急須をやり直すことにしました。注ぎ口を型で造ろうと試みたのですが気に入った形にならず、水の出も悪そうなのですべて壊してろくろで挽きなおしました。茶こしも細かい土に変えました。どうしても穴が割れてしまうので。これで遠回りすることになりますが。しかし案外やってみると順調で気が付けば今日中にすべて完了しました。あれこれ迷った結果いつもの方法で何とか納得する出来になりました。今回はえらく迷った挙句、うろうろして何とか帰ってきました。まるで童話、青い鳥のようです。
2025年10月28日火曜日
2025年10月27日月曜日
秋止符
今朝、谷村さんの秋止符を聞いてました。「あの夏の日がなかったら楽しい日々が続いたのに、今年の秋はいつもの秋よりも長くなりそうな気がして・・・。」急に秋めいてくるとこんな歌が身に沁みます。今日は棚卸しに出掛けました。途中で交通事故に遭遇しました。道の脇に人が倒れていました。そんなのを目撃してしまうと、ショックでした。そしてとあるショッピングセンターで古い友人に出会いました。これまた、ご近所に住んでおられた方の噂。そちらはご夫婦ともに他界されているとの頃。同世代ゆえに言葉がありません。そういう歳だという事を実感しました。夫婦ともに元気でいることに感謝。まして現役で体が動いていることにも。ホームセンターでは建築に使う金具を買いました。車を買い替えるのに備えて、車庫を作るための。おそらく最後の車でしょう。大切に乗りたいものと思っています。
2025年10月26日日曜日
魔物
ロケット打ち上げには魔物が住んでいるというのはH3で失敗が続いていた時の話。今朝何事もなかったように無事に上がりました。急須づくり。昨日ひっくり返して壊してから、今日も続きをしたのですが、普通に出来ていたことが全くできなくなってしまいました。大苦戦。陶芸には魔物が住んでいるようです。いったん上手くゆかないとそのあとどんどん、ドツボにはまってゆきます。悪循環というか、逆風が吹くというか、やることなすこと上手くゆきません。どうしたら、元のペースに戻すことが出来るのでしょうか。
2025年10月25日土曜日
詰め
ほんとう嫌になります。詰めが甘くて。急須づくり。最後の最後に全てひっくり返してここ数日の仕事がパー。詰めが甘いと同時に諦めが悪い。だから、また作り出しました。ネバーギブアップ。性分でしょうか、またしこしこ作っています。失敗しても決してあきらめない。これもどうしようもないしつこい性格です。
2025年10月24日金曜日
秋の空
変わりやすいとは言いますが、どんな天気になるか、なってみないと全くわかりません。今朝も散歩に出たときは、青空でしたが、急に降りだして、海も大時化。結局船も欠航です。もう訳が分かりません。ちょっと場所が変わると陽が差したり大雨だったり。まさに、何とか心と秋の空です。こっちは、急須の口を型取りして、ボディーをろくろで挽いて、釉薬を作ったり、雑用のオンパレード。今日のお客様は雨でゆくところがないという人ばかり。時間つぶしのお相手でした。
2025年10月23日木曜日
もの思う
急に秋になりました。さしも続いた雨も、突然に上がり、午後から急に陽が差してきました。気温も下がって秋っぽくなりました。「秋深し隣は何をする人ぞ」芭蕉の晩年の句。「旅に病んで夢は荒れ野を駆け巡り」。なんだか物悲しくなります。今日はティーポットの注ぎ口の型を作りました。先日鹿児島で見た藤田嗣二の絵からヒントをもらいました。ステンレス製の茶こしはやめます。なんとなく馴染めません。そこで、気に入った雰囲気でゆこうと思います。モノ造りの最後は、わがままを言わせてもらうと、好き嫌いになると思います。好きこそ大切だと思います。
2025年10月22日水曜日
秋雨
雨です。警報が出ています。海も大しけ。したがって船も欠航。今日も朝早くから作業。散歩もお休み。ちょっと頑張りすぎて腰がまた痛くなりました。無理は禁物、とはわかりながら性分でしょうかねえ。ついついやり過ぎてしまいます。こればっかりは死ぬまで変わらないようです。そんな悪天候の中。今日もお客様が来てくれました。買ってくれてうれしいのですが支払の対応が難しい。カードだったり。QRコードだったりと。動画で、中国の屋台店もどこでも支払は電子決済のようです。あの人たち、間違えずにできるのでしょうか。わたくしは今日も間違えて恥ずかしい思いをいたしました。
2025年10月21日火曜日
朝仕事
今日は三時起きで仕事をしました。ちょっと、やらなきゃならない仕事がありましたので。さすがに夕方になると、体が動かなくなりました。体だけではなく、頭も、ボーボーになって役に立たなくなりました。若い頃には二徹なんてなんでもなかったのですが。年は取りたくないものです。無理がきかなくなりました。今日は早く布団に潜り込みたいと思っています。
2025年10月20日月曜日
嗣治
昨日の続きです。フジタの白。肌の色です。長い間なぞだったようですが、それは彼が誰にも教えなかったからです。乳白色の肌色。のちに分かったことですがどうやらベビーパウダー。日本製のシッカロールを絵の具に混ぜていたようです。シッカロールの原料はタルク。いわゆるタルカムパウダーらしいという推測がなされました。実は屋久島とも関係があります。タルクは日本語では滑石と書きます。遥か昔にこの島で焼かれていた縄文土器。一湊式土器と呼ばれたこの島独特の土器です。別称曽畑式土器と呼ばれていた土器は北九州に多く発見されています。その特徴はタルクを含むという事。屋久島にタルクが取れるという記録はありませんが一湊というところではカオリンが取れました。それも大変純度が高い白い粘土。1400度でも焼締まらない。昔からカオリンはおしろいとか化粧品の原料に使われていました。もしかしたらあのカオリンにはタルクが含まれていたのかもしれません。まだ、化学的に実証されたわけではありませんからあくまで推測にすぎませんが。しかし、そう思うとなんだかロマンを感じてしまいます。我が仕事焼き物造りと嗣治との。人はどこか見えない糸でつながっているのかもしれません。何故彼の作品が我が心を打つのか。実はもう一つ縁を感じさせる話があるのですがそれについてはいずれまた。
2025年10月19日日曜日
fujita
昨日、鹿児島で藤田嗣二展を見てきました。まず感じたのは空いていたという事。人が少ない、ガラガラ。おかげでゆっくり見ることが出来ました。小品が多く展示作品もあまり多くありません。が、小さい作品は作者の生の感性がより明確に反映していて興味をそそられました。それに晩年の作品。戦後、フランスに帰化した後の、隠遁生活の様な気楽な暮らしから生まれた作品、例えば子供たちを描いた仕事シリーズの様な、私が最近気になっている、デッサンから離れた子供たちを頭の中で自由に動かせた生き生きした表現が目を惹きました。それとネコ。彼の絵に登場するネコちゃんが威厳がありつつ人に寄り添う。そんな雰囲気に惹かれました。若い頃から浮名を流して何人もの女性との、共同制作だったりモデルさんとの交情だったりに、あの時代に異国で生きた画家の孤独と情熱が伝わってきました。そんな中、最後に娶ったのが日本人の女性であったことにもなるほどという気持ちになりました。エコールドパリと呼ばれた印象派以後の自由な時代、モディリアニやピカソ、スーチン、といった作家との交友にも、そして鹿児島出身の海老原喜之助、東郷青児、などの若い頃の作品にも目を惹かれました。久しぶりに、刺激を受けることになりました。時代は違えど表現の場も変わっても、物を表すことの面白さに大いに刺激を受けて帰ってきました。
2025年10月17日金曜日
ムカデ
2025年10月16日木曜日
浮世
長い間、島で暮らしていると、世間に疎くなって、浮世離れしてしまいます。それでも世はネット時代。そくざに遠いところで起きていることもニュースで飛び込んできます。だから、世界中からの、いろいろな情報があふれてしまいます。ただ、電気もなく水道もない時代も長かったので、まるで浦島太郎のような時期もありました。空けてビックリ玉手箱状態。現在は程よい、いや、若干ネット依存症気味かもしれません。最近、定期的に鹿児島に上るようになると、鹿児島があまりにも変わらないので、びっくりすることがありますそれはおそらく東京で暮らしていても同じかもしれません。自分が必要な知識を収集すること。どこで暮らしても、おそらくその行動が大切だと思っています。
2025年10月14日火曜日
問い合わせ
もう、年末年始の営業について問い合わせが来ました。ちょっと早いなと思いましたが、考えてみたら残りも二か月余り。そんな時期なのでしょう。返答は、三十日から五日までは体験はお休み。店の方はほぼ通年営業という事になりました。今年は元旦から体験をやって、お客様と話に齟齬。年始早々あまり良くないスタートでした。そこで今年は少しですがゆっくりしたいと思っています。もうあまり頑張るのはやめてゆとりをもって過ごしてゆきたいと思っております。
2025年10月13日月曜日
暑秋
やばい暑さです。今日来てくれたお客様。いつもこんなに暑いのですかと聞かれました。スイスからでした。むこうを出た時の気温は一度とか。ここはおそらく三十度越え。その落差にあきれている様子でした。今年は特別ですと返事しましたが。台風がもたらしたものでしょうか。なんにせよ、この暑さ。何とか、しのがないと。負けてしまいそうです。
2025年10月12日日曜日
車庫
ガレージを作ろうと思っています。前回はコロナが流行った時作りました。あれから何年たったのでしょうか。もう、生きてる間に大きなものは造らないと思ってたのですが。急に車を買い替えたいと思うようになりました。娘たち家族が島に帰省した時、今ある軽自動車では小さすぎることに気が付きました。そこで普通車に変えようと思ったのです。雨ざらしにしたくないので、簡単な車庫を作ろうと考えています。今あるガレージを利用して。何とか年末までに。おそらくこれが我が人生最後の大物づくりになるでしょう。
2025年10月11日土曜日
やきものⅢ
焼き物造りにおいて最も新しいテクノロジーは電気でしょうか。いわゆる電気窯。それの普及で個人で焼き物造りをすることが普及しました。一昔前だと、どこかの窯元で勉強するか、作家さんの元で学ぶか、産地にある指導所で基礎を身につけるか、あるいは学校に通うか、そのような道に限られておりました。ところが現在ではユーチューブで見て得た知識の元で、電気窯を買って通販で材料を取り寄せれば簡単に陶器を焼くことが出来るようになりました。今ではネットで調べれば大抵の技術が身に着けられるようになりました。ただし、あくまでもとりあえずという事になるのでしょう。より深く技を極めるためには長い時間をかけて、経験を積まなければなりません。一つの道で生活してゆくとなると、並大抵のことではなりません。まあ、それはあらゆる道でも同じと言えそうですが。たとえば表現活動として、絵を描いたり、立体を造形したり、音楽活動だったり、おそらく共通しているものでしょう。だからこそ、より深い研究と知識経験が必要なのだと思います。それよりも必要なのは運。時代にゆとりがないと表現活動に対する、支出がなくなってしまいます。まさに現在の日本の状況です。おそらく、創造的な活動をする力がそがれてしまったというのが現実でしょう。仮にそのことを運と呼べるのならば、運がなかったというほかないのかもしれません。世の中が少しでも活性化して、経済活動が元気になる事を望まずにいられません。
2025年10月10日金曜日
やきものⅡ
マグマの力でいったん溶けたマントルが冷えて岩石になり、それが自然の力によって風化してやがて粘土が生まれます。その粘土を形にして再び熱を加えて溶かした後に冷え固まらせたものがやきものです。ですから、焼き物とは自然が作り出した作業を再度たどった結果生まれたのもという事が出来ます。ただ、おおもとの地球は何によって作られたのかというと、太陽のエネルギーという事になります。この地上に存在するすべての物は太陽のエネルギーと言っても間違いないと思います。たとえば植物は炭酸ガスと酸素の力で生育しています。それを取り込んで生きているのが動物です。我々がエネルギーの源としている薪、ガス、石油も元をたどると植物です。植物が太陽のエネルギーで炭化して燃料が生まれます。新しいエネルギーとして現在研究が進んでいる核融合にしても、太陽のエネルギーと同じ原理を人類が作り出そうとしているものです。現在人類は化石燃料をはじめとして原子力エネルギーも再生可能エネルギーと呼ばれる太陽光や風力も含めてあらゆる電力の元をたどると太陽由来です。焼き物造りも薪に始まり石炭、石油、ガス、電気と変遷してきましたが太陽エネルギー由来に変わりありません。我々の暮らしでも生活の基盤は変わってきました。昔は囲炉裏で炭や薪を用いて馬や牛の力を借りていたのものでした。わたくしが屋久島に初めて来たグ十年前と比べるとすべてが大きく変わったと言えると思います。人間のテクノロジーは日進月歩しております。焼き物造りも変わりつつあると言ってもよいでしょう。
2025年10月9日木曜日
やきもの
古い雑誌で、焼き物造りを特集したものがあります。陶芸家たちが制作について、焼き物造りについて、それぞれの思いを著していました。その本は、悩んだとき、迷ったときに開いて読むと、示唆に富んでヒントをもらう事が出来るものでした。中の一人。自分の原点ともいえることを教えてくれる方がおりました。彼は焼き物という概念の根底を示唆してくれました。それは五大自然との一体化。その五大自然とは何か。地球のマグマ。風。雨。植物。自然の輪廻、というものです。それを読んだとき、雷に打たれたような気持ちになりました。焼き物の成り立ちを教えられて。ところが最近ちょっと違うのではないのかという疑問が湧いてきました。それは何か。エネルギーの元がどこから生まれてくるのかという事です。それは太陽の恩恵ではという事。この地球、もっと言うと宇宙が何によって成り立っているのかという事です。
2025年10月8日水曜日
芙蓉
芙蓉の花、ピンクの花がそこかしこに。余りにもあちらこちらで咲いているので、つい見過ごしがちですが、なんとも可憐な花です。屋久島には道端に咲く可愛い花がそこかしこに。ヨメナにノギク。あるいは白くあるいは薄紫に。まだまだ暑い日が続いておりますが花を眺めると秋を感じさせてくれます。
2025年10月7日火曜日
十五夜
今朝の月。オレンジ色に輝きながら西に沈んでゆきました。十五夜明け。急に出かけることになりました。買い物に。空港近くのお店で月見大福なるものをゲット。お昼に美味しく頂きました。魚屋さんでカツオを見つけました。空港近くのスーパーでは美味しそうなモッツァレラチーズを発見。花畑牧場製と書かれていました。野菜を売っている店で、柿とトマトも見つけて、明日の晩はカプレーゼで頂こうと思います。本当はバジルも欲しいところですが。今年はわが畑は草だらけ。来年こそは野菜作りを再開。朝、近くの集落で見かけたご夫婦。畑で仲睦まじく草を取っていましたが、帰りにはすっかり野菜の種まきを済ませていました。きっと、冬に収穫する大根を育てる準備でしょう。来年こそ腰を直して畑をやるぞと心に誓っております。
2025年10月6日月曜日
オリオン
今朝の散歩、五時半ごろ家を出たら、満天の星。カミさんが指をさした先にオリオン座。そして振り返ると金星。白々と明けてくるとあっという間にオリオン座は見えなくなって、明けの明星だけが残っていました。明日は十五夜。お月見です。朝の時間には月は隠れていて、姿が見えません。昨日は大祭。島の行事は月の動きに合わせて行われるようです。孫たちが来ると、冬の空を見上げて星を眺めるのが楽しみのようです。屋久島の澄んだ空は星も月もくっきり。最近、ネットの動画でよく流れるムーンライト伝説。「月に変わってお仕置きよ」が浮かんできます。
2025年10月5日日曜日
台風22号
気になります。動きが。今朝発生した台風の。まだ進路がはっきりしませんが、太平洋上を西に進んだ後、急にUターンしそうです。まだ予想が大きく、どこを通るのか、はっきりしませんが。これまで中国方面では大きな被害が出た模様。どうか直撃だけはま逃れたいところ。自然現象なのでいかんともしがたいのですが神に祈るしかありません。どうか遠くへ逸れてくれますように。
2025年10月4日土曜日
曇り空
午後から陰ってきました。朝のうちは晴れてましたが。器の釉薬掛け。それと茶碗の化粧掛け。日々やることに変わりはありません。色々ありますが。山あり谷あり。今日は陽が差しているのに遠くで雷鳴がとどろいたり。まさに、一喜一憂。本当はそんなことを超越したいと思っていますが。人間ですから、泣いたり笑ったり。そんな中であがいてゆくのが、宿命なのでしょうか。
2025年10月3日金曜日
祖父3
祖父の思い出です。鹿児島で生まれ、東京に出てきたことは前に書きました。ちょうど幕末から維新にかけての時代。前に大河ドラマで篤姫をやっていました。あの時代、小松帯刀が薩摩藩の家老として活躍しました。あの小松帯刀の弟が祖父を養子にした曾祖父でした。家は訳ありで代々、跡取りが生まれず養子が続きました。祖父も曾祖父もそれぞれ他家から養子に入ったようです。そんなことが家には続いたようでした。なんせ、先祖をたどればかのお由良騒動の家柄。しかもお由良方についていたのが我が先祖の家柄。なかなか因縁の深い家系だったようです。
2025年10月2日木曜日
オクトーバー
気が付けば今年も残り四分の一。季節は確実に進んでいます。家の庭ではゲンノショウコが花を咲かせて、道を歩くとクズの花が散っています。昨日は急須を仕上げ、今日はお抹茶の茶碗を挽きました。夏も過ぎて少し時間にゆとりが出来て造りたいものに挑んでいます。しかし、夏の間に受けた陶芸体験の器たち、棚に置ききれないほど並んでいます。そろそろ焼いてあげないと間に合わなくなりそうです。何とか、焼き上げないと落ち着きません。どうやらゆっくり出来るのもつかの間。心が急き始めています。
2025年10月1日水曜日
四半世紀
今日のお客様。二十五年前に来ました、ここへ。とのこと。あの時はまだ学生でした。自転車で坂を上った記憶があります。あの時買った器、今でも使ってます。どちらにお住まいで、と尋ねると今は上海ですという。中国人の奥さんを連れている。昨日、山に登ってきました。帰り際、また来ますと言い残す。次に来た時はいないと思うよ、という言葉はのみ込みました。
2025年9月30日火曜日
秋
「急に秋になったわねえ」。今朝の散歩でのカミさんの言葉でした。「確かに」と心で返しました。日が短くなり、セミの鳴き声も秋めいてきて、歩いていると大きな音が山で聞こえました。確か、先日、家の入口に鹿のファミリーが夕方歩いていました。動物たちも元気そう。暑い暑い夏もそろそろ過ぎて、冬に備えて活動を始めたようです。しかし油断は禁物。大きな台風は秋にやってきます。十八号台風では中国方面で被害が出た模様。本格的な台風の備えは怠るわけにはゆきません。どうか無事に年を越せますように。明日から十月。十五夜のお月見には、ススキとおはぎ。すっかり甘党になりました。
2025年9月28日日曜日
祖父2
祖父の思い出の続きです。前に陸軍士官学校を出たという話を書きましたがその一期生で最後の生き残りだったようです。死亡時の年齢は95歳ぐらいだったと思います。明治大正昭和と三つの時代を生きて、おそらく少年時代を鹿児島で過ごし東京に出て学生時代を過ごし、軍隊で活躍して、どんな活躍したのかは知りませんが除隊した時には連隊長で少佐だったようです。黄綬褒章を受けあの頃、家にはその勲章が置いてありました。碁が得意で、田舎名人だったようです。年を取っても時折碁を打ちに出かけておりました。生涯着物を着て、下着はふんどし。妻は、最初の奥さんは早く亡くなったようで、二人目を山口市からもらったようです。二人目も早かったようでわたくしはが生まれたときはもうお亡くなりになっていたようです。母も会ったことがないと言っておりましたからおそらく戦前には亡くなっていたようです。ただ家にはたくさんの書き物が残っていて、その中には祖母の手による生け花の指導書なども記憶に残っています。おそらく現在、わたくしが陶芸をやっているのは祖母からの血が影響しているのかもしれません。(ちょっと長くなりましたので続きはいずれまた)
2025年9月27日土曜日
急須2
午前中急須を組み立てました。そして午後は今日も急須づくり。今日は電動ろくろで立って挽きました。十二個。合わせますと二十個になります。バカでかいのも足すと24個。これくらいでとりあえず目標達成です。明日は挽いた部品を仕上げて、組み立てる予定です。今朝は四時過ぎに起きてかなり頑張りましたので、へとへとです。でも心地よい疲れ。こうして好きな仕事を頑張れるって幸せだなと思います。
2025年9月26日金曜日
棚卸し
一日遅れで出かけてきました。毎月の棚卸です。昨日は朝から雨でしたから。相変わらず暑い日が続いてます。先日の台風では台湾、フィリピンが大変な被害を受けたようです。ほんの少し方向がずれてたらここがやられたかもしれません。明日は我が身です。それにしても被害にあわれた方々、心よりお見舞い申し上げます。まだまだ台風シーズンが続きます。どうぞ、無事に過ごせますように。今日の買い物は多くて、クルマに運ぶのに苦労しました。めったに買い物に出ないので、まとめ買いでそうなってしまいました。帰ってきて昨日ろくろで挽いた急須を組み立てました。ざっとですが何とか形にはなりました。今日、立ち寄った百均、急須が何と450円で売られていました。おそらく東南アジアで造られたのでしょうが、どうやったらそんな値段で売ることが出来るのか、首をひねってしまいました。
2025年9月25日木曜日
急須
屋久島ではきびしょと言います。お茶を淹れるのに使う器。英語だとティーポット。昨日組み立てたのが大きすぎて、一回り小さい茶こしを捜しました。金属製のネット製。それに合わせてボディーから蓋、口、持ち手を作りました。思ったよりも進みません。頑張って八個。前回のバカでかいのと比べるとかなり小さめ。造ってみて気が付いたのですがもう一回り大きいのが理想的かな。何事もやってみないと分からない事ばかり。だから新しいものへの挑戦は楽しいものです。
2025年9月24日水曜日
祖父
