祖父の思い出を書いてみます。祖父は鹿児島で徳川から維新へ変わる、慶応3年、(明治元年)鹿児島の荒田村で生まれました。当時は村でしたが今は鹿児島市荒田町でしょうか。家は平田姓。先祖はかの平田靱負だとか。鹿児島の人なら誰でも知っている、薩摩義士を率いた薩摩藩の家老職、いわゆる台所方という職。今でいえば財務とか経理のトップでしょうか。靱負は木曾三川の治水工事を幕府から言いつかって苦労の末工事を成し遂げま予算が足りず近江商人から借りて、工事を完遂した時自ら腹を切ってすべての責任を負ったことで名を残しました。その家から我が家に養子に来たのが祖父です。陸軍士官学校の一期生だったとか。卒業してから日清戦争日露戦争で戦ったようです。陸軍の軍人として。ロシアでは斥候隊を率いて目の前をロシア軍の軍人が通ってゆくのに遭遇したことがあったと母に語ったことがあったようです。退役後、東京での実家でサンドイッチを作る事業も始めたようです。一時は三越に納めていたとか。四谷にあった家には広い板間があって、いかにもサンドイッチを作る工房らしい場所が残っていました。東京は太平洋戦争の空襲でほとんど焼け野原になってしまったのですが、運よく祖父の家があった一角は焼けなかったとのこと。(ちょっと話が長くなりそうなので続きはまたいつか。)