、腰は痛くなるし大変な作業となってしまいました。しかし他の小さめのお皿は割と順調に出来ました。特にローラー形のは使い勝手が良いのが出来ました。まず、スラブローラーで薄い板を造って、肩に押し付ける前に三島印を施します。あとは型にかぶせるだけ。印の模様がつぶれないように薄いスポンジの板を型との間に使うのがポイント。明日少し乾いてきたら化粧を掛けようと思っております。
2025年2月5日水曜日
ライフワーク
今日、何とか文字印を造り終えました。最初は五百個ぐらいイメージしていたのですが結果はおそらく半分ぐらい。まあ、慌てないで随時作り足してゆきましょう。以前作ったのもありますから。もう思い起こせば五十年近く取り組んでいる仕事です。その間には木で作ったり竹を使ったり素焼きに本焼きにといろいろやってきました。おそらく死ぬまで続くことでしょう。いわゆるライフワーク。昔一緒にやっていた吉田明もだいぶ前に他界してしまいました。今は、彼が残した三島関係の本が手元にありますが。彼は朝鮮半島の焼き物に惹かれて足繫くあちらに通っておりました。マッカリまで自作していたようです。こっちはそれほど夢中にはなりませんでしたが、どちらかというとイスラムの文字が面白くて昔はそんなデザインの焼き物を造っていました。モスクの青に魅せられ、タイルのようなものを焼いてみたりと紆余曲折の人生です。どうもこの道一筋という生き方ではなく行き当たりばったりが似合っているのかもしれません。それでも気が付けば印判手に戻ってくるのはやはり原点と言っても良いのかなと思ったりもしています。
2025年2月4日火曜日
三島印
今日も昨日の続きです。寒くて筋肉が硬直したようで、腰の痛みが復活しました。おまけに同じ姿勢で一日作業。まあ、何とか体がもってくれたことは良かったのですが。それに今日で大体終わらせることが出来ました。なんだか、はんこ屋さんになったみたいです。最後に絵の具で色を塗ってカミさんにもらった箱に納めました。自分で作った棚は出来が悪すぎて没。これで新作の印を使った器が造れそうです。先日三島の器を注文した人のお姉ちゃんが来て催促されてしまいました。一歩ずつですが前には進んでおります。
2025年2月3日月曜日
印
三島の印が思ったほど、はっきり出ないので、素焼きを終えたところで彫りなおすことにしました。この作業、いつもよりも高い温度で焼いたので、なかなか作業が進みません。いつもは素焼き温度が750度ぐらいですが今回は900度ほど。わずか百五十度ぐらいの違いですが、こんなに硬くなるとは。吸水性もかなり減りそうです。篆刻刀を使ってもなかなか捗りません。あと、二三日はかかりそうです。三島の仕事は段取りが大切。頑張って準備をしておかないと、後悔しそうです。
2025年2月2日日曜日
節分
なぜか、今年は今日が節分だそうです。これからは春に向かってゆくのでしょう。今日は春めいた陽気。三寒四温という言葉が浮かんできます。今日は焼き上がった三島の印を使って、器を作りたいと思っていましたが、工房を整理していたら、腰を痛める前に挽いたカップが出てきました。まだ削りが終わっていません。それで午前中は削り。午後は化粧掛け。夕方三島印を整理するための棚を造ったのですが、ひどい出来で落ちこんでしまいました。もう自分で造るのは諦めて、ちょうど良さそうなものを捜そうかと思っています。いずれにしても暖かくなってくれることは有難い事です。
2025年2月1日土曜日
化粧土
黒化粧土がなくなったので作りました。腰がだいぶ良くなって重い攪拌バケツも何とか動かすことが出来ました。ミキサーで土と水を混ぜ合わせてそこに酸化金属を加えます。大きなバケツ一杯の化粧が完成。コーヒーカップと急須に掛けることが出来ました。午後になって海外からのお客様。聞けばオーストラリアからとか。あちらは現在夏で暑いそうです。屋久島は来週になると今年一番の寒波とか。地球は大きいと実感しました。
2025年1月31日金曜日
一か月