祖父の思い出を書いてみます。祖父は鹿児島で徳川から維新へ変わる、慶応3年、(明治元年)鹿児島の荒田村で生まれました。当時は村でしたが今は鹿児島市荒田町でしょうか。家は平田姓。先祖はかの平田靱負だとか。鹿児島の人なら誰でも知っている、薩摩義士を率いた薩摩藩の家老職、いわゆる台所方という職。今でいえば財務とか経理のトップでしょうか。靱負は木曾三川の治水工事を幕府から言いつかって苦労の末工事を成し遂げま予算が足りず近江商人から借りて、工事を完遂した時自ら腹を切ってすべての責任を負ったことで名を残しました。その家から我が家に養子に来たのが祖父です。陸軍士官学校の一期生だったとか。卒業してから日清戦争日露戦争で戦ったようです。陸軍の軍人として。ロシアでは斥候隊を率いて目の前をロシア軍の軍人が通ってゆくのに遭遇したことがあったと母に語ったことがあったようです。退役後、東京での実家でサンドイッチを作る事業も始めたようです。一時は三越に納めていたとか。四谷にあった家には広い板間があって、いかにもサンドイッチを作る工房らしい場所が残っていました。東京は太平洋戦争の空襲でほとんど焼け野原になってしまったのですが、運よく祖父の家があった一角は焼けなかったとのこと。(ちょっと話が長くなりそうなので続きはまたいつか。)
2025年9月23日火曜日
土練機
朝一で土練機を回して土を作りました。白内障の手術をしてからずっと休んでいましたから、今日は久しぶりに力仕事です。余り全身の力を使う事は目に良くないとかで息子が代わってくれていました。少しずつですが社会復帰。蹴ろくろもだいぶ慣れてきましたし。今日は、ティーポット造り。思ったより口が広くて勝手が違いましたが。どうやら市販の茶こしに合わせるとこうなるようです。やはり造り慣れた方法がバランスの良いポットが出来そうです。
2025年9月22日月曜日
彼岸
明日が秋分の日。ってことは、秋のお彼岸でしょうか。暑さ寒さも彼岸まで。だんだん秋が深まっています。今朝の散歩、ちょっと寝坊して六時を回っていました。昨日の真っ赤な朝焼けとは違って、すっかり明けた明るい空。そんな道すがらあっちこっちでヒガンバナが咲いていました。「哀しい花なら何の花 真っ赤な港のヒガンバナ」。浅川マキの歌が浮かんできました。最近動画でよく見るのが、エド山口さんのギターの話、「大江戸日記」というものです。技術の話はマニアックですが、どこか陶芸と通じる気がします。そして、昨日からご夫婦でやっている「歌謡曲バンザイ」というのを見ています。奥さんと二人で歌うのですが生ギターと生声が、妙に胸にしみます。楽器を弾ける人がうらやましいと、無性に思っています。
2025年9月21日日曜日
急須
お茶を淹れる器。土瓶とか急須と呼ばれています。これまでずいぶん色々作ってきたのですが、ここにきて状況が変わってきました。昔はお茶の葉が出ないように土で細かい穴を空けていたのですが、最近お店を見て回ると、ほとんど、ステンレスのネットで出来た茶こしのようなものをすっぽりとセットしているものが多いようです。確かにお茶の葉が詰まってしまい、困るような事も多かったものです。最近では市販の茶こしを使って、急須に合わせて造っているようです。そこで早速、ネット通販で取り寄せてみました。届いた茶こしの寸法に合わせて早速試作してみようと思っています。中には、ステンレスの金気を嫌う人もいそうですが。時代に合わせることも必要かと思います。現代の使い勝手の良い器づくり。そんな工夫も必要になるのかもしれません
2025年9月20日土曜日
エレキ
最近タブレットで見ているのがベンチャーズをカバーした女の子の動画です。国籍不明の東洋人がお父さんと一緒に演奏しています。一曲、聴き始めると何時間でも延々と流れます。高校に入ったばかりのころ軽音楽部の友人が弾いていた懐かしい曲の数々。そんな中で、ビートルズの武道館公演があって同級生の何人かが授業を抜け出していました。あの頃が懐かしく思い出されます。それにしても、お父さんの影響でしょうが、まだ中学生か高校生の女の子がエレキギターをかき鳴らすのを見るとは。でもあの娘、アコースティックギターもエレキギターと同じように弾きこなしています。今の若い子、すごいなあと改めて思っております。
2025年9月19日金曜日
美術館
昨日は鹿児島に行ってきました。定期検診。診察を終えて市立美術館に行きました。目的は、十月から始まる藤田嗣二展の割引券を手に入れるためです。千二百円が千円に。わずか二百円だけの値引きですが。すいていたので常設も見てきました。ほとんど貸し切りです。そこにも藤田の小品が飾られていました。二階に上がったところにジャコモマンズーの彫刻が置かれていました。大好きな作家なので大感激。それに、香月やすおの桜島のクリアファイルを見つけました。香月もだいだい大好きです。たった二百円の出費で幸せになりました。ほんのわずかな出費でこんなに幸福になれるとは。本当にありがとうございました。
2025年9月17日水曜日
片口
片口を造っています。お酒を呑むための。昔は、徳利をよく造っていましたが、最近はもっぱら片口ばかり。冷でよし、燗でよし。秋になると熱燗が恋しくなります。旅の宿という拓郎の歌が浮かんできます。「熱燗徳利の首つまんで、もう一杯いかがなんて・・・。」いいですねえ、最近は酒吞むこともありませんが。ぐい呑みは平盃で。大昔、鹿児島の陶器屋さんで見つけた盃。確か沖縄出身の大峯作。彼はろくろの達人だと思います。薄造りです。これから秋が深まってきます。「白玉の はにしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり」。
2025年9月16日火曜日
選挙
今日から始まりました。この町の代表を決める選挙が。町議会議員を選ぶための。五日間。日曜日の投票日まで。この島には一本。ぐるりと一周する県道があります。その道をぐるぐると名前を連呼して走ります。ですから、選挙期間中は外出すると必ずどこかですれ違う事になります。そんな時は、必ずにっこり笑って手を振るのが我がしきたり。全員に入れるわけにはゆきませんが、とりあえずは頑張ってくださいとエールを送る意味で。そして最終日には応援する候補者が通るときは外に出て手を振る事。なんといっても様々な身近な問題を解決してくれる大切な存在ですから。そして選挙が終わったら次の選挙まで静かな日々が戻ってきます。
2025年9月15日月曜日
残暑
なかなか涼しくなりません。厳しい残暑。台風発生の予感。前回鹿児島に行ったときも、ちょうど台風が来ました。最近は、来るぞ来るぞという感じではなく、突然台風が来た、というような感じ。黒潮の流れが関係しているようです。そういえば今年はサンマが豊漁とか。脂がのって、大振りなのだそうです。屋久島あたりに来るのは貧弱なのが多いようですが。島で、回りを海に囲まれていても、案外ここにはよい魚が来ません。おいしい魚は地元で獲れても東京や大阪に運ばれてしまうようです。だから、案外、魚を自分で釣りに行かないと食べることはできません。昔、仕事はしないで釣りばかりしてた時がありました。あの頃は嫌というほど釣り立てが食べることが出来ました。野菜もしかり。自分で育てないと美味しい野菜は口に入りません。来年こそは野菜作りを再開するぞ。そんな決意を固めております。
2025年9月14日日曜日
散歩
今朝も散歩。五時半ごろに出発しました。日が少しずつ短くなって、夜明けも段々遅くなってきました。今朝はかみさんと一緒です。時折雨粒が舞ってきて、いつ降りだしてもおかしくありません。空を見上げてあの雲はどっちに動いているのかなと、予測しながら道中を急ぎました。先日の雨と雷。しばらくしてだんだん被害がわかってきました。まずは、離れから。ブレーカーが落ちて冷蔵庫やストッカーが作動してませんでした。工房でもいくつかの機器がやられました。状況から判断していったん落ちた雷がアースを逆流して被害が出てしまったようです。保険会社にきてもらい、被害届を受け取りました。あとは、販売業者にお願いして被害状況を調べてもらう必要があります。こんな時離島はハンデになります。手続きがなかなか進みません。おまけに連休に入ってしまいました。ここは慌てず、ゆっくり腰を据えてかからないと上手くゆきそうにありません。どこに、落とし穴が潜んでいるか、油断できません。
2025年9月13日土曜日
萩
工房の入口の萩の花が咲きはじめました。白萩です。かれこれ四十年ほど前に、植え、毎年秋の到来を告げてくれます。萩という漢字は草かんむりに秋と書きます。まさに秋の花。秋の七草にも入っています。我が家の庭にも色々と植えましたが、生き残ったのは白萩だけです。白萩と言えば萩焼の釉薬としても有名です。萩焼の白萩釉なんて、そのままです。この釉薬は藁を焼いた灰を混ぜて造られます。白い色に時折ピンクが混じって何とも言えない風情があります。まさにお抹茶にぴったり。秋の和菓子とともに一服。なんとも言えない趣が感じられます。日本の秋を知らせてくれる花です。ススキも女郎花も七草のひとつ。おみなえしを女郎花と書かせるなんて、粋だなと思うのですが。
2025年9月12日金曜日
深まる
相変わらず、暑い日が続いております。それでも、ヒガンバナが咲きだして、ツクツクボウシが夕方になると鳴いております。日々、秋が深まっているようです。ここのところ、陶芸体験の問い合わせが増えてきました。やはり芸術の秋でしょうか。先日鹿児島に行ったときどこかの美術館で藤田嗣二の展覧会があるという情報が入ってきました。秋に、あの、大好きなレオナルド藤田の作品が見えるのは、本当に幸せです。フジタは、晩年、従軍画家として国威発揚に大いに活躍しました。しかしその後、その彼の行動。批判されて、フランスで生涯を終えております。愛国者として国の為に命を懸けたのに、生涯認められることがありませんでした。戦後だいぶ時間を経て再び脚光を浴びましたが、二度と日本の地を踏むことはありませんでした。さぞかし無念だったことでしょう。秋に彼が取り組んだ仕事をゆっくり顧みるのも良い機会ではと思っております。
2025年9月11日木曜日
朝かみなり
朝かみなりは晴れる。という事を、昔先輩から教えてもらいました。まさに今日、午後から陽が差してきました。夜明けの雷で、停電でしたが。午前中の体験、ギリギリ間に合ってくれました。午後からは湿度もあって、暑さもひとしお。今朝から腰が痛くてダメかなと思ったのですが、何とか今日も蹴ろくろでお茶碗造り。今日はあまり勢いで挽くのでなく、おとなしいロクロ。まあ、そんな日もあります。穏やかな器もいいもんです。
2025年9月10日水曜日
連ちゃん
昨日に引き続いて、蹴ろくろを挽きました。午後から。なんとなくやれそうな自信がついてきました。これならば。明日は削り。削りは電動ですが。削りまで蹴ろくろだと、きっと腰を悪くすると思います。ここは自制が肝心。慌てず焦らず諦めずという事で。
2025年9月9日火曜日
蹴ろくろ
午前中は蹴ろくろ。午後は電動で制作しました。少しずつ回復しているので。腰痛が。朝、サロメチールを塗ったら火のように熱くなりました。熱くなるという事はまだまだ本当ではありません。それでも何とか一日制作できたことに感謝。これから、ちょっとずつ蹴ろくろ復帰してゆきたいと思います。目標。年内復帰。
2025年9月8日月曜日
西日
工房は今の時期が最も暑い。何故かというと西日が入ってくるからです。工房を建てる時、建物の向きなど全く念頭にありませんでした。ところが出来上がってみたら、なんとまあ、夏暑く、冬寒い、とんでもない建築になっていました。方向なんて全く考えるゆとりがありませんでしたから。近くにあった診療所の院長さんと相談して建てたのですが。二人とも部屋の間取りばかりで、肝心の向きは念頭にありませんでした。あれから四十年余り。毎年今の時期になると、後悔ばかりです。やはり何度か失敗してみないと、わからないものです。家建ても、創作も。
2025年9月7日日曜日
鹿児島
昨日は鹿児島に行ってきました。日帰りで。だいぶ慣れてきて、お店屋さんをのぞいたり、商品チェックをしたりしました。前回まではとてもウィンドウショッピングする余裕はありませんでしたが。昨日は本屋をのぞいたり、軽く食品を買ったり。ほとんどお菓子やパンですが。その中で気になったものがありました。焼き物屋ですから、器が多いのですが。ティーポットやお皿です。そして、いくつかのヒントも。やはり、たまに色々見て歩くことも必要ですね。刺激も受けますし。次は二週間後。おそらく秋も深まっていることでしょう。
2025年9月5日金曜日
一過
大した雨もなく風も吹かずに過ぎてゆきました。それでも青空。爽やかと言いたいところですが暑いです。いつまでも。昨日挽いたカップを削って、把手を付けました。面取りです。実は昔よくやっていた仕事。ここにきて、再挑戦しています。ただし、いくらかやり方は変えて。ざっくり削って仕上げるというより、ろくろで挽いた後叩いて変形させています。そうすると柔らかい感じになります。面取りと言ってもほんわかした感じ。年を取って、荒々しいものよりも、やさしい感じが好きになってきました。好みって、変わってゆくものですね。
2025年9月4日木曜日
台風
現在台風は種子島付近を通過中のようです。ようですというのは、あまり風、雨、ともに台風らしくないからです。ちょっと他人事みたい。この先どうなるのかはわかりませんが。突然大風が吹いたり、雨が強くなったり、一寸先の事はわかりません。本当に、いつ何が起こるのか、こればかりは誰にも予想がつかない事です。ただ、今やれることを精一杯やる。最後は天の思し召しに従うのみ。
2025年9月3日水曜日
突然
台風が発生とか。予兆なしに。明日、鹿児島に行く予定でしたが、変更。何しろ、明日が真っただ中。当然欠航でしょう。そこで急遽延期にしました。それにしても、こんなに近くなってからの台風とは。まさに青天の霹靂。こう事が起きるから面白いのです。全ての出来事が杓子定規に進んでは、楽しくありません。それにしても、藪から棒とはまさにこういうことをさしているのだと思います。
2025年9月2日火曜日
暑さ負け
そろそろ夏の疲れが出る頃です。我が家の奥さんもこの暑さ、ばてが出たようです。食欲がなくなったり、暑さで消耗したり、体調を崩しやすい季節です。残すところ、今年も四か月ほど、何とか大禍無く過ごしてゆきたいものです。とはいえ、油断大敵です。先日は南海トラフ地震に備えて、避難訓練が行われました。そればかりでなく、世界情勢も一触即発があちらこちらで。平和ボケしていたら大変です。物価も高く、生活も苦しくなるばかり。コロナ以後も、どうにも厳しい日々が続いています。こればかりは都会も田舎も。洋の東西を問わず。どうか、負けることなくお健やかににお過ごしください。
2025年9月1日月曜日
攻勢
ダントツのドベ。つまり最下位ですが。ここにきてちょっとだけ光明が見えてきました。村上君も打ち出しましたし、わが長岡選手も調子が上がってきました。これから残りわずかですが、何とか最下位脱出を目指してスワローズに頑張ってほしいものです。九月攻勢として。秋の気配が漂い始めました。今朝の散歩道、ふと見上げると星が一つ輝いていました。あれは明けの明星でしょうか。最近毎日見ている、動画。月に変わってお仕置きよ!というお芝居。月野ウサギという娘が活躍する、お話。地球征服をたくらむ悪と戦う美少女戦士。どうか、願わくば平和な星にこの地球がなりますように。
2025年8月31日日曜日
九月
「 セプテンバー・レイン」という太田裕美の歌がありまし「「九月の雨は寂しく」てという詞なのですが、そんな気分にはとてもなれない暑さです。明日から月が変わるというのに。「夏の終わり」というのもありました。八月最後の日。「これから寂しい秋です。時折手紙を書きます。」というのも。朝からそんな歌を歌っていたら、家族がうんざりしていました。もう何十年も聞かされたと言います。それでも確実に夜明けが遅くなっております。夕方も薄暗くなってきました。暑い日が続きますが、季節は少しずつ進んでおります。
2025年8月30日土曜日
ツクツクボウシ
ようやく鳴きだしました。ツクツクボウシが。秋を知らせる声。遅ればせながら。特別いつまでも暑いからでしょうか。今朝から、空模様が怪しくなってきました。今朝の空があまりにも紅かったのが、天候下り坂の前触れだったのかもしれません。だから、蒸し暑さもひとしお。土練りも休み休みです。それでも季節の変化は間違いないようです。福岡の孫が高熱を出しているとのこと。夏は体力を消耗しているので心配です。それに様々な菌が活躍する季節、何とか、早い回復を祈っております。
2025年8月29日金曜日
腰痛体操
最近体操にはまっています。朝のシャワーの後に。まずは、スクワットから。工房に下りて腰痛を押さえる体操を。ネットの動画を見て。沢山の方が、防ぐためのいろいろな体操を上げておられます。さてどの動きが我が身にあっているのか。こればっかりは、やって続けてみないと分かりません。現在は、始めたばかり。これから色々な方法を試しながら、最適な方法を捜してゆこうと思っております。気が付くと膝の方はほぼ良くなっています。あれほど苦しんでいたのに。まさにのど元過ぎれば熱さを忘るですね。
2025年8月28日木曜日
つるべ落とし
ここにきて急に秋めいてきました。夕方、日が暮れるのが早くなっています。東京では三時過ぎると、一気に日がかたむいて、赤ちょうちんが恋しくなったものです。近頃、酒を口にしなくなっていますが、それでも軽く一杯ひっかけたいなと思う今日この頃です。もうすぐ、夏休みも終わり、学生さんたちも日常の戻り用です。名残惜しい、夏の思い出を沢山味わってほしいと思います。人生のたそがれを迎える年齢、秋の切なさが身に沁みます。閑さや岩にしみいるセミの声。
2025年8月27日水曜日
蹴ろくろ
復帰しました。朝から蹴ろくろに。ただし、午前中だけ。当分の間は半日迄。午後は電動ろくろで挽くことにしました。いきなり、無理はしないように。少しずつ、戻してゆこうと思っています。今日は、充実感で満たされました。何とか、元に戻ることが出来たことに。年を取ると、前に進むことより、現状を維持できたことが重大になる事を知りました。
2025年8月26日火曜日
復帰
色々な意味で帰ってきました。今日が白内障の手術から一か月たちました。これで保護メガネを外すことが出来ます。それと、棚卸。もう一つ、蹴ろくろにも復帰しました。もう、一生ダメかもしれないと思っていた蹴ろくろ。どうやら復帰のめどが立ちました。色々な意味で区切りの日になったと思います。ここで、決して油断しないで、慎重に社会復帰を目指すつもりです。まだまだ終わってはいなかった
2025年8月25日月曜日
蚊
秋になるとしつこくなります。蚊が、血を吸いに来るのが。蚊取り線香を焚いていても、もろともせずに人の血を吸いに来ます。彼らも必死なのでしょう。これから先、寒くなるまで彼らの攻撃が続きます。近頃、暑さがましてきて、そのしつこさも、ますます激しくなったようです。犬が元気だったころは、フィラリアにかからないように薬が欠かせませんでした。そのワンちゃんもいなくなって、ちょっぴり寂しくなりました。
2025年8月24日日曜日
夏の終わり
今年はツクツクボウシが少ないようです。余り鳴き声が聞こえてきません。年によって変わるようです。夜中に飛んでくる、カミキリムシも少なかったとか。ここに来て急に秋めいてきました。八月も最終週ですから。白内障の手術からやがて一か月になります。そろそろ保護メガネから解放されそうです。視界が広がるのは有難い事です。今日は午後から陶芸体験。家族連れです。屋久島で一か月ほど過ごしたそうです。夏の思い出作り。2025年の夏も去ってゆきそうです。
2025年8月23日土曜日
動画
今朝の散歩はかみさんと。帰った後はスムージーを作って、目薬を差して。カミさんは最近よくやってくれる庭の草取り。腰を痛めてからは、助かってます。こっちは工房に下りて、まずはしばらくタブレットで動画。動画は、最近嵌っている、料理やケーキ作りの。仕込みをしたり、お菓子を焼く作業風景が好みです。お菓子作りは陶芸制作のヒントがいっぱいです。こんな風にやるのかとかこういう道具を使うのかとか。ケーキ作りと陶芸って似てるなあと思います。だから目が離せません。下ごしらえなどにヒントが埋もれている気がします。そして日本人って実に几帳面に作業に向かっているなあ感心ばかりしています。あらためて負けずに頑張ろうと、大きな刺激をもらっております。
2025年8月22日金曜日
雷様
昨日から、雷鳴と強い雨。台風が運んでくれた、お土産です。今朝の散歩は諦めました。近頃一人散歩が増えましたが、今朝はお休み。午前中は時折屋根を強く叩きます。招かれざる客。台風12号は鹿児島地方に強い雨をもたらしてくれました。工房では、釉薬を作ったり、作品を削ったり、セミの鳴き声に耳を傾けたりと、ほんのちょっぴりではありますが暑かった夏の終わりを感じております。ツクツクボウシも鳴きはじめました。
2025年8月21日木曜日
秋の空
北の方へと、遠ざかってゆくと思っていた熱帯低気圧が、なんと台風になって日本列島に向かっています。気まぐれな天気とはいえかなり見当違いな動きです。どうか収穫前の稲に悪い影響が起こりませんように。ただでさえコメの価格が上がって庶民の懐に打撃を与えているところに。泣きっ面にハチとはよく言ったものです。ここのところ夏の観光シーズンにもかかわらず、この島も雨が降り船も飛行機も欠航が続いています。夏も、変な予言やトカラ列島の地震の影響で島を訪れるお客さんも少なかったようです。ここらで何とか回復してほしいとの願いも空しく逆風が吹いています。おそらく何年かしたらあんな年もあったなあと笑い話になるのでしょうが、当事者としてはそれどころではないようです。気が付けば2025年もかなりすぎてしまいました。願わくば後半は良かったねといえるようになりたいものです。
2025年8月20日水曜日
旅情
昨日は日帰りで鹿児島に行きました。眼科の検診です。帰りの高速船。もうすぐ種子島というときふと外を見ると、急激に近代化してゆく風景。基地の整備や、ロケット打ち上げ場の為でしょうか。そして何気なく振り返ると黒々とそびえる屋久島がくっきり。その近くには開聞岳が美しい姿で。周りには竹島や黒島がはっきりと姿を現しています。空は秋を思わせる茜色がキラキラと。ずいぶん何度も船で渡りましたが、これほどの輝くような夕景を見た覚えがありません。おそらく台風が関係しているのでしょうか。光が複雑に変化してこのような色を生み出しているのだと思います。そして屋久島の姿。まさに海の中ににょっきりと巨大な岩がそびえているようです。うす暗い島の港に上陸して、西に向かって走ると目の前の空があるいは赤く、あるいは金色に光が一瞬ごとに変化します。工房が近づくころ、とあるアパートの前で幼い子を連れた母親が空を見上げているのを見かけました。その姿が絵になっていて、まるで童話の中に誘い込まれているようでした。病院行きは余り好きにはなれませんが思いがけない旅情を味わうことが出来たことには感謝しております。
2025年8月18日月曜日
忙殺
