2021年12月8日水曜日

足場

今朝からペンキ屋さんが足場を組みにきてくれました。前の現場がなかなか終わらず、当分掛け持ちとの頃です。それでもうまくゆけば年内に終わるとか。綺麗になった外壁で正月を迎えられるのでしょうか。と言っても、外壁全部ではなく、自分でできそうなところは、残してもらっています。何しろ予算がありますので。手を怪我した、工房裏の差掛け小屋も来春までお預けです。その前にやらなければいけないことが山積みですから。今日は、電気屋さんが工事の下見に来てくれました。工房の改造を今日から始めたので。捨てるものは捨てて、外に出すものは運んで、だいぶ広くなりました。その代わりに、素焼きでとっておいた器をかなり壊しました。勿体無くてなかなか壊すことができなかったものたちです。こんな時でないと、それぞれに作った時の思い入れがありますので。 

2021年12月7日火曜日

予防接種

 昨日の夕方、インフルエンザのワクチンを打ってきました。家族揃ってです。駐車場がいっぱいで、大混雑でした。二ヶ月前、指の怪我で通院していた時は、ガラガラで待合所に一人、なんてこともありました。ちょうどその頃、コロナのクラスターが地域で発生して、患者さんが警戒して、診療所から足が遠のいたのだと思います。わずか二ヶ月前まえはのことです。それから、どんどん減って、気がついたら、日本中がどこもほぼ収束したのではという状況になりました。しかし、ここにきてのオミクロン株です。この先どうなるか、全く見当もつきません。だいたい、なぜコロナ株が日本でこれほど減ったのかも、誰もちゃんと説明できる人がおりません。色々な推測がありますが。よその国ではまだまだ全く収まりを見せていませんのに。去年の今頃、世の中がどんなだったのか、全く思い出すことができません。まさに、一寸先は闇です。もうすぐ2021年ともお別れです。さてさて、来年どんな年がやってくるのやら。

2021年12月5日日曜日

泣きっ面

 昨日、仕事を終えて家に戻ると、急にお腹がズキズキしてきました。それも右の下っ腹です。前にも憩室炎をやったり盲腸だったり、そんなのが出たのかなと思ったのですが、お腹にいつもの練薬を貼って、ご飯も食べずに横になったのですが、悪いところが火のように熱くなって、炎症があるのがわかりました。ところが薬が乾いたのでチェックすると、どうも右側だけではなく大腸全体というかお腹全体が悪いようでした。何日か前から調子は良くなかったのですが、一体どうしたのか。先週の金曜日までずっと一ヶ月半ほど、抗生剤のお世話になっていました。形成外科の先生が骨髄炎を疑って、徹底的な抗生剤の投与をしてくれました。それがやっと終わったタイミングです。想像ですが、抗生剤の大量投与でお腹悪い菌だけでなく良い菌も死んでしまったのではないでしょうか。こういうのを泣きっ面に蜂と言うのでしょうかねえ。仕事が忙しくなって、いざと言うタイミングで悪いことが起きます。来年は屋久島で陶芸を始めてちょうど50年目の節目になります。父が死んだのも72歳の時でした。色々な意味で節目の年です。果たしてその歳を乗り越えることができるのか、これは天が与えてくれた試練なのかもしれません。

2021年12月4日土曜日

五角鉢

朝から型ものづくりでした。五時からです。なかなか時間がかかります。一日やっても、やっと18個。それも前にタタラを作っておいてからです。それにこれで完成ではありません。まだまだ仕上げが必要です。これも、試作なのです。この仕事、正直やりたくないのですが、ぜひ試作してほしいということなので。注文がくると、困る気がします。まあ、プロですからやれと言われたらやりますが。腰が痛くなりました。一日中、椅子に座って手を動かしていましたから。明日は昨日挽いた皿を削る予定です。 

2021年12月3日金曜日

膝サポーター

 冷え込んでくると、膝が辛くなります。毎日蹴り轆轤を回していますから余計負担がかかります。蹴り轆轤は腰や膝の負担が大きいので、40歳台ぐらいでたいていの人がどこかを痛めて使用をあきらめるようです。幸い70過ぎても回すことができるのは。親が丈夫に生んでくれたおかげでしょうか。それでもさすがにこの季節。痛いということはありませんが、膝に負担がかかると違和感を感じるようになりました。電話がなって急いで立ち上がらなくてはいけない時などなかなか力が入りらずもたついてしまいます。昨日、注文していた膝サポーターが届いて早速使ってみました。それほど劇的に効いている感じはしませんが、暖かいためか、片膝立ちでなんとか立ち上がることができるようになりました。こんなことならもっと早く使ってみればよかったと思います。あとは筋力を少しずつ強くすれば、楽に動かすことができそうです。ただし、無理は禁物ですからボチボチとやって行きたいと思っています。

2021年12月2日木曜日

予感

朝から嫌な予感がしてたんですよね。当たるものです、悪い予感は。病院に行ったのですが、トラブル続き。おまけに骨折からの回復がなかなか進みません。もう歳ですから仕方ないのですが。この調子では来年までかかりそうです。せっせとカルシウムを取らなくては。膝もよくありませんし、腰もズキズキ。困ったものです。そんなことを形成外科の先生に相談しようものなら、一生お世話にならなくてはいけなくなりそうです。帰り道で、時々寄っていた、材木を扱う店が閉店していました。地元の木を鉋をかけて売ってたのでありがたかったのですが。早かった。あまり売れなかったようです。同じ自営業者としては、人ごとではありませんが。毎日が晴れたり曇ったり。明日はきっと良い日になる、そう信じて進んでゆきたいものです。 

2021年12月1日水曜日

師走

 昨日は大阪のデパートのバイヤーさんんが工房を訪れてくれました。細かいところまで煮詰めてくると、もう後戻りできないという思いで身が引きしまります。今日から十二月ですから会期まで3ヶ月しかありません。果たして間に合うだろうかとドキドキします。今年は正月返上となりそうです。もちろん畑も当分足を踏み入れることもなくなるでしょう。来年は屋久島で焼き物を作り始めてちょうど50年になります。そういう意味でも節目の年ですから、なんとか頑張ろうと思います。

ところで、作詞家の喜多條 忠さんが亡くなられたと知りました。あのかぐや姫の名曲、「神田川」を作詞された方です。我々と近い団塊真っ只中の生まれです。昔、神田川の上流になる善福寺川の脇にある家で育ちました。あの歌が流行した頃、あの川ぞいの道を毎日のように歩いて、悩んだり、酔っ払って歩いたりして過ごしました。おそらくあの歌を口ずさみながら、それぞれの青春と重ね合わせた方達も多いことと思います。今から50年の歳月をさかのぼる時代です。当時は、屋久島で作陶を始めた頃で、窯は失敗の連続で、東京と島を行ったり来たりの生活でした。今思えば、どんな無理でも、どんな無茶でも、恐れるものは何もなかった、時代でした。気がつけばあれから50年の歳月が過ぎてしまったのですね。心より、ご冥福をお祈りいたします。