「急に秋になったわねえ」。今朝の散歩でのカミさんの言葉でした。「確かに」と心で返しました。日が短くなり、セミの鳴き声も秋めいてきて、歩いていると大きな音が山で聞こえました。確か、先日、家の入口に鹿のファミリーが夕方歩いていました。動物たちも元気そう。暑い暑い夏もそろそろ過ぎて、冬に備えて活動を始めたようです。しかし油断は禁物。大きな台風は秋にやってきます。十八号台風では中国方面で被害が出た模様。本格的な台風の備えは怠るわけにはゆきません。どうか無事に年を越せますように。明日から十月。十五夜のお月見には、ススキとおはぎ。すっかり甘党になりました。
2025年9月30日火曜日
2025年9月28日日曜日
祖父2
祖父の思い出の続きです。前に陸軍士官学校を出たという話を書きましたがその一期生で最後の生き残りだったようです。死亡時の年齢は95歳ぐらいだったと思います。明治大正昭和と三つの時代を生きて、おそらく少年時代を鹿児島で過ごし東京に出て学生時代を過ごし、軍隊で活躍して、どんな活躍したのかは知りませんが除隊した時には連隊長で少佐だったようです。黄綬褒章を受けあの頃、家にはその勲章が置いてありました。碁が得意で、田舎名人だったようです。年を取っても時折碁を打ちに出かけておりました。生涯着物を着て、下着はふんどし。妻は、最初の奥さんは早く亡くなったようで、二人目を山口市からもらったようです。二人目も早かったようでわたくしはが生まれたときはもうお亡くなりになっていたようです。母も会ったことがないと言っておりましたからおそらく戦前には亡くなっていたようです。ただ家にはたくさんの書き物が残っていて、その中には祖母の手による生け花の指導書なども記憶に残っています。おそらく現在、わたくしが陶芸をやっているのは祖母からの血が影響しているのかもしれません。(ちょっと長くなりましたので続きはいずれまた)
2025年9月27日土曜日
急須2
午前中急須を組み立てました。そして午後は今日も急須づくり。今日は電動ろくろで立って挽きました。十二個。合わせますと二十個になります。バカでかいのも足すと24個。これくらいでとりあえず目標達成です。明日は挽いた部品を仕上げて、組み立てる予定です。今朝は四時過ぎに起きてかなり頑張りましたので、へとへとです。でも心地よい疲れ。こうして好きな仕事を頑張れるって幸せだなと思います。
2025年9月26日金曜日
棚卸し
一日遅れで出かけてきました。毎月の棚卸です。昨日は朝から雨でしたから。相変わらず暑い日が続いてます。先日の台風では台湾、フィリピンが大変な被害を受けたようです。ほんの少し方向がずれてたらここがやられたかもしれません。明日は我が身です。それにしても被害にあわれた方々、心よりお見舞い申し上げます。まだまだ台風シーズンが続きます。どうぞ、無事に過ごせますように。今日の買い物は多くて、クルマに運ぶのに苦労しました。めったに買い物に出ないので、まとめ買いでそうなってしまいました。帰ってきて昨日ろくろで挽いた急須を組み立てました。ざっとですが何とか形にはなりました。今日、立ち寄った百均、急須が何と450円で売られていました。おそらく東南アジアで造られたのでしょうが、どうやったらそんな値段で売ることが出来るのか、首をひねってしまいました。
2025年9月25日木曜日
急須
屋久島ではきびしょと言います。お茶を淹れるのに使う器。英語だとティーポット。昨日組み立てたのが大きすぎて、一回り小さい茶こしを捜しました。金属製のネット製。それに合わせてボディーから蓋、口、持ち手を作りました。思ったよりも進みません。頑張って八個。前回のバカでかいのと比べるとかなり小さめ。造ってみて気が付いたのですがもう一回り大きいのが理想的かな。何事もやってみないと分からない事ばかり。だから新しいものへの挑戦は楽しいものです。
2025年9月24日水曜日