なんでしょう。ただただ忙しかった。訳が分かりませんが。忙しいという事は良い気がします。変な観念に襲われている暇もないですから。悩んでる暇があったら何も考えず、体を動かせという事です。もう、夕方にはへとへと。明日は、鹿児島日帰りです。眼科へ。今のところ順調に進んでいる気がします。
2025年8月17日日曜日
呆気抜かし
ほけぬかし。屋久島にきて初めて知った言葉です。ぼーっと過ごして疲れを取るという意味でしょうか。一日、そんな風に過ごしいてたら、だいぶ元気が出てきました。時には、のんびりしてストレス解消も大事だと思います。手術以後、おなかの調子がよく無かったのですが、かなり戻ってきました。体調には波があるものです。高く低くと。さいきん朝からアニソンを聴いています。昭和の歌を。動画で見つけたひと。arikaという人です。一曲流れてくると、次々と連続で歌が続きます。ちょっと中毒気味。昔の歌を聴いていると、元気が出てくるから不思議です。
2025年8月16日土曜日
虚無感
なんか元気が出ない時ってありますよねえ。まさにそんな日です。だって、トランプ、プーチン会談もそうだし。戦後八十年、中国や韓国の反日運動も。何故世の中って理不尽なのか。ああー完全にネガティブになっていると反省しつつも。悪いメンタルから抜けられない。気分を変えなければ、と思いつつ。明日がある明日がある、明日があーるーさ。という事で。
2025年8月15日金曜日
手びねり
久しぶり。体験で手びねりをしました。最近はろくろが多かったので、なんだか、久しぶりです。時間もかかりますし、手もかかります。出来上がりの個人差も出やすいので、手が、かかります。外は昨日に続いて青空。終戦の日もかなり暑い日だったようです。あれから八十年。戦後生まれの我が身も気が付けば七十五歳です。遠い昔が妙に懐かしくなります。いつになったら、人が平和に暮らせる世の中が来るのでしょうか。
2025年8月14日木曜日
メガネ
メガネ屋さんに行ってきました。白内障の手術をしてからもうすぐ三週間が過ぎます。ちょっと微妙だったようです。視力がまだ安定していないようで。だからメガネを作りなおすことについて。一か月たてば問題ないようですが。そこでとりあえず運転することが出来る程度でよいといったのですが。なかなか納得してくれません。説得して何とか作るところまで進みましたが。目が安定して三か月過ぎてもう一度作り直すという条件で。十五分ほどで出来上がり。帰り道では自分で運転しました。あとから考えると、メガネ屋さんのサービスシステムとも関係があるようです。世の中簡単には進みません。
2025年8月13日水曜日
墓
今朝は、散歩の代わりにお墓に行ってきました。一年に二度だけ。盆と正月です。墓掃除の事を掃苔というようですが、マメな人はしょっちゅう、それにゆかりのある人のお墓参りを趣味にする人もいるようです。半年ぶりのお墓は、埋め込んでいた自家製のプランターにドラセナが育っていました。前にかみさんが根が出てきたドラセナを植えたとのこと。見事に生きついてくれました。お墓屋さんが川から拾ってきてくれた墓石に苔が生えていたので、ブラシでこすって苔を落とし、あっちこっちの汚れも取って、かなりきれいになりました。次にここに入るのは俺だろうと、かみさんに言うと分からないわよとのこと。誰が先にしても、自分が立てたお墓です。いずれお世話になります。それまでは、綺麗にしておきたいと思います。
2025年8月12日火曜日
秋の雲
うろこ雲を見上げて、秋だなあと思いました。セミの鳴き声も、まるでゆく夏を惜しむかのように切羽詰まったような。確実に夏が過ぎてゆきます。昨日は何とか無事、娘たち家族も福岡に帰った様子。今日は運転ができるようにとメガネ屋さんへと走りました。ところがなんと、お休みでした。入り口には定休日変更のお知らせ。残念。もう、お盆が始まります。しばらく運転は諦めました。世間は、お盆前の賑わい。皆さん持ちきれないほどの買い物をしています。お盆ですものね。我が家は孫たちがいなくなって静かになりました。これから寂しい秋がやってきます。
2025年8月11日月曜日
盆と
正月にまた来ますと言って、娘たち家族が帰ってゆきました。天気が心配でしたが。飛行機が飛ぶかどうか。福岡直行便です。割と欠航が多い便です。息子たちが送りに行きました。去年まではわたくしが行ってたのですが、まだ白内障の手術をしたばかり、目が良く見えないので。車の運転は出来ません。家で孫たちを見送りました。一人取り残されたみたいで、淋しいものです。空港まで行くのも寂しいのですが。歳をとってくると、次に会うまで元気でいられるのかなあと、不安になるのですが。
2025年8月10日日曜日
一輪挿し
世の中は連休らしいです。といっても、工房は暇ですが・今年の夏はこんな感じで終わるのでしょうか。トカラの地震。漫画の予言。色々あってお客さんが少ないようです。こちらとしては、目の手術したばかりなので、忙しくないのは有難いのですが。ここ三日ほど、一輪挿しを作っておりました。少しずつですが、調子が出てきたようです。思った形が出来てきました。電動轆轤での制作。だいぶ、慣れてきました。それも立ち仕事です。果たして、いつになったら、蹴ろくろ復帰できるのでしょうか。まあ、焦らず、慌てず、諦めずで、やってゆきたいと思っております。
2025年8月9日土曜日
秋立ちぬ
気が付けば立秋も過ぎました。今日は長崎に原爆が投下された日。あれから八十年。戦後生まれの我々団塊世代。貧しい時代から戦後復興、そして失われた三十年という停滞期。停滞しているとはいえ、平和な時代が続いています。そんな戦後っ子と呼ばれた世代もやがて80代を迎えようとしています。我々もそれなりに一生懸命の生きてきたつもりですが、今や、世の中のお荷物扱い。そうかといって、どうにもなりません。困った時代になってしまいました。昨日はネットの動画で、アニソンを歌う人の歌を聞いていました。戦後の漫画文化。それがテレビという媒体で広められ、今や世界中で愛されるようになりました。延々と続く日本のアニメーション。この先どのような展開を見せるのか気になるところです。
2025年8月8日金曜日
波
一日の中でも波があります。人生を振り返っても良い時期、最悪の時などあるものです。そんなものでしょう。うまくゆかないときはじっと頭を低くして、向かい風をよけなければなりません。いつか追い風も吹くのだと。今日は、ちょっと落ち込みそうな気分。そんな時は雨の向こうにはきっと虹が輝く時があるに違いないと、信じて前を向いてゆくしかありません。
2025年8月7日木曜日
リハビリ
勝手にリハビリをはじめました。ろくろ再開です。まずは一輪挿しから。色々、理由があって制作から離れていたあと、いつも、まずは一輪挿しから始めます。そんなわけで今回も。いつもの事。調子を取り戻すための手順です。小さい壷が、ルーティンです。腰がまだ痛いので電動轆轤を使って。なかなか気に入った形にはなりませんが。一日に一個ぐらいは気に入ったものが出来れば。とにかくリラックスできるように。今日、娘たちファミリーが里帰りします。しばらくは賑やかになりそう。まさにお盆前の里帰りといえそうです。
2025年8月6日水曜日
日帰り
鹿児島に行ってきました。定期検診の始まりです。暑かった。本当に、屋久島の暑さとはまた違います。島には風があるので。術後は特に異常なし。ただ、船の混雑は物凄かったです。最近、動画で美少女戦士セーラムーンばかり見ています。それもミュージカル仕立てで海外公演の。良い年をした中年のおじさんおばさんが嬉しそうに参加しています。まさに一体となって。帰ってきて気が付いたのですが、「月に変わってお仕置きよ」というのは、日本人の自然信仰。まさに、月、太陽、石、木と身の回りのものに神を感じる。一神教の唯一神を信じる彼らがすんなり受け入れることが出来ることが不思議です。おそらく、体の芯には自然に対する畏敬の念が隠れているのだろうなと勝手に思っているところです。
2025年8月4日月曜日
風呂
朝、散歩をしていたら、後ろからバイクの音。近くに止まって、「風呂に入らんと?」との声。「えっ、温泉」と返すと「昼は、熱かもんね」と言いながら去ってゆきました。朝からお温泉かあと、思いつつ、昔を思い出しました。毎日温泉に入っていたころを。今日は朝から蒸します。きっと暑苦しい日になりそうです。週の後半は気温も下がるとの事。新しい一週間の始まりです。やがて、夏本番です。暑い暑いと言いながら、気がついたらお盆です。終戦の日を過ぎると、秋がすごそこまで迫っているのでしょう。
2025年8月3日日曜日
うんざり
島に帰ってきて五日になります。その間、工房に下りても息子から追い返されてしまいます。やることがない。何かちょっとした作業をしようとすると、すぐに止められてしまいます。うんざり。もう、仕事をしなくなって何日になるでしょう。やりたいことは山のようにあるというのに。あと少しだと分かっているのですが。埃が目に入ってはいけないだとか。力がいることは眼圧が上がるので良くないとか。制約が多すぎます。結果、ネットの動画ばかり見てしまいます。この方が目にはよくないのではと思うのですが。眼科のデータは古すぎ過ぎるのではというのが素朴な疑問です。まあ、あと少しの辛抱。何とか復帰に向かって少しずつ体を慣らしてゆこうと思っております。
2025年8月2日土曜日
秋の気配
真っ青な空に、涼しい風。夏とは思えません。散歩道にはたくさんのカラスウリの花、季節の進みが早く感じられます。手術から一週間。目の方はだいぶ落ち着いてきた気がします。実は今日は点検に行く日なのですが、船の予約の都合でちょっと先送り。仕事から離れてかなり経ちます。そろそろ、我慢できなくなってきました。そこで息子が午前中出かける間、作業をしました。ただ、粘土に触れることはご法度なので、工房を片付けたり窯に関わる仕事。こんな生活から、少しずつ復帰できればと思っているところです。
2025年8月1日金曜日
病院
眼科の病院から退院してきて、島の病院に行ってきました。定期的な検診ですが。若い頃は無縁だった医療機関に、この歳になるとお世話になるようになりました。複雑な心境です。後期高齢者になると一割負担。74歳までは二割負担です。入院したりすると支払が倍近く、違ってきます。そのかわり、健康保険の料金も大きく変わりますが。入院してみて初めて分かる事。病気になった時の、保険制度の大切さです。同世代でも随分はっきりと健康状態の違いが出てきます。多くの人がこの世を去っておりますし。出来ることなら、健康で長く、生きること。そのためには、養生しつつ元気に過ごしてゆきたいと思っております。
2025年7月31日木曜日
いつもの
暮らしが戻ってきました。日常の。目の方は順調な気がします。昨日は、保険会社の方が来てくれました。支払の相談に。帰ってきて気になっていたのが注文の器です。一応、制作は終わっていたのですが無事に焼き上がるよう、これからが勝負です。息子に言わせると一か月は仕事はダメとか。もうすぐ、一週間目の検診に鹿児島に行かねばなりません。当分は行ったり来たりの生活が続きそうです。
2025年7月30日水曜日
帰還
鹿児島での白内障手術から昨日無事戻ってきました。詳しい話はおいおいと。わずか五泊六日でしたが慣れない病院生活、今はほっとしております。白内障なんか簡単よと、人から聞いていましたが、実際終わってみると、それなりにハラハラドキドキでそれほど簡単ではありませんでした。日帰りでさっさとやってしまうところもあるようですが、より慎重にやってもらえそうな眼科に行ってきました。なんせ、目に傷をつけて小さなレンズを挿入するわけですから。予後も簡単ではありません。目に埃が入らないよう保護メガネを付ける必要があります。仕事柄、微細な粉塵が飛ぶ環境です。出来るだけしっかりと保護しつつ、傷口が戻るまで何とか無事に過ごしてゆきたいものです。これより約一か月、仕事は控えて、完全に元に戻るまで、リハビリに励んでゆこうと思っています。
2025年7月23日水曜日
若草
突然若草劇場を思い出しました。東京の東村山に昔あった映画館です。高校生のころ、そちらにあった全寮制の男子校に通っていました。創設二年目という学校でした。寮から学校への途中にあったのがあの映画館。青春映画をよくやっていました。日活の。吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子等々。その和泉雅子さんが最近お亡くなりになったと知りました。わたくしの姉とほぼ同年だい。和泉さんの代表作が浦山桐雄監督の非行少女。まだあどけなさが残る彼女の体当たりの演技。確か大学生のころ、京橋のフィルムセンターで見た記憶があります。その映画。偶然昨日、動画で見ることが出来ました。まさか、こんな時代がやってくるとは。今や大昔の映画がスマホで見ることが出来る時代になりました。昨日は山内賢とのデュエット、二人の銀座も流れておりました。先日は大好きな「兵隊やくざ」も見ました。勝新と田村高広のコンビがたまりませんでした。浦山桐雄監督の「キューポラのある町」も忘れられない作品です。あの可愛らしい吉永小百合さんも今では八十歳になるようです。和泉雅子さんの相手役を演じた舟木一夫さんとは子供のころ四谷の三角原という公園でキャッチボールをやった記憶があります。大昔の思い出となりました。
2025年7月22日火曜日
抽象表現主義
マーク・ロスコー、ジャクソン・ポロック、ロバート・ラウシェンバーグといった抽象表現主義の作家に、いまだに惹かれています。ていうかそれ以降ではあまり好きな作家に出会いません。後期印象派ではモヂリアーニとスーチンが好きです。スーチンの赤、モヂリアー二のマチエール。ロスコーの静謐、絵画には自分の世界が表現されているのです。おそらくキャンバスとの距離感が内面と語り合っているように感じられるのでしょう。明後日、眼科で入院します。あそこには何点か、柏木健太の作品が飾られています。初めて行ったときビックリしました。前に大きな病院で沢山の吉井じゅんじの若かりしころの作品に出会いました。鹿児島のお医者さんは絵がお好きなようです。手術は嫌ですが、またあの絵が見れることは楽しみです。
2025年7月21日月曜日
エアコン
早速ですが今朝、電気屋さんが来てくれました。説明して試しにスイッチを入れてみたら普通に作動します。「「あれ!おかしいな」といったところ、設定温度を下げたというのです。という事はセンサーが誤作動しているという事のようです。室外機のモーターが壊れたのではなく、何とか冷房は効いているという事が出来そうです。ただ。購入してからすでに十七年が経過しているとか。十年を過ぎると部品の提供がなくなるとのこと。今のところは何とか作動してはおりますがそれがダメになったら買い換えないといけないという事。それなら、早めに対処した方が良いのではという考えがおもいつきます。それと、工房の灯り。この前つかなくなった電気が普通につきます。「えっ、どうして」というと、よくある事ですという返事。電気屋さんが扱うと直ってしまう事がよくあるとのことです。まあ、色々ありますが、結果オーライ。これからどう対処したらよいのか、頭が痛い問題です。
2025年7月20日日曜日
エアコン
体験工房のエアコンが突然壊れました。予約が入っていたので、掃除して、冷やしておこうとスイッチを入れたのですが、なぜか全然冷えてくれません。調べると、どうやら室外機が動いてないようです。昨日まで普通に作動していたのに。昨日は作業場のあかりがつかなくなりました。新しい器具に変えたのに。どうやら、機械が壊れるモードに入って来たようです。こういう流れって連鎖するものです。まずいなと思いつつ、流れがよくなるのを待つしかありません。息子に言わせると何もかも古いからなあとか。願わくばこれ以上とり返しの付かないようなことが起きませんように。
2025年7月19日土曜日
夏の日差し
戻ってきました。入道雲に暑い日差しが。吹く風が強く、雨が続いたので水道が止まって川に上がりました。大雨の降った後で、水道の管が押し流されて、下流まで探しに行きました。水口を押さえていた大きな石が水の流れでどこかへ行方不明。川でうろうろしてたら突然の大雨。まさに自然から弄ばれてしまいました。それでも夏は夏らしいのがうれしくもあり、びしょぬれになりながら、これぞ屋久島の夏と、妙な納得。これからが台風シーズン。さていかなる日が待っているのでしょう。
2025年7月18日金曜日
みたままつり
子供のころの話です。東京の四谷というところで生まれました。家の前を都電が走っていました。12番に乗ると四谷見附の次の停留所が本塩町その次が市ヶ谷見附、次が確か九段下だったと思います。本塩町の停留所のすぐ前に生まれ育った家がありました。九段下には靖国神社がありました。子供のころ毎年、夏になると,みたままつりというものが開かれました。それは夜に行くときれいな提灯のようなものに政治家や作家、スポーツ選手が絵や文字を書いて並べられます。有名人が書いたものを見るのが楽しかった思い出があります。何のためにそんなことが行われるのか父も母も教えてくれませんでした。今なら、この国の為に命をささげた人の霊を敬うためだと分かるのですが、あの頃はその意味さえも考えが及びませんでした。靖国神社が何のために建てられたのかも。今朝偶然に、現在もあのお祭りが受け継がれていて、多くの人が訪れていることを知りました。学生時代リベラル思想に洗礼され、この国を命を懸けて守ってくれた人たちへの思いとはかけ離れていた身、最近歳をとって、人間としてどのように対処してゆくべきか、色々考えさせられることが多くなってきました。国を守るという事の意味。豊かな社会を維持するためにどのように行動するべきか。参議院選挙を前にして余計に先の事が心配になっています。
2025年7月17日木曜日
田渕純
偶然、ユーチューブで純さんの歌を聞きました。確かお笑いの高座にも上がる人でマヒナスターズの最後のメンバーとか。昭和歌謡が大好きとのこと。まず声質が透明、そして言葉が明瞭、古い人間にはストレートに響いてきます。「寒い朝」。この曲は吉永小百合さんが歌っていた曲で大好き。ザ・タイガースのジュリーが歌っていた「花の首飾り」も別の魅力があります。それに「上海帰りのリル」。昔よくきいてたような。これで何とか、村下孝蔵さんから、卒業できそうです。
2025年7月16日水曜日
貧すれば
今朝の食事の時息子が突然こんなことを言いました。今年のテーマは「貧すれば鈍す」「鈍すれば窮す」「窮すれば通ず」と。それを聞いてそれってどういう事と問い直しました。たとえば衣食足って礼節を忘れずみたいな?。それとも。たしかに貧しくなると、生活に追われてゆとりがなくなることは間違いありません。そうなると、生きることに前向きになる事は難しくなります。そして最後は天に向かって祈るしかなくなります。天に通じれば再び希望が湧いてきますが、そうならないときは絶望の淵で身を沈めてゆくしかなくなります。よくわかりませんが、前を向いて自分を信じて進んでゆくしかない、と思うのですが。
2025年7月15日火曜日
風
昨日、午後から風が吹き荒れました。それで、家の、光回線のケーブルが切断してしまいました。おそらく、防風林の枝先が接触したのだと思います。しばらく、WiFifが使えません。夜、寝ながら動画を見る習慣になっているので困りました。そこで仕事場で寝ることにしました。昔、自宅と仕事場が一緒だったころに戻ったようです。寝れるかどうか心配でしたが気がついたらぐっすり。朝もいつも通りに起きることが出来ました。ただ、眠りにつくのが遅かったようで仕事中に眠い事。しばらく工事が終わるまで、仕事場で寝る日が続きそうです。どうか、毎日良く眠むれることを祈っております。
2025年7月14日月曜日
盛り沢山
週が新しくなって、盛りだくさんな一日になりました。まず、土練機を回して、次は昨日、造ったプレートを仕上げて、陶芸体験の作品を削り、注文の苔玉を置く皿をろくろで挽きました。あれこれ落ち着かない一日。午後からは陽が差して、来ました。何日ぶりのお日様でしょうか。やはり、有難くなりますねえ。夏はこうでなくちゃ。関東方面は大荒れの様子。これから台風シーズンに入ってきそうです。
2025年7月13日日曜日
雨降り
七月、梅雨明け後にこんなに雨が続くなんて。ちょっと変。あっちこっちおかしなことが起きているし。もう何日、朝の散歩、一人で歩いてるんだろうか。スズがいなくなってかみさんと二人で、しかし雨の日は一人散歩。ついつい、色々なことを考えてしまいます。来し方を。歳をとるとつい後ろ向きになるようです。そんな時は、どうで死ぬ身のひと踊りと、馬鹿になって頭を空っぽにして、過ごそうと思うのですが。
2025年7月12日土曜日
この国
最近、工房で一日中、村下孝蔵さんの歌を流しています。最初のころは、「初恋」とか「踊り子」とか「ゆう子」が好きでした。ほろ苦い青春の歌。ところがきのうあたりから「この国に生まれてよかった」という歌が好きになりました。どちらかというと愛国的な。郷土愛とか人生を肯定するような歌です。たとえば高校生の頃は雑誌でいうと「世界」とか「朝日ジャーナル」とか。毛沢東語録もカバンに入れておりました。あの頃、心情三派と呼ばれた学生運動肯定的な思想。それが歳をとってきたら、だんだん保守的な物の考え方。国土を愛して、日本人のアイデンティティーを大切にしてゆきたいといったような。歳を喰ったからというよりも、そろそろ落ち着いて暮らしてゆく方へ。家族や友達、先祖を敬って、この国をつくってくれた先人達への感謝の心。人は刺激的な生き方から少しずつ、ゆったりとした心もちへと変化してゆくのかなあと思ったりしております。
2025年7月11日金曜日
石膏
昨日、あるホテルの和食の料理人さんがお見えになり、器を造って欲しいとのこと。早速希望を聞いて、サンプルを作ってみました。形が、型を使わないとできない仕事なので原形を作って石膏を流し込むことにしました。ところが石膏が古くてすぐに固まってしまいました。何とか流し込むことは出来たのですが、きちっと表面を整えることが出来ません。石膏が古くなって湿気ることを泣くと言います。もっとひどくなると固まらなくなってしまいます。今年の梅雨はそれほど雨が多くなかったので何とか、固まらなくなることはありませんでしたが。とにかく攪拌している間に固まってしまう事には弱りました。あとでナイフでけずって仕上げるしかありません。理想的な型には程遠いのですが。何とか固まってくれたことに感謝して前に進むしかありません。果たして、狙い通りの器になるのやら。やってみるしかありません。
2025年7月10日木曜日
山水