2025年。やがて一か月が終わろうとしています。早い事。元旦からいろいろありました。腰を痛めて、何とか立ち直り、運転免許の認知試験を受けて、今日晴れて更新手続きまでたどりつきました。ところがガガーン。この歳になると優良ドライバーでも三年で更新とか。八十まで無事に過ごすことが出来たら免許証を返納するつもりでしたが新たな問題が生じてしまいました。七十七歳でどうするか問題。まだ三年ありますからゆっくりと判断しましょう。大体それまで無事生きてられるのか。もう一つ。こちらは、本日蹴ろくろ復帰できたこと。ここ数日電動轆轤を立って挽くという荒業をやっていたのですが、今度は背中が痛くなってしまいました。普段あまり使わない筋肉を無理してしまったようです。これからは少しずつですが、蹴ろくろで制作を再開したいと思っております。
2025年1月30日木曜日
認知試験
警察署で運転免許に関する後期高齢者の認知試験を受けてきました。あらかじめユーチューブである程度勉強しておいたのですが、いざ、タブレットを渡されると頭が真っ白になってしまいました。結果はどうにかこうにか合格できたのですが、一時はダメかなと覚悟を決めた場面もありました。落ちたら、病院へ行って、医師の診断書をもらわないと、免許取り消しとなります。だいぶ覚えたと思ったのですが甘かった。環境が変わるとすっかり頭が空っぽになるという事を学習しました。あとは視力検査が待っております。こちらも結構ギリギリ。何とかクリアーしてしばらく運転を続けられると有り難いのですが。
2025年1月29日水曜日
雪
工房から見た山が雪をかぶっております。山へ入る道は通行止めです。風邪がビュービューと吹いて寒い事。夕方立ち寄ってくれたお客様。札幌から来たのでそれほど寒さは感じないとか。朝早く山に入ったので道は通行できたとのこと。運が良い人と悪い人とはどこで違ってしまうのだろうと疑問が湧いてきます。
2025年1月28日火曜日
モノ
モノには魂が宿るというのは昔からの日本人の考えでしょう。だから一個の器だって決しておろそかにせず大切に使い続けるのだと思います。今日、突然ある人が、昔確か修理を頼んだ器があったと思うと言って工房にきてくれました。こっちはすっかりそんなこと忘れていて、そんなのあったかなあと言ったところ、息子が探し出してくれました。しかも修理済み。おそらく直した後にどこかへ置いているうちにすっかり忘れてしまったのだと思います。その方、たいそう喜んでくれました。こっちもおろそかに放ってなかったことに一安心。たとえ欠けてしまったり、誤って割ってしまっても器には愛着が残っており、おそらく昔の事を思い出すもののなのでしょう。一個の器。モノづくりとして決しておろそかにするべからずです。
2025年1月27日月曜日
棚卸し
今年最初の棚卸に行きました。空港近くのお土産屋さんに。もう一軒のホテルは休業中です。今は正月明けの閑散期。朝から雨模様。空港の駐車場も満杯にはなっていませんでした。おそらくこれからだんだんと人の動きも活発になってくるのでしょう。月に一度の恒例行事。体調を整えて頑張りたいと思っております。
2025年1月26日日曜日
素焼
これまで750度ぐらいで素焼きをしてきたのですが今回初めて900度近い温度で焼くことにしました。三島の印を素焼きで使うためには少しでも丈夫に焼き固めたいと思ったからです。ただあまり高温で焼きしめると吸収性がなくなって粘土がくっつきやすくなってしまいます。器も釉薬を吸わなくなってしっかりと定着してくれないという懸念があります。何事もやってみないと分からない事ばかりですが新しいことに挑戦するのは難しい事だと思います。
2025年1月25日土曜日
春の訪れ
急に暖かくなりました。まだ、ハゼノキは紅い葉をを付けているのに。今年はセンダンも葉を落としていません。それなのにクワゴマダラヒトリの毛虫が歩き始めています。色々な意味で様子が変わっています。気候変動というものでしょうか。昨日修理した抽斗の底板がはがれかかっているのを発見しました。今日戻ったら修理しなおさないといけないようです。
2025年1月24日金曜日
抽斗
