祖父の思い出の続きです。前に陸軍士官学校を出たという話を書きましたがその一期生で最後の生き残りだったようです。死亡時の年齢は95歳ぐらいだったと思います。明治大正昭和と三つの時代を生きて、おそらく少年時代を鹿児島で過ごし東京に出て学生時代を過ごし、軍隊で活躍して、どんな活躍したのかは知りませんが除隊した時には連隊長で少佐だったようです。黄綬褒章を受けあの頃、家にはその勲章が置いてありました。碁が得意で、田舎名人だったようです。年を取っても時折碁を打ちに出かけておりました。生涯着物を着て、下着はふんどし。妻は、最初の奥さんは早く亡くなったようで、二人目を山口市からもらったようです。二人目も早かったようでわたくしはが生まれたときはもうお亡くなりになっていたようです。母も会ったことがないと言っておりましたからおそらく戦前には亡くなっていたようです。ただ家にはたくさんの書き物が残っていて、その中には祖母の手による生け花の指導書なども記憶に残っています。おそらく現在、わたくしが陶芸をやっているのは祖母からの血が影響しているのかもしれません。(ちょっと長くなりましたので続きはいずれまた)