今日、陶芸体験のお客様が手を洗おうとして水が出ないと言いました。どうやら山水が止まっていたようです。雨が少なく川の水が減っているのかなと水源地まで行ったのですが、タンクからは水があふれていました。風が強かったのでどこかで水道が抜けてしまったのかと、工房の周りを歩いたのですが、水漏れが見つかりません。それでは庭かなあとあっちこっち歩いてもどうしても原因がわかりません。それよりも庭が雑草に覆われて歩くことも困難です。ずっとひざを痛めていて庭仕事から離れています。野菜も花も全く手がついておりません。いつも横目で気にしながら通り過ぎていたのですが、実際に足を踏み入れるとその荒れ方にショックを受けました。これではいけないと一念発起。これから少しずつでも雑草を抜いて、一歩一歩、何とか元の庭や畑に戻してゆかねばと思っています。足もまだ本当ではなく、体も思うようには動きませんが何とか少しずつ、進めてゆこうと思っています。
2025年7月9日水曜日
虫の音
七月もまだ半ば前だというのに、秋の虫が鳴きだしました。今年はいつもより季節が早くめぐっているようです。今朝の空は、雲が厚く、山の方を振り返ると茜空。時折にわか雨が降って、まるでお盆過ぎみたいです。秋がどんどん早まってくる印象です。お客様もちょっとずつですが戻ってくるような。例の、災害もとりあえずは起きてないし、トカラも何となくこのまま過ぎてゆきそうな気配。いつもの夏が戻ってきそうです。体も少しずつ暑さに慣れてきました。平穏な暮らしを心から願っております。
2025年7月8日火曜日
金継
今朝、見えたお客様。前にも来て、買ってくれたようで、口の欠けた器を持ってきました。欠けてしまったものを修理できないかという事です。出来れば金継で。昔金継の技法の本は読んだことがありましたが、簡単な修理ならできるますが、本格的な金継まではちょっと難しいとお答えしました。おそらく誰かに聞いて来てくれたのだと思います。以前、どこか別のところで買った器の修理を頼まれたことがありましたが、なかなか難しかったというのが正直なところでした。うちで造った器については出来るだけアフターケアはしたいと思っているのですが。お客様が満足してくれるような仕上がりになるか。はっきり言って直しの方がはるかに難しいところがあります。一応預かってはおきましたが、果たしてどうなることやら。割れた器を張り付けるぐらいなら何とかなるのですが。今回のは完全に欠損してしまっています。どうやって復活させようか、頭を悩ませております。
2025年7月7日月曜日
夏
遠い思い出です。昨日カマボコ兵舎の事を書きましたが、確か建っていた場所はイグナチヨ教会前の広場だったと思います。少し行くと上智大学。近くには国会図書館がありました。当時は国会図書館に使われていましたが現在の迎賓館です。ヨーロッパ風のクラシックな建物。入り口には、皇宮警察感官詰めていました。中に入ると裏には広いグランドがあって、昔は千代田区の学校の連合運動会が開かれていました。永田町、錬成、麹町、番町など。かなり昔の事なのであまり記憶が確かではありませんが。同じ敷地を神宮外苑に向かって歩くと、現在の上皇様が皇太子時代に住んでいたお屋敷がありました。そのあいだ当たり、に小さな門があって門番の警察官が詰めていました。その人たちと顔見知りになって、夏には特別、中に入れてもらって、スケッチをさせてもらった記憶があります。植物や昆虫などを夢中で描いたものでした。夏にはもう少し足を延ばして、神宮の絵画館の前でプールの開放がありました。そこには暑い夏、汗をかきながら足を運んで水浴びをした記憶があります。なんと更衣室は古い肖像画の前を通って、行ったのを覚えております。戦後の混乱期だったのでそんなことも許されたのでしょう。街には傷痍軍人や進駐軍の姿を見かける時代でした。
2025年7月6日日曜日
ゆうこ
村下孝蔵の歌にゆうこという曲があります。娘と同じ名前。福岡の大学を出て、そのままあちらで結婚して現在も向こうで暮らしています。夏には孫たちを連れて里帰り予定。今は、直行便も出ており、ちょうどよい距離です。飛行機が好きでない人は、新幹線も通っています。朝いちばんに高速船に乗るとお昼には博多につきます。はじめて屋久島に来た時と比べると雲泥の差。便利な世の中になりました。あれから五十年余り。確か屋久島に来た年、沖縄が本土復帰しました。それまでは、クルマは右側通行だったと思います。それまではパスポートが必要だったそうです。私が生まれたころには東京にも進駐軍のかまぼこ兵舎が建っていました。まさしく、思えば遠くに来たもんだといった心境です。昭和は遠くなりました。
2025年7月5日土曜日
とりあえず
とりあえず、今のところは大きな災害は起きておりません。なんとかこのまま無事に過ぎてくれることを祈っております、それにしてもいつ何が起きるのか先が読めません。ここから目と鼻の先のトカラでは大変なことが起きています。幸いここは体に感じる揺れは今のところありませんが。いずれにしても良い気持ちはしません。おそらく周りの人達も心のどこかに不安を抱いていることでしょう。すぐ近くには海中温泉が湧いています。温泉が湧くという事は深いところでマグマとつながっている証拠。いつ何が起こってもおかしくありません。願わくば大きな被害だけは被らないよう祈っております。
2025年7月4日金曜日
投票
期日前投票に行ってきました。ちょっと早かったのですが。役場で受付が始まっています。結構、人が多くおりました。高齢者が多かったようですが。何とか、一票を無駄にすることにならなかったと思います。そのあと買物。今日はかみさんの誕生日。アメリカの独立記念日にあたります。時まさに、物騒なうわさが流れてたり、鹿児島では火山が噴火したり、群発地震が起きたりと、どうやら騒々しい今日この頃です。道行く人もまばらで観光で訪れている人もほとんど見かけません。どうやら今年の夏も静かに過ぎてゆきそうな気配。月末に予定している入院に備えて、買い物をしたり当面の食料品を手に入れたり。工房に戻ると窯が壊れたとの報告も。なかなか思うようには進んでくれそうもありません。こんな時は、頭を低くして風が吹きすぎるのをじっと待つことにしましょう。
2025年7月3日木曜日
初恋
昨日から一日中、村下こうぞうさんの歌を聞いています。ネットの音楽で。勝手に選曲して流れてきます。踊り子とか少女、ゆう子など。ゆう子は偶然ですが、わが娘と同じ名前。中でも初恋という曲。ほろ苦い、人を恋しはじめる年ごろ。誰にでもある、打ち明けられない思いを歌った曲です。ユーチューブで切り絵の少女が描かれた画像が気になって、ちょっと調べてみたところ、同じ年の人。切り絵画家でもあり彫刻家でもあるひとの作品だと分かりました。もう一つ偶然がありました。大昔大学受験の時、受ける予定だった学校に通っていたようです。もしかしたら、どこかですれ違っていたかもしれません。なんか、不思議な感覚がよみがえってきました。
2025年7月2日水曜日
変な注文
最近多いのです。おかしな注文が。まずは手洗いボウル。かなり大きな、二つまとめて。ゲストハウスに使いたいとか。素焼きで焼いたら二つ割れてしまいました。合わせて四つ造ったうち。あとがありませんギリギリです。次は屋久島の形を彫りこんだプレート。こちらは全部でニ十個。もう一つはスプーン置き。青い色の。こちらは二百個。今日百個に釉薬掛けをしたのですが。なかなか思うように進みません。珍しいものは、普通の手順ではなかなかできません。失敗するリスクが高くなります。そういう仕事に限って注文を頂きます。ですから、気を抜くことが出来ません。緊張が続きます。
2025年7月1日火曜日
ジュライ
七月になりました。今日から折り返しです。本当に早い。月日の過ぎるのは。歳をとると余計です。一生懸命仕事をしているのですが。追っつきません。ここのところ早朝から仕事場に下りて、作業をしています。昼間は暑すぎるので。先日眼医者さんの看護師さんから今も仕事しているのですかと尋ねられました。そうか、もう隠居していてもおかしくない歳なのかと思いました。自営業者は死ぬまで体が動く間は働くものと考えていました。そんなことで、今月は白内障の手術をしてもらい、はっきりと眼が見えるようになったら、もうひと頑張りしたいものと思っております。
2025年6月30日月曜日
折り返し
六月も今日までです。明日から折り返し。七月には日本が壊れるような天変地異の予言もあります。わたくしの白内障の手術も。もし無事に迎えられたらですが。世の中が物騒なのでいつ何が起こるか、予測不能。ただ、一日をしっかりと過ごす事しか、出来ることはありませんが。願わくば平穏な日々が続きますように。
2025年6月29日日曜日
スープカップ
昨日からスープカップを作り始めました。定番品を補充するためです。来月、目の手術をしたら一か月は土に触ることが出来なくなります。そこで、夏場に向けて、出来るだけ欠品が出ないよう、今のうちに造り足しておく必要があります。目の手術。簡単に考えていたのですが。現実になるとなかなか難しいことが出てきます。まだまだ体が動く間は、出来ること、備えておく必要があります。
2025年6月28日土曜日
ジオ
昨日、診察のために鹿児島に行ってきました。帰りの船の中でキンドルを読んでいました。茂木誠一郎先生のジオヒストリア。地球史とでも申しましょうか。感覚としては考古学的世界史というものでしょうか。天文学的な話が多く、難解でなかなか入っていけませんでしたが、もう少し宇宙について勉強しておかないとと痛感いたしました。物理や化学の知識のなさに我ながら反省しております。船がかなり遅れて、馬毛島を見てみたかったのですが果たせませんでした。穏やかな海を眺めて、この地球上で人が殺しあっていることに改めて、あれこれと思ってしまいました。
2025年6月26日木曜日
棚卸し
今年六回目の棚卸に行ってきました。早いですねえ。もう折り返しです。まだ半年ですが、すでに色々とあり過ぎです。そしてもうすぐ七月。どこかの誰かが予言した七月がすぐそこです。果たして天変地異が起こるのやら。なんにしても、こちらとしては淡々と来るべき時を迎えるのみです。明日は日帰りで鹿児島に行ってきます。朝が早いので明日の日記はお休み。そういえばスーパーでカミさんは獣医さんにばったり。今日もたっぷり涙を流しておりました。
2025年6月25日水曜日
削り
今日は削り。ところが、昨日挽いたお皿が乾いていません。削るには柔らかすぎます。削れるところだけ削って、変形しそうな柔らかいのは明日に延期。そのかわり先日の体験作品を仕上げました。今日の午後の蒸し暑さ。関東の方にむかった熱低の影響でしょうか。これからが夏本番なのに。乗り切ることが出来るのでしょうか。
2025年6月24日火曜日
目標
毎日、前日の晩、明日の予定を立てます。目標と言ってもよいかもしれません。順調に進めば頑張って達成できるし、何かの原因で出来ない事もあります。今日の目標は、五寸皿、昨日と合わせて50個を挽く事。何とかクリアーできました。明日は五十個すべて削る事。うまくいったら化粧掛けまでやりたいと思っております。その次の日は棚卸し。また次の日は鹿児島に上って眼科で検査が予定されております。世界的には、とりあえずイスラエルとイランの紛争が収まりそう。ウクライナとロシアは終息の目途は立っておりません。一つ落ち着きそうになると、また次の問題が発生します。人が平和に暮らすことが出来る日は、いつになったらやってくるのやら。
2025年6月23日月曜日
閑散
ここのところ。お客さんがばったり。特に外国からの。いったい何がと思っていたら、七月五日、天変地異が起こるという予言でどうやら海外からのお客さんの足が遠のいているという話です。話は変わりますが昨日はすぐ近くのトカラで地震が頻発しているようです。新燃岳も活動しているようですし。遥か昔、アカホヤ大噴火が起きたとか。今から7300年前の出来事のようですが。すぐ近くに海中温泉が湧いていますし。マグマが活発になると、いつ何が起こるか、こればっかりは予測できません。心配半分、ワクワク半分と言ったところでしょうか。
2025年6月22日日曜日
戻り梅雨
再び蒸し暑さが戻ってきました。朝の散歩道、山を見ると重そうな雲が覆っていました。昨日までの夏空とはだいぶ違っています。今日の仕事は屋久島プレート。屋久島の形に彫りぬいたところで苔を育てたいというお客さんの注文品です。島の周りは青い海のイメージ。いくつか試作してようやく本制作に入りました。表には屋久島という文字を入れてほしいとのこと。お土産品ぽいのは抵抗がありますが何とかおしゃれに出来ないものかと、悩んだうえで、妥協しつつ制作しております。依頼者の気持ちも考慮しつつ。モノを生み出す事は簡単にはゆきません。
2025年6月21日土曜日
朝方
今朝は四時起き。仕事場で削りでした。大きな洗面ボールの。そのあとひとりで散歩。犬がいなくなって週末は一人。カミさんは夜型人間なので。大昔、中学生のころ、とある雑誌、確か旺文社の中学生時代に記事が紹介されたことがありました。あの頃も、朝早く起きて、勉強した後、外堀の土手を散歩するという話が載せられたことがありました。当時は東京の四谷に家があって、家の前が皇居の外堀でした。それが今は屋久島の草だらけの公園を歩いています。島で一番大きな会社が管理していた公園。最近はほとんど草に覆われてまさに廃園状態。栄枯盛衰と言いましょうか、時代が変わると状況も変化します。そのうち、その公園の入り口近くに、小さな売店が作られる予定です。集落が経営する。海に沸く温泉は最近、海外からのお客さんに大人気。そこで売店を作ることになったようです。世の中、色々変化が起こるようです。屋久島に来たばかりのころは夜中に酔っぱらって温泉に浸かっているうちに寝てしまい、気がついたら、潮が満ちてきて海に沈んでいたなんてことがあったのを思い出します。
2025年6月20日金曜日
梅雨
今朝、散歩をしていたらご近所の方に出会いました。もう梅雨が明けたかもと言って空を見上げました。奄美は梅雨明けしたと言ってたので、と返事しました。今年は夏が長かかもねえ、とのこと。空梅雨気味な気がします。蝉が一日中鳴いて、夏到来を知らせています。道には早くも蝶が落ちています。夏の終わりの暗示。季節は前へ前へと進んでゆきます。夏って、なんとなく死を予感させて、どこか遠い所へと導かれるような感じになります。限りある生命。中東からは硝煙の香りが漂ってきますし。平和な世界なんて夢の中の話なのでしょうか。
2025年6月19日木曜日
2025年6月18日水曜日
削り
大きな鉢。手洗いボウルの削り仕上げをしました。排水口を削ってほぼ完成というときにちょっと欲をかきました。土がちょっと柔らかめとは思ったのですが。あっという間に変形してしまいました。この段階まで来てつぶすなんて。情けないやら泣きたい気分。先が見えて油断したのでしょう。この段階てつぶした記憶がありません。別に持ち運ぶものでもないのに。多少重くても問題ないのに。魔が差したというか。ちょっとした油断というか。また明日、一からやり直しです。
2025年6月17日火曜日
朝から
雨が強く降ってきたので散歩は中止。そのかわり早朝から土練機を回して、土づくり。日中は暑くなるので、涼しい朝のうちに。昨日クリップ式の小さな扇風機が届きましたが、あまり役に立ちません。それでも、洗面ボウルの最後の一個を何とか挽き終えました。これで今日のミッション終了。あとは前に挽いた洗面ボウルを削ったり、箸置きに化粧を掛けたり。今月はいろいろ出費が多いようなので、少しでも節約しないと。月末には鹿児島の眼科に行かないといけませんし。家ではクーラーを取り付けたりしたので。節約すると言ってもこれ以上どこを削ったらよいのやら、世間は物価も上がってますし。
2025年6月16日月曜日
湿度
昨日は湿度が75%でしたが今日は85%でした。ジメジメ。工房の器たち。ベランダに出して乾かそうとしたのですがこの湿気。全く乾いてくれません。家の湿度計は99パーセント。おそらく、壊れているのでしょう。それにしても、毎年とはいえ、なかなか、焼き物屋としてはきついこの時期。昔はなぜか、梅雨の頃に個展を開いていました。そこでこの暑さの中で一晩中ストーブを焚いたりしました。体が悲鳴を上げてました。てなわけで、ここにきてつけが回ってきたようです。若い頃の無理は禁物ですねえ。
2025年6月15日日曜日
フェードアウト
今日は、集落の奉仕作業。中には年に一度しか顔を合わさない人もおります。だから早朝から準備。ところが息子が代わってくれるというのです。親父の腰を心配して。何とか頑張るからと言ったのですが、言い出したら聞かない人。有難くお願いしました。そのかわりと言ってはなんですが、昨日頼まれた洗面ボウルに挑戦しました。一個に使う量が多いので、半分ずつ土を練りました。出来るかどうか恐る恐るろくろに向かいました。何とか一個無事に成形。なんだ出来るじゃないかと思ったのが誤り。次からは上手くゆきません。夕方何とかもう一個、形になりましたが。気が付いたの事は、こうしてだんだんフェードアウトしてゆくのだなということ。痛いところが出て来たり、力が衰えて来たり。老いるという事は哀しいことです。
2025年6月14日土曜日
洗面ボウル
今日、洗面ボウルの制作を頼まれました。前回の依頼ではお断りしたのですが。なんとなく流れで受けることにしました。おそらく今回が最後でしょう。島でゲストハウスをやるという方から。腰があまり良くないので大きなものを造れるか心配ですが。たまたま、大きな鉢を挽いて少しですが自信が出てきたところです。今日はその鉢に白化粧を塗って、模様を付けました。昔から大好きだったベトナムの技法です。魚文鉢。ベトナムに行ったとき一個だけ見つけたのですが、店番が誰もいなくて泣き泣き諦めました。実は東京の実家の近くにあった骨董店でも一つ見つけました。それは、値段が手が出ずやはり泣き泣き諦めたものでした。三度目の正直。思い切って自分で作ることにしました。果たして、上手く焼けるものやら。なんか、今日は終活をやっているような気がします。
2025年6月13日金曜日
扇風機
湿度と暑さに、対応するため扇風機が出番です。75%31度。まだまだこれからでしょうが、体が慣れておりません。そんな中で昨日挽いた鉢を削ってスラブローラーで箸置きを作りました。今朝の散歩は昔よく歩いた一番遠いルート。愛犬を思い出してカミさんが涙。少しずつですが朝の散歩もスピードが戻りつつあります。
2025年6月12日木曜日
大鉢
昨日さんざん失敗した大きな鉢、何とかろくろで挽くことが出来ました。昨日は少し土の量が足りなかったと反省して、増量しました。ろくろの回転も遅くして。特に最後の一つはかなり達成感があります。やはり、習うより慣れるですかねえ。
2025年6月11日水曜日
散歩
今朝の散歩はかみさんと二人。久しぶりに公園を歩きました。かなり荒れていて、アスファルトもデコボコ。今朝はかみさんが涙を見せたのは一度。少しずつですが元気を取り戻しているようです。湿度が高く、昨日挽いた器が乾燥しません。そこで大き目の鉢に挑戦したのですが、ほぼ失敗。最後の一個だけ、何とか壊さないですみました。明日も大鉢、再チャレンジしようと思います。
2025年6月10日火曜日
朝の散歩
一人で歩きました。今朝の散歩は。最近は家の周りをちょっと歩く程度でしたから、久しぶりに本格的に歩きました。カミさんはまだです。坂がきつく、すっかり息は上がり、汗が噴き出て、足も萎えてしまったみたい。これから、またせっせと歩こうと思っています。折角、愛犬に救ってもらった命ですから。
2025年6月9日月曜日
スズⅡ
昨日の晩、逝ってしまいました。カミさんが見守る中。我が身の高血圧対策で、散歩犬として頑張ってくれてたのですが。寝たきりにはならず、最後まで朝の散歩に付き添ってくれました。我が身の命の恩犬です。今朝、家の庭の片隅に埋葬させていただきました。昨日までは音を立てて降っておりましたが、今日は雨も上がり何とか無事作業を終えることが出来ました。ペットロス。当分心淋しい日々が続きそうです。
2025年6月8日日曜日
スズ
愛犬スズが心配です。近頃認知が進み、ぐるぐると同じところを回ってばたっと倒れて寝てしまいます。息子が献身的に世話をしていますが、かなり弱っている気がします。生き物にはそれぞれ、与えられた寿命があります。人間を含めて。どうか、命を全うしてくれることを祈っております。
2025年6月7日土曜日
枝切
朝、息子が、道路沿いの草を払ってくれました。腰が痛い親に変わって。来週は集落の奉仕作業が予定されています。外に出ると息子がせっせと鋸で枝を切っていました。そこでチェンソーで切り下ろした枝を、細かく切り分けて軽トラで片づけを手伝いました。ちょっと動いただけで汗が吹き出します。余り体を使ってないので、すっかりなまっているようです。こんな風にフェードアウトしてゆくのかなあと少し寂しくなりました。もう少し、出来ることなら、現役で動き続けたい思いです。
2025年6月6日金曜日
勘違い
今日は午後から手びねり体験が入っていたので、工房を片付けたり、やりかけの釉薬掛けをしたりと、バタバタしてしまいました。ところが、息子から、それは明日じゃない?と言われてスケジュール表を調べてみたら、まさに一日、勘違いでした。ちょっと気が抜けたり、午後の予定を変更したり。なんだか気が抜けてしまいました。まあ、そんな日もあるさとゆっくりしつつ、半日損したような気分。あとになって、あれもしとけばよかった、これもしとけばよかったと反省。この貧乏性、何とかなりませんかねえ。
2025年6月5日木曜日
空模様
ここ数日、朝夕の空模様が秋のよう。青空に筋を引いたような、あるいは鱗の様な空が広がっています。空気も澄んで、昨日の体験作品は朝見たらもうすでに十分な乾き具合。ていうか、むしろ乾きすぎ。そこで慌てて密閉容器へ入れました。陶芸はお百姓さんと似ていて、お天気に左右されます。願わくば、異常気象になりませんように。お米だって野菜だって、不作になると、皆困ってしまいます。
2025年6月4日水曜日
三島押し
朝からカップに印を押しました。いわゆる三島印です。新しい印をたくさん作ったのですが、結局いつもの印を使ってしまいました。何故か、使い慣れたものに手が行ってしまいます。そのうち少しずつ慣れてくるかもしれません。一つ気が付いたのですが、ずいぶんきれいに出来るようになったという事。この仕事、始めたころは模様が崩れたり、深さがまちまちだったり。印もドロドロになってしまいました。それが手馴れてきたというか要領がわかってきたというか、プロっぽくなってきました。しかし、ちょっと違和感を感じる部分も。手馴れてきて職人ぽくなるという事は、何か感動が薄まるような、悪戦苦闘しているときの方が存在感があった気がするのです。絵なんかもそうなのですが。ある程度作風が確立してくると、技術にとらわれてしまうというか、気持ちがこもらないというか。そんな感じがしてしまいます。物を造るってことの難しさはそんなところにもあるように思います。悩ましい問題ですが。