祖父
祖父の思い出を書いてみます。祖父は鹿児島で徳川から維新へ変わる、慶応3年、(明治元年)鹿児島の荒田村で生まれました。当時は村でしたが今は鹿児島市荒田町でしょうか。家は平田姓。先祖はかの平田靱負だとか。鹿児島の人なら誰でも知っている、薩摩義士を率いた薩摩藩の家老職、いわゆる台所方という職。今でいえば財務とか経理のトップでしょうか。靱負は木曾三川の治水工事を幕府から言いつかって苦労の末工事を成し遂げま予算が足りず近江商人から借りて、工事を完遂した時自ら腹を切ってすべての責任を負ったことで名を残しました。その家から我が家に養子に来たのが祖父です。陸軍士官学校の一期生だったとか。卒業してから日清戦争日露戦争で戦ったようです。陸軍の軍人として。ロシアでは斥候隊を率いて目の前をロシア軍の軍人が通ってゆくのに遭遇したことがあったと母に語ったことがあったようです。退役後、東京での実家でサンドイッチを作る事業も始めたようです。一時は三越に納めていたとか。四谷にあった家には広い板間があって、いかにもサンドイッチを作る工房らしい場所が残っていました。東京は太平洋戦争の空襲でほとんど焼け野原になってしまったのですが、運よく祖父の家があった一角は焼けなかったとのこと。(ちょっと話が長くなりそうなので続きはまたいつか。)
2025年9月23日火曜日
土練機
朝一で土練機を回して土を作りました。白内障の手術をしてからずっと休んでいましたから、今日は久しぶりに力仕事です。余り全身の力を使う事は目に良くないとかで息子が代わってくれていました。少しずつですが社会復帰。蹴ろくろもだいぶ慣れてきましたし。今日は、ティーポット造り。思ったより口が広くて勝手が違いましたが。どうやら市販の茶こしに合わせるとこうなるようです。やはり造り慣れた方法がバランスの良いポットが出来そうです。
2025年9月22日月曜日
彼岸
明日が秋分の日。ってことは、秋のお彼岸でしょうか。暑さ寒さも彼岸まで。だんだん秋が深まっています。今朝の散歩、ちょっと寝坊して六時を回っていました。昨日の真っ赤な朝焼けとは違って、すっかり明けた明るい空。そんな道すがらあっちこっちでヒガンバナが咲いていました。「哀しい花なら何の花 真っ赤な港のヒガンバナ」。浅川マキの歌が浮かんできました。最近動画でよく見るのが、エド山口さんのギターの話、「大江戸日記」というものです。技術の話はマニアックですが、どこか陶芸と通じる気がします。そして、昨日からご夫婦でやっている「歌謡曲バンザイ」というのを見ています。奥さんと二人で歌うのですが生ギターと生声が、妙に胸にしみます。楽器を弾ける人がうらやましいと、無性に思っています。
2025年9月21日日曜日
急須
お茶を淹れる器。土瓶とか急須と呼ばれています。これまでずいぶん色々作ってきたのですが、ここにきて状況が変わってきました。昔はお茶の葉が出ないように土で細かい穴を空けていたのですが、最近お店を見て回ると、ほとんど、ステンレスのネットで出来た茶こしのようなものをすっぽりとセットしているものが多いようです。確かにお茶の葉が詰まってしまい、困るような事も多かったものです。最近では市販の茶こしを使って、急須に合わせて造っているようです。そこで早速、ネット通販で取り寄せてみました。届いた茶こしの寸法に合わせて早速試作してみようと思っています。中には、ステンレスの金気を嫌う人もいそうですが。時代に合わせることも必要かと思います。現代の使い勝手の良い器づくり。そんな工夫も必要になるのかもしれません
2025年9月20日土曜日
エレキ