家の収納棚が壊れてしまい、修理を頼まれていました。リハビリを兼ねて木工作業。接着剤で張り付けるだけでしたがこれがなかなか。クランプや端金で締め付けないとしっかりと接着できません。合わせて十五個動員して何とか組上げました。あとは一晩置けばしっかりとした抽斗が出来るでしょう。やってみて思ったこと。修理するって簡単ではないという事。ましてや古くなった家具。釘は錆びているし板は割れているし反ってしまってなかなか元には戻りません。昔のものだからなおさらです。指物師の技、すごいなあと思いました。
2025年1月23日木曜日
雨模様
早朝、屋根を打つ音で目が覚めました。カミさんが、「午後からと言ってたのにもう降り始めた」とのこと。今日一日降ったりやんだり。どんより広がる雲。幾分暖かく感じますが。次男が突然熱を出して診療所を訪ねた日から一週間が経ちました。幸い熱はすぐに下がってインフルエンザではなかったようですが。その代わりと言っては何ですが、こっちが腰を痛めて寝込んでしまいました。一週間ほど経ちました。少しずつ動けるようになって今日も一日工房で過ごすことが出来ました。この調子なら、そのうち元に戻ることが出来そうです。一時はこのまま良くならないのではという不安に襲われていたのですが。悪運が強いようです。これからも体が動く限り、土と向かってゆきたいと思っています。
2025年1月22日水曜日
釉薬仕事
今日は釉薬仕事です。朝からいつも痛む腰の反対側が痛くなって、心配したのですが何とか一日作業をすることが出来ました。腰が持ってくれたことに感謝です。釉薬仕事がこれほど大変だとは。体全体を使って様々な動きをすることに気が付きました。普通に動くことが如何に難しい事かをあらためて知った気がします。
2025年1月21日火曜日
二度目
朝の日記から夕方の日記に続いております。何とか体を起こして一日過ごすことが出来ました。それもロクロまで挽いて。さすがに、蹴ろくろは無理でしたが電動轆轤で急須に挑戦。実は腰への負担を考えて小さな仏さまを作りたかったのですが、どうしても型が見つかりません。そこで急遽急須づくりへ。なかなか思ったように出来ませんのでかなり途中で壊すことに。それでも何とか夕方まで格闘できました。ただ、座っての作業は難しいので立って轆轤を挽くという、おかしな体勢です。昨日決して無理をしないようにというメールが来ていたのでそれに従って。これから少しずつリハビリしながら体を戻してゆきたいと思っております。
社会復帰
今日から復帰することにしました。朝からシャワーを浴びて髭を剃って、まずは身だしなみから。まだ、変な動きをするとピキーンという痛みが走りますが。寝込んでしまうとどんどん退化しそうなので。今朝がたアメリカ大統領の就任式をライブで見ました。トランプさん。三歳ほど年上なのにお元気なこと。演説は一切原稿を見ることなく、おごそかな雰囲気で始まりだんだん熱を帯びてくると、激しい口調で聴衆を引き付けます。まさにカリスマ性という言葉がぴったりくるようでした。日本の式典との違いがはっきりとしていてまさしく若い国という印象でした。MAGA という言葉をだれもが口にして一体感を強調していたのが印象的でした。翻って我が国はこれからどこに向かって進んでゆくのだろう、そんな問いが脳裏を走ります。この難関をだれにゆだねたらよいのか、おそらく天の指し示す方向へおのずと進んでゆくことでしょう。願わくば日本にとって明るい未来が待っていることを祈らずにはおられません。
2025年1月20日月曜日
副大統領
昨日、JDヴァンスの「ヒルビリー エレジー」を読み終わりました。今日アメリカ副大統領に就任する人の自伝です。まずタイトルの「ヒルビリー」の意味ですがアイルランドの国境地帯スコットランド山岳部に住んでいた人たちが移住したアメリカ東南部で暮らす白人労働者階級の人達をさすようです。現在は一般的にはレッドネックなどと呼ばれる、衰退してしまった工業を支えてきた白人貧困層を呼ぶ、蔑称に近いような意味が強いようです。そんな中で、薬物中毒と戦う母親に育てられた彼が堕落の道から必死に海兵隊で心身をたたきなおし、大学院を卒業して現在の地位へと昇ってゆく過程が描かれています。いわゆるアメリカンドリームへの道と言っても良いのでしょうか。おそらくドナルドトランプという人間も数奇な運命の中を生きて現在の地位に上り詰めたものと思われます。そんな人たちが新たに合衆国という巨大戦艦を動かしてどんな世界に変わってゆくのか。まさに今日、新たなスタートを切ろうとしています。混とんとしたこの世界がどう変化してゆくのか。その現場に立ち会えること、まのあたりにすることに運命を感じているのは私だけではない事と思います。