2025年6月3日火曜日
六月
気が付けば六月。今月を乗り越えると折り返しです。今年もいろいろなことが起きております。お米が相変わらず値上がりしてたり、アメリカのトランプさんの関税だったり、お隣の国では今日が大統領選挙とか。結果が出るとまた反日が始まるのでしょうか。日本でも夏には参議院選挙。日々激動しております。そんな中で年を重ねていると、自身の体が気になります。来月には白内障の手術。数日前から緑内障がこれ以上悪化しないための目薬を差し始めています。歳をとると心配なのが認知症です。いつか自分のことがわからない日がやってくるのでしょうか。まあ、それまで何とか手を動かして、土と戦い続けたいと思っております。
2025年6月2日月曜日
ユダヤ人
先日、鹿児島に行ったとき、病院や船の中でずっと読んでいたのが田中英道先生が書かれた美術の話の本でした。田中先生はこの春にご逝去されたのですが、東北大学で美術史を教えられ、主にご専門は西洋美術でミケランジェロやダヴィンチを研究しておられたようです。お年を召されて、最近は日本の古代史やユダヤ人と日本人との交流に関する著書も多く出版されておられました。ユーチューブで初めて知って、興味深くいろいろな動画を拝見させていただきました。特に仏像についての造詣が深くフォルモロジーという考え方で視覚で物事を判断するというユニークな説が興味を引きました。全くお説ごもっともと納得ゆくお話に目からうろこの思いがいたしております。古代よりユダヤ人が日本にやってきて、古墳や農耕に多くの影響を与えたというお話は、日本の歴史を理解するうえで示唆に富んでおり、新しい視点に大いに感嘆いたしております。これからもますます研究を深めてもらいたいと思っておりましたが、残念ながらお亡くなりになってしまいました。おそらく誰かが跡を継いで研究を進めてくれるものと期待しております。あの先生の御研究のお話をこれから時に応じてしてまいりたいと思っております。
2025年6月1日日曜日
荷造り
陶芸作品の荷造りをしました。まず、器を砥石ややすりで仕上げて、梱包してゆきます。今回は作品の数が多く、一日で終わるか心配でしたが、この作業も手早くなりました。三時過ぎには何とか終了。明日には送り出すことが出来そうです。先日四国に送った器では割れたものが出てしまいました。自分たちの作品なら、あきらめることもできますが、体験の器は大切な思い出の品。絶対に破損は許されません。ですから神経の使い方が違ってきます。どんなに一生懸命に梱包しても、アクシデントが起きることはあると思います。手元を離れたら祈るしかありません。どうか無事につきますように。念を込める以外はどうにもならない事です。
2025年5月31日土曜日
鹿児島
昨日は日帰りで鹿児島へ行きました。用事は眼科です。一か月後にきてくださいというので。家を六時前に出て病院についたのは十時過ぎ。それでも便利になったものです。なんせ日帰りが出来るようになりました。二か月後に手術が決まりました。今度は入院だとか。それまで何とか元気に過ごさねばと思っております。今日は体験作品を削って、カップも削りました。明日は三島印押し。仕事は続きます。手が動く間は。
2025年5月29日木曜日
筆
リセーブルという筆があります。洋筆と言って、油絵やアクリルで絵を描くときの筆です。日本ではホルベインやなむらというメーカーがあります。昔買った筆が便利で今も陶芸用に使い続けています。その筆がここに来てかなりちびてしまいオークションで探していました。適当なのがあったので入札しましたが最後の最後で他の人の手に渡ってしまいました。他のを捜していたところ、あまり見かけないルートで見つけることが出来ました。こちらは即決。しかしどうも手順が違っていました。手元にと同たので評価を入れようとしましたがどこにもページが見つかりません。息子に訊くと、それはオークションではなくてフリマとのこと。確かにオークションのところに出ていたというと、おそらくこちらが興味を持ったのをネット側が探してくれたのではないかとのことです。そういえば動画などでも一度見たら似たようなのが次々出てきます。配信側でのそんな機能があるとか。もう年寄りにはとても理解不能。アナログ人間には理解が出来ません。なんだか機能が勝手にどんどん更新されているみたい。古い人間は遅れるばかりです。
2025年5月28日水曜日
体験作品
かなりたまってきたので、そろそろ焼成の準備をはじめました。体験作品の話です。データを書いた記録紙をもとに棚から探し出して日付ごとに仕分けしてゆきます。ところが、見つからないものが次から次へと。一つ二つだけなら、なかなか出てこないことはよくあるのですが今日は数がまとまって見つかりません。かなり探し回って、半分あきらめたとき、自分たちが制作したと思った全然別のところから出てきました。素焼きの窯づめをしたとき大きさと高さで分類するのですが、窯出しの時、勘違いして別の場所に置いてしまったようです。まあ、何とか見つかって一安心。しかし一時は絶望的な気持ちになりました。数がまとまっておりましたので。今日は梅雨の中休み。それでも、雲がひろがり、どんよりとしています。明日からまた雨空が戻ってきそう。頑張って釉薬を掛けてゆこうと思っております。
2025年5月27日火曜日
棚卸し
連休が過ぎて、五月の棚卸に行ってきました。お客さんが多かったと見えて棚はガラガラ。たっぷりと納品してきました。帰りの車の眠い事。歳のせいか、すぐ疲れてしまいます。先日鹿児島の眼科で見てもらったら、再検査を言い渡されてしまいました。一か月後とのこと。今日、高速船の予約のために港の受付に寄ったところ、鍵がかかって中に入れませんでした。どうやら、窓口に人の気配がありません。工房に戻ってネットで予約をしました。今どきは何でもデジタルが便利な時代になりました。
2025年5月26日月曜日
百名山
今日体験に来た方のご主人。日本百名山を目指しているとのこと。残すところあとわずかとか。明日は宮之浦岳を目指してるそうです。勤めを終えてからだそうで、三歳年下のようです。だから十二年で百近くの山を登ったそうです。途中で重い病気を乗り越えて。話を聞いて頭が下がる思いになりました。人間目的があると頑張れるようです。振り返って我が身。ただ流されてここまで来てしまいました。しかし、まだ人生が終わったわけではありません。残りは多くはありませんが、まだまだこれから。何とか焼き物造り、極めたいものです。
2025年5月25日日曜日
ライフワーク
朝から土練機を回して、ちょっと疲れ気味なので三島の印を彫りました。新しいタイプの。心が落ち着きます。夕方お客さんが来てくれました。物静かな人たち。シンガポールからでした。赤ちゃんを連れて。まだ一歳前とか。そんな人たちが買ってくれたのは三島のそば猪口でした。焼き上げて展示場に出したばかりの。実は今も造っているところの。何かの縁でしょうか。人間の思いって伝わるのでしょうか。色々あって、最後に戻るところは三島の仕事。おそらくライフワークになるのでしょう。
2025年5月24日土曜日
インターナショナル
こんな離島で焼き物屋をやっているのですが、おかしなことが起きました。朝一で来てくれたのがフランスからのお客様。なんでも1500年前からの家に住んでいるとか。次は、ドイツから。そして午後のお客さんはイギリスから。陶芸体験は大阪からの家族連れ。雨の屋久島。梅雨真っ盛り。こんな辺鄙なところにヨーロッパから、そして大都会から。わざわざ足を運んでくれた方達。心より感謝申し上げます。
2025年5月23日金曜日
三島釉
先日、テストした新しい釉薬。三島の仕事の最後に掛けるための。それが焼き上がったのですが思ったよりもいい感じでした。そこで量を多目に造ることに居ました。テスト用のは小さなぐい呑みでしたが、今度はお茶碗ぐらいのに掛けてみようと思います。前のがちょっと薄目だったので次は濃いのを作ろうと思ったのですがまたもや薄くし過ぎました。どうしたものかと思い悩んでいるところへ三島好きのお客さんがあらわれました。幸先の良いタイミング。なんとなくですが気持ちが前向きになります。勢いに乗って気に入ったものが出来るよう、進んでゆこうと思います。
2025年5月22日木曜日
三島テスト
試作した三島用の釉薬。焼き上がりました。結果は予想した通り。狙い通りに焼き上がったのですがどこか違う。予想とイメージが微妙にずれているいるのです。あとは、釉薬の濃さだったり掻き落としの強さだったり。ほんのわずかな違和感。余りにも細かすぎてどうでもよいような気もするのですが。しかし、そのほんのわずかなところに実は大切な部分が潜んでいるような。あとは数を焼いて細かいところを極めてゆくこと。そこが実は最も大切なところであるような気がしてなりません。
2025年5月21日水曜日
荷造り
朝から荷造りです。今年で三年目になる四国のデパートからと愛知のお店からの依頼となります。どちらも毎年この時期に行われるイベントです。有難いことに定期的にわが工房の作品を展示販売してくれます。連休も終わり、ひと段落というときでも忙しいのは有難い事です。日本の景気もなかなか上向きません。物価ばかり上がって、収入の方は頭打ち。まあ、世界中が厳しい経済状態で、何とか危機を脱出できるようにと戦っています。焼き物屋にとっても生きにくい世の中。何とか負けないよう精一杯生きてゆかねばと思っております。
2025年5月20日火曜日
ハツユキヵヅラ
我が家の玄関前にハツユキヵヅラが育っています。若葉がはっとするような白さで、またところによっては真っ赤に色づき緑との対照で目を惹きます。大好きな草。今朝、それが隣のベランダの縁から顔を出しているのを発見しました。早速枝先を手折って。工房の入口に移植してみました。果たして育ってくれるか。梅雨に入った今が差枝には最適な季節。広がってくれることを楽しみにしております。
2025年5月19日月曜日
エアコン
電気屋さんが見積もりにきてくれました。街の電気屋さん。丁寧に取り付け方とか検討して、メーカーにオーダーを出してくれるそうです。島は雷が落ちたり、様々な故障が起きやすいところです。だから後の事を考えたとき修理は必須条件。部屋の間仕切りは自力で何とか考える必要があります。ちょっとした大工仕事をしなければ。軽く考えていたのですが、やってみるとなかなか難問が湧いてきます。こんな時は男手の出番。頑張りたいと思います。
2025年5月18日日曜日
梅雨
例年よりもかなり早い梅雨入りです。観測史上初とか。思い起こしても、まだまだ薫風爽やかな季節。しかし色々ありますから。朝から雷鳴がとどろき、時折激しい降りが屋根を叩きます。まさしく梅雨模様。うっとうしくも長い雨の季節が始まりました。福岡の娘の提案で、お勝手にエアコンを取り付けるようにとのこと。去年やっと扇風機を付けたばかりだというのに。もともと、エアコンなど考えたこともなかったスペース。どうやって空気を遮断したものか。思案投げ首の今日この頃です。
2025年5月17日土曜日
新釉薬
今日は、新しい釉薬を作ってみました。その前に古いノートをひっくりかえして。もう五十年以上前からのレシピが書かれた。それと、陶芸の教科書的な本も探し出して。昭和の研究者が記してくれた調合表です。おそらく今はこの世にはいないだろう方達が残してくれた。科学の進歩が著しい中、陶芸という世界は余り変わってないことに改めて気が付かされます。それだけ、根源的な営みに近いところに陶芸というものが位置づけられるように思います。ここ数日鹿児島の桜島が噴火しました。地震や噴火、台風と自然現象は中々予測が難しいところですが、陶芸という世界もそれに近い根源的な宇宙の営みと連動しているように思えてなりません。
2025年5月16日金曜日
まむし
昨日の夕方、戸締りをしようと工房の入口まで行くと、何やら足元にある。顔を近づけてよく見ると、急に動いて頭をもたげてこちらにとびかかってきそうな気配。体が太く頭が三角にとがっている。マムシだと思って、周りを見回しました。工房に取って返して何か得物を捜して金属製の長いものを手に、取って返すと、どこかへ逃げたか、姿が見えません。マムシがこんなところにいるなんて。まさに思いがけないことに、心臓がどきどき。工房を建ててより、初の出来事。最近ほとんど見ることのなくなったマムシ。まさかの出来事にどう対処してよいか。戸惑っております。二度と出てこないことを祈ると同時に、もしまた現れたらと思うと対処を考えねばとも思ったり。なんにせよ、思いがけないことが起きるものです。
2025年5月15日木曜日
風薫る
夏のような暑さです。大きな壷を外で乾かし、風に当てました。少し重いかなと思っていたので乾燥させるのに時間を掛けました。大きな壷は焼くときも、いつもよりたっぷり時間を掛けないと破損するリスクが高くなります。今回のは縄文土器の雰囲気を出すためにほとんど削ったりせず、造った時のまま、表面に条線模様を施し、釉薬を掛けずに本焼する予定です。土器そのものだと水が漏れたり脆かったりするために、内側にだけ釉薬を掛けて土を焼いたという雰囲気を残す予定です。今年は個展の予定もありませんがどこかで発表できればと思っております。
2025年5月14日水曜日
血圧
三か月前に病院で渡された血圧手帳。毎日つけ続けることはできませんでしたが結構マメに計って記録し続けました。昨日は手帳を渡されませんでしたが、ちょっと残念な気持ちになりました。そこで自らコピー機を使って血圧手帳もどきを作りました。これから、三か月後、病院に行くまで続くかどうか、わかりませんがとりあえずは記録できるだけはやり続けたいと思っています。
2025年5月13日火曜日
病院
定期検診に行きました。三か月に一度の。前回はかなりショックな結果でした。体重増加、血圧上昇、など。結果今日は採血と尿検査、心電図、それに胸部レントゲンと色々。結果は問題なし。いやあ、緊張しました。先生とは陶芸談議に花を咲かせました。お酒をやめたのが功を奏したのでしょうか。血圧が落ち着いてきたのが不思議な様子。お酒は適度に飲むと血管を広げて血圧は下がるとのこと。適度を越えてたのかもと話したところ、納得してくれました。というか、お酒で酔っぱらう事はストレスの解消としては良いのでしょうが、本来アルトアルデヒドがあまり備わってない体にとっては、肝臓をはじめとして臓器が悲鳴を上げていたような、そんな気がしております。突然、やめた飲酒。結果、それほど体が求めていないという事は、それが、むしろ自然な状態と思っても良さそうです。今は、アルコールよりも制作に求める気持ちがむしろ強い気がします。残り少ない人生、慌てず焦らず諦めずで過ごしてゆきたいものです。
2025年5月12日月曜日
改造
釉薬の改造中です。息子が。青い釉薬を一から作り直して。昔、かなり良いところまで行ってたのですが、再挑戦しています。今回もいい線行ってると思うのですが、本人曰く。まだまだとか。確かに七十点ぐらいは上げても良いと思うのですが。九十五点ぐらいにならないと、満足できないようです。似なくても良いところばかり、似てしまうのだから。血は争えません。
2025年5月11日日曜日
ハウス キーピング デイ
今日は、工房を片付けたり、掃除をしてすごしました。雑巾を洗って体験で使ったエプロンも洗濯。朝のうち陽が差していたのですが午後からは下り坂。夕方、昨日工房にきてくれたドイツからのカップルが花を活けていた花瓶を気に入ってくれました。昨日から気になっていたようです。海外にも決断に時間がかかる人がいるようです。
2025年5月10日土曜日
釉薬
青の器の釉薬を少しずつ改造しています。一気に変化させるのではなくほんのちょっとずつ。たとえば昔のおばあちゃんが作ってくれたぬか漬け。おそらく塩の量を変えたり入れる野菜の下ごしらえを工夫したり。試行錯誤ってそういう風に、微妙に目に見えないところであれこれとやっていたのではないかと思うのです。毎日の事だから、おそらく誰にもわからないところで。それが長い間にこなれておばあちゃんの味が出来上がるというような。そんな秘伝の釉薬がいつか出来上がったらいいなあと思うのです。
2025年5月9日金曜日
雨空
朝から雨模様です。そこで散歩中止。今日は午前中から手びねり体験が入っていました。工房を掃除して体験用の粘土を練って…。昼まで頑張って、午後からは釉薬掛け。途中、色々と注文の電話が入り、連休明けで、こちらも在庫がないものばかり。月末まで待ってくださいとお願いしました。落ち着くまでしばらく時間がかかりそうです。
2025年5月8日木曜日
素焼
今日、窯づめをして、素焼きをしました。連休中に色々注文をもらいました。お客様には月末には焚きますと伝えたので。本焼しないと。あっという間です。月末なんて。あれこれがんばってはいるのですが。突然窯が壊れてしまい、慌てて溶接を頼みました。ご近所に融通を効かせてくれる人がいるのは有難い事です。
2025年5月7日水曜日
バラ
バラが花盛りです。現在ツクシノイバラが盛りを過ぎてピエールドロンサールが咲きはじめました。庭で先陣を切ったのはナニワノイバラ、次はモッコウバラ、それに続いてツクシノイバラ、これは実生で増えて十株ぐらいあるでしょうか。それから家の前のピエールドロンサールあとは入り口で初めてのツルバラが咲き始めました。昔、植え付けたのが今年初めて花を着けました。バラは庭を華やかにしてくれます。我が家では薬剤散布もほとんど肥料も上げてません。それでも少しずつ成長を続けて、この季節、雑草にもめげず花を咲かせてくれています。今年は腰が痛くて草取りもままなりませんが。華やかに彩ってくれる、可憐な花たち。健気な姿に癒されております。
2025年5月6日火曜日
把手
午後からスープカップの把手付け。これがなかなか手ごわくて、もう二度と造らないと言ってしまったのですが。思った通り。苦労しました。いくつかの別のやり方を考えたのですが。結局前回と同じ方法。時間も同じぐらい。それでも、結構楽しく作業が出来ました。これなら、ずっと続けられそう。ただ、もう少しあか抜けた仕上がりにできないかなあ。
2025年5月5日月曜日
スープカップ
なぜか、もう二度と造らないと言ってたスープカップ。思いがけず人気が出てしまい、また造ることになってしまいました。昨日仕上げまで終わったのですが、急に予定変更。把手を付けるのをやめてお抹茶の茶碗にすることにしました。そこで今日は朝から、スープカップの原形づくり。まさに行き当たりばったり。我が人生と同じ。「これからどちらへ」と尋ねられたら「風に訊いてくれ」としか答えられません。
2025年5月4日日曜日
ビワ
今年は、お猿さんも見かけないし、ヒヨドリも出てきません。それでビワがみごとに熟しています。大昔、種を捨てたら芽が咲けんでの前に生えたものです。実は小さいのですが食べたらびっくりする甘さ。思わず美味いと叫んでしまいました。明日になったら収穫しようと思います。しかし実際どうなる事か。親鸞聖人の言葉もありますし。「明日あると思う心の仇桜 夜半に嵐のたとえもあるらん」。
2025年5月3日土曜日
蚊取り線香
急に暖かくなって、蚊の猛攻撃が始まりました。先日、備えあれば患いなしという事で大きな缶入りの線香を買ってきました。早速、火を付けて煙を発生させたのですがどういうわけかすぐに消えてしまいました。手は粘土でドロドロだし、慌ててバケツの水で洗って、お勝手のガスで再点火。今度は線香立てに差して何とか夕方まで持ってくれました。今日から本格的な連休が始まりました。ところがわが工房はいたって静か。連休の風は吹いてきません。この調子で過ぎてゆくのでしょうか。今年も。
2025年5月2日金曜日
陶芸家
今日、カナダの陶芸家さんが来ました。先日は東京から大学を卒業したばかりの陶芸家さんが。世界中に陶芸家さんがたくさんいて、それぞれの場所で頑張っているようです。近頃は皆さん、スマホに自分の作品の画像を入れており、一目でその方の作品がわかってしまいます。面白いけど、ちょっと夢がないような気分にもなります。それにつけても、振り返ると自分の取り組んでいる仕事のクオリティーもすぐわかってしまうところが面白いところです。今日は大きな壷をいくつか作りました。ここ数日立って電動ろくろで大きな壷を挽いています。腰が良くなったら蹴ろくろで造りたいなと思っておりますが。
2025年5月1日木曜日
鹿児島
急遽、一泊で鹿児島に行ってきました。昨日、「何か目がかすむ」と言ったら、すぐに眼科に行った方が良いというので、高速船に飛び乗ってゆきました。検査の結果、白内障と緑内障があるという事で、一か月後にまた来るようにとのことでした。心配なような、やはりそうかというような。歳も歳ですからそんなことだろうとは思っていましたが。なんにせよこれまで通りに粛々とやって行くしかありません。なるようになれと言った心境です。久しぶりの鹿児島。そんなに変わったという印象もありません。ただ、街を歩くと中国語が耳に入ってきました。おそらく目に見えないところで少しずつ変化しているのかもしれません。
2025年4月29日火曜日
温故知新
「 故きを温ねて新しきを知る」。朝からこの言葉が浮かんで気になって仕方がありません。ググってみたらどうやら孔子が残した言葉。論語にあるようです。モノ造りに関わっていると。まさに身に染みる言葉です。当然、誰もやったことがない新しい世界を求めてきたのですが、気が付けば誰かの二番煎じばかり。当たり前と言えば当たり前です。この地球上で誰も通ったことがないところなんてあろうはずがありません。我々のDNAには先人たちが生きてきた経験の積み重ねがぎっしり詰まっております。やったあ!と思っても、しばらく時が経つとなんだそういう事かと思い知らされることばかり。まるで蜘蛛の糸にからめとられてもがいている虫のようです。それでもひるんだらお仕舞。あえて、未知と思われる世界に足を踏みだしたいと思っております。
2025年4月28日月曜日
雨あがる
午前中の大雨も昼から上がり、急に気温が高くなりました。それにつられて、蚊が盛んに飛び、襲ってきます。先日、街に出たとき蚊取り線香を買ってきたので、明日からは焚かないといけません。連休が始まり、何かと忙しい今日でした。雨になると特に。明日からは天気がよくなる予報です。おそらく静かな日になる事でしょう。
2025年4月27日日曜日
連休
穏やかな連休の始まりです。今年はお客さんが多いのかなと思ったのですがそれほどでもない様子。以前、殺気立って泊るところがなくバス停にまで人が寝ていたなんてことは全くありません。世の中、まだまだ景気があまり良くないようです。しかし、静かなのが屋久島らしいのかも。余り煽ることなく、日常を淡々と過ごしてゆきたいものです。