最近タブレットで見ているのがベンチャーズをカバーした女の子の動画です。国籍不明の東洋人がお父さんと一緒に演奏しています。一曲、聴き始めると何時間でも延々と流れます。高校に入ったばかりのころ軽音楽部の友人が弾いていた懐かしい曲の数々。そんな中で、ビートルズの武道館公演があって同級生の何人かが授業を抜け出していました。あの頃が懐かしく思い出されます。それにしても、お父さんの影響でしょうが、まだ中学生か高校生の女の子がエレキギターをかき鳴らすのを見るとは。でもあの娘、アコースティックギターもエレキギターと同じように弾きこなしています。今の若い子、すごいなあと改めて思っております。
2025年9月19日金曜日
美術館
昨日は鹿児島に行ってきました。定期検診。診察を終えて市立美術館に行きました。目的は、十月から始まる藤田嗣二展の割引券を手に入れるためです。千二百円が千円に。わずか二百円だけの値引きですが。すいていたので常設も見てきました。ほとんど貸し切りです。そこにも藤田の小品が飾られていました。二階に上がったところにジャコモマンズーの彫刻が置かれていました。大好きな作家なので大感激。それに、香月やすおの桜島のクリアファイルを見つけました。香月もだいだい大好きです。たった二百円の出費で幸せになりました。ほんのわずかな出費でこんなに幸福になれるとは。本当にありがとうございました。
2025年9月17日水曜日
片口
片口を造っています。お酒を呑むための。昔は、徳利をよく造っていましたが、最近はもっぱら片口ばかり。冷でよし、燗でよし。秋になると熱燗が恋しくなります。旅の宿という拓郎の歌が浮かんできます。「熱燗徳利の首つまんで、もう一杯いかがなんて・・・。」いいですねえ、最近は酒吞むこともありませんが。ぐい呑みは平盃で。大昔、鹿児島の陶器屋さんで見つけた盃。確か沖縄出身の大峯作。彼はろくろの達人だと思います。薄造りです。これから秋が深まってきます。「白玉の はにしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり」。
2025年9月16日火曜日
選挙
今日から始まりました。この町の代表を決める選挙が。町議会議員を選ぶための。五日間。日曜日の投票日まで。この島には一本。ぐるりと一周する県道があります。その道をぐるぐると名前を連呼して走ります。ですから、選挙期間中は外出すると必ずどこかですれ違う事になります。そんな時は、必ずにっこり笑って手を振るのが我がしきたり。全員に入れるわけにはゆきませんが、とりあえずは頑張ってくださいとエールを送る意味で。そして最終日には応援する候補者が通るときは外に出て手を振る事。なんといっても様々な身近な問題を解決してくれる大切な存在ですから。そして選挙が終わったら次の選挙まで静かな日々が戻ってきます。
2025年9月15日月曜日
残暑
なかなか涼しくなりません。厳しい残暑。台風発生の予感。前回鹿児島に行ったときも、ちょうど台風が来ました。最近は、来るぞ来るぞという感じではなく、突然台風が来た、というような感じ。黒潮の流れが関係しているようです。そういえば今年はサンマが豊漁とか。脂がのって、大振りなのだそうです。屋久島あたりに来るのは貧弱なのが多いようですが。島で、回りを海に囲まれていても、案外ここにはよい魚が来ません。おいしい魚は地元で獲れても東京や大阪に運ばれてしまうようです。だから、案外、魚を自分で釣りに行かないと食べることはできません。昔、仕事はしないで釣りばかりしてた時がありました。あの頃は嫌というほど釣り立てが食べることが出来ました。野菜もしかり。自分で育てないと美味しい野菜は口に入りません。来年こそは野菜作りを再開するぞ。そんな決意を固めております。
2025年9月14日日曜日
散歩