腰の方は少しずつではありますが、落ち着いてきました。ご心配をおかけした方々にはあらためて感謝申し上げます。
2025年1月19日日曜日
後期高齢者
とうとう今日なってしまいました。75歳に。おまけに、腰を痛めて横になったらそのままで数日。なんという年でしょう。2025年という年は。今は何とか起き上がって、ここまでたどり着いたのですが。明日以降が不安でなりません。何とか、回復して、また制作が出来るようになりたいと願っております。
2025年1月15日水曜日
自分
三日目になってようやく自分の仕事らしくなってきました。和の仕事。ろくろ目。ゆっくり蹴ろくろを回し自然なろくろ目がでてきました。ちょっと和の仕事。うまく表現できませんが、調子が出てきたような。毎日ろくろに向かっていても、その日によって全然違ってきます。こんなことでは一人前とは言えないのでしょうが。毎日が修業です。
2025年1月14日火曜日
兆し
少しずつですが回復の兆しが見えてきました。腰が突然痛みだしたり、元旦から、奈落の底へ突き落されたような落ち込んだ気分でしたが三歩前進二歩後退といった具合にちょっとずつ光が見えてきました。最近毎日流れてくる六角精児さんの歌。なん万年も降り続く雨はないだろう なん百年も生きている人もいないだろう。そんな気分です。一生懸命生きていれば必ずおてんとうさんが顔を出し心をほぐしてくれる日もやってくるものです。頑張って生きてゆきましょう。
2025年1月13日月曜日
カップ
ろくろに向かいました。ようやく通常の制作モード。久しぶりなので、上手くゆかず失敗の連続。忘れるものですねえ。五十年以上もやっているのに。ちょっと十日ほどろくろから離れただけですが。毎日やらないと。とくに歳をとってからは。近く、認知テストを受けなければなりません。七十五歳の誕生日まであと数日。記憶力ばかりでなく判断力も低下するようです。今回は免許停止になるのかも。その時は返納するしかないのでしょう。
2025年1月12日日曜日
予感
今年は、なかなかすんなりゆかない予感がします。元旦に始まり、今日のお客様も皆さん一癖ありそうな方ばかり。今日は連休の中日でお客さんが来てくれましたが。まあそんなときもあるものです。今年は頭を低くして、吹き飛ばされないように備えてゆこうと思っております。
2025年1月11日土曜日
釉掛け
一日中、釉薬と戯れていました。愉しくって時間があっという間に過ぎてゆきます。新しい釉薬を作ったり、掛け方を工夫したり。昔一度やったような気がしますが、そこは老人力。初めての仕事の気持ちで、新鮮な気分。やっているうちに気がついたり。そんなこと気にはしません。
2025年1月10日金曜日
いつもの暮らし
三島の印づくりも終わり、戻ってきました。いつもの制作ペースに。工房の在庫が減ったところから順番に焼いてゆくことになりました。まずは釉薬掛けから始めます。ホテルの売店からも電話が入ったりどこも元のペースに戻ったようです。島のフェリーも三月末頃には復旧の見込みとのこと。だんだん日常生活が戻ってきそうな気配です。腰の痛みもだいぶ引いてきました。今年は元旦から大きな出来事がありましたが、あれくらい、能登の方々に比べたら屁でもありません。何とか一刻も早い復旧を願わずにいられません。
2025年1月9日木曜日
準備完了
年始から今日までせっせと彫ったハンコ。今日で終了です。ついでにたたらで造る丸皿の準備も終わりました。果たしてこれでうまくゆくのか。わかりませんが信じた道をひたすら進んできたつもりです。目指すは新しい印版手です。思いついたのですが最後に掛ける釉薬。普通は透明釉で終わるのですが色釉で出来ないものか。新しい表現にはこれまでだれもやらなかった手法を取り入れたいと思っています。