2025年4月25日金曜日
棚卸し
街に出てきました。一か月ぶり。連休前の様子も垣間見てきました。空港の駐車場は幾分混雑してきました。お店は相変わらず。スーパーのお米の値段も変わりありません。これまで在庫があった農協系のスーパーにはお米がほとんど見かけません。この先どうなるのやら。ただ物価が上がっていることはひしひしと感じます。野菜の苗もすべて三百円で売られています。ちょっと前のおよそ倍。工房で販売している器はほぼ横ばいです。先々どうなってしまうのか不安ばかりです。
2025年4月24日木曜日
水源地
山水が止まったというので川まで上がってきました。水口を押えていた大きな石がどこかになくなっていました。一人なので大きな石を捜して、ゴロゴロと転がして何とか水口にかぶせました。作業をしていたら、ご近所の方が同じく水道の世話に上がってきたのですが彼も膝が悪いと聞いていたので、助っ人を頼むこともできません。歳をとるとあっちこっち悪いところが出来てしまうのは致し方ない事です。お互いいたわりあいながら、少しでも長生きできるよう頑張りたいものです。朝から山に行くと何となく元気になるものです。野性が戻るのでしょうか。そのかわり昼休みには爆睡してしまいました。
2025年4月23日水曜日
停滞
「 いろんなことが思ったよりすすまない」その通りです。あらゆることが思い通りに行けば苦労はありません。計画してもなかなか。今日は停滞気味です。何より轆轤があまり挽けませんでした。昨日は思いのほか進んだのですが。削りをするつもりでしたが、天候不順で乾いてくれません。お客さんの相手をしたり、電話がかかって来たり。こんな時にうってつけの言葉があります。慌てず焦らず諦めず。「あああ」です。
2025年4月22日火曜日
春の雨
「 雨だ。これじゃあ散歩に行けない。」息子の言葉です。犬の夕方の散歩。出ることが出来ません。本降り。昼にきてくれたガイドさんも同じ言葉を発していました。ガイドさんこそつらいと思います。勝ち誇ったように「昨日山にいったよ」とのこと。外国から島に来た人。フランス語が堪能です。どういう流れで島で暮らすようになったのか。きけばながいはなしがあるのでしょう。
2025年4月21日月曜日
春爛漫
「 今年は花が多い」と言ったのは集落の会計さん。色々な家を回った感想です。そういえば、我が家の庭のなんじゃもんじゃがはじめて花を着けました。植えてから二十年余りたって。現在、ツルバラが花を着け家の前の野ばらも濃いピンクの花を着け始めました。オオデマリにコデマリが並んで白い花を、コバノズイナもきれいに咲き始めています。まさに春が来たという感じ。「花が咲く花が咲くどこで咲く 山で咲く里で咲く 野でも咲く」
2025年4月20日日曜日
あざみ
あざみの歌。一日中この歌が工房に流れていました。ネットの音楽放送で検索したら。色々な歌手がきかせてくれました。何故あざみか。工房の前にひときわ目につく姿で咲いていたからです。家の入口にも二株。野の花の中でも目につきます。「山には山の愁いあり 海には海の哀しみが まして心の花園に 咲きしあざみの花なれば」「高嶺の百合のそれよりも 秘めたる夢を一筋に 紅燃ゆるその姿 あざみに深し わが想い」「愛しき花よ汝はあざみ 心の花よ汝はあざみ 定めの道は果てなくも 香れよせめてわが胸に」。すっかり覚えてしまいました。
2025年4月19日土曜日
風薫る
まだ、四月というのにさわやかに晴れ上がり、清々しい空気が漂います。ニュースでは夏日のところが多かったようです。週末。なんとなく花の季節に浮かれそうです。エゴの花が満開、もうすぐ地面を覆いつくしそうです。らんまんの春。命に感謝。
2025年4月18日金曜日
昼
今日の昼ごはん。カミさんが出かけたので自分で作りました。大好きなインスタントラーメンです。冷蔵庫から有り合わせの野菜を捜して、フライパンで炒め麵に載せるだけ。でも鉄の中華鍋を捜して、強火でラードを溶かしてキャベツと玉ねぎ、それとシイタケをにんにくを加えて炒めるだけ。肉も使いません。それでも大昔から作っていたので、野菜しゃきしゃきでした。普段あまり銘柄までは書かないのですが今日は書いてしまいます。札幌一番味噌ラーメンです。
2025年4月17日木曜日
オークション
昨日インターネットオークションをしました。今年二度目になります。前のは縄文土器。今回はある陶芸家の作品です。今振り返ると共通点があります。それは模様。縄文土器は縄目の模様。昨日のは印判の模様です。最近自分でもせっせと印を彫っております。ちょっと時間が空くとハンコ彫り。昔篆刻に凝ったことがありましたが。それを粘土に刻み最後は焼いて仕上げる。この仕事がライフワークになる予感があります。ワクワクする作業です。もしかすると、DNAにきざまれた遠い記憶なのかもしれません。
2025年4月16日水曜日
水道
先日、応急でつないだ水道の修理に今日上がりました。息子と一緒に。この時期ヒルが多いのでヤマビルを寄せ付けないスプレーで態勢を整えました。水道は前の大雨でぐしゃぐしゃなままです。川に下りる途中には大きな水タンクがあります。海中温泉の前で民宿を営む人が建てたものです。今朝その方がお亡くなりになったという集落の放送が入りました。最近同世代の人が次々と亡くなっております。季節の変わり目は異変が起きやすいのでしょうか。腰が痛いのを何とか胡麻化しながら水道の修理を終えました。なんとなく心淋しい時間となってしまいました。
2025年4月15日火曜日
縄文
昔の陶歴に「縄文の心を求めて」という文言を入れておりました。屋久島でいろいろなところから発掘された縄文土器の存在、それと山で生き続ける縄文杉へのリスペクトも含めて。ところが実は、縄文土器よりもむしろ弥生式土器の方に当時は惹かれていました。むしろあのデコラティブな縄文土器にはあまり興味がありませんでした。ところが最近になって、妙に縄文に引っ掛かってとらわれています。視覚的には美しい弥生に魅力を感じるのですが、皮膚感覚と言いましょうか細胞が反応してしまうようです。自分の体を流れている血が勝手に動き出すような。日本人のルーツ。おそらく様々な混血で成り立っているのだと思います。川の流れのように幾つもの支流が合流して最後海に注いでいるような。面白いものだなと思います。
2025年4月14日月曜日
東京焼
昨日の話の続き。九十歳でもまだまだ元気な作家。オブジェを焼いた方。昔オブジェ焼と言えば京都の走泥社が有名でしたがそれに対抗する形で彼が生み出したのが東京焼。活字の「る」というのを配置した作品は私の印象としては文学的だなあと思いました。彼が起こしたのが多摩美術大学の陶芸科とのこと。若い作家を育てることに人生の終章を掛けたのでしょうか。先日見た動画。彼が育てようとしている若い作家たち。彼自身も若さを享受しているようにも見えました。
2025年4月13日日曜日
陶芸家
昨日、工房に来られた方達。お一人は島の病院の歯医者さん。もう一人は陶芸家とのこと。まだお若い方。訊くと東京の美大卒業とか。東京という事で最近の美術界の情報に詳しい。話を聞いた中で、昔通っていた大学の彫刻家の先生がお亡くなりになった話。確か同じぐらいだと思ってたのですが調べてみるとほぼ一緒。最近、身の回りでもいろいろな方の訃報が入ってくるので落ち着きませんがまた知りたくないことが。ただ、別の作家でもうとっくに鬼籍に入られたと思った方がお元気との事。早速、夜、教えてもらったユーチューブの動画を見て、まだまだこれからだぞと勇気をもらいました。
2025年4月12日土曜日
春の味覚
昨日、ご近所の農家さんから。タケノコを頂きました。まだ掘ったばかりの様で、土が付いたまま。それを息子がきれいに洗って、下茹でしてくれました。今朝は早速若竹汁に。まさに春の味覚。日本人でよかったと思う瞬間でした。タケノコの水煮と言ってスーパーでも手に入りますが、やはり香りが違います。まさに旬の味覚。この国には季節ごとに四季を感じさせる味わいがあります。そんなのに出会った時心から幸せを感じます。
2025年4月11日金曜日
万一
昨日で終わると思っていた釉掛け。終わらず今日の午前中で何とか。それもかなわず、一日がかりになりました。余りにもいろいろやり過ぎて、何をやったのか覚えておりません。おそらく全滅かもしれませんが。万が一、何点かとれたとしてもいったいどのようにして出来上がったのか、再び同じものが出来るかという問題が残ります。まあ、その前にまともに使えるものが出来るのか。それでも楽しんだことは間違いありませんが。
2025年4月10日木曜日
春雨
午後から下り坂。雨が降りだしました。昼前は暖かく一枚脱いで、それでも息苦しく感じました。昨日から始めた自分の作品を焼く準備。いつもと勝手が違い迷う事ばかりです。これでははかが行くはずがありません。まあ、楽しみながらゆっくりやってゆきましょう。
2025年4月9日水曜日
戯れ
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ。という言葉。昔の偉い方が残したものだと思うのですが、残念ながら誰の言葉か失念してしまいました。ただ、物を造る仕事をしていると、ついつい自分の遊びが過ぎてとても売れそうもないものが出来てしまうものです。そんなものたち。工房の片隅で埃をかぶっている。このままにして置いたら、やがては誰かに廃棄されてしまう事でしょう。今日はそんな子たちを助けるべく引っ張り出して一部ではありますが焼くべく準備をはじめました。造った時は焼き上げまでの具体的なイメージがあったのでしょうが今となってはそれも忘れ去ってしまいました。何とか記憶の片隅をほじくり返して埃を払おうと努力をしても、時すでに遅し。まあ、ある意味新鮮な気持ちで挑むことが出来そうです。行き当たりばったりではありますが、やるだけの事はやってみようと思っております。
2025年4月8日火曜日
花まつり
お釈迦様の生まれた日です。昔はお花まつりと言ってお祝いしたのですが、近ごろはクリスマスはお祝いしても花まつりはあまり聞くことがありません。我が家では次男坊の誕生日です。彼も気が付けば三十九歳。最初に言われたのは生きて数か月。それが何とか色々乗り越えて、ここまできました。彼の病気は昔は四十まで生きたら記録ですと言ってたのですが。気が付くとその記録まであと一年。すっかり髪の毛も白くなった次男を見ていると。我が身とどっちが長く生きれるのだろうかと思ったりしております。
2025年4月7日月曜日
年度替わり
また一つ、長く続けてきた仕事の区切りがつきました。ほっとしたような寂しいような。永遠に続く仕事なんてないのです。始まりがあれば終わりがある。わかっている事ですが。うまくゆかず苦しんだり納期ギリギリだったり。思い出すのは苦しい事ばかり。でも今となってはどれも良い思い出です。ありがとうございました。
2025年4月6日日曜日
三色弁当
昨日の三色弁当。思いの外おいしかったです。ただ、炒り卵はもっと味を濃くしても良かったみたい。お弁当に使うおかずはすこし濃い目が正解のようです。今日は一日、釉薬掛け。体験の人達のを中心に。形も色もいろいろなので、手間もかかり、煩雑さもひとしお。無事に焼けることを祈っております。
2025年4月5日土曜日
鶏そぼろ
朝からお勝手に立って鶏そぼろを作りました。歳をとると妙に昔食べたものが恋しくなります。あの頃は、小学校では給食。しかし中学校になると昼にはお弁当を持ってゆくことが多くなりました。お弁当が間に合わないときには、パン屋さんが持ってきてくれるパンを食べました。パンは、朝、注文用紙に希望するパンを書いておくと昼に届けてくれました。普段は、母親が作ってくれるお弁当。この歳になると妙にあのころ食べたお弁当が懐かしくなります。中でも好きだったのがひき肉と炒り卵、それと緑の野菜がのっかった三食弁当でした。甘辛いひき肉が大好きでした。カミさんに頼むのも申し訳ないので自分で作ってみました。ネットの動画を見るとレシピがいくらでも出てきます。その中の一つ。うろ覚えで作ってみました。味身をしたところバカに甘くて。本当にこれで良いのかと思ってしまいましたが。まあ夕食の時に食べてみれば答えがわかりそう。最初は昼のつもりでしたが昼は昨日の残り物。結局夜食べることになりました。先日はやはりネットで見ておいしそうだと思ったシーザーサラダを作ったのですが今一つ。ただ翌日に残り物を食べたところすごくおいしく感じました。どうやら期待が大きすぎたのでしょうか。これから、色々作ってみたいものがあります。カミさんは迷惑でしょうが。出来るだけお勝手を汚さないように、こそこそと欲求を満たしてゆきたいものです。
2025年4月3日木曜日
満身創痍
腰が痛いだけではなく、あっちこっち痛いところだらけ。先日水道に上がってひざを痛め、今日は両手の親指の付け根が腱鞘炎のようになり、手に力が入りません。背中がぞくぞくするし、まさにどこもかしこも悪いところだらけ。いったいどうしたのでしょうか。春なのに、涙がこぼれそう。それでも今日も頑張ってソーサーを挽きました。立って。余り立った状態で轆轤を挽く人を見たことがありません。そうそう、今朝、薪窯の窯づめをしている夢を見ました。まだまだ仕事に未練が尽きないようです。
2025年4月2日水曜日
春の知らせ
家の前でナニワノイバラが咲きだしました。白い清楚な花。思わず手を伸ばすと鋭い棘がダメだぞと言わんばかりに邪魔してきます。工房ではヒメヒオウギが咲きはじめました。可憐な花がこれからしばらく咲き続けてくれます。今朝庭の伸びすぎた枝をハサミで切ったり、枯れて茶色くなったところを整理しました。ここ二日、体験でたまったよごれたエプロンを離れにある洗濯機を回してきれいにして工房のベランダで干しました。風に吹かれてぽかぽかと気持ちよさそう。今日も体験が二組。春は心がほっこり、青いビワが枝先で揺れています。
2025年4月1日火曜日
ソーサー
今日から四月。気が付けば今年も四分の一が過ぎてしまいました。世界では大きな災害が起きたり、日本の各地で山火事になったり、何かと自然の猛威に振り回される日々が続いております。かくいう島の工房では相変わりませず、日々の仕事に追われております。今日はコーヒーカップを削りおえて次にソーサー造りに入っております。午後海外からのお客様。訊くとイスラエルからとのこと。奥で立った姿勢で電動轆轤に向かっていたところでした。図らずも腰を痛めて変な姿勢での仕事、あまり見られたくありませんでしたが。作業しているすぐ横で珍しそうに見つめていました。あまり見られたくなかったのですが致し方ありません。今できることを精一杯やるしかありませんから。ここ二日間、花冷えというのでしょうか。急に冷え込んできました。朝の散歩のときには鶯が啼いていたのですが。そろそろ庭仕事も始めたいところです。
2025年3月31日月曜日
面取り
去年作り始めた面取りカップ。思いがけず人気が出てしまい、最近はそればかり造っています。今やっているのもその仕事。毎回少しずつ雰囲気を変えているのですが、今回は電動ろくろで造ったので、いつもの蹴ろくろよりもシャープな感じになっています。そこで、それをより強調するために針金で一部をカットしてエッジを強調してみました。焼き上がりがどんな感じになるのか。終わってみないと分かりませんが。ちょっと楽しみです。
2025年3月30日日曜日
電動
午後から制作をしました。コーヒーカップです。電動轆轤です。先日、山で腰を痛めてしまい蹴ろくろは無理そうなのでモーターで回すろくろに向かいました。それも立ってです。座ると腰に来そうなので。最初は要領がつかめず苦戦しましたが、だんだん慣れて、終わってみたら六十個以上出来ました。蹴ろくろだと一日かかっても五十個が一杯なのですが。それも一つずつ重さを計ってです。やはり、モーターなので早いのでしょうか。あとは削って、把手を付けて、化粧を掛けて。どんな雰囲気になるのやら。息子に「デザイン変えたの?」と聞かれてしまいました。そんな気はなかったのですが。やはり、雰囲気が変わるものでしょうか。なんにせよ、多少腰が痛くても器づくりが出来ることがわかりました。まだまだ頑張れそうです。
2025年3月29日土曜日
大雨
一昨日の大雨。記録的に降ったようで、昨日、水源地に行ってみたら、パイプはあっちこっちで折れ曲がり、増水で木の枝やゴミで大変な状態になっていました。今朝、集落の放送でひどい被害で道や温泉が大変なことになってしまい、明日緊急で復旧に協力の要請が流れました。ミャンマーでは地震で大勢の犠牲者が出たとか、日本でも山火事が各地で起きて消火活動に追われているとニュースで流れています。自然災害だからとばかりは言えないようなことの連続。昔から備えあれば患いなしということわざがありますが、いつどんなことが起こっても慌てないよう、日ごろの準備が大切だと痛感しております。
2025年3月28日金曜日
腰
昨日、粘土を持ち上げたときまたやってしまいました。ギクッと。今日は痛い腰をかばいながら山に水道の修理に登りました。先日の大雨で大変なことになっていました。息子についてきてもらったのですが簡単に修理できないほどの荒れようでした。それから、陶芸体験までやって、今日は大変な一日になってしまいました。神様の悪戯でしょうか。楽にさせてはくれません。
2025年3月27日木曜日
春の嵐
朝方の天気。凄まじかったあ。雷もすごかったけれども雨脚の強さも尋常ではありませんでした。他の集落ではヒョウまで降って来たそうです。我が家の道路も雨に砂利を流されて道はデコボコ。テレビの全国放送でも流れたようです。あっちこっちで起きる山火事、春は異変が多いようです。嵐も含めて。穏やかな暮らしとは縁遠くなってしまいました。
2025年3月26日水曜日
料理
昨日、久々にお勝手に立ちました。料理は割と得意だったはずですが全然思ったようにゆきませんでした。味も落第でした。作ったのはシーザーサラダ。とあるユーチューブで見ておいしそうだなと思ったものでした。サラダだから簡単に出来るだろうと思ったのが大間違い。先ず道具の場所探しで迷ってしまいました。材料は昨日スーパーで仕入れましたが、無いものばかり。大体ゆで卵の作り方すらわかりません。次にクルトン。オーブンに入れてそろそろこんがり焼けていると思ったら、なぜか全くのなま。多分スイッチを入れ間違えたみたい。次にベーコンをこんがり焼こうとしましたがこちらも色がつきません。ゆで卵を剥こうとしても殻が上手く取れません。悪戦苦闘の末、何とか形にはなったのですが、一体それが美味しいのかまずいのかも判断がつきません。ただ量だけは多かったようでおなか一杯にはなりましたが。まず、どこかのお店で本当のシーザーサラダを食べてみてそれから始まるようです。目標がなければ目指すところもないわけですから。それから何度も繰り返し作ってみること。でもおそらく、家族が嫌がると思います。ですから余計な手出しはやめて、陶芸でだけ、力を発揮できるよう、努めた方がよさそうです。
2025年3月25日火曜日
世間
世間に出てきました。いつも山籠もりのような暮らしにとって、新鮮です。人の姿が半そでだったり、年度替わりで何となく華やいでいる感じがしたり、海外からのカップルが美味しそうにアイスをなめていたり、こっちも少しうれしくなります。車の中はいつにない暖かさで目がくっつきそう、居眠り運転にだけは気を付けてハンドルを握りました。病院の前のスーパーのレジが新しいのに切り替わっていたり、そんな細かい事に季節の移ろいを感じています。世の中のほんの片隅の離島暮らし。そんな日々の繰り返しですが新年度を迎えることが出来ることに感謝しないといけませんよね。
2025年3月24日月曜日
光陰
光陰矢の如し、とは言いますが、歳をとるとそれが本当に早く感じます。今日もお孫さんの卒業祝いを買いに来てくれた方。確か去年も別のお孫さんにと買ってくれたような。あれからもう一年経ったのかと思うと。本当の時間の経過が度どんどん早く感じてしまいます。昨日も同じようなことがあって、それを感じたばかり。切なくなります。
2025年3月23日日曜日
削り
昨日挽いたお皿を削りました。一日仕事になるかなあと思っていましたが、昼前に終わってしまいました。昨日はちょっと頑張りすぎて今朝から疲労感で元気が出ませんでした。午後は化粧掛けをしたり、三島の印を造ったりとゆっくり過ごそうと思ったのですが、天のいたずらでしょうか。移動の記念品のお客さんが次々おとずれてくれました。思いがけない忙しい午後。まだまだ休ませてもらえそうもありません。世間から忘れられていないことに感謝。せっせと体を動かしてゆこうと思っております。
2025年3月22日土曜日
轆轤目
島の、とあるホテルからお皿のサンプルの依頼が来ました。和食の方からという事で。ろくろ目を付けてほしいとのこと。やっと来ました。蹴ろくろならではの仕事の依頼が。サンプルですからいくつか作ればよいのでしょうが。つい調子に乗って一日中やってしまいました。調子に乗って。蹴ろくろでしか出来ないような。ゆったりとしてひとつひとつ顔が変わるような。体はグッタリですが。充実感は十分。明日は削りが待っています。どんな表情のお皿が出来るか。ちょっぴり楽しみです。
2025年3月21日金曜日
春霞
鉛色のどんよりとした空からパステル調の軽やかな青空に変わってきました。そうです。春です。我が家の野バラも若草色の葉をいっぱい茂らせています。焼き物屋の仕事として青い器を中心に色を使った釉薬で表現している工房の本領が発揮できる、そんな季節になりました。毎年、ちょっとずつですが改良を重ねている釉薬がいよいよ生命観の表現を待っているようです。毎日せっせと造っている器たち。出番を首を長くして待っている、そんな顔を見せてくれています。
2025年3月20日木曜日
お彼岸
今日は春分の日。昔はお彼岸と言ってました。確か子供のころは3月23日が春分の日だったような。色々法律が変わると旗日も変わるようです。なんにせよだんだん春になってゆくのでしょう。移動の季節。とくに公務員や企業にお勤めの方たちは大忙しのようです。島から送り出す側も、お別れの記念品とか見送りの準備で大変なようです。わが工房も今日はいろいろと忙しい1日でした。慌ただしさに追われて作業になかなか集中できません。まあ、そういう日もたまにはあっても良いとは思いますが。
2025年3月19日水曜日
暑さ寒さも
明日は春分の日です。春のお彼岸。ぼたもちでも食べてのんびりしたいところです。それにしても三寒四温と言ったらよいか。まだまだ寒い日がやってきます。そんなことを言っていてももうすぐに暑い暑いというときがやってくるのでしょう。
2025年3月18日火曜日
釉掛け
