2025年11月23日日曜日

連休

 勤労感謝の日。と言っても大忙し。ただ生活に追われています。あたふたと。本来ならば、ゆっくりと骨休めがしたいところですが。人がゆっくりするときが我ら自営業者の稼ぎ時ですから。今日、クリスマスツリーを出しました。例年よりも早めですが。息子が言うにはツリーを出すとお客さんが来なくなるとのこと。だって、年の瀬が間近ですから。しばらくは閑散期に入ります。そんな時、造りたかったのが、「雨ニモマケズ」です。今年、せっせと造った三島の印。中に「雨ニモマケズ」の詩を彫ったものがあります。年内に何とか形にしたかったのですが。こんな時こそ、うってつけ。さてさて、どんなデザインにしたものか。色々アイデアが浮かんできます。

2025年11月22日土曜日

近況

 一昨日は日帰りで鹿児島に行きました。まず朝の風景。種子島から見た屋久島の姿。初めて見た全貌。あんな物凄いところに暮らしていたのかというのが第一印象でした。そして馬毛島の工事現場もばっちり。何回も通るたびにキョロキョロしていたのですが、どうしてもどこが馬毛島なのかわかりませんでした。今回初めてこの目で確認することが出来ました。こんな風になっているのかと。現場のすぐ近くに見えたのは口永良部島の様な、その横には硫黄島と竹島でしょうか。硫黄島らしい姿が印象的でした。かつて俊寛が流されたという鬼海が島はあそこではないかと思ってしまいました。そしてしばらくして見えた開聞岳。規模は小さいですがまさに薩摩富士と呼ぶにふさわしい姿でした。昨日は一日窯に関わる仕事。釉薬を掛けたり作ったり。仕上げをしたりと。大昔出会った師匠の奥さんが前日の夕方お見えになったとのこと。一緒に過ごした半年に満たない時間を思い出してしまいました。若き日の思い出。絵の勉強をしていた頃、陶芸と出会ったあの時代を。確か、あの年、沖縄が日本に返還されたのです。我が師匠は沖縄に行くときはパスポートが必要で帰ってくる時には国内旅行だったという話を聞きました。まだまだ貧しく激動の時代でした。アメリカはベトナム戦争真っ盛りでした。屋久島への旅費を稼ぐために立川まで行ったことを思い出します。立川の米軍基地では死体洗い、一体一万円という雑誌の記事を読んで。しかし、実際そんな仕事は見つけられず、すごすご戻って来たのですが。東京の伊勢丹というデパートでは米軍放出品の販売会があって、そこで買った、血の付いた寝袋を抱えて屋久島に来たことなど、今は懐かしい思い出です。そして今日は土曜日で朝から米粉のパンケーキを焼いてみました、例のごとく失敗。いつになったら米粉で作ったものを美味しく食べることが出来るのでしょうか。

2025年11月19日水曜日

思えば

「 思えば遠くへ来たもんだー」というう歌がありました。「故郷はなれてー」と続くのですが、昨日、大昔の知人から突然電話が入りました。その方は師匠と言える方の奥さん。師匠と言っても一緒にいたのは半年にも足りません。陶芸の道に入るきっかけを作ってくれた方でした。その師匠もだいぶ前に他界されています。その方が屋久島に来るとのこと。もう五十年以上も前にお目にかかった方なのでうろ覚えなのですが。あの頃はまだ二十歳を過ぎて間がない頃でした。まだ陶芸という世界がどんなものなのか。画学生で絵のことしか頭にない頃でした。それが東京からはるばる屋久島までえっちらおっちらやってきて、いきなり合宿生活が始まりました。旅費がなくて、山谷で船の荷卸の仕事を徹夜でして、大枚八千円を手に、夜行バスと普通列車を乗り継いでたどり着いたのが屋久島でした。あの頃はまさかここに住み着いて陶芸で身を立てるようになろうとは。そんな時代に出会った方でした。もう、ほぼ忘れかけていた人がいきなり現れようとは、思いもつかない事でした。島には明日お見えになるとのこと。実は明日は白内障の手術後の定期検査で鹿児島に行く予定です。これから先いったいどんなことになるのやら、楽しみでもあり、不安でもあります。まあ、予測のつかないことが起きるから面白いのだと思うのですが。

2025年11月18日火曜日

クリスマスツリー

 何とか焼き上がりました。ツリーが。古いのよりも、かなり大きく造ったと思いましたが、焼き上がってみるとほぼ同じ。おまけに苦労した割にはあまり進歩してませんでした。前回のは、台と本体とで二分割。今回は四分割しました。手間をかけたはずなのに、出来はというと甲乙つけがたし。ただ今回は二つまとめて出来上がりました。実は作業はこれから。分割して作ったものを一体にしないといけません。そこで、今朝、接着剤を注文しました。外国人が作る陶芸のオブジェ。分轄して焼き、あトカラ、組み立てるようです。果たしてうまく組み上がるのか。終わるまで苦労は尽きません。

2025年11月17日月曜日

三日月

 今朝の散歩。星がちりばめられて、東の空には輝く三日月。「月がとっても青いからトーマワリシテ帰ろ」なんて歌が出てきました。明日は流星が見られそうとカミさんが言いました。しかしながら願いも空しく空模様は下り坂。明日の海は大荒れで船も欠航が決まりました。ままならないものです。秋の天気は。

2025年11月16日日曜日

三時起き

 朝の三時から仕事場で作業をしました。総理大臣と一緒。どうしても、早く焼きたかったので。自家用のクリスマスツリーを。思った以上に手間取ってしまい。夕方まで掛かってしまいました。若い頃には何とも無かったのですが、この歳になると眠い事。あの人は、国を背負っているとはいえ、無理してるんだろうなと思います。おまけに、どこかの領事からひどい言葉を浴びせられたり。挙句の果てに後ろから鉄砲で撃たれたりしたら、本当、目も当てられません。

2025年11月15日土曜日

窯仕事

 本焼き、素焼きと続けて焼いたので、続けて窯出しの日。出した作品を仕上げたり、次の釉薬掛けの準備に入りました。本当に雑用に連続です。ていうか雑用こそ陶芸の仕事。だからとにかく、やることが多種多様。しかしどの作業も簡単に出来ることはありません。だから経験が大切という事でしょうか