2025年1月8日水曜日
三島ライフ
取りつかれたようです。ネットの動画も三島ばかり。はんこづくりは午前中に何とか終えましたが、午後は三島のお皿をたたらで造りたいと、型を造り始めました。素焼きの型。これまでは石膏がほとんどでしたが初めて素焼きです。昔はほとんどの型は素焼きだったようです。なんだかだんだん原始的になってゆくようです。
2025年1月7日火曜日
はんこ屋さん
一週間目です。印を彫り始めて。そろそろ本職に戻りたいのですが、あと少し残ってしまいました。朝から土練機を回して、再成土が沢山出来ました。印が乾いたら素焼して三島の器づくりをはじめようと思っています。その前に腰を何とかしなくちゃ。このまま腰痛が続くと蹴ろくろどころの話じゃなくなりますから。
2025年1月6日月曜日
ろくろはじめ
新年のろくろはじめです。と言っても、器ではなく、今日も三島の印の原形。ローラーで連続模様を付けようと挽き始めました。もう一種類は小さな丸い印鑑の原形。こちらは花三島用です。最後は細長い印。硬く練りすぎて模様を付けようとするとひび割れる始末。かといって柔らかすぎてはべたついて模様が崩れてしまいます。陶印も奥が深いです。
2025年1月5日日曜日
陶印
今日もせっせと印鑑彫り。と言っても仕上げ作業ですが。まだまだ終わりそうもありません。昨日は夢にまで出てきました。せっせと彫っている夢。そろそろ終わって、次に進みたいと思っています。ユーチューブで、韓国の方がせっせと器を造っているのを見ました。日本人と比べて細かい作業が得意そうです。日本人はすぐにアレンジしてアートっぽくしてしまいそうですが、あちらの方は律儀というか緻密というか、どこか違いように思います。同じような顔をしていても血の中に別のものが流れているのでしょうか。
2025年1月4日土曜日
はんこ
今日も朝からハンコ彫り。それから、乾いたハンコの修正。これがなかなか。修正の方が難しいのです。粘土に押しながら彫りを確認しては整える作業。土を細かくしたのですが乾いてくるとボロボロとなって、せっかく彫った後が掛けたり崩れたり。土をもっと細かいのにすればよかったと反省しております。
2025年1月3日金曜日
悪霊
昨日の夕方、突然腰が痛くて、歩くのがやっとという状態になってしまいました。年末に筋肉がひきつったような痛みが走ったことがあったのですが、それほど悪化せずに、これなら何とか良くなりそうかなと思った矢先でした。元旦以来、何かにとりつかれた感じがします。誰かが悪霊を連れてきたような。しかし、負けません。どんな悪い何かが憑いても決して。そして今日も一日中三島の印を作っていました。今回のは漢字を彫っています。小さな印面に漢字を彫りこむのは至難の業ですが、昔、篆刻に凝っていたことを思い出しつつ、一心不乱に手を動かしました。心の中で悪霊退散と呟きつつ。
2025年1月2日木曜日
孫
今日帰ってゆきました。娘たち家族が。年末からの三日間。次は夏の予定だそうです。どうやら年二回と決めたようです。だんだん年取ってゆく両親に孫の成長を見せてくれます。有難い事です。帰った後はしばらく淋しくなりますが。またいつもの暮らしに戻ることでしょう。今日も、陶芸体験の問い合わせが入りましたが断ってしまいました。昨日の反省で明日までは休むことにしました。年の初めからあまり頑張ることはないと思います。いつものように淡々と日々を送ってゆきたいところです。
2025年1月1日水曜日
木工
元旦から木工作業をしました。娘が地杉の輪切りを買ってきて磨いてあげました。簡単に電気鉋できれいになると思ったのですがなかなか手ごわく、オービタルサンダーとベルトサンダーを使ってもきれいになりません。致し方なく預かって時間をかけてゆっくり仕上げることにしました。午後から陶芸体験。やるべきでなかった、元旦早々に。終わってから、お客さんとやりあってしまいました。長くこの仕事をやってきましたがはじめてでした。大人げないと思いつつ頭にきてしまいました。自戒。心を穏やかに。去年の元旦は能登地震。今も大勢の方々が仮設暮らしです。一寸先は闇とはよく言ったものです。