ここのところ、釉薬掛けが続いています。今回焼成予定の器はほとんどが注文品。それも青い器がほとんどです。普通の釉薬に比べて何倍も手間と時間がかかります。以前は途中で嫌になってしまったものですがその作業にもすっかり慣れてしまいました。今回は細かいものが多く、それも時間がかかる一因です。まあ、手間はかかりますが上手く焼き上がった時の喜びも大きいので、負けずに頑張りたいと思っています。
2025年3月17日月曜日
強風
風が今日も吹き荒れていました。だから船は欠航です。息子が出かけたので店に寄ったのですが棚には食料品はガラガラだったとのこと。ここのところずっと欠航が続いてますから、さもありなん。我が家の冷蔵庫もガラガラで無いものばかりとか。この島が如何に島外からの生産物に依存しているか、よくわかります。同じようにわが国。海外からの物資が途絶えてしまったら大変なことになりそうです。江戸時代、鎖国政策で人々が暮らしていたことが信じられません。この国の食糧自給率は現在三十数パーセントとか。もし交易が滞ったらどうなってしまうのか、心配になります。
2025年3月16日日曜日
春寒
急に寒さが戻ってきました。寒の戻りというのでしょうか。風も吹き荒れています。日曜日。今日は体験も入っていません。自分の仕事をやっています。と言っても注文いただいたスリップの茶碗に化粧を掛ける仕事です。何気なくやっていた仕事も注文となると気を使います。化粧土の濃度調整を何度もやり直してふるいを通して。どうにかイメージの流れ具合に調整しました。いつもですと、楽しく遊び気分でやっていることも失敗しないようにと思うと苦痛を感じてしまいます。それを乗り越えて一人前だとはわかっているのですが。プロですから。なかなかつらいものです。
2025年3月15日土曜日
春の雨
朝から雨。時折強く降って憂鬱な気分になります。おまけに作りかけの器の乾燥が進んでくれませんおまけに台を付けた大きな鉢も柔らかいまま。化粧を流すと崩れそうなので、刷毛で掛ける事に。刷毛だと三回は塗らないと色が出ないので手間にはなりますが。午後から雨も上がって明日からは回復しそう。春の天気は変わりやすいものです。秋も安定しませんが。
2025年3月14日金曜日
大鉢
昨日、再挑戦した鉢、てこずりながら何とか完成しました。前回は削り高台でしたが、今日は付け高台です。最近気になっている須恵器。技法的には別に造った器を、接着して合体させる方法です。接着で思い出しましたが、ネットオークションで久しぶりに落札したものが昨日届きました。縄文土器の土偶。ところが箱を開けると中で真っ二つに割れていました。残念ですがあとから接着剤で張り付けようと思っています。話がそれてしまいましたが屋久島での陶芸の原点が縄文土器。近くの畑から見つけたものです。五十年あまり、この島で陶芸をやってきて気が付けば縄文時代の土器迄さかのぼってしまいました。これからは土器からインスパイヤーされた器をやってみようと思っております。
2025年3月13日木曜日
リベンジ
壊れてしまった鉢。泣き寝入りもしゃくなので、再挑戦。どうせやるならより大きく足もしっかりしたものにしようと、デッサン迄して造りました。それと、昨日挽いた茶碗。何とか削りました。天気が悪く、まったく乾燥してくれませんでしたが、何とか経験の力を借りて。隣の息子からよく削れるねとあきれられてしまいましたが。
2025年3月12日水曜日
停滞
ここにきていろいろなことが進まなくなってきました。仕事では制作中の器が乾きすぎて濡れ雑巾で戻したら皆割れてしまいました。先日窯出ししたスプーン置きも失敗でしたし、どうも悪い方へと向かっています。体調の方はダイエットがリバウンド。体重を計ったところ今度は三キロ重くなっていました。今日はは立ち眩みはするし、どうも調子が良くありません。ここは少し落ち着いて、いつもの調子に戻さないと。自然体が大切という事でしょうか。
2025年3月11日火曜日
屋久島プレート
島に住む方から頼まれた屋久島の形を彫りこんだプレートを造りました。島の周りはわが工房の青い釉薬で屋久島の形のところには土を入れて苔を育てるようですそれと同時進行で苔を育てるための盆栽鉢も、頼まれて造りました。最近なぜか苔ブームのようです。以前大阪のデパートの物産展でも苔玉が飛ぶように売れていました。それに添えるプレートも使ったのですがなかなかの人気でした。あの頃外出もままならず、部屋の中に自然を取り込みたいとの欲求から苔玉やミニ盆栽がブームになったようでした。それが今になっても続いていて島のお土産屋さんでも苔玉が良く売れているようです。雨の多い屋久島、苔は日陰の場所にはどこでも生えています。それがお土産として人気になって、何がきっかけとなって流行りだすか、世の中わからないものです。
2025年3月10日月曜日
失敗
本焼きで大失敗をしてしまいました。釉薬を掛けた後、定着が良くないなとは思ったのですが、まさかのよれ。ほぼ全部の釉薬が一部寄ってしまいました。カトラリーレストだけ。きれいな青にするために釉薬を何度もぬり重ねるのですが、一番下の釉薬が薄すぎたようです。幸いですが今回の窯に半分ぐらいしか入らなかったので何とかやり直しがききますが。そこで残った器の釉薬をすべて水で洗い流して日に干しました。ところが午後から雨が降りだしてしまい慌てて取り込むことに。陶芸という仕事は沢山の作業を積み重ねて焼き上がります。そのどこかの作業が一つ上手くゆかなくても結果はダメ。最後の焼成作業が終わって窯から出して初めて結果が出ます。なんとも、まどろっこしい仕事がいつも最後に来ます。だから火の神様に手を合わせることになるのです。
2025年3月9日日曜日
休日
日曜日で休日です。しかし、工房はいつも通り。まず島のホテルが注文の器をとりに来てくれました。気に入ってくれたようで一安心。つぎに陶芸体験の器の削りと仕上げ。今日は把手を付ける作品が多くバランスよく仕上げるのに一工夫。午後は苔盆栽用に鉢の化粧掛け。それから雨ニモマケズの印鑑の下地仕上げ。気が付くとそこで時間終了。もう少しいろいろやりたかったのですがあっという間に一日が終わってしまいました。
2025年3月8日土曜日
釉薬
昨日掛けたカトラリーレスト。仕上げをしました。裏を綺麗にしたり、釉薬のはみ出たところを削ったり。ところが削っていると釉薬がボロボロと剝れます。数種類の釉薬を重ね掛けしたのですが、どうやら一番下の釉薬が薄すぎたようです。焼き上がった釉薬が濁るのが気になって最初の釉薬を薄めに掛けたのですがそれが良くなかったようです。かれこれ五十年近く取り寄せていた釉薬の材料屋さんが最近になって、販売してくれなくなり、別の業者さんに変えてからいくつかの問題が起こるようになりました。創業が百年以上のところが突然なくなってしまうとは思ってもなかったのです。かなり調子は戻ってきましたが、まだまだ完全とは言えません。陶芸の材料って希少物質が多いので使ってみないと分からないところもあります。ですから最近のニュース。レアメタルをどの国が掘るという話。決して遠い国の話だとは思えないのです。たとえばリチウムだとかチタンだとか。陶芸で使う事が多い物質です。
2025年3月7日金曜日
週末
もう週末の金曜日。今週はあまりにもいろいろありすぎて思い出すことが出来ません。それに、疲れが半端ない。思い返せばお酒をやめて一週間だそうです。朝の散歩のときにかみさんから言われました。突然の断酒。事の発端は新しく買った血圧計にあります。工房で計ると百十代。ところが家に帰って新しい血圧計で計ったら百五十代。まさかと思い工房に戻って何度か計ったらどんどん高くなって最後は百九十まで上がってしまいました。おそらくパニックになって平常心を失ってしまったのでしょうか。それにしてもこんなに不安定だとはと、ショック。突然酒が呑めなくなりました。こんなことではいつ血管が破れて半身不随になってもおかしくないと思ってしまったのです。まだやりたいことが残っているし、もう少し体を動かしたいという気持ちです。酒をやめたついでに夜の米食もやめることにしました。先日病院で太り過ぎと指摘されたので。気が付いたら一週間で五キロの減量。これはちょっと痩せすぎです。それに仕事も頑張り過ぎかもしれません。そんなわけで週末になるとがっくり。ちょっと頑張りすぎています。この年なんだから、もうちょっとゆったりとやればよいのですが。性分はなかなか変えることが出来ません。
2025年3月6日木曜日
釉薬掛け
スプーン置きの釉薬を掛けるための釉抜きをしました。窯に入れたとき棚板に張り付かないようにするために設置する面に釉薬がつかないようにするためです。数が多いので半日がかり。午前中は盆栽鉢に足を付ける仕事。こちらも数が多いので半日がかり。どっちも細かい仕事で肩が凝ります。ちまちました作業は嫌いではないのですが歳のせいか最近細かい作業がきつくなってきました。少しずつ衰えてくるようです。
2025年3月5日水曜日
削り
昨日ちょっと頑張ってろくろ仕事をしたので、今日は削り三昧。ところが天気があまり芳しくなく、作品が全然乾いてません。それでも何とか胡麻化しながら削ってみたのですが、あまり捗ってくれませんでした。特に植木鉢が難敵。水抜きの穴を空けるときにどうしても土が柔らかいと変形してきれいな穴があきません。注文があると何でも作る田舎の陶器屋さんとしては鉢専門ではないのでなかなかてこずりました。まあ、贅沢は言ってられませんが。足を付けるところまではたどり着けませんでした。残りの作業は明日に持ち越し。何とか期待に応えられるよう一生懸命やりたいと思っています。
2025年3月4日火曜日
春雷
朝からゴロゴロと雷様が忙しそうです。雨も降るし、電話もなるし、何かとせわしない季節になりました。そういえば人の出入りも多いみたい。工房も息子があっちうろうろ、、こっちうろうろ。ろくろに向かっていても何となく落ち着きません。冬ごもりから強制送還されたみたい。どうぞ、慌ただしさに流されませんように。
2025年3月3日月曜日
春曇り
そんな言葉があるかどうか、わかりませんが。朝からどんより。それに生暖かい空気。今にも降り出しそうな。午後になって案の定でした。昼前に、誰か展示場にと思ったら、島のホテルで植物担当している方が、来てくれました。なんでも苔を育てる鉢が欲しいとのこと。先日も別の方が苔を植えるための鉢を作ってくれないかと来たところ。なんかそういう風が吹き始めたのかなと思ったり。そんなことを感じて息子と話をしたら言い争いになったりして。だから、もう口にはしませんが。そういえば、植物を育てるための何かを探している人がたまに訪れることがあります。まあ、色々な人が見えますし。こちらとしてはお客様のご要望に応えるのが仕事。言われるままにやってゆこうと思っております。
2025年3月2日日曜日
春
急に暖かくなりました。もう嫌な蚊が飛んできました。これからまた蚊取り線香の季節が来ます。今日は日曜日。でもやりたいことが一杯。頑張ったのですが半分こなすのがやっと。まあ、満足感はありますが。先ほども書きましたが夕方蚊が飛んできて、ヤスデ迄現われて、そんな季節になったのかあというのが感慨。これからは汗をかきかきせっせと作業をこなしてゆきたいものです。
2025年3月1日土曜日
春
急に暖かくなりました。春到来。しかし、それに伴い、嫌な蚊の季節にもなります。屋久島は自然が豊か。それだけ虫も多く生存していますが。今年は少しずつですが畑仕事を再開しようと思っています。物価も高くなっていますし、何よりも自分たちが食べるものは自分で育てる。それって生きる基本ではないかと思うのです。食べるモノ、使うもの、そしていきる糧、何とか自立できるよう進めてゆきたいものです。
2025年2月28日金曜日
原点
一輪挿しを作り始めました。我が原点と言ってもよい器。道を見失ったり、迷ってしまったときにいったん後戻りするのが一輪挿しです。今回はというと別になんという事はなく。息子から少し作ってよというリクエストに応えて。本当は粉引の五寸皿を造る予定でしたが。リクエストに応えて。でも、実はちょっと問題も抱えていたのです。昨日から心配事が起きてしまいました。新しく買った血圧計を家で使ったところびっくりするような高い数値。ははあ、これを心配して病院の医師も次はいろいろ検査をすることにしたのだなとわかりました。こっちもちょっと絶望的な気分。昨日はアルコールもやめて早々と布団に潜り込んでしまいました。夜中に浮かんだ言葉。親鸞聖人が言った。「明日あると思う心の仇桜 夜半に嵐のたとえもあるぞ」でした。人の命だって同じこと。永遠の命などありません。今この瞬間を大切に生きねばと思うのです。今日わが陶芸の原点に戻れたという事は、きっと意味があるのだと思います。
2025年2月27日木曜日
豆皿
昨日は削り。今日またろくろで挽きました。青釉の豆皿を。縁を波打たせて。こういう作業をするとき蹴ろくろは便利だなあと思います。手と足が連動するって。注文いただいた数よりもたくさん挽きました。最近青ばかりでなく粉引の白も人気があります。下地を黒く染めると上の白が際立つ気がします。昔油絵を描いていた時下塗りが大切なことを学びました。今になってその頃の経験が役立つとは。まさに昔取った杵柄という事でしょうか。ちょっと違う気もしますが。
2025年2月26日水曜日
おでかけ
昨日は病院、今日は免許証の受け取りと棚卸で二日連続のお出かけ。昨日の病院はなぜか血圧が高くて、三か月後はあっちこっち検査をすることになりました。なんだか暗い気持ち。帰り道、元気をつけるために雨ニモマケズをずっと暗誦していました。大きな声を出して。まるでお経を唱えるように。今日は警察署の後にお土産屋さんとホテルの売店へ。気が付けば今年も二か月が過ぎようとしています。今日、くるまの中で思ったのですが雨ニモマケズの後に注文の多い料理店のオブジェに挑戦しようと。童話に中ではイギリスの山の中に突然現れた西洋料理店という設定でしたが、舞台を日本の山の中、山猫軒というあるじが険悪な表情のネコ。レストランんは木造の西洋建築でゆこうと考えています。以前何かの童話の本で見たような感じ。以前狼のオブジェを作ったことがありましたがその顔を山猫という設定にして。果たしてどんなものが出来るやら。そのあとは童話シリーズでいろいろなオブジェを造ろうかと。車での帰り道。ふと道沿いに西洋風の街灯が並んでいるのを発見しました。あの街灯も造れないものかと思案しております。
2025年2月25日火曜日
欲望
雨ニモマケズの中に「欲はなく決して怒らずいつも静かに笑っている」。というのがありますが。この歳になって欲張りでしょっちゅう怒り、人にかみついている我が身を振り返ると、なんとも絶望的な気持ちになります。でも、ひょっとして、そんな風に出来なくて賢治もあの文章に残したのでしょうか。人とは悲しいもの。あらゆる欲望を捨てて、仏様のように顔には出さず淡々と生きることが出来る人間なんて果たしているのでしょうか。振り返って誰かいたかなあと思い起こすと、一人頭に浮かんできました。彼は東京で警視総監をやっていた人の息子。確か、大昔小包が爆発して母親を失っていたと思います。今頃どこでどうしているものか、確か剣道が強かった気がします。
2025年2月24日月曜日
寒波
この冬一番の寒さ。作業する手が凍えます。ここを乗り越えれば春が来そうです。なんか、憂鬱な気分ですねえ。ここのところあまり良いニュースがありませんし。ただ、雨ニモマケズの方は少しずつ進んでいます。昨日は夜中にずっと朗読を聞いていました。それに春と修羅の詩も。「俺は一人の修羅なのだ」という言葉が頭をぐるぐる。そう、現世は修羅道、真っただ中。色々あるのも修業です。
2025年2月23日日曜日
雨ニモ
宮沢賢治が好きです。春と修羅もいいですがなんといっても雨ニモマケズでしょうか。メンタルスケッチ モディファイド 。心象風景と名付けられた日記のような文章。そんなノートに走り書きのように書かれた短文です。自分の身の回りに置いておきたくて三島で造れないかなと考えました。逆文字で彫った印を押して浮き上がった表現。うまくできるかわかりませんが、夕方、思いついた道具を作ってみました。果たして上手くゆくかどうか。自分の楽しみのためです。少しずつ進めることが出来たらと思っております。
2025年2月22日土曜日
野暮用
朝から小忙しい日でした。次から次とちょっとした用件が生まれてきました。そんな日もありますよねえ。何があったと特にいうようなこともないのですが仕事が手につかない。別に大した仕事があったわけでもありませんが。達成感のない一日でありました。
2025年2月21日金曜日
スワローズ
つば九郎が亡くなりました。まだ51歳とか。心よりご冥福をお祈りいたします。もうあのくるりんぱが見られなくなるとは、淋しい限りです。球団社長に続き。何とか今年こそ、頑張ってほしいと思います。思い起こせば球団の歴史と同じ歩みをして、神宮球場からすぐ近くで育った身としては、感慨深いものがあります。あそこが改装するという噂も耳にしますが、わがスワローズに輝かしい歴史が刻まれることを願わずにいられますん。
2025年2月19日水曜日
釉薬仕事
ひらがなとカタカナを彫り終えました。ところが印鑑の原形はまだまだ山のように残ってます。どんな模様にしようかと考えていたら、人が動き出した気配。のんびりハンコを掘ってる場合じゃないことに気が付きました。週末まで置いておき明日からは釉薬仕事に入ることにします。心のゆとりがあるとき あれこれ新しいことにチャレンジしようと思ったりしたのですが、息子とやりあってしまい、立つ鳥後を濁さずといいますから出来るだけおとなしく、はいはいと言うがままに過ごそうかと思っております。昔好きだったある作家さんの事が気になって調べたところ、ほぼこの齢にお亡くなりだったという事を知りました。もうそんな歳なのですねえ。変に気張って、余計なことを考えることはやめることにしたいと思っています。
2025年2月18日火曜日
外出
用事で出かけました。まずは役場から。後期高齢者になって医療保険の金額が上がって役場まで直接支払いに行きました。まだ現役で働いていて収入に応じて金額が変わるようです。特に屋久島は高いらしく、なかには住民票は移転せずに島で暮らす人もいるとか。国は何とか平等な制度を作ってくれないものかと思ったりも致します。今日は風が強く寒さが身に沁みます。粘土仕事をしているとどうしても服が汚れてしまい洗濯機は作業着を洗うために別に用意して使っておりました。その二層式の洗濯機が壊れたという事で新しいのを買いに行きました。ここにきてなかなか物入り。帰りには食料品も買わねばならず、お米のコーナーは品薄なうえにまた値上がりです。なんだか買い物をする意欲も薄れ、寒風吹きすさぶ中を意気消沈しての帰宅となりました。そんな中でも春の花は確実に季節の巡りを知らせてくれます。明日からも希望を持って進んでゆきたいと思っております。
2025年2月17日月曜日
続 かな印
今日も一日印鑑の原形づくりでした。数をあたってみたらなんと700個分。百か二百ぐらいと思っていたのですが、多すぎます。だってひらがなで50、カタカナまで作っても合わせて百ほどですから。あとどんな彫りを入れたら良いのやら。皆目見当がつきません。おまけに休憩も取らずひがな手を動かし続けていました。細かい仕事には慣れているのですが。何しろ毎年小さな七福神を5000個ぐらいは造っていたのですから。ただ、行き先が見えない仕事っていうのは不安になります。どんどん乾燥してゆきますし。今週中にめどが立つことを祈っております。
2025年2月16日日曜日
かな印
ひらがなの印を造り始めました。前に造った漢字の印が少し小さかったので一回り大きく。前回はたたらで造ったのですが今回はスラブローラーで伸ばしました。二センチぐらいにと造り始めましたが小さく切りそろえるのが大変でした。ナイフのようなもので切ろうとすると、粘土が柔らかいので変形してしまいます。一日かかって切り分けるところまで。初めは五十音ぐらいなら彫り終わるかなと思ったのですが、全然でした。これから一週間で造り終えることが出来るのか。なかなか道遠しという感じです。
2025年2月15日土曜日
鉢
午前中に三島印を施して、三時過ぎからろくろに向かいました。中型の鉢、縁を開いた形です 。ところが、いきなりへたって落ちてしまいました。造り始めていきなり出ばなをくじかれてしまいました。そのあと、ビビってしまい最後まで恐る恐る。こうなるとどこか器に勢いがなくなってしまいました。野球のピッチャーでいうところの置きに行くピッチング。かといってプロですから没にもできませんし。ここは、明日の削りと三島作業に掛けます。瓢箪から駒という言葉もありますし、終わってみたら、結果オーライという事だって。明日がある明日がある明日があーるーさ。
2025年2月14日金曜日
日和
穏やかな陽気。海も凪ぎて、空にはまん丸の月。荒れた天気が続いてましたが、こんな日が訪れて心も穏やかになります。仕事も粛々と。土練機を回したり化粧を掛けたり。午後にはお茶碗を造って。本当に、静かな一日。ほっとできる日です。平静な日が続きますように。
2025年2月13日木曜日
ドイツ
夕方のお客さん。自転車でドイツから。一昨日の夕方もドイツからのお客さん。今日の方は古い懐かしいフィルムカメラを手にしてました。もう二十年使っているとか。古い物を大切にする。彼らは徹底しているらしいです。器をいくつか買ってくれましたが、袋はいらないとのこと。カバンに直接入れるからと。無駄にしないという考え方は参考にしたいと思いました。
2025年2月12日水曜日
尺
昨日、お客さんから注文を頂きました。ろくろで高さ30センチまで挽かないといけません。昔だったら楽勝でしたが、この齢、おまけに腰の痛みがまだ残っている現在です。何とか蹴ろくろでチャレンジしました。出来るものですねえ。ほぼ目標を達成。ただ少しだけ高さが足りません。足りない分は後からつぎ足そうと思います。蹴ろくろだとそういう細工がやりやすいので。なんにしてもまだまだ工夫次第では何とかなることがわかりました。あとは焼き方次第。頑張って素敵な花瓶を目指します。
2025年2月11日火曜日
春が来た。
どこに来た。山に来た。里に来た。野にも来た。そんな感じの陽気になりました。蚊のような小さな虫も飛び始めました。今度は嫌な蚊のシーズンがやってきます。わが家のスズも何とか生きております。オムツを付けて、家をぐるぐる歩いております。認知症らしいです。目もほとんど見えないようです。飼い主であるこっちも先日、運転免許の認知検査をしました。何とか合格しましたが、自分ではなんで合格したのか首をひねっているところです。我がヤクルトスワローズのオーナーもお亡くなりになったとか。おそらく同級生でしょう。もう一度優勝を目指していたようです。今シーズンこそはしっかり応援したいと思っております。我が妻、実はすっかりファンになってほぼ全試合を応援してくれています。夫婦で応援です。つば九郎にも早く元気になってあのクルリンパを披露してもらいたいものです。