今朝も散歩。五時半ごろに出発しました。日が少しずつ短くなって、夜明けも段々遅くなってきました。今朝はかみさんと一緒です。時折雨粒が舞ってきて、いつ降りだしてもおかしくありません。空を見上げてあの雲はどっちに動いているのかなと、予測しながら道中を急ぎました。先日の雨と雷。しばらくしてだんだん被害がわかってきました。まずは、離れから。ブレーカーが落ちて冷蔵庫やストッカーが作動してませんでした。工房でもいくつかの機器がやられました。状況から判断していったん落ちた雷がアースを逆流して被害が出てしまったようです。保険会社にきてもらい、被害届を受け取りました。あとは、販売業者にお願いして被害状況を調べてもらう必要があります。こんな時離島はハンデになります。手続きがなかなか進みません。おまけに連休に入ってしまいました。ここは慌てず、ゆっくり腰を据えてかからないと上手くゆきそうにありません。どこに、落とし穴が潜んでいるか、油断できません。
2025年9月13日土曜日
萩
工房の入口の萩の花が咲きはじめました。白萩です。かれこれ四十年ほど前に、植え、毎年秋の到来を告げてくれます。萩という漢字は草かんむりに秋と書きます。まさに秋の花。秋の七草にも入っています。我が家の庭にも色々と植えましたが、生き残ったのは白萩だけです。白萩と言えば萩焼の釉薬としても有名です。萩焼の白萩釉なんて、そのままです。この釉薬は藁を焼いた灰を混ぜて造られます。白い色に時折ピンクが混じって何とも言えない風情があります。まさにお抹茶にぴったり。秋の和菓子とともに一服。なんとも言えない趣が感じられます。日本の秋を知らせてくれる花です。ススキも女郎花も七草のひとつ。おみなえしを女郎花と書かせるなんて、粋だなと思うのですが。
2025年9月12日金曜日
深まる
相変わらず、暑い日が続いております。それでも、ヒガンバナが咲きだして、ツクツクボウシが夕方になると鳴いております。日々、秋が深まっているようです。ここのところ、陶芸体験の問い合わせが増えてきました。やはり芸術の秋でしょうか。先日鹿児島に行ったときどこかの美術館で藤田嗣二の展覧会があるという情報が入ってきました。秋に、あの、大好きなレオナルド藤田の作品が見えるのは、本当に幸せです。フジタは、晩年、従軍画家として国威発揚に大いに活躍しました。しかしその後、その彼の行動。批判されて、フランスで生涯を終えております。愛国者として国の為に命を懸けたのに、生涯認められることがありませんでした。戦後だいぶ時間を経て再び脚光を浴びましたが、二度と日本の地を踏むことはありませんでした。さぞかし無念だったことでしょう。秋に彼が取り組んだ仕事をゆっくり顧みるのも良い機会ではと思っております。
2025年9月11日木曜日
朝かみなり
朝かみなりは晴れる。という事を、昔先輩から教えてもらいました。まさに今日、午後から陽が差してきました。夜明けの雷で、停電でしたが。午前中の体験、ギリギリ間に合ってくれました。午後からは湿度もあって、暑さもひとしお。今朝から腰が痛くてダメかなと思ったのですが、何とか今日も蹴ろくろでお茶碗造り。今日はあまり勢いで挽くのでなく、おとなしいロクロ。まあ、そんな日もあります。穏やかな器もいいもんです。
2025年9月10日水曜日
連ちゃん
昨日に引き続いて、蹴ろくろを挽きました。午後から。なんとなくやれそうな自信がついてきました。これならば。明日は削り。削りは電動ですが。削りまで蹴ろくろだと、きっと腰を悪くすると思います。ここは自制が肝心。慌てず焦らず諦めずという事で。
2025年9月9日火曜日
蹴ろくろ
午前中は蹴ろくろ。午後は電動で制作しました。少しずつ回復しているので。腰痛が。朝、サロメチールを塗ったら火のように熱くなりました。熱くなるという事はまだまだ本当ではありません。それでも何とか一日制作できたことに感謝。これから、ちょっとずつ蹴ろくろ復帰してゆきたいと思います。目標。年内復帰。
2025年9月8日月曜日
西日