2025年2月9日日曜日
鉢
三島の鉢に挑戦中です。昨日のぐい呑みと片口は何とか終了。次の仕事に取り掛かっています。今回はろくろではなく型を使って。新しく作った型です。たたらで柄を入れた後に型にかぶせて、高台を付ける予定です。型物は成形する前に印を施すことが出来ます。だから丸い器でも方向性を持たせることが出来ます。丸以外でもいろいろな形にできます。これが終わったら、寿司台のようなフラットな物にも挑戦しようと思います。色々試してみたいと思っています。
2025年2月8日土曜日
さぶ
今年一番の寒さ。特に火の気のないこの部屋は深々と冷え込みます。午前中はろくろに向かって昨日挽いた器を削っていましたから、体を動かしてましたが午後からは三島印を押してたので動かしたのは手先だけ。ストーブは焚いてましたが隙間だらけ。指先までかじかんでしまいました。でも大好きな仕事。休憩も取らずにせっせと模様で埋め尽くしていました。新作の印も押し方次第。だんだん慣れてきて、器を見たとたんにどんな柄にするか。頭は介さず、目から直接手に動きが伝わるようになってきました。まあ、実際のところはまだまだ。また次に彫りたい印が浮かんできました。この仕事も何年か続ければましになるとは思いますが。果たして体がどうなることやら。とりあえず寒さに負けないように気を付けましょう。
2025年2月7日金曜日
復帰
何とかですが復帰を果たしました。先日ろくろには向かいましたが、あの時は削りだけ。今日は制作をすることが出来ました。おまけに朝から土練機も回すことが出来ました。まだ腰に違和感はありますが、これで全面復帰と呼んでも良いでしょう。一時は電動でやってゆこうかと思ったりしたのですが。なんとかかんとか。戻ってきました。よかったあ。これからは決して無理をすることなく少しでも長くやってゆきたいと思っています。
2025年2月6日木曜日
三島皿
ようやくですが新しい印でお皿を造ってみました。文字印は大皿に押すのに五時間かかってしまいました。目はかすむし、腰は痛くなるし大変な作業となってしまいました。しかし他の小さめのお皿は割と順調に出来ました。特にローラー形のは使い勝手が良いのが出来ました。まず、スラブローラーで薄い板を造って、肩に押し付ける前に三島印を施します。あとは型にかぶせるだけ。印の模様がつぶれないように薄いスポンジの板を型との間に使うのがポイント。明日少し乾いてきたら化粧を掛けようと思っております。
2025年2月5日水曜日
ライフワーク
今日、何とか文字印を造り終えました。最初は五百個ぐらいイメージしていたのですが結果はおそらく半分ぐらい。まあ、慌てないで随時作り足してゆきましょう。以前作ったのもありますから。もう思い起こせば五十年近く取り組んでいる仕事です。その間には木で作ったり竹を使ったり素焼きに本焼きにといろいろやってきました。おそらく死ぬまで続くことでしょう。いわゆるライフワーク。昔一緒にやっていた吉田明もだいぶ前に他界してしまいました。今は、彼が残した三島関係の本が手元にありますが。彼は朝鮮半島の焼き物に惹かれて足繫くあちらに通っておりました。マッカリまで自作していたようです。こっちはそれほど夢中にはなりませんでしたが、どちらかというとイスラムの文字が面白くて昔はそんなデザインの焼き物を造っていました。モスクの青に魅せられ、タイルのようなものを焼いてみたりと紆余曲折の人生です。どうもこの道一筋という生き方ではなく行き当たりばったりが似合っているのかもしれません。それでも気が付けば印判手に戻ってくるのはやはり原点と言っても良いのかなと思ったりもしています。
2025年2月4日火曜日
三島印
今日も昨日の続きです。寒くて筋肉が硬直したようで、腰の痛みが復活しました。おまけに同じ姿勢で一日作業。まあ、何とか体がもってくれたことは良かったのですが。それに今日で大体終わらせることが出来ました。なんだか、はんこ屋さんになったみたいです。最後に絵の具で色を塗ってカミさんにもらった箱に納めました。自分で作った棚は出来が悪すぎて没。これで新作の印を使った器が造れそうです。先日三島の器を注文した人のお姉ちゃんが来て催促されてしまいました。一歩ずつですが前には進んでおります。
2025年2月3日月曜日
印
三島の印が思ったほど、はっきり出ないので、素焼きを終えたところで彫りなおすことにしました。この作業、いつもよりも高い温度で焼いたので、なかなか作業が進みません。いつもは素焼き温度が750度ぐらいですが今回は900度ほど。わずか百五十度ぐらいの違いですが、こんなに硬くなるとは。吸水性もかなり減りそうです。篆刻刀を使ってもなかなか捗りません。あと、二三日はかかりそうです。三島の仕事は段取りが大切。頑張って準備をしておかないと、後悔しそうです。
2025年2月2日日曜日
節分
なぜか、今年は今日が節分だそうです。これからは春に向かってゆくのでしょう。今日は春めいた陽気。三寒四温という言葉が浮かんできます。今日は焼き上がった三島の印を使って、器を作りたいと思っていましたが、工房を整理していたら、腰を痛める前に挽いたカップが出てきました。まだ削りが終わっていません。それで午前中は削り。午後は化粧掛け。夕方三島印を整理するための棚を造ったのですが、ひどい出来で落ちこんでしまいました。もう自分で造るのは諦めて、ちょうど良さそうなものを捜そうかと思っています。いずれにしても暖かくなってくれることは有難い事です。
2025年2月1日土曜日
化粧土
黒化粧土がなくなったので作りました。腰がだいぶ良くなって重い攪拌バケツも何とか動かすことが出来ました。ミキサーで土と水を混ぜ合わせてそこに酸化金属を加えます。大きなバケツ一杯の化粧が完成。コーヒーカップと急須に掛けることが出来ました。午後になって海外からのお客様。聞けばオーストラリアからとか。あちらは現在夏で暑いそうです。屋久島は来週になると今年一番の寒波とか。地球は大きいと実感しました。
2025年1月31日金曜日
一か月
2025年。やがて一か月が終わろうとしています。早い事。元旦からいろいろありました。腰を痛めて、何とか立ち直り、運転免許の認知試験を受けて、今日晴れて更新手続きまでたどりつきました。ところがガガーン。この歳になると優良ドライバーでも三年で更新とか。八十まで無事に過ごすことが出来たら免許証を返納するつもりでしたが新たな問題が生じてしまいました。七十七歳でどうするか問題。まだ三年ありますからゆっくりと判断しましょう。大体それまで無事生きてられるのか。もう一つ。こちらは、本日蹴ろくろ復帰できたこと。ここ数日電動轆轤を立って挽くという荒業をやっていたのですが、今度は背中が痛くなってしまいました。普段あまり使わない筋肉を無理してしまったようです。これからは少しずつですが、蹴ろくろで制作を再開したいと思っております。
2025年1月30日木曜日
認知試験
警察署で運転免許に関する後期高齢者の認知試験を受けてきました。あらかじめユーチューブである程度勉強しておいたのですが、いざ、タブレットを渡されると頭が真っ白になってしまいました。結果はどうにかこうにか合格できたのですが、一時はダメかなと覚悟を決めた場面もありました。落ちたら、病院へ行って、医師の診断書をもらわないと、免許取り消しとなります。だいぶ覚えたと思ったのですが甘かった。環境が変わるとすっかり頭が空っぽになるという事を学習しました。あとは視力検査が待っております。こちらも結構ギリギリ。何とかクリアーしてしばらく運転を続けられると有り難いのですが。
2025年1月29日水曜日
雪
工房から見た山が雪をかぶっております。山へ入る道は通行止めです。風邪がビュービューと吹いて寒い事。夕方立ち寄ってくれたお客様。札幌から来たのでそれほど寒さは感じないとか。朝早く山に入ったので道は通行できたとのこと。運が良い人と悪い人とはどこで違ってしまうのだろうと疑問が湧いてきます。
2025年1月28日火曜日
モノ
モノには魂が宿るというのは昔からの日本人の考えでしょう。だから一個の器だって決しておろそかにせず大切に使い続けるのだと思います。今日、突然ある人が、昔確か修理を頼んだ器があったと思うと言って工房にきてくれました。こっちはすっかりそんなこと忘れていて、そんなのあったかなあと言ったところ、息子が探し出してくれました。しかも修理済み。おそらく直した後にどこかへ置いているうちにすっかり忘れてしまったのだと思います。その方、たいそう喜んでくれました。こっちもおろそかに放ってなかったことに一安心。たとえ欠けてしまったり、誤って割ってしまっても器には愛着が残っており、おそらく昔の事を思い出すもののなのでしょう。一個の器。モノづくりとして決しておろそかにするべからずです。
2025年1月27日月曜日
棚卸し
今年最初の棚卸に行きました。空港近くのお土産屋さんに。もう一軒のホテルは休業中です。今は正月明けの閑散期。朝から雨模様。空港の駐車場も満杯にはなっていませんでした。おそらくこれからだんだんと人の動きも活発になってくるのでしょう。月に一度の恒例行事。体調を整えて頑張りたいと思っております。
2025年1月26日日曜日
素焼
これまで750度ぐらいで素焼きをしてきたのですが今回初めて900度近い温度で焼くことにしました。三島の印を素焼きで使うためには少しでも丈夫に焼き固めたいと思ったからです。ただあまり高温で焼きしめると吸収性がなくなって粘土がくっつきやすくなってしまいます。器も釉薬を吸わなくなってしっかりと定着してくれないという懸念があります。何事もやってみないと分からない事ばかりですが新しいことに挑戦するのは難しい事だと思います。
2025年1月25日土曜日
春の訪れ
急に暖かくなりました。まだ、ハゼノキは紅い葉をを付けているのに。今年はセンダンも葉を落としていません。それなのにクワゴマダラヒトリの毛虫が歩き始めています。色々な意味で様子が変わっています。気候変動というものでしょうか。昨日修理した抽斗の底板がはがれかかっているのを発見しました。今日戻ったら修理しなおさないといけないようです。
2025年1月24日金曜日
抽斗
家の収納棚が壊れてしまい、修理を頼まれていました。リハビリを兼ねて木工作業。接着剤で張り付けるだけでしたがこれがなかなか。クランプや端金で締め付けないとしっかりと接着できません。合わせて十五個動員して何とか組上げました。あとは一晩置けばしっかりとした抽斗が出来るでしょう。やってみて思ったこと。修理するって簡単ではないという事。ましてや古くなった家具。釘は錆びているし板は割れているし反ってしまってなかなか元には戻りません。昔のものだからなおさらです。指物師の技、すごいなあと思いました。
2025年1月23日木曜日
雨模様
早朝、屋根を打つ音で目が覚めました。カミさんが、「午後からと言ってたのにもう降り始めた」とのこと。今日一日降ったりやんだり。どんより広がる雲。幾分暖かく感じますが。次男が突然熱を出して診療所を訪ねた日から一週間が経ちました。幸い熱はすぐに下がってインフルエンザではなかったようですが。その代わりと言っては何ですが、こっちが腰を痛めて寝込んでしまいました。一週間ほど経ちました。少しずつ動けるようになって今日も一日工房で過ごすことが出来ました。この調子なら、そのうち元に戻ることが出来そうです。一時はこのまま良くならないのではという不安に襲われていたのですが。悪運が強いようです。これからも体が動く限り、土と向かってゆきたいと思っています。
2025年1月22日水曜日
釉薬仕事
今日は釉薬仕事です。朝からいつも痛む腰の反対側が痛くなって、心配したのですが何とか一日作業をすることが出来ました。腰が持ってくれたことに感謝です。釉薬仕事がこれほど大変だとは。体全体を使って様々な動きをすることに気が付きました。普通に動くことが如何に難しい事かをあらためて知った気がします。
2025年1月21日火曜日
二度目
朝の日記から夕方の日記に続いております。何とか体を起こして一日過ごすことが出来ました。それもロクロまで挽いて。さすがに、蹴ろくろは無理でしたが電動轆轤で急須に挑戦。実は腰への負担を考えて小さな仏さまを作りたかったのですが、どうしても型が見つかりません。そこで急遽急須づくりへ。なかなか思ったように出来ませんのでかなり途中で壊すことに。それでも何とか夕方まで格闘できました。ただ、座っての作業は難しいので立って轆轤を挽くという、おかしな体勢です。昨日決して無理をしないようにというメールが来ていたのでそれに従って。これから少しずつリハビリしながら体を戻してゆきたいと思っております。
社会復帰
今日から復帰することにしました。朝からシャワーを浴びて髭を剃って、まずは身だしなみから。まだ、変な動きをするとピキーンという痛みが走りますが。寝込んでしまうとどんどん退化しそうなので。今朝がたアメリカ大統領の就任式をライブで見ました。トランプさん。三歳ほど年上なのにお元気なこと。演説は一切原稿を見ることなく、おごそかな雰囲気で始まりだんだん熱を帯びてくると、激しい口調で聴衆を引き付けます。まさにカリスマ性という言葉がぴったりくるようでした。日本の式典との違いがはっきりとしていてまさしく若い国という印象でした。MAGA という言葉をだれもが口にして一体感を強調していたのが印象的でした。翻って我が国はこれからどこに向かって進んでゆくのだろう、そんな問いが脳裏を走ります。この難関をだれにゆだねたらよいのか、おそらく天の指し示す方向へおのずと進んでゆくことでしょう。願わくば日本にとって明るい未来が待っていることを祈らずにはおられません。
2025年1月20日月曜日
副大統領
昨日、JDヴァンスの「ヒルビリー エレジー」を読み終わりました。今日アメリカ副大統領に就任する人の自伝です。まずタイトルの「ヒルビリー」の意味ですがアイルランドの国境地帯スコットランド山岳部に住んでいた人たちが移住したアメリカ東南部で暮らす白人労働者階級の人達をさすようです。現在は一般的にはレッドネックなどと呼ばれる、衰退してしまった工業を支えてきた白人貧困層を呼ぶ、蔑称に近いような意味が強いようです。そんな中で、薬物中毒と戦う母親に育てられた彼が堕落の道から必死に海兵隊で心身をたたきなおし、大学院を卒業して現在の地位へと昇ってゆく過程が描かれています。いわゆるアメリカンドリームへの道と言っても良いのでしょうか。おそらくドナルドトランプという人間も数奇な運命の中を生きて現在の地位に上り詰めたものと思われます。そんな人たちが新たに合衆国という巨大戦艦を動かしてどんな世界に変わってゆくのか。まさに今日、新たなスタートを切ろうとしています。混とんとしたこの世界がどう変化してゆくのか。その現場に立ち会えること、まのあたりにすることに運命を感じているのは私だけではない事と思います。
腰の方は少しずつではありますが、落ち着いてきました。ご心配をおかけした方々にはあらためて感謝申し上げます。
2025年1月19日日曜日
後期高齢者
とうとう今日なってしまいました。75歳に。おまけに、腰を痛めて横になったらそのままで数日。なんという年でしょう。2025年という年は。今は何とか起き上がって、ここまでたどり着いたのですが。明日以降が不安でなりません。何とか、回復して、また制作が出来るようになりたいと願っております。
2025年1月15日水曜日
自分
三日目になってようやく自分の仕事らしくなってきました。和の仕事。ろくろ目。ゆっくり蹴ろくろを回し自然なろくろ目がでてきました。ちょっと和の仕事。うまく表現できませんが、調子が出てきたような。毎日ろくろに向かっていても、その日によって全然違ってきます。こんなことでは一人前とは言えないのでしょうが。毎日が修業です。
2025年1月14日火曜日
兆し
少しずつですが回復の兆しが見えてきました。腰が突然痛みだしたり、元旦から、奈落の底へ突き落されたような落ち込んだ気分でしたが三歩前進二歩後退といった具合にちょっとずつ光が見えてきました。最近毎日流れてくる六角精児さんの歌。なん万年も降り続く雨はないだろう なん百年も生きている人もいないだろう。そんな気分です。一生懸命生きていれば必ずおてんとうさんが顔を出し心をほぐしてくれる日もやってくるものです。頑張って生きてゆきましょう。
2025年1月13日月曜日
カップ
ろくろに向かいました。ようやく通常の制作モード。久しぶりなので、上手くゆかず失敗の連続。忘れるものですねえ。五十年以上もやっているのに。ちょっと十日ほどろくろから離れただけですが。毎日やらないと。とくに歳をとってからは。近く、認知テストを受けなければなりません。七十五歳の誕生日まであと数日。記憶力ばかりでなく判断力も低下するようです。今回は免許停止になるのかも。その時は返納するしかないのでしょう。
2025年1月12日日曜日
予感
今年は、なかなかすんなりゆかない予感がします。元旦に始まり、今日のお客様も皆さん一癖ありそうな方ばかり。今日は連休の中日でお客さんが来てくれましたが。まあそんなときもあるものです。今年は頭を低くして、吹き飛ばされないように備えてゆこうと思っております。
2025年1月11日土曜日
釉掛け
一日中、釉薬と戯れていました。愉しくって時間があっという間に過ぎてゆきます。新しい釉薬を作ったり、掛け方を工夫したり。昔一度やったような気がしますが、そこは老人力。初めての仕事の気持ちで、新鮮な気分。やっているうちに気がついたり。そんなこと気にはしません。
2025年1月10日金曜日
いつもの暮らし
三島の印づくりも終わり、戻ってきました。いつもの制作ペースに。工房の在庫が減ったところから順番に焼いてゆくことになりました。まずは釉薬掛けから始めます。ホテルの売店からも電話が入ったりどこも元のペースに戻ったようです。島のフェリーも三月末頃には復旧の見込みとのこと。だんだん日常生活が戻ってきそうな気配です。腰の痛みもだいぶ引いてきました。今年は元旦から大きな出来事がありましたが、あれくらい、能登の方々に比べたら屁でもありません。何とか一刻も早い復旧を願わずにいられません。
2025年1月9日木曜日
準備完了
年始から今日までせっせと彫ったハンコ。今日で終了です。ついでにたたらで造る丸皿の準備も終わりました。果たしてこれでうまくゆくのか。わかりませんが信じた道をひたすら進んできたつもりです。目指すは新しい印版手です。思いついたのですが最後に掛ける釉薬。普通は透明釉で終わるのですが色釉で出来ないものか。新しい表現にはこれまでだれもやらなかった手法を取り入れたいと思っています。
2025年1月8日水曜日
三島ライフ
取りつかれたようです。ネットの動画も三島ばかり。はんこづくりは午前中に何とか終えましたが、午後は三島のお皿をたたらで造りたいと、型を造り始めました。素焼きの型。これまでは石膏がほとんどでしたが初めて素焼きです。昔はほとんどの型は素焼きだったようです。なんだかだんだん原始的になってゆくようです。
2025年1月7日火曜日
はんこ屋さん
一週間目です。印を彫り始めて。そろそろ本職に戻りたいのですが、あと少し残ってしまいました。朝から土練機を回して、再成土が沢山出来ました。印が乾いたら素焼して三島の器づくりをはじめようと思っています。その前に腰を何とかしなくちゃ。このまま腰痛が続くと蹴ろくろどころの話じゃなくなりますから。
2025年1月6日月曜日
ろくろはじめ
新年のろくろはじめです。と言っても、器ではなく、今日も三島の印の原形。ローラーで連続模様を付けようと挽き始めました。もう一種類は小さな丸い印鑑の原形。こちらは花三島用です。最後は細長い印。硬く練りすぎて模様を付けようとするとひび割れる始末。かといって柔らかすぎてはべたついて模様が崩れてしまいます。陶印も奥が深いです。
2025年1月5日日曜日
陶印
今日もせっせと印鑑彫り。と言っても仕上げ作業ですが。まだまだ終わりそうもありません。昨日は夢にまで出てきました。せっせと彫っている夢。そろそろ終わって、次に進みたいと思っています。ユーチューブで、韓国の方がせっせと器を造っているのを見ました。日本人と比べて細かい作業が得意そうです。日本人はすぐにアレンジしてアートっぽくしてしまいそうですが、あちらの方は律儀というか緻密というか、どこか違いように思います。同じような顔をしていても血の中に別のものが流れているのでしょうか。
2025年1月4日土曜日
はんこ
今日も朝からハンコ彫り。それから、乾いたハンコの修正。これがなかなか。修正の方が難しいのです。粘土に押しながら彫りを確認しては整える作業。土を細かくしたのですが乾いてくるとボロボロとなって、せっかく彫った後が掛けたり崩れたり。土をもっと細かいのにすればよかったと反省しております。
2025年1月3日金曜日
悪霊
昨日の夕方、突然腰が痛くて、歩くのがやっとという状態になってしまいました。年末に筋肉がひきつったような痛みが走ったことがあったのですが、それほど悪化せずに、これなら何とか良くなりそうかなと思った矢先でした。元旦以来、何かにとりつかれた感じがします。誰かが悪霊を連れてきたような。しかし、負けません。どんな悪い何かが憑いても決して。そして今日も一日中三島の印を作っていました。今回のは漢字を彫っています。小さな印面に漢字を彫りこむのは至難の業ですが、昔、篆刻に凝っていたことを思い出しつつ、一心不乱に手を動かしました。心の中で悪霊退散と呟きつつ。
2025年1月2日木曜日
孫
今日帰ってゆきました。娘たち家族が。年末からの三日間。次は夏の予定だそうです。どうやら年二回と決めたようです。だんだん年取ってゆく両親に孫の成長を見せてくれます。有難い事です。帰った後はしばらく淋しくなりますが。またいつもの暮らしに戻ることでしょう。今日も、陶芸体験の問い合わせが入りましたが断ってしまいました。昨日の反省で明日までは休むことにしました。年の初めからあまり頑張ることはないと思います。いつものように淡々と日々を送ってゆきたいところです。
2025年1月1日水曜日
木工
元旦から木工作業をしました。娘が地杉の輪切りを買ってきて磨いてあげました。簡単に電気鉋できれいになると思ったのですがなかなか手ごわく、オービタルサンダーとベルトサンダーを使ってもきれいになりません。致し方なく預かって時間をかけてゆっくり仕上げることにしました。午後から陶芸体験。やるべきでなかった、元旦早々に。終わってから、お客さんとやりあってしまいました。長くこの仕事をやってきましたがはじめてでした。大人げないと思いつつ頭にきてしまいました。自戒。心を穏やかに。去年の元旦は能登地震。今も大勢の方々が仮設暮らしです。一寸先は闇とはよく言ったものです。