工房は今の時期が最も暑い。何故かというと西日が入ってくるからです。工房を建てる時、建物の向きなど全く念頭にありませんでした。ところが出来上がってみたら、なんとまあ、夏暑く、冬寒い、とんでもない建築になっていました。方向なんて全く考えるゆとりがありませんでしたから。近くにあった診療所の院長さんと相談して建てたのですが。二人とも部屋の間取りばかりで、肝心の向きは念頭にありませんでした。あれから四十年余り。毎年今の時期になると、後悔ばかりです。やはり何度か失敗してみないと、わからないものです。家建ても、創作も。
2025年9月7日日曜日
鹿児島
昨日は鹿児島に行ってきました。日帰りで。だいぶ慣れてきて、お店屋さんをのぞいたり、商品チェックをしたりしました。前回まではとてもウィンドウショッピングする余裕はありませんでしたが。昨日は本屋をのぞいたり、軽く食品を買ったり。ほとんどお菓子やパンですが。その中で気になったものがありました。焼き物屋ですから、器が多いのですが。ティーポットやお皿です。そして、いくつかのヒントも。やはり、たまに色々見て歩くことも必要ですね。刺激も受けますし。次は二週間後。おそらく秋も深まっていることでしょう。
2025年9月5日金曜日
一過
大した雨もなく風も吹かずに過ぎてゆきました。それでも青空。爽やかと言いたいところですが暑いです。いつまでも。昨日挽いたカップを削って、把手を付けました。面取りです。実は昔よくやっていた仕事。ここにきて、再挑戦しています。ただし、いくらかやり方は変えて。ざっくり削って仕上げるというより、ろくろで挽いた後叩いて変形させています。そうすると柔らかい感じになります。面取りと言ってもほんわかした感じ。年を取って、荒々しいものよりも、やさしい感じが好きになってきました。好みって、変わってゆくものですね。
2025年9月4日木曜日
台風
現在台風は種子島付近を通過中のようです。ようですというのは、あまり風、雨、ともに台風らしくないからです。ちょっと他人事みたい。この先どうなるのかはわかりませんが。突然大風が吹いたり、雨が強くなったり、一寸先の事はわかりません。本当に、いつ何が起こるのか、こればかりは誰にも予想がつかない事です。ただ、今やれることを精一杯やる。最後は天の思し召しに従うのみ。
2025年9月3日水曜日
突然
台風が発生とか。予兆なしに。明日、鹿児島に行く予定でしたが、変更。何しろ、明日が真っただ中。当然欠航でしょう。そこで急遽延期にしました。それにしても、こんなに近くなってからの台風とは。まさに青天の霹靂。こう事が起きるから面白いのです。全ての出来事が杓子定規に進んでは、楽しくありません。それにしても、藪から棒とはまさにこういうことをさしているのだと思います。
2025年9月2日火曜日
暑さ負け
そろそろ夏の疲れが出る頃です。我が家の奥さんもこの暑さ、ばてが出たようです。食欲がなくなったり、暑さで消耗したり、体調を崩しやすい季節です。残すところ、今年も四か月ほど、何とか大禍無く過ごしてゆきたいものです。とはいえ、油断大敵です。先日は南海トラフ地震に備えて、避難訓練が行われました。そればかりでなく、世界情勢も一触即発があちらこちらで。平和ボケしていたら大変です。物価も高く、生活も苦しくなるばかり。コロナ以後も、どうにも厳しい日々が続いています。こればかりは都会も田舎も。洋の東西を問わず。どうか、負けることなくお健やかににお過ごしください。
2025年9月1日月曜日
攻勢
ダントツのドベ。つまり最下位ですが。ここにきてちょっとだけ光明が見えてきました。村上君も打ち出しましたし、わが長岡選手も調子が上がってきました。これから残りわずかですが、何とか最下位脱出を目指してスワローズに頑張ってほしいものです。九月攻勢として。秋の気配が漂い始めました。今朝の散歩道、ふと見上げると星が一つ輝いていました。あれは明けの明星でしょうか。最近毎日見ている、動画。月に変わってお仕置きよ!というお芝居。月野ウサギという娘が活躍する、お話。地球征服をたくらむ悪と戦う美少女戦士。どうか、願わくば平和な星にこの地球がなりますように。